Nightmare


04

「…ッド、……キッド」
「…………!?」

 深い深い暗闇から、急速に意識が浮上する。
 目覚めと同時に、軽い眩暈を覚えた。光の明るさに目の奥が痛みを訴え、無意識に遮るようにかざした己の手を見て初めて、身体が自由に動く事を知る。
 次第に光に慣れてきた目で、キッドは室内を見渡した。死刑台邸の自室。窓は少しだけ開いていて、外からは賑やかな声が遠く聞こえる。ソファに横たわる自分を見下ろしている見慣れた銀髪。その魂の波長は、紛れもなくソウルのものだ。
「怖い夢でも見たのかよ」
 顔色悪いぜ、と気遣うように言って、キッドのこめかみを伝う汗を拭う。指先から伝わる、馴染んだ体温。
(夢……か?)
 身を起こし、胸の内の不快感を吐き出すように小さく息をつく。自らの首筋に滲む汗を拭おうとして、その手が止まった。
 牙の穿たれた跡。
 まさか。
 何もあるはずなどない。そう願いながら、そろそろと指先で触れてみる。

「…………っ!」
 針の先で突付かれたような小さな痛みを感じ、思わず手を引いた。
 途端、蘇る生々しい感覚。
 首筋に突き立てられた牙の熱さ。冷えていく指先の感覚。無理矢理送り込まれる途方も無い幸福感。
 じとりと纏わりついた嫌な汗が、流れる。
(そんな事が、ある筈は、)
 キッドは自分のシャツのボタンをいくつか外すと襟を掴み、大きく開いた。
「……んだよ、いきなり。誘ってんの?」
 少し面食らったような表情で、軽口を叩くソウルに応える余裕も無く、キッドはしばらく襟元を凝視した後、大きく溜息を付くと額を押さえた。
 真っ白なシャツには、血の跡など残ってはいない。
「……悪夢を見ただけだ」
「ふぅん……どんな?」
 自分に言い聞かせるように言って、キッドは再びソファに深く身を沈め、ソウルの問いかけには応える代わりに緩く首を振って見せた。
 疲労がみせた、ただの夢だ。鮮明に思える感触も、次第に消えてなくなるだろう。ただそれだけのものを、口にすることで記憶に留めたくはなかった。

 疲れた様子のキッドを訝しげに眺めていたソウルが、やがてソファに乗り上げるようにして片膝をつき、キッドの首筋を覗き込んだ。赤くなってんな、と先程痛みを感じた箇所に指先で軽く触れる。
「虫刺され……? かなんか?」
 俺は付けた覚え無ぇし、と呟いて、首筋を撫で上げるその感触に何かを思い出しそうになって、キッドは軽く身震いし、手を払い退けた。
「あ、冷てー。そっちから誘っといてその態度はねぇだろ」
「……戯け。誰が、」
 最後まで言う前に、唇を塞がれた。繰り返される、ただ触れるだけの柔らかなキスに、強張った精神が解されていくのがわかる。伝わる熱の心地よさに、いつまでも身を浸していたくなる。
 それでも情動に身を委ねきれず、その胸を押し返したのは唇に僅かに感じた違和感のためだ。
 既視感に捉われる。
 不満気に口を尖らせたソウルを、キッドはじっと見詰めた。自らの悪夢に気を取られ、彼の扮装にまで目が行かなかった。改めてそのなりを見てみると、服装自体は至って普通だが、ソファの背を掴む腕は肘から手首の辺りまでが長い獣の毛に覆われていて、頭には、やはり獣の耳のようなものが見える。
 人狼、だろうか。
 少なくとも、吸血鬼には見えない、が。
「ソウル、お前……それは」
 何の扮装だ、と言おうとして、言葉を失ったキッドの視線を辿り、ああこれ?とソウルはカチューシャに付けられた獣の耳に手をやる。
「似合うだろ?」
 ニィと笑った口元に、犬歯というには鋭すぎる、長い牙が見えた。