0.学生期の終わり ――Start point――
一年が始まってから数日が過ぎてからの事である。
空から降り注ぐ光はだいぶ柔らかくなり、外の風ももう少しすれば半袖で問題無くなるだろう。
そんな穏やかな空の下に乾いた打撃音が響く。響く。響く。もう一度響いて唐突に鳴り止む。
「…………はぁ〜、やっぱ通らなかったか……?」
ここは東部大陸の更に東南部、アディカトレース王国はサントメニアの「ラテット・ルゼ・オブゲイン」。
古代語で「浜辺の盾」と言う名を持ち、騎士団を志す若者達が集い、学び、競い合って磨かれていく学舎である。
その学校の庭で、木偶人形相手に少年が一人汗をかいている。先刻の打撃音の音源は彼なのか。
軽く一息吐いて顔を上げる少年。空はどこまでも青く、ぼんやりとした季節に相応しい緊張感の欠けた色をしていた。
その陽気な空を見上げる彼の顔は浮かない。
理由がある。彼は既に学校の課程を全て修了済で、本来なら新しい騎士として既に配属済みの身分なのだが……
騎士団も年々供給過多に悩まされており、上層部の意向と現場の要望及び新人の志願は対立するばかり。
結果、この時期になっても配属先未定の新人は毎年何人か現れ、その多くが最後には第三団役に落ち着く。
「第三、かな……まさか第四?」
呟いた少年の顔を思い出したように海風が左から右に撫でる。なんとなく、その風の中に哀れみを感じた。
歴史的な観点で「始祖王国」。地理上の特色から「辺王国」。
騎士団の脅威を示して「小さき大雷」。宗教上の「受愛聖地」。
アディカトレース王国の印象は様々だがやはり一番印象が強いのは「騎士団」の存在か。
アディカトレースでは自国の戦力を「軍」と呼ばずに「騎士団」と呼称している。
その中には第一から第三までの大きな枠組みが在るが実際の所その内の大半は一般人と大差ない。
まず第一軍役。
ここに属する者達は皆王都へ配属される事から「王都隊」と称されている。
国を脅かす脅威に対し真っ先に立ち向かう、「軍隊」としての騎士団の主力である。
己が腕を、その技量を磨く為だけに日々を生きる者達が此処を志願する。
付け加えると、国王が唯一指揮権を持つ特務隊「翼の戦士」も扱いは第一団役となる。
次に第二団役。
国中の町や村で目を光らせ、罪人を縛り上げしかるべき罰をもって和を保つ。警察機構を担うのが第二団役である。
隣国がアディカトレースに攻め込むメリットが薄い──それ以前に隣国三国中二国と友好関係にあるのだが──現状では
第一団役よりも仕事が忙しく国内で単に「騎士団」と呼ぶ時はここを指す事が多い。
実際、田舎の村だと第一団役の仕事の方は良く知らないと言う声が多い。
そして第三団役。
第三団役となるとだいぶ一般人と差が無く、その内容は郵便の配達から新生児の戸籍登録まで多岐にわたる。
例外的に所属している研究員は別だが、基本的には「非常事態の時には戦えなくもない公務員」である。
国の基盤を支える大事な役割であるものの、第一・第二に比べると地味なのも事実。たまに腐ってる者も混じっている。
また、辺境の村などの規模の小さい自治体では第二・第三の区別がない場合も多い。
最後に第四団役。
戦争が始まる時だけ招集がかかり参加は自由意志。
少し優遇されてる傭兵も当然で、ここまで来ると「騎士団員」とは言い難い。
大体は上記の三つの団役から漏れた者達で、普段は騎士団とは全く違う職に就いているので騎士団としての自覚は薄い。
「……腐ってても仕方ないか。悩んでで望みが叶う訳じゃなし……」
「おー、いたいた! おい、無事に第二団役で通ったぞ! 配属先も決まったぜ!」
木偶人形に構え直して打ち込みを再開しようとして、不意にかかる声。
振り返るとさんざん世話になった教官が嬉しそうに手招きしていた。その手招きに応じて小走りで教官に近よる。
「本当ですか?そろそろ第三団役行きを覚悟してたところなんですけど」
「そう言うなっての……なんか知らんがお前の配属は妙に揉めたみたいだな。まぁ、配属が決まれば関係ねぇか」
「そうですね、まぁ振り回された俺はいい迷惑ですけど……それより、俺の配属先はどこになるんですか?」
冷静に振る舞おうとしてるらしいが、その声にはかすかに昂揚の色が滲み出ていた。。
「それはこの書類の中に書いてあるのだが、実は俺もまだ見ていない。と言う訳で開けるぞ。良いな?」
「…は、はいっ」
少年が固唾を飲む中で教官の手が書類の封にかかる。ついに開封される書類。そこに書かれていたのは────
六日前の事を思い出しながら少年は荷馬車の上に寝っころがっていた。
ちゃんとした馬車を選んでも良かったのだが、四日の道程ならば荷馬車で十分だと思ったのだ。
騎士団の新米だと言ったら護衛役を務める条件で値引きしてくれたし、安く済めば安く済むほど差額は自分の懐にしまい込める。
と言っても配属先に着いてもあまり散財しないかもしれないが、まぁ節約するのは悪い事じゃないだろう。
幸い、積荷の一つが柔らかいのでその上でゴロゴロしてれば下手な馬車よりもずっと居心地がいい。
ただ一つ重大な問題があった。
寝転がりながら見上げる空。山頂街道の木々に阻まれて少し狭くなっているが、すっきりと晴れた青空が眩しい。
耳を澄ませば風に揺れる木々の音、すぐ近くから聞こえる鳥のさえずり。差し込む陽光は山頂の涼しい風にちょうど良い。
「…………暇だな」
サントメニアを出発して二日と数時間ほどか。魔物や山賊はおろか只の獣すら出てくる気配がない。
せいぜい他の荷馬車とすれ違ったり、特急車に追い抜かれたりする程度である。
山頂街道の中でも特に人通りの多い区域だから当然と言えば当然なのだろうが。
「な〜に、別に何も出てこなくたってちゃんと値引きしてやるって。面倒が無いに越した事はないだろ?」
「えぇ、まぁそうですけど…………」
呟いてマントを被る。面倒が起こるのも面倒だが、暇なのもそれはそれで暇だ。
人間そんなものである。
少年の配属先まで残りほぼ一日。唯一の幸いと言えば、いい天気のおかげで眠るのに苦労しない事だろうか。
「兄ちゃん、起きな。良いもんが見えてきたぜ」
煩雑なリズムの子守唄にノイズが混じる。ノイズに従って体を起こす少年。
「ん……どうしたんですか?」
「もうすぐ山頂街道からヘルザ街道に入るんだけどな。確か兄ちゃんサントメニアから出たことないんだよな?」
運び屋のおっさんの言葉に無言でうなずく。おっさんの顔に楽しそうな顔が浮かんだ。
「まぁちょっと起きてな。良いもんが見られるぜ」
そう言う間にも馬車が道を曲がる。どうやら先はすぐに下り坂らしく先が見えない。
馬車が坂にさしかかる直前になって急に視界が開ける。
その先に見えたのは――
――果てのない「緑」だった。
『丘陵の緑』
「ほれ、ヘルザ村が見えてきたぞ。荷物は出せるか?」
「えぇ、大丈夫です」
手元のバックを担いで答える。殆どの荷物は既に先に送ってあるので手荷物はさほどの量じゃない。
ゆっくりと近づいてくる城壁はヘルザ村が普通の村と違う事を暗に示しているように見えた。
大陸の海岸沿いに作られた「海岸街道」だが、このアディカトレースには唯一海岸沿いを通らない「山道」がある。
その「山道」を「山頂街道」との交点から西に向かうとヘルザ村に辿り着く。
「山道」はアディカトレースを横切るために作られた街道なので、人通りは少なくない。
人が多ければ悪人も多い。ヘルザ村は他の村よりも警備を厳しくする必要があるのだ。
城門の手前で門番の騎士と目が合う。
前にどこかでみた西の剣、「カタナ」と配給品の剣との二刀を腰に携えた黒っぽい肌の青年。
年は自分よりと大差ないであろうその騎士の目は、鉄の棒を簡単に切り抜くカタナのように鋭く、
目が合っただけで少年の背中を冷たいものが撫でる。
これが、アディカトレースが世界に誇る「騎士」なのか。
(…………凄い)
噂は聞いたことはあった。
下手な市街の騎士よりも、少ない人数で人を守らなくてはならない奥地の騎士の方が一人一人は強い、と。
行く先がどうであろうと、彼はここで騎士となる。それはもう引き返すことの出来ない事実。
ならば自分もそんな騎士になれるのだろうか?
そんな思いを馳せる間もなく、馬車はのんびりと城門をくぐり抜けていった。
村の中ほどまで進んだ所で宿が見えてきた。一階が食堂・酒場、二階三階が宿の典型的な宿屋だ。
「じゃあここまでだな。俺はこの村の地理は分からねぇから、ここの宿屋の主人にでも聞くと良い」
「えぇ、そうします。格安で連れて来てもらって助かりました。ありがとうございます」
「なぁに、細かいこと気にしてないで、立派な騎士になれよ?」
おっさんが一言言って嬉しそうに笑うと同時に馬車が動き出す。その馬車を見送ってから少年も食堂に入っていった。
「いらっしゃいませ♪今は空いてますからお好きな席にどうぞ!」
いきなりの店員の応対に少年がとまどう。
流石にどんな食堂にでも店員の一人や二人はいるはずだ。それは意外でもなんでもない。
だが、そう言う時は大抵恰幅の良いおばさんと相場が決まっていて──
「……どうかしましたか?」
──自分と年が近いであろう可愛らしい少女が出てくるはずが無いと思っていた。
「あ、えっと、騎士団の宿舎までの道を聞きたいんだけど……」
「騎士団の宿舎?という事は……もしかして貴方が村に来る新人さんですか?」
少年の言葉の中から「騎士団」の単語を見つけたとたん、少女の顔が明るくなる。
「え、あ、うん。そう、だけど……」
「お父さん!新人さんが来たから私、宿舎まで案内してくるね!」
その台詞を聞くや否や少女は後ろを向き、カウンターにいるマスターらしき渋い中年に声をかけ、
マスターが無言で答える。このドッキリの仕組みはそう言う事だったのか。
確かにマスターの娘さんならば店の手伝いをしていても不思議はない。
「宿舎は村の中心の方にあるんです。こっちですよ♪……あ、そうだ!大事なことを忘れてましたね。
私、ティアナ・ミューテです。ティアって呼んでください。新人さんは?」
「ティア、か。よろしく。俺は──
──アルハイト、アルハイト・コーネアっていうんだ
これが、ヘルザ村の些細な歴史に些細な名を残す、大きな騎士の始まり。
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