KISS ME BABY


03

(……ま、ここまでかな)
 キッドから強請られたというだけで、随分な進歩ではあるのだろう。
 まあいいか、と思いながら身を起こし、ベッドを降りようとしたソウルは、「待たんか!」という声とともに肩をぐっと引きもどされた。
「も、もう大丈夫だ」
「えェ……?」
 訝しげに言ったソウルの、肩を掴む手には常になく力が籠っていて、先程と同様の緊張を伝えてくる。
 けれど、ソウルを真っ直ぐに見据える、キッドの目には、決意のようなものが見て取れた。
「……大丈夫だ!」
 或いは、ある種の対抗心から意地になっているようにも見える。少し言葉が過ぎたかもしれない、そう思いつつ小さく苦笑し、「そんじゃま」とキッドに向き直る。そこまで言われて何も手を出さずにいられるほど、彼はストイックではなく、また無神経でもなかった。

「舌、だして」
「ン、……こう……か」
「そ」
 戸惑いがちに唇から覗いた舌に、己の舌先を軽く触れ合わせる。それだけで胸が甘く疼いた。ちろちろと表面を撫ぜるだけの、ごく単純な接触に、けれど脳が痺れるような不思議な感覚を覚え、遠慮がちに絡めていた舌は次第に、大胆な動きに変わっていく。
「ふっ……ン、む、……んん、」
 怯えたように引っ込んでしまった、キッドの舌を追いかけて舌先でぺろりと上唇を嘗めれば、微かに甘さを含んだ声が零れた。再び触れ合わせた唇を深く重ね、口腔へと侵入する。
 どうしてあんなことをするのだろうか、映画か何かで見たディープ・キスに疑問を覚えたのはもう随分昔の事だったが、してみればすぐに分かる、ごく簡単なことだった。
 気持ちいい。
 言葉にするのが馬鹿らしいほどに、ただ純粋に気持ちが良かった。それは触感というよりは、背徳感からくるものが大きいのかもしれない。普段他人に見せることのない、触れさせることのないからだの内側を、互いに触れ合わせる行為。いけないことをしているかのような、後ろめたさがそのまま快感へと掏り替る。
「あ、――っん、ぅう、……っふあ」
 腕の中でキッドが微かに身を捩る。零れる声音が少し苦しげにも聞こえたが、構わずそのままキスを続ける。構うだけの余裕がなくなっていた、と言った方が正しい。
 絡めるのだとか吸うのだとか、雑誌の片隅に載っていたようなキスのテクニックを、思い出そうとしてみたが果たして正しいやり方なのだかは分からない。ただのめり込むように、舌を絡め取り強く吸い上げ、甘噛みする。歯列をなぞり、口蓋を舌で擽る。そのたびにキッドの背がふるりと震え、しがみつく腕に力が篭もる。キスの合間に零れる吐息は、確かに甘い艶を帯びていた。

 ちゅ、ちゅく、と絡ませた舌が蠢くたびに湿った音をたてる。思考が熱に浮かされたよう、ぼんやりと霞んでくるにつれ、何処からが自分のもので、何処からがキッドのものなのか、境目が次第に曖昧になってくる。貪るような口づけで息が苦しい。けれど、もっと、こうしていたい。欲動の赴くままにいつまでも続くかと思われたキスは、先程と同じよう、キッドにぐいぐいと腕を引かれたことで中断せざるを得なかった。
「ん、――……っは、…………はぁ」
 名残惜しい気持ちで離した唇の間に唾液が銀糸を引き、撓んで、ふつりと切れた。
 息継ぎにまだ慣れないのか、少し身を離したキッドは酸欠にあえぎ大きく肩を上下させている。
「キッド、」
 名を呼ぶ声に応えて、とろんとした目で見上げてくる様に理性を激しく揺さぶられる。紅潮した頬。濡れた目元と唇。僅かに覗く赤い舌。焦点を結ばず蕩けて潤んだ金の瞳。そのすべてがまるで、――誘っているかのようで。
 キッドの肩を、掴む手が緊張する。躊躇いを捩じ伏せ、ここは行くしかねェだろとソウルが何某かの決意を固めた、その刹那。


 ガチャリ、とアパートのドアを開く音は、締め切った部屋にも確実に届いた。心臓が跳ねる。身体が硬直する。視線を合わせたのはわずか一瞬で、次いで「ただいまー」とマカの声が響いた時には既に、二人はベッドの端と端まで飛び退り、まるで何事も無かったかのようにお互いにそっぽを向いていた。
「ソウルー? 部屋ー?」
「お、おう」
 若干不自然な声で応えてソウルは、ベッドから降りた。ドアを少し開け、リビングにいるマカと何か話しているその背を、キッドはぼんやりと見遣る。
 カーゴパンツの両ポケットに手を突っ込んだ、ソウルがいつもより殊更猫背なその理由に。

 ――漸く思い当たって、キッドはぼっと頬を赤く染めたのだった。