3.平日昼間異常なし ――Mayday,Mayday!――
『グラ、エス、トァ!』
 グラは陸を、エスが海でトァが空を指す。陸は空に勝ち、空は海に勝ち、海は陸に勝つ。
ルールに則り、四人の敗者が決定するまで勝負は数度。その駆け引きの中にアルハイトとオックスは含まれない。
 敗者が決まれば次は誰に新人を同伴させるかと言うことになるのだが、
「んじゃ、行くぞ新入り」
「え、あ、ぐぇっ!?」
『…………』
この日は相談も何もなかった。誰かが何かを発言する前に、ガルスがアルハイトの服の襟を掴みそのまま引きずっていく。
 苦しそうなアルハイトを見送り、残りの三人は誰が何処に付くかを話し合う。が、何故かガルスが戻ってきた。
そのガルスは皆に一瞥もくれず、地下への階段を下に。
 戻ってきたガルスの手に有る物を見て、勝者の余裕を持て余していたヴェノアが注意の一言を渡す。
「ガッさん、怪我させんなよー?」
「そんときゃオックス爺に任せるだけだっ」
 ガルスの背中が意気揚々と宿舎を出て行くのを見送ると、誰かから憐憫のため息が漏れる。少なくとも二人分以上のため息だった。



 村の城壁の西門。深い森の中を街道が貫いている様子が見えるが、それもやがて曲がりくねり深い森の中に吸い込まれていく。
つまりこの場所で見えるのは、空と森と街道だけと言うことだ。
「忘れ物をしたから先に行って待ってろ」
 そう言うガルスの言に従い西門に着いたアルハイトはその光景から特に何かを見出したわけでもなく、
ただ呆然とガルスが来るのを待った。
……来ないかも知れないけどな。
 まぁ門番ぐらい子供にだって出来るさ、と呟いて門の横に都合よく見つけた岩へと腰掛ける。
座ってみて分かることだが岩の高さと形、そして設置場所。そういった全てに、この岩からは人為的なものを感じられる。
 おそらくは何処かしらから運んできたものなのだろう。
比較的大きい岩で、運ぶのには相当な苦労を払っただろうがそれだけの価値は有ると思える座り心地の良さだ。
 岩に座って風にあおられる。まだ慣れない風景にアルハイトが暇を持て余すよりは早く、ガルスは門に戻ってきた。
「悪ぃ悪ぃ、お前を連れてきてもこれ忘れたんじゃ意味がねぇからよ」
 ガルスがこれ、と表現したものをアルハイトへと投げ渡す。
 殆ど条件反射で受け取った後で改めて見れば、それは唯の鉄を長く叩き伸ばして砥いだ上で柄を付けたもの。
今はそれが筒状の物体に納められていた。
「……え?」
 剣である。
「心配すんなって、訓練用の模擬剣だ。まぁ、本気で振るって当たり所が悪けりゃ死ぬ事が無いとは言い切れねぇがな」
「いや、だからなんで模擬剣なんか必要なんですか?」
「はっ、そんなの聞くまでもねぇだろ。模擬剣持って歌でも歌うか?」
「えーとそれはつまり……」
 ガルスの顔に、純粋ゆえに凶悪な笑顔が浮かぶ。
「あぁ、死にたくなければ本気でやれって事よ!」


 ガルスが剣を振るう前に、アルハイトは機敏な反応で後ろに飛ぶ。
……ほぉ。
 その反応速度と後退距離にガルスは内心で感心を覚える。入団したての新入りの割には良い反応だ、と。
だがガルスは最近の「学舎」の状況を知らないので、案外これが標準かもしれないな、とも。
 ヴェノアもマリアもこれ位の反応は見せていたしな、と思いながらアルハイトに詰め寄るが
見ればアルハイトは抜刀すらしておらず顔を少し青くしてガルスを凝視していた。
「……何ぼけっとしてんだ?」
「や、いま、勢いとか音とか。その、凄いんですけど、全力ですか?」
 言われて何となしに剣を見るガルス。軽く持ち上げて、振り下ろしてから不満を口に。
「そう言うけどな、これ少し軽すぎて扱い辛ぇんだよ。そりゃたまにはこういうの使うのも悪くねぇだろうけどな……
 ま、全力は出せねぇんだからお前へのハンデだと思ってくれや」
「むしろ質悪いと思うんですけど!!」
 抗議の声を無視してガルスは前へ。アルハイトを剣の間合いへと引き込むと同時に左から右への振りを一つ。
だが、手応えは皆無。模擬剣の空を切る音が小気味良く聞こえただけだ。
……あくまでも避けようってのか?
 ガルスの疑いを証明するように、アルハイトが再度取りなおした間合いは剣のそれよりも遥かに遠い。
 アルハイトの顔からも青さは消えており、強い感情を露にした表情が浮かんでいる。
浮かんだ表情は軟弱な逃避ではなく、打倒への模索を示す。
 その意気を認め、ガルスは自らの動きにより鋭さを加えることにした。


 轟音の荒れ狂う中、アルハイトの動きは意外と小さい。
完全に本気と言う訳でも無いのだろう。ガルスの動きは基本的に大きく直線的だ。
「はっはぁ!!なかなかいい動きしてんじゃないか、あぁ!?」
 だが、その大振りの間隔は決して長くなく、アルハイトは抜刀しないと言うよりはする余裕が無いという正しい状況。
……くそ、どうする!?
 ステップの取り方と上半身の捻りだけでひたすらに剣を避けるが、ここのままではすぐに消耗して一撃を受けるのは必須である。
一方的に攻めるのは無理としても、どうにかして攻防の比率を同等にまで上げなければ状況打開はできそうに無い。
……一度、攻撃を受け止めないと。
 だが模擬剣といえどもこの速度で振るわれれば十分な凶器。体で受けるのは論外、剣で受けても折れかねない。
 ならば残る選択肢は一つ。
 直進からの振り下ろしは半身を後ろに逸らして回避。
柄と鞘の先で剣を大きく持ち、続く右から左への横一閃を完全に受けとめる覚悟を据える。
剣の向こうにガルスの快気を露わにした笑みがチラつき、彼の攻撃をアルハイトは受け――
「がっ!?」
きれない。規格外の衝撃にアルハイトは何かの球技の様に飛ばされた。
 アルハイトが背中を木にぶつける程に二人の距離が大きく開くが、ガルスは間合いを詰める前に心配を口に。
「っと……大丈夫か?」
 アルハイトは二・三度軽く咳き込むと、ガルスに向かって親指を立てながら深呼吸。
背中を軽くさするが、その表情に深刻さは感じられない。
「避けるも無理、受けるも無理か……なかなか頑張ってるが、お次はどうするよ?
 そろそろ降参しても恥ずかしくねぇ頃合だぜ。本来新人っつうのは情けないってのが相場だ。
 それを考えれば、お前は良くやってるほうだぜ。うむ、俺が保障してやろう」
 その台詞にアルハイトは恐縮です、と呟いて
「――――」
無言で手招きを送る。それは降参ではなく続行を選ぶという意思表示。
 その動きを受けて、ガルスは表情から余裕を撤回。一切の憤りを含まない、真剣な表情を浮かべ声を放つ。
「……新人、改めて名乗れや。仲間内での挨拶じゃねぇ、男の名乗りだ」
「アルハイト、アルハイト・コーネア。情けないはずの新人ですよ」
 背中を木に預けたままで、なおも新人は堂々と名乗る。相対する巨漢もまた、臆することなく剣を構えた。
「ガルス・ロダルティアは、てめぇの誘いがただのはったりじゃねぇ事を願うぜ。
 ここまで熱くさせられておいて、肩透かしは御免だからよ」
 靴が砂を噛む音。ガルスが構えを整えた。その目的は単純明快。
直進して上段から一撃を放つ、ただそれだけを最大限に突き詰める。
 脅威はスピードと威力。だが二人の距離は遠く、スピードの問題は解決されている。残るはその驚異的な膂力。
 対するアルハイトは、呼吸音以外の音を立てず直立でありながらも木にもたれている。
剣も右手に持つ鞘へ収めたまま、一見すれば無策。
 極限まで絞りきられた構えと、どこまでも脱力した無形。
 一陣の風。
 無音。
 拍。


『――――!!』


 ガルスが疾走し、アルハイトが表情を険にし、両者の距離が迫る。そして詰まり、交わる刹那。
アルハイトが右後ろに一歩を崩れおちるようにして屈みこむ。
 ガルスは想定よりも一歩を要する間合いにも、迷うことなく歩幅を調整し一振りへの勢いを殺さない。
「――!?」
 故に、その一歩の為に間合いへ割り込んだ木への配慮を損ねる。深く切り込んだ剣は一拍で抜けるほど甘くない。
そして勢いを無くした思考は足元へ視線を向けた。
 懐深くまで踏み込んだアルハイトが右手に持った鞘から左手で抜刀している。
抜刀は不完全ながら、アルハイトの左手はガルスの右脇腹へ軽く触れていた。
……むしろ木があったから衝突を免れた、か。
 なんにせよ、木に太刀筋を邪魔されずともこのタイミングならば両者共に一撃を負っていたはずだ。
だがこれは模擬剣。さすがにそこまで命の心配をすることは――
「……なんで、服切れてるんですか?」
「あん?」
 顔が僅かに青いアルハイトに言われ見れば、ガルスの服に切れ目が入っている。
アルハイトの剣が微かに触れたのは確かだが、模擬剣で切れるほどの速い抜刀では無かったはずだ。
 なれば、原因は単純である。ガルスはそれを確認するために、アルハイトから剣を取り上げて自分のものと比べてみる。
「……あぁ、これ真剣だわ。持ってくるの間違えたか?」
「いやそんな気軽な!?もうちょっとで見事に腹掻っ捌いてた所なんですよ!?」
 がはは、と笑うガルスに対して吠え立てるアルハイト。
「って、ガルスさんのも真剣なんですか!?」
「ん……あぁ、真剣みてぇだな。道理であそこまで木に食い込む訳だぜ」
「食い込むどころか、さっき俺がかわしてる最中に気持ちよく直撃してたら……」
「なぁに、結局当たらなかったんだから一緒じゃねぇか。
 それに当たってたら当たってたでオックス爺がどうにかしてくれんだろ!」
「…………」
 太陽がその軌道を頂点まで昇り詰める頃には、アルハイトの胸中には諦めと言う名の悟りがめばえていた。


「しっかしアルハイト。お前剣持ってないと気ぃ弱いんだな?」
「ガルスさんが豪胆すぎるだけです!!」



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