hello,world(本文サンプル P3〜) 




『キッドが、デス・シティーから、消えた』。

 二十文字に満たないその情報を、受信した直後にデスサイズは、デスルームを目指し駆けだしていた。
 丁度午前の授業が終わったばかりで、ざわつく廊下を生徒達に肩をぶつけながら走る。彼の知る『キッド』とは、子供全般を表す名詞でも、ミサイル駆逐艦のことでもない。ここデス・シティーにおいて、キッド、という名の指すものは即ち、死神の直系卑属である『デス・ザ・キッド』の事に他ならない。
 連絡は、死神からの直通回線だった。呼び出されたのはどうやら、デスサイズ一人らしい。
 現状、死神の息子の存在を知らされているのは、死神に近しい一握りの古参職員のみだ。八人のデスサイズスのなかでも唯一、『死神の鎌』を名乗ることを許された彼でさえ、キッドを正式に紹介されたのは、ごく最近のことだった。つまり死神の一人息子、デス・ザ・キッドはそれだけ、秘匿存在なのだ。
 消えた、という内容から、その誘因を思う。拐かされたのか。敵対組織かそれともまさか、魔女の手によって? だとすれば――穏やかには、済まないだろう。なんにせよ、嫌な予感しかしない。
 息を切らせてデスルームへと飛び込み、断頭台鳥居をくぐった彼を待っていたのは、ティーテーブルで一人のんびりと茶を嗜む彼の上司、死神だった。
「…………死、神さばっ、……キッ、」
「はいはいはい、落ち着いて落ち着いて。お茶、飲む?」
「いたらきますッ、…………!」
 勧められたティーカップを、一気に呷ってしまってから、目を白黒させる。淹れたばかりであったか、まだ熱い紅茶をどうにか嚥下して、デスサイズは咽喉を掻き毟った。
「……あっづ! 熱っ、……うあっぢいぃい!」
「ああ〜。ソレ、さっき淹れたとこだったんだけど」
「…………っ、先に、言っでくだざい……」
 いつもの飄々とした調子で言われて、ぜえぜえと喘ぎながらも突っ込みを返す。ひとしきり熱さに苦しんだ後、漸くやり過ごして汗の浮いた首元にぱたぱたと掌で風を送りながら、デスサイズは幾分落ち着きを取り戻した。
「キッドが? いなくなった、ってのは」
「ああ、うん。困ったなァ〜って」
「なァ〜、って。……やけに落ち着いてますね」
「うーん。私の所為でも、あるんだよねェ」
「というと」
「『父上のお手伝いがしたい』なーんて可愛い事言うもんだから、……つい」
「……は?」


* * *


 事の発端はこうだ。その日死神は、自分の『職場』である死武専、デスルームで、一人息子とともにモーニング・ティーブレイクを楽しんでいた。

「ん〜〜。美味しいよ、キッド。お茶淹れるの、うまくなったねぇ」
「うん」
 賛辞をうけて、はにかむ様子が可愛らしい。キッドの生活空間である死刑台邸と、死武専中枢のデスルームには直通の通路がある。キッドが紅茶の淹れかたを覚えてからというもの、親子二人、休憩がてら午前のお茶の時間をとるのは習慣になっていた。
 ミルクと砂糖を多めに入れた紅茶を、こくこくと小さく咽喉を鳴らして飲んでいる息子に、和んだ目線を向けて、ふぅっと死神は疲れた息を吐いた。
「今日はほんっと、朝から忙しくってさ〜……ん? どしたの」
「……それ」
「ああ……、ゴメンね。昼までにちょっと、目を通しておかなきゃいけなくて」
 キッドの視線を辿って、死神は少しばかりばつが悪そうに言った。右の手にティーカップを持つ死神の、左の手には何かの書類があり、そして膝の上には未処理案件の束が置かれている。優雅じゃないよねェ、と頬のあたりを軽く掻いた父を、じっと見詰めるキッドの表情が、不意にぱっと明るくなった。
「? なんだい、キッド。言ってごらん」
「……あのね! ちちうえ」
 名案を思いついた時のように、その目がきらきらとしている。言葉を促した死神は、我が子の提案をうけて、「え?」と頓狂な声をあげた。
「……お手伝い? ……この任務を、キッドが受ける、って? ――や、ダメダメダメ、ムリだよ。これはみんな、とーっても大事なお仕事なんだから」
「……でも」
「キッド。気持ちは、嬉しいけど。きみには他に、やらなきゃいけないコトだって、あるじゃない」
「ないよ」
「そうほら、今日のお稽古ごと……え? ない?」
「うん」
「……もしかして、もう全部、終わらせてきたの?」
 こっくりとうなずいた息子に、「……そっかあ」と死神は応えて彼の頭をぽんぽんと軽く撫でた。それは恐らく、執務に忙殺される父を思ってのことだろう、と予測はついた。子供ながら、色々と感じているのだなということが、やけにいじらしく思えて。
「…………うーん。じゃあ、できるだけ簡単なの、なら」
 などと言ってしまったのも、やむを得ないことだろう。子に想われることが、嬉しくない親など、いはしないのだ。
 先程まで置いていた資料のかわりに、我が子を膝の上に乗せる。結局、その日の午前のお茶は、親子二人で山と積まれた依頼書を、崩す作業へと変更されてしまった。







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