2.饗宴、狂宴、凶縁!!――Drink and Die――
時間は昼と夜の曖昧な境界を越えて夜へ。家屋に灯、空で星が輝き、月は半月。
静穏に静音を重ねた空気が横たわる中、ただ一つだけ例外が有る。
村の南側を東西に横断する、踏み固められたのみながら確立された大きな道。
史書にも始まりを記されぬ程に古く、山を越える者達が行き交い時に安息を得たこの道の名を「ヘルザ街道」と呼ぶ。
その道の傍らに、静穏を認めず響きを漏らす建物があった。
一見した外観からも酒場と食堂と宿屋を兼任すると分かる建物は、看板で「旅宿ホッフル」と名乗っている。
今は酒場と分類される場所から、まだ拙さの残る調べで弦楽器が響く。
一泊を求める楽団が骨を休めてる最中、数人の騎士も各々が好き勝手に会話を交わしていた。
「ぬ? ヘルザ綿の卸し始めってまだ先だったか?」
「ほらほら、エル線の押さえが緩いわよ。キー線ばっか気にしてないの」
「あぁ、春分の卸は二週間後からになる……酒はもう良いのか?」
「えぇっ、この前は『この曲はキー線をしっかり押さえるのがコツよ!』って……」
「少しでも良いから卸せないもんか?もち、少しは色付けるからよ」
「昔の話よ!今の流行はエル線をしっかり聞かせるのが流行なの!」
「……融通が利きそうな所に声をかけてみよう。明日の昼以降になるが良いな?」
「いったい姉さんの流行はいつ何処に影響されて三週間に五回も変わるんですか!?」
言い合いを口論へ発展させて罵倒の応酬に進化させる楽師達に、卓を囲んでいた騎士達の一人が反応する。
今日のささやかな酒宴のゲストであるアルハイトだ。
「あの……何か大騒ぎになってますけど止めなくて良いんですか?」
「うん。半年前も同じように騒いでたし、あの様子だと昨日も明日もあんな調子なんじゃないかな〜」
「私達がでしゃばるほど深刻だったら、その前に楽団の人が止めてるわ。
旅芸人にとって、土地の人間に迷惑をかけるのは何よりの御法度なんだから」
「……夫婦喧嘩は犬も食わない。その一言に尽きます」
先達の、落ち着いていると言うよりは手放しのような対処に戸惑いながらも従うアルハイト。
脇にそれた話の流れが途切れれば、話題は元の流れに。
「サントメニアか……僕は行ったこと無いんだよねぇ。マリアとレミィは?」
「……私は無いです。ヘルザ村に来るまではノーテスノーブが人生の最北端でした」
「私は何回かあるわね。そこそこ大きい港町だけど……」
レザミアの言葉が詰まる。ちらちらとアルハイトを伺う視線に、苦笑を漏らしながら彼はその後に付け加える。
「まぁ、そこそこ大きくて港がある。けどそれだけですよ。五年住んでた俺が保障します」
「カルクロッサやアディカトレースを知ってると、どうしても印象が薄いのよね……その、決して悪い街じゃないのよ?」
どうしたものかと言わんばかりにエールを煽るレザミア。すかさずロクスが割ってはいる。
「アルハイト君は、サントメニアの前に山西に住んでた事はあるの?」
アディカトレースという国は、国土を縦断する山脈に分割されその先端に王都を持つ形になっている。
その形ゆえに、山脈を境界として「山東」「山西」「山端」と分けて呼ぶことが多く、
気候の違いなどからもその区分が一番便利だった。
「いえ、俺はファスティマーからサントメニアに出たんで、山西はここが始めてですね」
一瞬の間。
「……では、冬を覚悟しておいてください」
「まぁ大体二年くらいで辛いと思わなくなるわね……」
「諦めの境地にたどり着くと、割と何とも思わなくなるよねぇ〜」
青い顔のマリア、遠い目でため息を吐くレザミア、あくまでもユルい顔で笑うロクス。
三者三様の語り様ながらも、異様な迫力だけが共通して伝わってくる。
それこそ、アルハイトが思わず黙り込んでしまうほどに。
「はーい。暗い空気を吹き飛ばす、エールのお代わりですよー♪」
翻るエプロンと明るい声。皆に笑顔でジョッキを渡すのはホッフルの看板娘、ティアナ・ミューテだ。
「……ありがとうございます」
「あ、ティア。僕にもおかわり頂戴」
三杯目のエールを受け取り、礼を言うマリア。頬に微かな朱が差している以外は、殆ど酔っているようには見えない。
ちなみに他の面子はロクスが二杯目を頼んだ所で、レザミアとアルハイトに至ってはまだ一杯目の半分ほどである。
ペースとしてはかなり早い。
「何か、凄い勢いで飲んでますけど大丈夫なんですか?」
「うん。こんなんで驚いていたら身が持たないから慣れたほうが良いよ?」
「貴方より付き合いの長い私達のほうが、マリアの事は少し分かってるわ。
ことお酒に関しては、マリアの心配しなくても大丈夫。ちょっとした見世物に出来るくらいなんだから」
「……衆人環視に晒されるのは勘弁してほしいですけど」
既視感を感じながらもアルハイトは皆の言葉に従っておく。だが、疑問の解決は次の疑問を偶発させた。
「そういえば――」
闇夜に浮かぶ鋭い眼光。数にして六個三対。
差異はあれど、子細を超えて共通する強い気迫。
我慢の限界、否、もとより耐える気など無い。
満たせ満たせ満たせ。飢えを渇きを、思うまま。
獲物は眼前、哀れなほどに無謀美。傍若無人に歓喜を尽くせ。
もはや疾走は止まらない。
『…………』
卓上が水を打ったように静まり返り、誰もが微妙な顔でアルハイトと目を合わせようとしない。
「え、えぇと…………?」
その沈黙の意味が理解できない。付け加えれば、皆の表情の意味も。
何故そこで、「ご愁傷様」と言いたげな表情を見せるのか――
「酒だ酒だ酒だ酒だーっ!!飲むぜーっ!」
その答えがやってきた。
大音声かつ率直な叫び声。顔つきからして中年の域に差し掛かっているであろうに筋骨隆々とした大きい体躯。
外見の印象だけなら山賊や野盗とも思われそうな所を、そのあけすけな雰囲気が補っている。
歩き方も話し方も、それ以外の何から何までも豪快奔放。
着ている服が騎士団の制服でなければ、誰一人として彼が騎士だとは思わないだろう。
「おいおい、ガっさん。この前もさんざん飲みまくったじゃねぇかよ……財布持つのか?」
その巨漢になんとも気安く声をかける青年には見覚えがあった。
浅黒い肌と腰に挿した東西二本の剣。昼にアルハイトがヘルザ村に入る直前に見かけた門番の青年だ。
あの時に感じた鋭い気配は微塵も感じられず、その口調は飄々軽快としており
横の巨漢と共に「早く酒が飲みたい」と言外に主張している。
「ガルスがそこまで考えて行動できるなら、私が苦労することも無いのだがね……」
青年の言葉に続いたのは落ち着いた物腰をした中年の紳士。
礼節の重みを感じさせる男性で、一般的な騎士のイメージに即した印象を受ける。
おそらくは、その物腰相応の年齢を重ねているのだろう。
「儂が留守番する必要はあったんじゃろうか……?」
その三人にさりげなく進路をブロックされて歩きづらそうにオックス・ノーザンが歩いている。
医者のようなものだと語っており、事実制服の上から白衣を羽織っているが
「おぉい、もう少しそっちによってくれると歩きやすいんじゃが……ってコッチ寄るなー!」
と三人に弄ばれる光景は、アルハイトの中の医者のイメージとはだいぶかけ離れている。
……なんでこの人たちの事を聞いた途端、あんな空気に?
そんなことを思っている間にも四人組はアルハイトを取り囲む。
重量のある音を立てて最初に座り込んだのは、あの山賊の様な巨漢だった。
「いょう新人、ヘルザ村に良く来た。オレはガルス・ロダルディア。これからイロイロと教えてやるが、まずはコレからだな」
ガルスが名乗る間に、ティアナが四杯のエールをトレイに乗せて持ってきている。
手際よくジョッキを皆に配ると、足早にテーブルから距離を取る。そのスマイルの横に一筋の汗が流れていた。
その汗の意味を考える間もなく号令が上がる
『乾、杯ーーっ!!』
よく響く硬い音の後に四杯のジョッキは天に掲げられて飲み干される。
吐息と共にジョッキが卓上に叩きつけられるまでは約7秒。
どこへ出ても恥ずかしくない豪快な飲みっぷりに続くのは、空のジョッキと木のテーブルだけが立てられる軽快な響き。
その光景を呆然と眺めているアルハイトに、ガルスが怪訝な顔で声をかける。
「なにボケっとしてんだ。お前もだ」
その言葉に返答するよりも早く、アルハイトの右腕を何者かが掴み固定する。
「……へ?」
見れば腕を掴んでいるのは肌黒の青年だった。神妙な顔つきで頷きながら、アルハイトの右腕を抱え込んでいる。
「俺はヴェノア・アザノーヴェ。まぁなんだ、死にやしねぇから、な?」
何が死ぬまでは行かないと言うのか。問いかける前に左腕も掴まれた。
慌てて首だけで振り返ると、あの紳士然とした中年が左腕をしっかりと固定している。
「私はアーゼン・ヒッテンハルト。普段はこの三人の監視役という事になっている。たまに便乗したりもするがね」
そして誰かの両手がこめかみのあたりをしっかりと押さえ、アルハイトの顔を正面に向ける。
残った人員を考えると、オックスか。
「儂もやられた事じゃからのう……アルハイト君だけ例外と言うわけにも行くまい。恨まんでおくれよ」
向く先の正面、ガルスがアルハイトのジョッキを持って身を乗り出していた。
だんだんとアルハイトの視界でジョッキの比率が高まっていく。。
「さぁ、根性見せて貰うぜ新人。なぁに、無いならこれから培うだけだ。安心しろ」
「まぁ俗に言う通過儀礼って奴だ。拒否権ねぇから」
「今のうちに彼らの奇行に慣れておきたまえ。その方が疲れなくてすむ」
「すまんのう……本当にすまんのう、儂はこんな事したくないんじゃよ!」
四人が四人、実に楽しそうに各々の心情を口にするこの状況、どうあがいても自力での脱出は見込めそうにない。
アルハイトは隊長たちに視線で助けを求める。が、
『…………』
返ってきたのは哀れみの視線。既に狼に囲まれてしまった羊には魂の平穏を祈るくらいしか出来ない。
そういった類の憐憫に包まれて、アルハイトの孤立無援が確定する。
「いくぞ、おるぁ!!」
アルハイトの視界がジョッキで塞がれた。
飲み干した。それはもう必死で飲み干した。眼前に突き出されたジョッキは既に空だ。
サントメニアで多少なりとも遊んでおいた事を、変な理由からではあるがアルハイトは感謝した。
「これで……良いですか?」
「うむ、よくやった新人。なかなか良い根性してんじゃねぇか」
その言葉に、ジョッキを置いたガルスが満足そうに頷いた。
そして、
「んじゃ、真・ヘルザ村分隊新人歓迎会を始めんぞ!ティア、五人分持ってこい!」
楽しそうに声を張り上げる眼前の巨体から放たれた単語を、アルハイトは脳内で鈍重に反芻する。
……五人分。
巨漢暴君、ガルス・ロダルティア。
肌黒青年、ヴェノア・アザノーヴェ。
偽装紳士、アーゼン・ヒッテンハルト。
奇怪老人、オックス・ノーザン。
後一人。
「…………俺?」
問いかけに答えるのは、テーブルに置かれる五人前のジョッキの音だけである。
「そこの楽師たち、今日はこいつの入団祝いだ!! いつまでも夫婦喧嘩してないで一曲弾いてやれよ!」
ヴェノアがアルハイトの背中を叩きながら楽師たちを呼ぶ。
諍いに割り込まれた楽師たちが呆気に取られた後で苦笑し、
「……そういう事なら仕方ないわね」
「えぇ、ぜひ一曲弾かせてもらいますよ。姉さん、『陽の溜まる野原』辺りどうかな?」
「ちょっと待ってて。今フリットの準備するから」
と弦楽器の準備をしてる間に、騎士たちは二度目の乾杯を決行。アルハイトも逃げることを諦めて二杯目を乾杯。
……言うことを聞いておかないともっとひどい目にあう!
アルハイトの焦りが募る間にも演奏は始まり、宴の幕が仕切りなおされた。
「今まで各地で飲み比べをして来たがな、俺に飲み比べで勝った奴は何故か人生成功まっしぐら。
という訳で、お若い騎士さん。あんたの門出を祝う意味でも、ひとつ飲み比べと行こうじゃないか?」
「……前後左右を抑えられてて拒否権もなんも無さそうなんですけど?」
「ロダルディア流奥儀、四杯飲ませ!」
「ガっさん!俺の酒を奪うなー!!」
「がぶばぼべぼぶばぁっ!?」
「騎士、って割には可愛い顔してるわよね……」
「え、あ、そ、その!?」
「姉さん、涎出てる。拭いて」
「アルハイト君、大丈夫かい〜?」
「だいじょうぶれす!サントメニアに居た頃はこれ位はよく有りますた!
これ以上飲んだら分かりませんけど!!」
「竪琴の音色も悪くねぇけど、あんたはならんにゃぐ!?」
「村の若いのが失礼したね。同じ騎士として非礼を詫びよう」
「あらあら、騎士さんってのも厳しい仕事なのね」
「……こいつが図に乗ると、始末に悪いだけだよ」
「あら、皆さんもうお帰りですか?」
「これで私たちも結構飲んだのよ。騎士なら底なしって訳じゃ無いの」
「アルハイト君の救出は無理っぽいし、そろそろ寝ておかないと明日に差し支えるしねぇ」
「……ヴェノア達が何かしでかしたら連絡してください」
「はい。それじゃあ皆さんお休みなさい♪」
石造りの壁に挟まれて板張りの廊下が続く、騎士団の宿舎の二階。
衣服を壁に擦り付ける音を断続的に鳴らしながら進むのは、騎士団の新入りだ。
「あぁもう……どこまで歩けば部屋に着くんだ…………」
アルハイトの平衡感覚は既に混濁している。
歩くと言うより倒れる手前で持ちこたえる、それを繰り返していると言ったほうが正しい。
……まずい、もう限界だ。
最後の部屋、と言うキーワードにしがみ付いた意識で限界の体を強引に引きずる。
やっとの思いでたどり着いたドアを体当たりするように開けて中へ。
だがドアの向こうは部屋であって、壁ではない。アルハイトの体が一瞬だけ宙に浮き、続いて板を叩く音が。
その衝撃でアルハイトの意識は急激に弛緩し、眩しさを感じながら瞼が重さに負けていく。
……あれ?
無人の部屋に点いた明かりに疑問を感じる前に、泥沼の暗さがアルハイトの意識を覆った。
朝の光の下を人が歩いていく。三人組だ。
三人の服装は基本的な装丁を同じくしていながらも、各々が好みに応じてスカートやズボンなどを着ている。
彼らの胸元の紋章は、アディカトレースの騎士団の物に他ならない。
村で唯一の食堂に向かう三人は、同行できないアルハイトのことを話していた。
「で、やっぱりアルハイト君は駄目っぽい?」
「……えぇ。私が部屋に行ったときは呻くのがやっと、と言うところでした」
「あの四人に囲まれて、ちゃん戻ってきただけでも大したものよ。今日はそっとしておいてあげましょう。
その分、ホッフルで寝てる四人に働いてもらう事にして、ね」
隊長がその美麗な顔に含みの有る笑顔を乗せて告げると、残りの二人が文句もなく頷きを返す。
「んじゃ、僕はまず爺さんを起こすかな」
「……では私はヴェノアを」
「じゃあ私はアーゼンを動かしてガルスを起こさせようかしら」
「あ、レミィずるい」
「……隊長。自分だけ動かないつもりですか?」
二人の問いかけにも揺るがず怯まず、隊長は先んじてホッフルの中に。
「二人とも覚えておきなさい。それが隊長職ってものよ」
太陽が頂点に達し、更に傾き始めてもアルハイトはベッドから動けずに居た。
正確に言えば動けない訳ではない。問題は、その時に引き起こされる頭痛である。
結果から言えば、窓のカーテンを閉めたところで限界だった。
「……きっつぅ」
昨夜は間違いなくアルハイトの人生で最大の飲酒量だった。事実、昨夜の記憶は途中から途切れている。
それを考えれば目覚めたときにベッドの上で布団を被っていたのは大したものだと言っていいだろう。
気がかりな事と言えば、このまま騎士としての初日を終えそうな事と胃の訴える空腹くらいか。
特に後者はかなり問題だった。健康優良な青年が、ベッドの上で微動だにしてないとは言え半日も食事を口にしていないのだ。
だがそのベッドの上から動けない以上、食事がやってくるのを待つしかない。
……誰も来そうにないけどね。
そうしてアルハイトが軽い悲観を抱いた時に、その音は響き始めた。
木の板を叩く軽い音と、その板が僅かにきしむ音。音は連続して規則的に響き、アルハイトの部屋に近づいている。
疑うまでも無く、足音だ。
アルハイトが来訪者の招待を探る前に、ノックと断りが入った。
「アルハイトさーん、入りますよー」
開けられたドアからティアナが大き目のトレイを持って部屋に入る。
部屋を進むティアナの服装は昨日見たものとは違い、エプロンもヘッドドレスも付けていない。
その二点だけで、アルハイトの目には随分と違った印象を与えた。
微かに音を立てながら机の上に置かれたトレイの上には、アルハイトが渇望していた食料。
茶パンで挟んだサンドイッチと、水筒だった。
「ごめんなさい、本当はもう少し早く来るつもりだったんですけど、今日は少しお客さんが多くて」
「いや、来てくれただけでもありがたいよ。正直今日はメシ抜きかと覚悟を決めてたからね」
「あゃ……そうじゃないかなとは思ってましたけど、やっぱり二日酔い、そこまで酷いですか?」
「酷い。少しでも動いたら頭が凄いがんがんするくらい酷い」
「それはそれは。でも私が来たからにはもう大丈夫です!」
そう言ってティアナは自分の肩に下げていた水筒の蓋を開けるとアルハイトに見せる。
そして怪しい取引を行ってるふりなのか、背中を丸めてささやく様に解説を始めた。
「これはですね、ヘルザ村に伝わる耐二日酔い秘薬『イッパツショウテンスッキリーヨ』と言います」
「待った。その名前の時点で物凄く怪しさ炸裂だと思うんだけど」
アルハイトの反論に不満を感じたのか、ティアナは少し怒った――と言うよりはむくれた――顔をすると
アルハイトの耳元にまで近づき、今度こそ本当に囁き始める。
「良いですか?これはヘルザ村の特産品で、お父さんの店でも二日酔いのお客さんに出すだけじゃなくて、
纏め売りして他の街で売りさばく人も居るくらい有名なんです。それだけに……安くないんですよ?」
「う、うーん……」
「あぁっ、その顔は信じて無いですね?せっかく私が二日酔いで苦しんでるであろうアルハイトさん為ににお父さんの目を掻い潜って
後で叱られる事も覚悟の上で持ち出してきてあげたのに……そんなもの飲めない、って言うんですね…………」
「分かった、飲む。飲むからメシを持ってくのだけは勘弁してくれない?」
悲しそうな顔をしながらそそくさと食事を下げようとしていたティアナを慌てて呼び止める。
アルハイトは自らに拒否権が無いのだと悟り、水筒を受け取るが僅かに躊躇。
「では、どうぞ遠慮なく躊躇無く容赦なく躊躇いなく一気に飲み干しちゃってください」
その言葉に後押しされたわけではないが、アルハイトは自らの不安も押し流さんという勢いで水筒を一気に傾ける。
果たしてアルハイトの不安は最悪の形で的中した。
ホッフルのカウンター席に、二人の客と一人の主人が居た。客は、レザミアとオックスである。
「しかしまぁ……おたくらもエゲツナイ仕掛けを組んだものだな」
「ティアが薬を持っていくのがポイントなのよね。と言っても、考えたのは私じゃ無くて男連中よ?」
「儂謹製の煎薬じゃからのう。効能は保障するが味に関しては知ったことじゃないぞ」
「まぁ、俺はただの宿屋の主人だからそっちの内政には何も言えんがね……」
「大丈夫。涙ぐんでるマリアはちょっと可愛かったわよ」
「自分で調合しておいて何だが、あれは必要ない限り飲みたくないのぉ……」
しみじみと呟いたオックスの口から、思い出が漏れる。
「二日酔いも辛いけど、あの薬はあの薬で辛いんじゃよなぁ……」
春と言えどまだ初頭。標高の関係もありヘルザ村の夜は長時間出歩くには上着が必要なほどに冷える。
対して海岸沿いの地域はこの時期から既に夜も暖かさを感じられる程で、それ故この時期の商隊の大半は
ヘルザ村を通る山道ではなく王都を経由して大回りする海道を使う。
昨日の楽団も急ぐ事情が有ったのか、既に村を発ち山を降りていった後だ。
こうして今夜のホッフルは騎士たちと店員のみという、一人を除いては皆が慣れ親しんだ光景となった。
「と言う訳で、今回の入団儀礼もオレの妙案によって大成功だった訳だが、何か反省点が有れば文句無く言ってみろ」
「はーい、俺の酒を奪ってまで新入りに飲ませるのはどうかと思いまーす。強奪は立派な犯罪でーす」
「もっと殺人的に苦い薬を調合できなくもないんじゃが、誰か毒見してくれんと作るに作れんぞ?」
「…………」
テーブルの一つを取り囲んで、ヘルザ村分隊野郎組(二名除く)が活発に討論をしている。
標的にされた当人にとっては少々笑えない議題だが、アルハイトは隊長たちとの会話に集中することで逃避。
「アルハイト君も、明日から頑張ってね……と言っても、頑張るほど忙しくもないんだよねぇ」
「その分、肩肘張らずにのんびり過ごせるんだし悪くないと思うわよ」
「……でも、仕事をジャンケンで分担する分隊はそうそう無いと思います」
逃避失敗。アルハイトの性格は比較的真面目だが、いくら仕事の話とはいえ集中できる内容の会話ではない。
仕方無く、椅子の背もたれに仰け反ったアルハイトの反転した視界に映る人物が居た。
片手に杯を持ったティアナが、ホッフルの出口を漫然と見つめている。
だがそれもつかの間の話で、アルハイトの視線に気付いたティアナはどうかしましたか、と自然な笑顔で問いかける。
「いや…………ティアはどっち側なのかな、と思って」
問われたティアナは二つのテーブルを交互に見比べる。
その動きでアルハイトはそれ以上の説明は要らないと思い、彼女の回答を持つ。
そして、
「……どっちだと思います?」
返されたのは、口元を隠しながらの極上の笑顔と最凶の返事。
「旦那、一杯ください。俺の自腹で」
隣のテーブルでは、いつの間にやら議論が口論になっている。時折聞こえてくる単語からしてテーマは「前進と犠牲」らしい。
ティアナがアルハイトさんまだ飲めるんですか、と言いながら杯をアルハイトに手渡す。
男性陣からひしひしと感じる波乱の予感が的中しないことを願いつつ、アルハイトはその杯を口に。
明日からは本格的な騎士生活かと思っていたアルハイトだが、ヘルザ村の本格的な騎士生活の基準は彼のそれとは違うようだ。
「乾杯。えーと……俺に」
隣のテーブルでは、議題が「これからのアルハイトの取り扱いについて」に変わっていた。
その面子に何故かティアナも交えて。
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