がみののぞみは


02

 空気が重く感じられるのは、廊下の狭さによるものだろう。
 一般生徒は普段あまり近寄ることのない、死武専の地下通路を一人歩く梓の、ヒールの高いブーツが床を叩く音だけが、石造りの床に硬く反響している。
 西欧の古城を思わせるようなその造りは、窓がないため解放感が無く息苦しい。壁の蝋燭の灯りだけが、ときおり頼りなく揺らめいている。
 厚い壁に囲まれ、外の音が一切聞こえてこない。
 蝋燭の炎の揺れに伴って、壁に映る自らの影もまた揺れる。細く長く伸びた影は、人の皮を被った魔物の姿が映し出されたかのように、奇怪な形でもって壁に映り揺れている。
 それはまるで、人の本性を映しだしているようであると。
 そんな益体もないことを、柄にもなく考えてしまうのは、場の重苦しい雰囲気がそうさせるのであり、そしてこれから向かう場所の持つ性質上のものであると、梓は理解していた。
「……」
 鋲打ちされた無骨な鉄の扉の前に立ち、ふう、と梓は重い吐息をついて、ドアノブに手をかける。
 施錠はされていない。少し力をこめて押すと、特有のむっとした埃っぽい空気が鼻をついた。
 中に入り、背で押すようにして、扉を閉める。
 吊り籠、三角木馬、鉄の処女。部屋中にところ狭しと並べられている、物騒な道具を表情一つ変えず冷徹な視線でもって見渡す。
 拷問部屋。
 今は人道的な側面から、使用されることのなくなったその部屋は、しかし死武専と魔女との闘いの歴史を物語るものとして、資料的な意味合いのもと保存されていた。
 通常は、職員以外は立ち入り禁止の筈のその部屋に。
 ズドコンズドコンと場にそぐわぬキック音が、微かに聞こえたことで、梓は自分の予測が正しかった事を知った。
 部屋の奥に安置されている、断頭台の前へと歩み寄る。
「やはり、此処でしたか」
 ぼんやりと立ちつくす影を見つけ、声を掛けるが、ひょろりと縦に長い人影は、こちらを振り返る様子もない。
いつものことだ。
 慣れた様子でつかつかと近寄って、梓はその肩に手を置く。
「はっ?」
 初めて、梓の存在に気付いたかといったよう、目を丸くして振り返った長身の青年。牧師服に身を包み、聖帽にくせ毛気味の金髪を押し込めた彼こそ、最年少のデスサイズスであり、梓の後輩でもある、ジャスティン=ロウその人だった。


「ジャスティンくん」
「ああ、これはこれは。梓さんではありませんかァ」
 虚ろであった目が梓へと焦点を結ぶ。ジャスティンは大袈裟とも言える身振りで大きく両手を広げ、ご機嫌麗しゅう、とにこやかに笑んでみせる。
 数年ぶりに顔を合わせる後輩に、けれど梓は旧交を温めるでもなく、厳しい目線で彼を見、『煩いから止めろ』のゼスチュアをしてみせた。
「?」
「あなたの、ウォークマンを、止めなさい」
「! わかりました。ウォークマンを、止めろと、仰ったのですね?」
 口唇を読んだのだろう。わかりました、と言った筈の青年は、しかしイヤホンを取る事も、ウォークマンを止めることもしようとはしない。
 『止めろと言った事を理解した』、つまりそれ以上ではないのだろう。
 言葉が通じているのかいないのか。
 苦手な相手だ、と思いながら、梓は躊躇い無くその耳に射し込まれたイヤホンを、左右まとめて引っこ抜く。漏れ出ていた音は、一層煩く部屋に響き渡った。
「理解したのなら、実行したらどうです」
 言いながら、強引にウォークマンの電源を落とす。イヤホンから漏れ出る喧しい音が止み、辺りがしんと静かな空気に満ちた。
「……?」
 小首を傾げるだけの後輩に、梓は軽く眉間を抑えた。
「本当に君の耳には、死神様の言葉以外は届かないのですね」
「そうですね! 僕の耳は神の御言葉を聞くためにありますから」
 悪びれもせず、答えてジャスティンは、祈る時のよう片手を胸にあてた。
「周囲に氾濫する様々な雑音のなか、神の御言葉を聞くため耳だけではなく目も、いえ、心も含め僕のすべてを集中させなければなりません。僕は常に僕の中に、そのような集中と緊張を求めているのです」
 普段からいつも、周囲の『雑音』をシャットアウトしているのも、そのためだというのだろうか。
「全ては主の為に、ということですか」
 朗々と己の考えを語るジャスティンを、見上げる梓の目は相変わらず厳しい。
「ええ」
「他のもの、神のお言葉以外のものは、貴方にとって不要だと?」
「そんなことはありませんよォ。人とは、独りでは生きてゆけないものですから」
「……そう、『神が仰った』?」
「ええ!」
 にこにこと、答える笑顔には欠片も邪気がなかった。