においで


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  リィン……ゴォン……

 高らかに鳴り響くのは鐘の音。幸せを約束する祝福の鐘が、どこまでも高く青く澄んだ空へと吸い込まれていく。

「……はッ?」

 響きあう組鐘の音色に意識を揺り戻され、はたと気がつけば俺はキッドに手をひかれて見覚えのない場所に立っていた。
 何故かエスコートするかのように恭しく俺の手を取る、キッドが身につけているものはいつもの漆黒のスーツでも、かといってスパルトイの制服でもなく。
 陽光を浴びて穢れ無き白が目に眩しい。創立前夜祭の時に来ていたあの詰襟を思い出したがちょっと違う、それは純白のタキシード。

「どうした、ソウル。……ぼんやりとして」
 幸せすぎて夢見心地だったか、と隣を歩くキッドが足を止め、微笑む。

 幸せ? …………何がだ?

 普段は滅多に見せることのないようなその柔らかな笑みに、妙な違和感を覚える。
 ……そもそも俺は、俺達は、一体何をやってたんだっけか?
 今はいつ、ここはドコとまるで記憶喪失であるかのように脳が混乱をきたしている。
 必死に記憶を手繰るも何も有益な情報を引き上げることはできず、仕方なく俺は周囲の状況から現状を把握することに思考をシフトする。
 さっきから煩いぐらいに鳴り渡る鐘の音に後ろを振り仰げば、視界に飛び込んでくる十字架。黒石と白壁のコントラストが映え、決して華美ではないが石造りの重厚さに荘厳な美が光る、COOLな英国ゴシック建築……

 ……教会、だ。
 鐘塔で鐘が揺れる様をぼんやりと見上げている俺の視界を、バサバサッと羽音を立て何かが横切る。
 演出的に放たれたのであろう白い鳩の一郡が、目が痛いほどに青い空の向こうへと飛び立っていく様に、「素敵!」と場に集う友人たちのうちの誰かが口にした。
 その声に視線を落とせば敷き詰められたる真っ赤な絨毯、左右に居並び参列する奴らは一様にみな正装だ。……それはあのブラック☆スターでさえ。

 さてここで問題だ。見渡せば小高い丘の上、場所は新緑に囲まれたチャペル。マカが好んで読んでいた、少女小説なんかに出てきそうなシチュエーションの、これは一体なんだと思う?

「結婚式……だろうな」
 問うまでもなく答えは直ぐに導き出されたが、状況は未だよく飲み込めない。辺りに響くウェディング・ベルが頭のなかを引っ掻きまわして頭痛がする。
 結婚式? 誰の? ……まさか、
「…………? そうだが……どうしたんだ? ほら、ソウル。皆がブーケトスを待ってる」

 …………まさか、俺の?

 キッドが言うよう、手には確かに豪奢なブーケがあり、いまかいまかと待ちかまえている周囲の視線も感じる。白薔薇をメインにしてトルコキキョウ、スイートピーに八重咲きのホワイトスターをあしらって、アイビーの緑が映えるそれは誰の見立てか知らないが、なかなかセンスが良い。そう、それは今俺が身につけているウェディングドレスと同様に真っ白で、

 ……ドレス???

 さっきからやけに肩がスースーすると思っていた。
 ビスチェタイプの肩を露出したデザイン。『折角だから思いきり女の子らしいのがいい』とまるで自分の事のように熱心にドレスを見ていたマカと、あんまり派手なのはゴメンだとシンプルなものを探していた俺と。
 ファッションショーの如く試着を繰り返し、
 最終的にこれに決めたのは、
 ……デコルテから胸にかけてのラインが美しいから、なんて言って、

――――確かキッドが。『これが一番似合う』って選んでくれたんだっけ――――

 長い髪が映えるだろうと、ひと房掬いあげた髪にキスを落とした、キッドの気障な仕草を思い出す。
 ああ……そうだった。
「ソウル」
 キッドに促され、頷いた俺は手にしたブーケを思いきり高く放り投げる。
 途端、わぁっと歓声が上がり、次の幸せを手にせんとした女子たちが挙って手を伸ばす。賑やかしい様子を穏やかな目で見ていたキッドが、小さく呟いた。
「こんな日がくるなんて……思っても、みなかった」
 本当に良かったのかとは、聞かなかった。
 聞かれたのは最初の一度だけ。俺の決意を、確かめるためにただ一度。
 どうして忘れていたんだろうか。そんな大切なことを。


『死神様っ! 息子さんを、キッドを、俺に、くださいっ』
『何度言ったら判る。貴様なんぞに、うちの大事な息子はやらん!!』
 っていう、お約束的なやり取りがあった。回数にして凡そ百ぐらいだろうか。
 いつものファニーフェイスはどこへやら、いつかロスト島で見たような厳つい面をつけた死神様から、漏れ出る殺気だけで意識が飛びそうなほどの威圧感に耐え(チョップはもう数え切れないほど食らった)それでも決して退くことをしなかった俺が累計百一回目の突撃を敢行した挙句に。

『……神をも動かすのは人の子の情熱、…………か』

 デスルームで額を床に擦りつける俺に掛けられたのは、いつもののんびりした口調。
 顔を上げれば、いつのまに付け変えたのか死神様の面はあのいかつい容貌ではなく。
『お義父さん』
『……まだそう呼ばれるには早いなァ、ソウル君。それは、』
  ふぅ、と小さく溜息をつき、肩を落とした(ように見えた)死神様のその背からは、最も大切な物を手放さんとする、一人の親としての哀愁が伝わってきた。

『うちへお嫁にきてからにしなさいな』

 ……そこが俺達の終着点であり、そして新しいスタートラインとなったのだ。


 初夏の爽やかな風が吹き抜ける。コサージュで纏めた髪が乱れぬよう、軽く抑えた手。繊細なレースのグローブに包まれた、華奢な女らしい指先。自らのものでありながらまだどこか、他人のものでもあるようなその感触に、 「まだ慣れねェな」と『私』は軽く苦笑する。
 エイボンの書とBREWの力を使い、あの「色欲の章」での変化を再現してみせた時のキッドの第一声が、『なんて……美しい……!』だった時は、……流石に照れた。
 そのすぐ後で、『素晴らしいシンメトリーなスタイルだ!!』と続いた時には脱力と言うか、苦笑するしかなかったが。

「綺麗だ」
 キッドの微笑みに、笑顔を返す。
 その言葉が、彼の特殊な美意識から来るものだけでないことは、もう十分にわかっている。外見の美醜も、内面の、魂の放つ輝きも。互いにすべてを知り尽した相手だから。
 決断は驚くほどすんなりと周囲に受け入れられ、あれよあれよというまに挙式の日まで来てしまった。
  ――そう、『私』は今日、死神家に『嫁』として嫁いだのだ。
 キッドに手を引かれ、一歩を踏み出す。足取りがふわふわとするのは、きっと敷かれた絨毯のせいではない。
 彼の言うよう、正直まだ、夢見心地で。
「おめでとう!」「綺麗だよ、ソウル」「カッコ良かったぜキッド……!」「お姉ちゃんひょっとして泣いてるー?」「な、泣いてなんかねェよ!」「キャハハハハ!」「キスしろー!」「おめでとう!」「良かったな!」
 けれど友人たちにわやくちゃにされながら、実感する。

 すべてを受け入れると決めた。愛しい人と共にあるために。
 神の御前にて永遠の愛を誓った二人の頭上に、友の祝福の声とともに降りそそぐライスシャワーと薔薇の花びら。
 厳かなセレモニーを恙無く終え、あとはもうただ騒ぎたくて仕方がないと言う空気があたりに充満していて、それは恐らく一番の標的となるであろう二人をこのうえなく幸福な気持ちにさせるものでもあって――

 温かな思いに囲まれて、言葉にならない感情が頬を伝う。
 降りそそぐ初夏の光は眩しくて、涙が零れるのはきっとそのせいだ。
 だって今、私はこんなにも、嬉しくて堪らないんだから。

 キッドの指先が、そっと涙を拭う。
 リズが、パティが、椿が、ブラック☆スターが。そしてブーケを受け取ったマカが。やっぱり潤んだ目で私を、私たちを見詰めている。
 この幸せな気持ちを少しでも伝えたくて。世界中に、そしてここにいる皆に。
 皆の顔を見渡し、精一杯声を振り絞る。

「みんな……ありがとう! 私……私たち、」




 幸せになります………………、



 って、



「そんなワケあるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」