6.紳士かく語れり ──Talk of false──
降り注ぐ光は暖かく、怪我で休暇を言い渡されたアルハイトが暇を持て余すには絶好の天気だ。
広い宿舎の庭の片隅には長椅子が用意されており、そこに座って空を眺めていればすぐに怠惰かつ有意義な休暇が始まる。
目前でざりざりと音を立てて引きずられてくる小さい円卓を見るまではそう思っていた。
「……で、このお茶席みたいな一式はなんですか?」
「見て分からないかね? お茶席と言うものだよ。茶菓子が切れていたのは残念だが、仕方ないね」
医務室の勝手口から戻ってきたアーゼンの手に湯気を漏らすティーポッドが握られていた。
それを円卓の上に置いて待つこと数分。
ポッドからカップに移された液体は周囲に心地よい芳香を振りまく。
差し出された紅茶を口に含むアルハイト。あまり紅茶の味に詳しくない彼でも、その一杯は中々に上物だと知れた。
「先日、実戦で魔術を使ったそうだね」
「はい…………何か、問題でも?」
唐突に切り出したアーゼンの深く静かな口調に、アルハイトは僅かに気圧される。
だが再度紅茶を口にするアーゼンの仕草を見る限り、これが彼の本来の姿勢なのかも知れないとも感じた。
「<<非制御反動>>は?」
「起こしませんでした」
「なら、何も問題にはならないね。私は、隊長から話を聞いて驚いたのだよ?
新米騎士が、初の実戦で後衛に回ったといえ<<非制御反動>>を起こさずしっかりと魔術を扱う。
これは君の年齢と年季を考えれば大したものなのだが……自覚は無さそうだね」
そうなんですか、と呟いて紅茶を口にする。背中に感じる違和感は、目の前の紳士が述べる賞賛に馴染めないからか。
落ち着きをなくしたアルハイトをみてアーゼンは微笑しつつ自分も紅茶に口を。
一呼吸を置いて再度話を切り出す。
「私は、騎士となってからの二十年ほどを自己流ながら魔術の研鑽と研究に注ぎ込んでいてね。
まだ未熟な身ではあるが、そろそろそれらを少しづつでも教える相手を探そうかと思っていたのだよ。
だが他の皆は私の話に耳を傾けてくれなかったり傾ける余裕が無かったり傾けても理解できなかったりでね……
確かアルハイト君は、『学舎』では勉学もそこそこ優秀だったらしいね?」
えぇまぁ一応は、とあまり気の入っていない相槌を返しアルハイトは次の言葉を促す。
「……君なら、私の講義を理解してくれると信じているよ?」
選択の余地が無い展開だが、拒絶する理由も無い。
只でさえ今は暇を持て余している上に、そもそもアルハイト自身も「魔術」と言うものに興味がない訳ではない。
昨日の一件の事を考えれば、今よりは魔術を修練しておきたいと思っている。
「アルハイト君、『魔術』とはそもそもなんだと思うかね?」
ぬ、と気の抜けた呟きを漏らしアルハイトの悩みは三回の呼吸を持って回答を得る。
「…………い、いろいろ出来る力、ですか?」
「うむ、確かに魔術はいろいろな事が出来る。一部の<<刻印魔術>>が無ければ今の私たちの生活は成り立たない程だ。
ならアルハイト君、どうして魔術というのはそこまで多種多様な効果をもたらせるのだろうね?」
穏やかに追い詰められアルハイトが返答に窮する。
魔術について学舎で習った事と言えば、扱い方と危険性の二点。魔術の原理・理論などに触れる機会は一切無かった。
だがアルハイトは自分の知性にその問いを反芻させる。直接に理を習っていなくとも、何か見出せるものはある筈だ、と。
「…………俺たちがそうしようと思うから、じゃ無いんですか?
俺は学舎で魔術を使う時に、『拡大した自己の中で望む現象を鮮明に描け』と習いました。
人が望む現象なんて千差万別ですけど、その大概は実現できてるはずですよね?」
「なるほど、最近の『学舎』はいい教え方をしているようだ。では改めて聞いてみよう。
『魔術』とはなんだと思うかね?」
問われてから気付く。さっき自分が何と口にしたかを。答えに気付けば、後は再び言い直すだけだ。
「人の願望が実現する事、ですか…………?」
「いい答えだね。<<発声魔術>>だけで言えば確かにその通りだよ。ふむ……少し、持論を語らせてもらおうか」
ガルスがアルハイトのカップを指差して注意を促す。そして囁かれた呟きは発声魔術を起動させた。
『略奪よりも無慈悲に、汝その自由を忘れよ』
即興の言葉か愛用の一文なのか、アルハイトには分からない。
だが魔術の効果は、カップから立ち上がる陽炎と凍りついていく紅茶で知れた。
「いま私は魔術を使って紅茶を凍らせた。それは良いね? だが私は疑問に思うのだよ。
『何故この紅茶は凍るのか』と。
液体が凍るのは、魔術以外ならば冬場の気温が低くなる時だけだからね。
現にアルハイト君の紅茶は私が魔術で凍らせたが、私の紅茶は凍りそうにもない。
当たり前のことだよ。自然に紅茶が凍るような状況ではないのだから」
呼吸は一度。
「私はね、魔術が『本来は起きない現象を起こす』ものではないかと思っている。
無論、一時的且つ限定された範囲でと言う条件付きでだが」
「はぁ。ええと、それでつまり何がどうなるんですか……?」
「つまり、魔術を魔術としている法則は自然の法則よりも上位の位置にいて、
尚且つ両者はお互いに独立している、というところかな。
だがこの事実は私が頭を捻らなくても皆はもともと知っていておかしくないのだがね。もちろんアルハイト君も」
凍った紅茶を溶かそうとポッドに手を伸ばしていたアルハイトの動きが止まった。
「アディカトレース創国伝、第一章の末節には何と書かれていたかな?」
「あ、『そして女神ティルス=ガイエスは人に自らの力の一片を貸し与え、自らは長い眠りに付く事を告げられた』……ですよね」
「その通り。私たちの扱う魔術が女神の力の一端なのだとしたら……自然の法則より上位にあるのもおかしくない。
かの女神は一度の息吹で荒廃した世界を癒したそうだからね」
アーゼンは苦笑を浮かべ事実かどうかは分からないが、と呟き自分のカップに紅茶を注ぎ足す。
その様子を眺めてアルハイトは遠慮がちに呟くような嘆願を口に。
「ところで」
「ん?」
「この凍ったお茶、魔術で融かして貰えませんか?」
アーゼンは何も言わず、ただ笑顔を浮かべた。
「で、お茶も融けてきたところで次はもう少し実践的な話をしようか」
はぁ、とまだ三分の二が凍った紅茶をスプーンで突き崩しながらアルハイトは気の無い返事を返す。
その様子にアーゼンは内心で僅かに反省しながら言葉を選び、口にした。
「これから話すのは戦闘中に魔術を使うための助言、ちょっとした心がけと言うところかな。だけど」
紳士はそこまで話すと言葉を区切った。その顔に浮かべた不敵な笑みはアルハイトの興味を強く惹きつける。
そして沈黙が続いた。
「……だけど、何ですか?」
「それをアルハイト君に話していいものかどうか……」
「……いやそれもっと早く考えておくべきじゃないですか?」
肩を落としてうな垂れるアルハイトの様を見て、アーゼンは満足げに頷く。
「ちょっとした冗談だよ」
うなだれた肩を円卓にまで落とすアルハイト。その脳裏に浮かぶのは忘れかけていたある事実。
……そう言えばこの人、ガルスさん達と涼しい顔してつるんでたっけ。
この人も危険だ、と内心で再確認しながらもアーゼンの言葉には耳を傾ける。
「<<発声魔術>>は一般的に奇襲や遠距離からの援護以外、例えば白兵戦では使えない。
おそらくはアルハイト君もそう習っているはずだと思うが、どうかな?」
頷きは一度。それを確認して話は続く。
「それは何故かと言うとだね――」
「あら、アーゼンさんにアルハイトさん。お茶会ですか?」
唐突に割り込んできた華やかな声はティアナのものだった。
服装はツーピースにエプロンドレスの見慣れた格好だが、その手に見慣れぬバケットを抱えている。
「お店の倉庫でそろそろ食べておかないと危ない感じのクッキー見つけたんですけど、良かったらどうですか?」
「……それを食べてもし何か在ったら、責任を取ってくれるのだろうね」
「えぇ、食中毒に良く効くお薬を割安で分けてあげますよ?」
ざりざりと紅茶を砕きながらそのやり取りを見ていたアルハイトは胸中で呟いた。
……この村、意外と危険かもしれない。
「さて、思わぬ闖入者が入ったがむしろこれは好都合かもしれないね。話を続けようか。
ティアナ君は普段、何か魔術を使っているかな?」
「えぇと、いつもお湯を沸かしたり灯りをつけるのに<<刻印魔術>>を使ってますよ?」
返事は即答。そしてこれはティアナの実家が酒場かつ宿屋である事とはあまり関係ない。
ヘルザ村のような物流の多い村や市街地ならば、一般家庭に熱の刻印や光の刻印を持つ家具は普及している。
「うむ、確かに刻印板は私達の生活に浸透しているからね。日頃から良く使うのも当然だろう。
だが治安法で規制されてなければ同じ事は<<発声魔術>>でも出来る筈だね。
ではなぜ<<発声魔術>>ではなく刻印板を使うのかな?」
「……失敗すると危険だからじゃないんですか?」
答えに要した一瞬は迷いよりも躊躇いの色を持つ言葉で埋められた。
アディカトレースでは騎士団の「学舎」にて修了課程まで進んだ騎士候補生だけが<<発声魔術>>の扱い方を教わる。
一般人は何かしらで<<刻印魔術>>の扱い方は学ぶが、<<発声魔術>>に関しては許可無き修練・使用は古くから禁じられている。
こうして<<音声魔術>>は国の政策を経由して騎士達だけが扱える特権となっているのだが、
実際にはその特権を与えられた騎士達でも気軽に扱わないほど<<発声魔術>>のデメリットは大きい。
「その通り。<<発声魔術>>が失敗すると非常に危険なのに対し<<刻印魔術>>は滅多に失敗しないし、
失敗したところでさしたる危険があるわけではないね。両者とも同じ魔術なのに、この差はどこから来ると思う?
……明白だね。それは名前のとおり放たれていつか消える音声と、描かれて残り続ける刻印の差だよ。
この差が何故ここまで魔術として大きな差になるのかが、魔術が発動される仕組みを解き明かす鍵になると私は考えてる」
そして話はティアナもアルハイトも理解を得られぬ領域に突入した。
だがアーゼンの語りはむしろ軽やかにその速度を増していく。
「興味深いのは、魔術の発動の初期段階においては使用者の意思や精神と呼ばれるものが必須条件でありながら、
しかし魔術は声や刻印といった明確な物体によってその安定性を左右される所だね。
そして実体の無いものが実体を通じて実体に影響を及ぼすには如何なる手順が踏まれるのかと誰もが疑問に思うだろう。
ここからは私の仮説になるのだが、私はこの私たちが実際に目で見て手で触れられる世界の他に
もう一つの世界が在るのではないかと思っている。
それは鏡の表裏とか実体と影のように、本来二つで一つとされるべきもう一面がある、とね。
そして私たちの精神はその『もう一つの世界』に存在していて、この体よりは自由に動けるとしよう。
その根拠は<<発声魔術>>を扱うアルハイト君なら実感していると思うから細かくは説明しないよ。
それで魔術発動の際に、私たちの精神は『もう一つの世界』において影響を与えていると考えて問題ないはずだ。
しかし物質の側には私たちの精神は干渉できないようだね。
それは魔術が何かしらの媒体無しには発動しない事からも明らかだ。
だが人の意志に起因して起こされた物理現象もまた、精神による干渉と言えるではないかな?
これで我々の精神は精神側と物質側の両面に干渉を行う事が出来たわけだね。
この時に物質界と精神界の間に共鳴が起こり、事実の一致が行われる。
そして訂正された事実が、私たちが『魔術』と呼ぶ行動で生じた結果である、と……」
長い講義を語りつくして満足したのか、満面の笑みをもってアーゼンは二人に問いかけた。
どうだったかね、と。
問われた二人の返答は考えるまでもなく決まっている。
『ごめんなさいよくわかりません』
「……だろうね」
少しだけ残念そうな吐息が円卓の上を撫でていく。それを合図として話題は魔術から雑談へ変わっていった。
本来の目的を忘れたままに。
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