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素晴らしき日常 ■■
「…………?」
切羽詰まったような、COOLじゃァない顔をしていたのかもしれない。黙ってしまった俺を少し戸惑ったような表情で、見詰める金色の瞳にはおよそ疑念というものがない。なさすぎて逆に困る。ついこのあいだ、色々あった後だってのにこの坊ちゃんは、っとに警戒心が足りないというか何と言うか。
それはどうやら自分のテリトリー内に於ける心理的優位性からくるもの、だけではなさそうだった。それは俺に対する相応の信頼。あるいは未だ、互いがそういったコトの対象であるという意識の欠如。そのどちらもがありそうでいて、改めて歩む道のりの険しさを認識し、軽く頭痛がする。
翳りなく、純粋な澄んだ瞳がいとおしい。そんな思いと相反するような欲望を、抱かずにはいられない自分に、圧し掛かる背徳感が重い。
……いやいやいや。健全な肉体と健全な精神を持ってるやつなら誰だって、好きな相手とより深く繋がりたい、身体的交渉を持ちたいと思うのが普通だろ。親公認の清ーいお付き合いなんかよりそっちのほうがよっぽど、健全じゃああるまいか?
などと自分に言い訳めいたものをしながら、放っておくと何でもかんでも上司兼父親に報告してしまいそうな恋人の、瞳をじっと見詰め、その手を取る。
ささやかな接触で意識する。すらりとした節の目立たない指、透けるような白さをもつその手は、しかし少女のよう華奢でもたおやかでもない。銃を扱うとは到底思えないようなこの手の持ち主もまた、俺と同じ男であるのだと。分かっていてもなお触れたいと思ってしまうのは、既に『普通』や『健全』の範疇じゃあないのかもしれない。
それでも、だ。好きだからこそ欲しいと思うこの気持ちを、俺は否定する気にはなれないし、受け入れてほしいとも強く願う。
……っつーか、少しは空気で察してくれりゃあ有難いんだがなァ、とそういう方面には至って非協力的な恋人の手を、握る手に微かに力が籠る。
願うだけでは何も得られはしない。手にしたいと欲するなら、自ら掴み取るしかないんだ。
そんな大仰な決意を胸に、すぅ、と軽く息を吸い込む。
「この間の、続きをっ……」
しよう、と言いながら視線を巡らせた、一人用にしては贅沢すぎるほど広いベッドの一部が、不自然な膨らみを見せていることに、何故俺は今の今まで気が付かなかったんだろうか。
「続き?」
「ああ……うん……あの、ちょい待て。……アレ、何」
この部屋に通された時に、真っ先に気付いてもよかったような、こんもりと盛り上がったシーツ。そこへ目が行かなかったのは、ひとえに『コトを成す』と意識し過ぎていたが故、視界に入れられなかったからに他ならない。
「あぁ」
俺の目線を辿って同じようにベッドの上を見遣ったキッドが、その膨らみに気付き、さして驚いた様子でもなく呟く。
「父上か」
「?!」
……口から心臓が飛び出るかと思ったぞオイ。
今この場で一番聞きたくない単語をさらりと口にしたキッドが、つかつかとベッドに近寄りシーツをばさりと捲る。
果たしてそこには、死神様が随分と小さく丸まって隠れて……いたわけではなく。
「…………それって」
「あの時、ソウルがくれたものだな」
それはあの遊園地デートの際、俺がハンマー・アトラクションに挑戦して取ってやった景品、死神様を模ったぬいぐるみだ。
それを抱えたキッドとだいたい同じぐらいの身長だったから、三分の二スケール程度だろうか。そもそもはリズかパティへの土産に丁度いいだろうと思って取ったものだったが、……まさか、こんな場面で再会することになろうとは。
「で、なんでソレがシーツん中に、……ひょっとして、毎晩抱いて寝てんのかよ」
「……俺がそんな、小さな子供のようなことをすると思うのか?」
別にバカにしているつもりでもなかったんだが、キッドはあからさまに眉を顰めて軽く俺を睨んだ。
その微妙なサイズの死神様は、抱き枕としては悪くなく、寧ろ適していると言っていい。が、確かにキッドの言うとおり、ぬいぐるみを、まして父親の形をしたものを抱いて眠るって年でもないだろーしな。
但し、不機嫌な表情を作ってぷいとそっぽを向いた、キッドの頬はよく見なければ分からない程度にほんのり赤く染まっていたから、……一度ぐらいは『小さな子供のよう』に、一緒にオヤスミしたんじゃあないだろうか、と俺は推測するんだが。
言わないだろうから、聞かねーけど。
そうやって俺が勝手に恋人を慮っている間に、死神様を抱えながらもシーツを整え終えたキッドが、やれやれといった調子で苦笑いを浮かべた。
「おおかた、パティのやつのイタズラだろう。……俺とリズを驚かせようとしてか時折、クローゼットに忍ばせたり、バスルームにぶら下げていたりするんだ」
「……ははぁ」
その気紛れかつ無邪気な悪戯としか取れない行動が、今日に限っては作為的にあのベッドを選んだのだろうという事を、邪推せずにはいられない。
たとえ本物の死神様の目が届かなくとも、その偶像は可愛いご子息をおはようからおやすみまで見守る最強の番人。視界に入れば間違いなく、やましい気など萎えてしまう事請け合い、……というか実証済みだ。
してやったりといった顔で、きししと楽しげに笑うパティがの顔が浮かんでくる。
あのやろう、と思いながら頬を引き攣らせた俺に、キッドが「で、……続き、と言っていたな」と、どこか嬉しそうに言う。
「え。ああ、……うんまあ、でも」
そんな空気でもねェしまた今度、と言いかけた俺にキッドは、ぱあっと顔を明るくした。
「やっとその気になったか! だったら俺も、協力は惜しまん」
「……はっ?」
キッドの突然の歩み寄りに、思考が一瞬フリーズする。
ええと。まあ確かに俺だけ意気込んでてもどうしようもないし、二人の協力が不可欠な行為ではあるけども、だな。そんなに満面の笑みを称えてするような事でもないんじゃあ。
変に冷静になって退いてしまう俺の脳裏で、何を迷う事がある、と囁く声が聞こえた気がした。構わず据え膳を喰っちまえよ、そんな事を告げる煩悩と理性とが脳内抗争を繰り広げるうち、キッドは何故か手にした死神様ぬいぐるみを、徐にベッドの脇に立て掛けた。
……なんの試練のつもりだろうか、それは。コトの最中に目にしたくないものベストテンに入りそうなものを、わざわざベッドサイドに置く、理由ってのは。
ダメだソウル父上が見てる前でこんな、――なぁんていう若干難度高めのプレイが一瞬頭を過って掻き消えた。いや分かってる。そんなハズがないってことは。
足りないのは俺の理解力か、それとも集中力だろうか、ともかく色んなショックでどうにも頭のネジが緩んじまったらしい。ロクな考えが浮かばず混乱する一方の俺を、キッドが熱っぽい瞳で真っ直ぐに見据える。
「ソウル、」
近づく気配。静かで怜悧な声が、僅かに深みを増して鼓膜を震わせる。ただそれだけで、心臓が跳ねた。胸を叩く鼓動と流れる血液の音が煩くて、他には何も聞こえない。視線はキッドを捉えたまま外せなくなり、意志とは関係なく、自然と足が引き寄せられていく。
……ああ、もう、どうでもいい。お前がそう望むのなら、それがたとえどんな歪な規律だろうと、どれほどの惨苦だろうと俺は――、
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