5.宵闇閑話 ──Chat a night──
空には星と月と月。春の始まりとは重月夜の始まり。赤小月と蒼大月が重なりし夜を人は暦の区切りとした。
しかし春山の夜風はまだ肌寒く、人影は羽織る上着の襟を閉めて寒さを嫌う。
微かに吐く息は白、瞬く間に夜へ溶けてゆく。
若者は月を見上げた。重月を見て思うは、感傷よりも学んだ知識。
曰く『二つの月の色の違いは地質の違いに因るものである』と。
若者が自分は詩人に向いていないと苦笑したとこに、微かな足音に続く戸を開ける音が彼の気を引く。
現れたのは老人。白髪を必要も無く後ろへと撫で付けつけその顔は笑顔。
「……眠れんようじゃの」
「起こしちゃいましたか?」
質問に質問を返され老人はふむ、と呼吸をおいて返す。
「生態の分からない魔獣が毒を持ってても不思議でないでな。遅効性だったらそろそろ苦しみだす頃じゃからのう。
ほれ、息苦しかったり吐き気がしたり眩暈がしたりしとらんかね?」
「いえ、特に問題なさそうですけど……」
「ふむ残ねいやいやいやいやそれで良い。儂ももういい年じゃて、あまり躍起になって働きたくないでな」
笑いながら老人は青年の横に並ぶ。互いに無言で空を見上げるも、老人は青年の僅かな仕草を気にかけた。
左肩を軽く抱く、右手の動作。
「……やっぱり、なんで魔術でぱーっと治してくれないのか、とか思ってたりしちゃうかの?」
「まぁ、少しは。でも只の意地悪と言う訳じゃないんでしょう?」
老人はまたも白髪を撫で付け苦笑を浮かべる。
「勿論じゃよ。儂はガルス達と違ってそこまで意地悪く生きる気は無いわ。
魔術で治療すると癒すというより塞ぐ・埋めると言ったほうが近いでなぁ。
そうすると玄人も素人も関係なく、その埋めた部分に『思い込み』が混じってしまうんじゃよ。
それくらいの軽い傷なら問題ないじゃろうが、これが深手を治療しようとすると結構な問題になってな。
つまるところ、魔術で治療するとは人にとって『不自然』な事なんじゃろうよ。
だから儂は余程の緊急事態でない限り魔術を使わん事にしとる。二・三日は不便かもしれないが、堪忍してくれんかのう?」
返答は沈黙の頷き。老人は青年の聞き分けの良さに感心しつつ続ける。
「命を天秤にかける真剣勝負は初めてじゃろう?怪我が癒えるまで、少し落ち着いてアレコレ考えると良い。
儂も初めて剣を振った時にはイロイロと興奮したでなぁ。そして気になるあの娘に告白して玉砕してもうたが」
「……いったいどう言う紆余曲折を経ればそうなるんですか?」
「それも含めて、考えてみるんじゃよ」
そして再度の沈黙。互いに苦笑したままそれ以上を語ることなく、呼吸だけを積み重ねる。
「儂はもう寝ようかの。まだまだ夜風は老人に厳しいでな……」
おやすみなさい、と言葉を交わし老人は屋内へ。
残された青年は吹き付ける風に思わず身を抱き、しかし肩の傷は鈍い抗議を上げる。
一度の溜息は漏れたのか吐いたのか定かではない。だが、その表情は幾分軽くなっていた。
若者も身を翻し屋内へ。
半ばを過ぎた夜が、朝へと回りゆく。
願わくば今夜もいい夢を、とは誰が願った言葉か。
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