02 『ちょっと飲みたい気分なの。前にソウルにさ、いい店教えて貰ったんだ』 その日は珍しく、マカから誘われた。長期任務の後の久々の休暇で、羽伸ばしたいの、旧交温めようよ、と。 『ソウルは? いいのか?』 『ソウルに教えて貰った店にソウル連れてってどうすんの』 半ば強引に連れ出され来てみれば。繁華街の裏通り、ひっそりと看板ひとつの目立たぬ店。決して広くはない、静かにジャズの流れる落ち着いた雰囲気のバー。カウンターに寡黙なマスターが一人きり。 イイ感じでしょ、いかにもあいつの好きそうな店よねと言われたから、つい成り行きで、初めて来たかのように振舞ってしまった。 なんのことはない、そこは先日ソウルと連れ立ってきた店、だったのだ。 仕事の話。昔の話。当初こそマカの提案した通り、旧交を温めるものであったはずの空気は、彼女がソウルとこの店に来た時の話になって一変した。 「……別にいいのよ、パパが誰とお酒飲んだって」 急にピッチを早めたマカの、機嫌はそこからどんどん悪くなっていった。 聞けば、此処で“偶然”、スピリットと鉢合わせたのだという。 勿論、それ自体が問題なのではなく。 「先輩だか後輩だか同級生だかの! キレーな女の人と飲んでたって!」 同伴者がいたこと、そしてスピリットがあからさまに挙動不審になりながら、その場を凌ごうとしたことが、マカの逆鱗に触れたのだ。 なるほどソウルは自らの行きつけを、マカに紹介しただけで、約束を違えたわけではない、のだが。 こうなることは、分かりそうなものではないか。 どこまで考えてのことだかなと、自らのグラスに口をつけながら、しかしスピリットも懲りんやつだと内心呆れる。 「いいのよ。私だってもう、子供じゃないんだから。パパの好きにしたらいいんだわ。……なのに、私の前では父親ぶって、マカが一番大事だ、ママを今でも愛してるなんて言って、……でも女の人と遊ぶのもやめないし、……ほんっとどっちつかずで、信じられない!」 もう何杯目か、マカは空になった自分のグラスを掲げ、場にはそぐわぬ大声でバーテンダーを呼ぶ。 「マスターーー、お代わり……、って、あ、……ちょっとっ」 マカの手から、シャンパングラスを取り上げ「冷えた水を」とカウンターに声をかけたキッドに、バーテンダーは軽く頷いて応えた。 「まだ飲めるぅー」 「もう止めておけ。何より、俺の財布がもたん」 「下手なウソ! ……死神印のブラックカードは、限度額なんかないって聞いたもん!」 ぷくっと頬を膨らませ拗ねるさまが何か可愛いらしくて、キッドは苦笑しながら「嘘じゃない」と両手を上げて見せた。 「左右のポッケに紙幣が四枚ずつ、それだけしかない。それで支払える範囲で頼む」 「カードは?」 「……今日は持ってないんだ」 「なんで?」 マカが疑問に首を傾げたのも、当然のことと言える。現金をポケットに突っ込んで持ち歩くより、カード一枚のほうがいくらもスマートなはずだ。 「俺は別に構わんだろうと思ったんだがな。身元が割れると警護面で面倒だから、安易に表に出すなと言われて」 「……ソウルに?」 「うむ」 「ふーん……」 酒気を帯びたマカの目が、すっと細まった。これ以上飲ませぬための言い訳とはいえ、持ち合わせが無いなどと、女性に告げるには些か失礼な内容だったかもしれない。すまん、と頭を下げるキッドに、「いーわよ、ケチ」とボソボソ呟き、マカは取りあげられたグラスの変わりにか、自らの髪を一房、指先に絡め光に透かしては、くるくると弄ぶ。 「私ね、酔ってるの」 「知ってる」 マカの言葉に、キッドは簡潔に応えた。頬はほんのりと朱に染まっているし、目は今は完全に据わっている。見た目からも明らかだったし、何より、普段の彼女なら、こんなに恥も外聞もなく身内の愚痴を、上司である自分に垂れ流したりはしまい。 キッドは新たにテーブルに置かれたグラスを、口に運ぶ。きんと冷えたミネラルウォーターが、カクテルの甘みで粘ついた咽喉を洗い流すようで心地よい。 「水分を取っておけ。二日酔い防止になるぞ」 「むー」 まだ少し不機嫌な顔で、唇を尖らせつつも、マカはおとなしく水を口にする。その目は少しだけ、正気を取り戻したようにみえた。 「……酔うというのは、どういう感覚なんだ?」 純粋な興味から、尋ねてみる。死神の身体は、アルコールの代謝速度が常人より著しく早いためであろうか、キッド自身は酒に酔ったことがなかった。 酒は味わうためではなく酔うために飲むものだ、という考えは、酔えない身体を持つ身としては共感できかねるものではあるが、酒の齎す高揚感に身を委ねられることは、少しばかり羨ましくもある。 「んー? うーん。なんだろ、こう、ふわふわーっとして気持ちいい、かな?」 「ほう」 「気が大っきくなるかんじ。……パパも時々、酔っ払って帰ってくる時があって、介抱するママと私に調子のいいことばっかり言ってたわ。世界で一番愛してる、俺には君だけだ、何があっても俺は君を守るよ、って」 いつも違う女の人の名前をね! と苦々しく続けたマカに、前言撤回、とキッドは胸の内だけで呟いた。こうも容易く人から規律を忘却させる、酒とはまったく恐ろしいものだ、と半ば本気で思う。 「ほんっとバカよね、男って」 「……一括りにしてやるな。男の大半は、そこまで愚かではない」 「じゃあ、私の周りはすっごい確率でバカばっかり集まってるんだわ」 パパは女の子にだらしない浮気性バカ、ブラック☆スターは修行バカ、キッドくんは左右対称バカ。 指折り数えるなかに自分の名前まで入っている。正しい評価だけに反論もできず、キッドは小さく肩を竦めた。 「ソウルは、……」 言葉が、途切れる。 その名を、というよりは、マカの声音の変化を聞きとがめて、キッドの眉が微かに上がる。 死神の右腕、ラストデスサイズ、ソウル=イーター=エヴァンス。マカにとっては、かけがえのないパートナーでもあった彼。いまだに任務で同行することも多いマカだ、死武専生時代となんら変わらぬ距離の付き合いを、続けているとばかり思い込んでいた。 しかし、その名を挙げた彼女の横顔は。 (……あいつも、何も言わんからな……) こと自分の事となると口の重い彼のことを、ちらと思い浮かべキッドはマカをじっと見つめる。 翠の瞳は、酔いとは別のものにとらわれて、視線を虚空に漂わせていた。 指に絡めた長い髪が、光が流れるようするすると滑り、音もなくほどける。また掬っては、ほどく。 そんなことを繰り返しているマカの、その亜麻色の髪が、もっと正確に言えばいつもぴしりと折り目正しく美しく左右対称なツーテールが、キッドは好きだった。 それはまるで、彼女の清廉な魂のありかたまでを示すようで。 (変わりはしないのだろうが、――な) 時は過ぎる。すべてのものは変わらずにはいられない。 ならばどこを境目にして、人は変わってゆくのだろう。結ったツーテールを下ろした時から? 伸ばした髪を切った時から? そんな風にして、人のこころというものが、目に見えるものであったなら、どれだけこの世は生き易く、或いは生き辛くなるものだろうか。 「ソウルは、……何バカなんだ?」 愚にもつかない考えを一笑に付し、マカの言葉を促す。ピアノだろうか、音楽については確かに、そうかもしれないな、などと軽い調子で言ってみる。そんな事を、言いたいわけでは無いのだろうとは、分かっていた。 「……」 大鎌を、振り回すとは思えない細い指先が、手持ち無沙汰にくるくると、亜麻色の髪を弄り続けている。 彼女と自分が、死神様と死武専職員、ではなく『キッドとマカ』であったあの頃から。変わってしまったものは、その髪の長さだけではないのだろうなと、思いながらキッドは、彼女の言葉を待った。 「…………ソウルは、バカよ」 「……」 「バカだわ」 指に絡めていた髪を、ゆっくりと解く。 「私ね、酔ってるの」 「……知ってる」 「パパもそうやって、酔っ払って帰ってきては私とママに調子のいいことばっかり言って、」 先程と、まったく同じ遣り取りを、繰り返すマカは、しかし先程とは違い抑えたトーンで言葉を続ける。 「……次の日にはきれいサッパリ忘れちゃうのよ。買ってきてくれるって言った本のことも、週末のお出かけの約束も」 「そう、か」 スピリットめ、随分恨まれているじゃないか。 飲酒を許される年になっても、彼女が酒席に参加したがらない理由が、生来の生真面目だけではない事を知り、幼少期の彼女に同情もしたキッドは、少し遅れて気付く。 「だから、私もね、酔っ払った勢いで、明日には忘れちゃうんだ」 だからこそ。彼女の方から敢えて、飲もうと提案してきたことにも、ソウルを同席させなかったことにも、意味があったのだろうと。 父への不満は皮切りにすぎず、真に打ち明けたいものはもっと、別の所にあったのだ、と。 「いまから話すこと、ぜんぶ」 |