Sugar sweet nightmare 



03

「猫も、夢って見るんだっけか」
 キッドの丸まっているソファに、自らも腰を下ろしたソウルは軽くタイを緩め、上着を脱いでソファの背に乱暴に引っ掛けて、傍らで身を丸めている恋人に視線を落とす。
目に映るものは紛れもなく自分の無意識が創造する心的夢であって、しかし同時に疑似的共鳴でもある。つまりこの『夢』は、以前と同じ、キッドの意識が干渉し見せているものだ。共鳴とは、一人では図れないものなのだから。
(っつっても、キッドはまだ戻ってない筈――)
 死神様の勅命を受け、パートナーを伴い任務についている彼の恋人は、今はこのデス・シティから軽く五千マイルは離れた土地に居るはずだ。なのに、何故。
(……ヘンな癖でもついたか?)
 小鬼の言葉を真に受けるではないが、この邂逅を齎したものが時間も距離も容易く越えてしまう程の強い思念ありきなのだとすれば、――それは恋愛と言うありふれた事象の中に身をひそめるもの、確かに狂気とも呼びかえられるべきものなのかもしれない。そう、『恋が狂気でないとしたら、そもそもそれは恋ではない』のだ。

「……んなに、俺に逢いたかった?」
「…………」
 聞いているのかいないのか、時折、うにゃうにゃと寝言のようなものを零すキッドの頭の上で、髪と同じ色をした耳がぴくぴくと動いている。丸めた背が波打つように動き、パジャマの上衣から覗く尻尾は時にゆらりと揺れる。それはまるで、本物の猫であるかのように。
 起こしてしまうかもしれない。そう思いながらも、やはりその不可思議なモノに触ってみたいと言う欲求を抑えることは難しく。
 頭の上に生えたものに、そっと手を伸ばす。ハロウィンパーティーの小道具のような、カチューシャにつけられた偽物などではなく。確かに血の通った、猫の耳だ。触れようとするソウルの指を、避けるかのように微かに反応したそれは、触ると少しひんやりとしていた。
 毛並みの良さは流石血統書付き、といったところだろうか。上質なビロードを思わせる、なめらかな手触りの黒い毛に覆われた耳は、ご丁寧に左の側にだけ白いラインが入っている。
(……言わない方がいいんだろうなァ……コレは)
 笑みを堪えて微妙に引き攣った表情で猫耳を眺めるソウルの傍らで、キッドが少し身動ぎした。
「あ、……悪ィ。起こしたか」
「…………ん」
 掠れた声と共に少し瞼を上げたキッドは、ぱちぱちと瞬きをしてソウルを見た後、軽く丸めた指で眠たげな目を擦る。その様子は猫が顔を洗う時の仕草に酷似していて、やけに愛らしい。どこか落ち付かない気分でそんな仕草を眺めるソウルをしばらくじっと見詰め、やがてその口元が微かに動く。
ソ、ウ、ル、――声には出さず、恋人の名を形作った薄紅色の唇が、あるかなしかの微笑を浮かべ、誘うように、媚びるように薄らと開く。潤みを帯びた瞳で見上げるさまに、理性のぐらつきを覚え思わず唾を呑んだソウルをよそに、「くぁぁ」と小さく欠伸をしたキッドは、上げかけた頭を再び落として、そのままよじよじとソウルの膝の上に乗り上げてきた。
「おい……、キッ」
 呼び掛けが途切れる。一瞬言葉を飲み込んだソウルは、やがて奇妙な形に唇を歪めた。それは、沸き上がる擽ったさを堪えてのことだ。
見れば、膝の上でごそごそと蠢くキッドが、猫の手を模るように軽く丸めた手指で、もみもみとソウルの内腿を押している。マッサージでもするかのようなその仕草に、ソウルは笑いたいのを堪えてキッドの手を留めた。
「ちょ、……ッく、ク、……おい、やめ、ろって」
擽ったさだけならば我慢もできようが、同時に募る妙な感覚はちょっとなんだか、まずいような気がして。
手を遮られ、少し不満気に鼻を鳴らしたものの、ふいっと顔をそむけたキッドは、腿の上あたりへ頭を擦り寄せてくる。やがて具合のいい位置を見つけたのか満足そうに目元を緩ませ、そのままソウルを枕替わりにまどろみに沈んでゆく。
「キッド」
大人しくなった恋人に、呼びかけてみても小さな寝息が答えるだけだ。散々人を振り回した挙句の所業に、ソウルはやれやれと苦笑を浮かべた。そういうマイペースな振舞いは、猫耳があろうがなかろうがあまり変わらない気もするな、などと思いながら、そっと咽喉の下あたりを擽ってみる。丁度、本物の猫を構う時のように。
「……にぁ」
 外見に合わせて次第に中身も引き摺られてしまうものなのだろうか。もはや人語を忘れてしまったかのよう、発する声はまるで猫そのものだ。ゴロゴロと咽喉を慣らしたキッドの、感情を表わしてかその尻尾がぱたぱたと揺れている。
 猫が何かを揉む動作ってのは確か、甘えたい時だったっけか。
 パジャマの背中を撫でながら、そんな事を思い出す。基本的に甘え下手なこの恋人が、胸の内に秘めるものをそんな形で引き出してしまうのだとしたら。いや猫耳恐るべしだな、などと思いながらソウルはキッドの髪に指を通した。
「…………俺も、逢いたかったよ」
 囁いて、頬にくちづける。goodnightの意味を込めて落としたキスであったが、彼の膝でとろとろとまどろんでいた猫は薄く目を開け、眠たげな目をしたまま、けれど『もっと』と強請るようにその唇を寄せてきた。
「ん、……ん」
 いつもよりざらつく舌でソウルの唇をぺろりと舐めたかと思うと、自らの唇をつきだし、啄ばむような軽いキスを繰り返す。そうやって吐息が交わるたび、幸せそうに目を細めるその様子に。
(可愛いじゃねーか、くそ)
 煽られてつい、頬に添えた指が首筋へと滑っていったのは不可抗力だ。
「にゃ、――……ぁ」
 項を撫でた指先に反応して、肩が小さく震える。常ならば、擽ったいだのなんだのと理由を付けてはその手から逃れようとするキッドが、いまは抵抗するでなく小さく鳴いて、頭の上で猫の耳が微かに揺れた。
 ふっと息を吹きかけてやると、ぶるると震えた耳が、今度は弾けたようにピン! と真っ直ぐ上に立つ。
(――ん、怒った?)
 僅かに警戒して身を引いたソウルの、胸の辺りをぎゅっと掴んだキッドが、はぁ、と小さく零した吐息は少し熱を持ち始めていた。
「キッド」
 ソウルの声に、顔を伏せたままの恋人は何も答えない。けれど何かしらの刺激を受けるたびに、その耳はぴくん、ぴくんと可愛らしく震え、かと思うと、ふるふると揺れて、ふっと伏せられる。
(うーーん。……なんつーか、…………これは、)
 しなやかな耳も誘うように揺れる尻尾も、本人よりずっと素直で表情豊かで、だからもっといろんな顔を見たくなって。ぱたり、とソファを叩く尻尾を優しく撫で付けると、心地いいのか、キッドは金の双眸を潤ませてソウルを見上げてくる。
「! ……、あ、」
 そろそろと尻尾を辿り、パジャマの内側へと手を滑らせる。背骨の下の窪みあたり、尻尾の付け根に指先が触れた時、滑らかな手触りの尻尾が一度、ぴんと伸びる。それまでより大きく身体を震わせたキッドが、切なげに鳴いて眉を寄せた。
(……あ、…………そっか)
 猫にとって、尻尾の付け根は謂わば性感帯だ。軽く擽り、優しく引っ掻く様に撫でるソウルの指先に応えて、キッドの鳴き声が次第に甘く掠れていく。そんなところまで猫なのか、とある意味感心しながらふと、ソウルはこの事態を招くひとつの切欠となった同居人の事を思い出した。
 或いはあの魔猫が、人と同じ形をとるときに尻尾を隠している理由も、そういう所にあるのかもしれない。
あれは人を誘惑する側に立つものだ。なればこそ、晒す弱点は、少ないほどいいに決まっている。
 一つの謎は解けたがしかし、知的好奇心の全てが満たされたかと言えば、そういう訳でもなく。
「…………にゃ、ぁ……ふ、ぅぅ……」
 ソウルの腕の中で、小さく身体を震わせながら鳴く猫の身体は、どんどん熱くなっていく。柔らかな毛を纏う尻尾がくたりと垂れて、愛撫する指先の動きに合わせるように頼りなく揺れている。偶にひくんと持ち上がっ ては腕を撫でるそれに、「擽んなよ」とソウルは小さく笑った。

(……? 裏返し……?)
 それまで別のところにばかり気が行っていたせいか。ボタンを外そうとして初めて、キッドがパジャマを表裏に着ていることに気が付く。
超が付くほど几帳面な筈の彼が何故そんな、器用な間違いを犯したのか。気にならないではなかったが、今のソウルにとってはそれよりも、重要な事は他にあった。 
「にゃ、ぅうぅ……んぅ! ぁあっ、にゃぁっ、ううぁん、うぁ、ふぁ…ぁ、っ!」
 その肌に指を滑らせるたび、鳴き声とも喘ぎ声とも判別のつかぬような甘い声があがる。ソファの背に掛けたままだったスーツの上着が、床へと滑り落ちたのが視界の端を掠めたが、そんなことはもはやどうでも良かった。
 ただ一つ、気になるのは、この夢が醒めた後の事、……キッドがデスシティへ戻った後の事、だけで。
 なにしろ前科のある身だ。だのに懲りもせずこのような、不埒な真似を働いたことを、彼はきっと記憶しているに違いないだろうから。
頭を過るビジョンを憂いてふと遠い目をしたソウルの、意識を揺り戻すように、しがみつく腕が強くなる。
「ん……ああ。わかってるよ」
 見上げる瞳が求めるものを、そして自らの『知的好奇心』の行きつく先を、彼は正しく見通していた。
(……死神チョップ一発、……いや、二発?) 
 それぐらいなら甘んじて受けようではないか。後のことは後で考えればいい、とただ情動の赴くままに、今この瞬間を享楽に耽ることに決めて、ソウルはそのままソファへと体と意識を沈みこませていった。






[end.]


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