でいられぬ夜のこと


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「…………あの時だってね、土下座までして。だから言ってやったの。別にいーんじゃないのぉ、パパが誰とお付き合いしようと私には関係ないからぁー、って、……そしたらさ。『マ〜〜ガ〜〜』っておいおい泣きながら足元に縋ってくるのよ、……ほんっと、ばっかみたいっていうか、…………」


 酔いの勢いに任せマカは一人で一気に喋ってしまうと、手にしたシャンパングラスを傾け、くるくると弄ぶ。グラスの中の薄い金色が、店内の照明を透かして美しく輝くさまをしばらく眺めたあと、ばっかみたい、ともう一度呟くように言って唇をつけ、くーっと一息に飲み干した。

 まるで水でも飲むように彼女の喉が動きグラスの中の液体が消えていくさまを、隣で見ていた男がふっと溜息をついた。店内であるにも関わらず、深めに被ったままの中折れ帽の下で、闇色の前髪が揺れる。

「いい加減、飲み過ぎじゃないのか」

 シャンパンよりも深い色をした瞳が、咎めるように彼女を見ていた。マカは酔いに潤んだ瞳で、じいっとその黄金色を見つめ返す。 静かなバーで男女二人きり、という状況が醸す甘やかさもさほどなく、ただゆるやかに、無言の数秒が二人の間に流れた。

「そのカクテル、……」

 やがて、何を思いついたのか、にいっと口角を上げたマカが、男の手元にあったロックグラスに、添えられた飾りのオレンジを、ひょいと摘まんで自らの口に運んだ。

「……なんだ?」
「んー、」

 もぐもぐと口を動かしながら、グラスと男の顔を交互に見る。

「女の子が頼むやつみたい、って思ってたけどよく考えたらなんか、……『いかにも』だなあって……!」

 言いながら、堪えきれないように笑みを零し、グラスを指差す。
  『楽園』、或いは『天国』。
 グラスに半分ほど残っているカクテルには、確かそんな名がついていた。

「だぁって、死神サマが『天国』なんて…………、まぐぐ」

 けらけらと高い声で笑いだしたマカの口元を、慌てて抑え男は周囲に目を配る。側に他の客の姿はなかったが、グラスを磨いていたバーテンダーが、ちらりと二人を流し見て、訳知り顏で目を伏せた。
 ここデス・シティーに於いて、『死神様』と呼称される存在は、ただ一人しかいない。今のやりとりで、恐らく身元は割れてしまっただろう。
 そういえば以前、スピリットと鉢合わせたのもこの店だ。あのバーテンダーの胸の内には、公にできないような事柄が、いくつも秘められているのかもしれない。

(……俺には到底、向かん職業だな)
「……ぷはっ。なにすんのよーう、キーッド」

 手を振り払ったマカに、今度はそのものずばり名を呼ばれて若い死神は、最早意味はないと分かっていながらも、中折れ帽を目深に被りなおして、再び小さく溜息をついた。