home, Sweet home

05

 箸を持ち、いただきますと日本式に手を合わせたソウルに倣って手を合わせ、料理に箸を付けたキッドがうん、と小さく頷き、顔を綻ばせる。
「お味はどうですかね」
「問題ない。美味しい」
「そっか、そりゃ良かった」
 普段は口煩いばかりの恋人が、感心したように自分を仰ぐ目線に少しばかり照れくさいものを感じながらも、悪い気はしねェな、と思う。
 キッドが味噌汁の椀に口をつける。ずず、と音を立ててもマナー違反ではないらしいが、ごく静かに飲み下すその様から、普段和食を食べ慣れてはいないのだろうと察することができた。
 そういやあ日本では『俺のために毎日味噌汁を作ってくれ』っていうプロポーズの言葉があったっけな、とソウルは自分も椀に手を伸ばしながら思い出す。料理が出来ないキッドには使えない台詞だ。あるいは額面どおりに受け取られて、「そんなに味噌汁が好きなのか」とかすっとぼけた言葉を返されるのがオチだろう。
(……いやいやいや)
 流石にソレは気が早いっつーか、いや早い遅いとかそういう問題なのか。
 というかさっきから俺は何を考えてるんだ。ああくそ、これも全部マカのやつがチャンスがどうとかおかしな事を言うからだ、そうに決まってる。

 責任の一端を相棒に押しつけ、思考の混乱を振り払うように茶碗の御飯をかきこむ。
 ぐ、と喉に詰まったのは「お前はいい主夫になれるんじゃないのか」なんて事を急にキッドが言ったからだ。
「……慌てて食べるからだ。落ち着きのない奴だな」
 げほげほと咳込みながら湯呑みに手を伸ばすソウルに、その元凶は呆れたような目線を流した。
(主夫、ねえ……)
 喉につかえた米は胃へ流れても、何気なく放たれたその一言は、なんだかわけもなく胸につかえてもやもやとソウルを悩ませる。
 奇しくも二人して似たような事を考えていたわけだが。仮に自分が主夫だったとして、相手は一体誰を想定してキッドはそんな事を言っているのか。
 恐らく何も考えちゃいないんだろうな、とソウルは小さく溜息をついた。さっきからそんなくだらないことで一人葛藤している自分はCOOLじゃないことこの上ない。
「なーキッド」
「なんだ?」
「俺に毎日味噌汁を作ってくれないか」
「……? そんなに日本食が好きだったのか?」
 ハイ予想通り。みろ、的中率100%だ。これだけ恋人の事を把握してる奴もなかなかいるまい。
 若干哀しい自信を胸に複雑な笑みを浮かべたソウルを、不思議そうな顔で見てキッドは箸を置いた。
「何だ、変な顔をして」
「わかんないならいいです」
「……変な奴だな。……ん、」
 一瞬眉を顰めたキッドが、ソウルの頬へ手を伸ばした。僅かに頬を掠めた指先はすぐに引っ込められ、「付いてたぞ」とぴんと立てて見せた人差し指には米粒が一つ。
「ああ、悪……ィ、」
 あ、と思った瞬間には米粒は彼の口元へ消えていた。
 あまりにも自然な一連の動作。それは誰に対しても変わりなく行われる行為なのか、それとも自分限定なのか。「全く、世話の焼ける」と茶を啜るキッドは至極いつも通りで、動揺しているのは自分だけ、とういうこの図式は何なんだろう。
「……おまえさあ」
 なんだ、と言うかわりに軽く首を傾げるその仕草に軽くときめきを覚え、いやいやそうでなく、とソウルは今恋人に告げるべき言葉を思い出した。
「誰にでもすんなよ、そーゆーことは」
「どういう事をだ?」
「だからその、ご飯粒取ったりだとかだな……」
 照れを誤魔化すようにがりがりと頭を掻くソウルに、ああ、とキッドが合点のいった顔をした。
「手ずから食事を食べさせたりとかそういうことか」
「そうそうそういう所謂新婚カップル的な、」

 っておい。

 思わず同意しそうになって、一拍置いてから「解っててやってんのかよ!」とノリツッコミを返す。
 返された方はというと、きょとんとした顔で箸を差し出している。
「そういう…なんだ? ハッキリしないな、さっきから」
「いや、えっと、その前にこの箸はなんすか」
 目の前に差し出された、青菜を摘んだ箸と、添えた左手。これでは、まるで先ほどキッドが自分で言っていた、『はい、あーん』の図式ではないか。
「胡麻和えは嫌いか?」
「や、別に、ていうか好き嫌いとかそういう話じゃ」
 不可解なこの状況を素直に喜んでいいのかどうか、判断しかねているソウルを、箸を差し出したままのキッドが急かす。
「ほら、早く口を開けろ」
 一体何を企んでいるのかは判らないが、観念して口を開ける。
(なんか前にもあった気がすんなァ……似たような事が)
 放り込まれた青菜を咀嚼するソウルに、お約束のようにキッドが問いかけた。
「美味いか?」
「……お前が作ったんじゃねェだろ!」
 悪態をついてみせつつも、気恥ずかしさに顔が火照る。
 なにこのラブコメ的シチュエーション。どんな顔すりゃいいワケ、俺は。
「どーゆー風の吹きまわし?」
 妙に嬉しそうに自分を見ているキッドの様子が気になって、訝しげに問いかけたソウルに、さらりととんでもない答えが返ってきた。
「ん? ああ。以前にリズに言われた事を思いだしてな」
「何を!?」
 曰く、『ソウルみたいなタイプは案外甘やかされるのが好きだ』、と。
 それも彼女の経験則なのか。あながち否定し難いその分析に軽く頬を引き攣らせたソウルに、「意外に子供なんだな、お前も」と屈託なく笑みを浮かべるキッド。
 それで納得がいった。おそらく彼は、リズの言葉の趣旨を正しく理解してはいない。キッドにとってそれは雛に餌を与える親鳥のような行為であって、恋人同士の甘い睦事ではないのだろう。
 それでいてこの破壊力だから性質が悪い、と再び差し出された箸と恋人の笑顔とを交互に見遣って、ソウルは内心で低く唸った。
――この、天然め……!)