7.彼女のやり方 ――Roll whirlwind――
 微かに響く衣擦れの音と共に白色が床へと落ちる。
その布が熱を失うまでの僅かな間、その空間に満ちたのは静寂と微かな吐息。
 しかしその静寂には意味が込められていた。待つという行為に期待を込めた静けさだ。
「……うむ、もう完治してるようじゃの。もう薬草を当てておく必要もなさそうじゃし、
 これなら体を激しく動かしても支障なかろう」
「じゃあ、もう包帯を巻く必要も無いんですね?」
「あぁ、隊長の方にもアルハイト君がもうこき使って問題ないと伝えておくでな。
 今日は軽めに体を動かしておいた方が良いかも知れんのう」
「オックスさんをたこ殴り、とかですか?」
「……儂、アルハイト君は見習うべき同僚と見習っちゃいけない同僚の区別が出来ると思ってたんじゃけどなぁ」


「…………へー」
 太陽が一巡してアルハイトが居るのは宿舎の地下である。
怪我の完治を聞いた隊長がある人物との訓練を言い渡し、その為の場所は宿舎の地下に設けられているからだ。
「……どうしましたか?」
「いえ、地下室の割には結構明るいんだなぁ、と」
 そのアルハイトの訓練相手に指名された女性はアルハイトの眼前で柔軟を行っている。
女性の名はマリア・テューラー。
 動きやすさを重視して半袖の服に半ズボンを着ている彼女は、珍しそうに訓練場を見渡すアルハイトを気にかける。
「地下にあるから刻印板の照明なんだろうと思ってたんですけど、これ外の光ですよね?」
「……階段を上った見張り台の辺りに採光窓が付いていて、そこから鏡で引き込んでるんです。
 外が晴れてるなら、そこの雨戸を開けておくだけで充分明るいですよ」
「あれ、いつの間に雨戸なんて開けに行ったんですか?」
「さっき、ヴェノアが暇そうにしてたので有無を言わせぬ姿勢でお願いしておきました」
「……………………」
 淡々とした口調で語られる興味深い事とどうでも良い事を聞きながらアルハイトも柔軟を行う。
その間にマリアは訓練場の片隅へ。そこには一通りの武具がそれなりに整理された状態で置かれていた。
 剣、槍に斧、盾に甲冑、そして弓。
 特に剣は50トニア(約60cm)ぐらいのショートソードと70トニア程の標準的なもの、
更には110トニアはありそうな大剣まで揃えてある。
……でも、流石に弓は外で練習するんだろうなぁ。
「……アルハイト君は、何を使います?」
「んー、普通の剣でお願いします。それ以外はあまり得意じゃないんで……あ、盾は使わないからいいですよ」
 物置き場から戻ってきたマリアはショートソードと長剣の二振りだけを持っている。そして長剣がアルハイトの手に。
二人とも剣一つを好むと言う事だ。
 アルハイトは即座に受け取った剣を抜き放ち、刃が立っていないかどうかを丹念に調べる。
「あ、そっちの剣も見せてもらって良いですか?」
「…………?」
 マリアが手にしているショートソードも預かって確認する。
めでたく両方とも模擬剣だと知れてアルハイトは安堵を一息、マリアに短剣を返した。
「……何だかよく分かりませんが、気は済みましたか?」
 えぇ、とアルハイトが一言を返すとマリアは一度僅かに頷いてアルハイトから離れる。
「……では、始めましょうか」
 軽く繊細な響きは二つ。その音を合図として訓練場はその空気を転移させた。


 アルハイトの構えは正眼。
効果ある一撃を打ち込むには一拍を多く要するが、その代わりに相手の攻めを確実に受け止められる。
 正対するマリアは脇構え。
半身を引き腰の後ろに構えた剣は最短最速にて最大の一撃を打ち込めるが、その代償に剣の軌跡は読まれやすい。
 奇しくも初手の攻守は明白となり、場は呼吸が揃うのを待ち相手の呼吸を読む膠着に入る。
その僅かな猶予の中でアルハイトは算段を立てていく。
 マリアの体格は女性の中においてもなお小柄だ。その身長は120トニアというところか。
加えて彼女が手にしているのは剣としてはやや短い50トニアのショートソード。
総合したアルハイトとマリアの範囲差は、一般論で言えば覆しようが無い程の大きい差である。
普通ならば、一歩離れた場所から一方的にアルハイトが攻めて終わるだろう。
 だがその程度はマリアも熟知している事だ。ならば警戒するべきは一つ。
その範囲差を埋めうる唯一の手段がある。

……なかなか隙が無いですね。
 剣を軽く握りなおし、マリアは正対する青年の構えに着目する。
マリア自身、実戦の経験は多くないがそれでもアルハイトの実力は悪くないと分かった。
 そして実力以外のことも。
……それを教える為の、隊長の気配りですかね?
 ならば戦術はおのずと定まる。それを実行するためにマリアは沈むように腰を低くしていった。
低く低く、地に弾かれそうなまでに屈み込む。彼女の体が最大の効果を発揮する姿勢へと。

 低く屈んだ姿勢は明らかに突撃の前動作だ。
二人の間の距離は歩数にして四歩。この距離なら幾ら彼女の動きが速いとしても一瞬以上には間が空くだろう。
……なら、合わせて押せば反せるはず。
 そして彼女が僅かにその身を縮めるのを目にし、握る剣を構えなおした直後。三度響いた地を打つ音と共にマリアが迫る。
その速度はアルハイトの予測していたよりはるかに速く、その低さと相まって狂魔獣の一戦が脳裏をよぎった。
 金属音。
 予想以上のマリアの突撃速度と混ざった雑念のせいで腰が入らずアルハイトはたたらを踏む。
だが突撃の勢いを差し引けばマリアの剣はさほど重いとはいえず、アルハイトの姿勢もすぐに立ち直れる程度にしか崩れていない。
 そして追撃は立ち直る前に訪れた。
「なっ!?」
 二度目の金属音はさらに軽い。だが受けるアルハイトはそれ以上に姿勢が悪い。
アルハイトが何かを思考する前に三撃目が訪れ、四撃目を弾いた所から彼は全ての策を捨てて受けに徹し始めた。

 踏み込みは使わず、基本は上半身と腕によるだ円の運動。
あるときは両手で、ある時は横向きの、あるときは片手で、ある時は前後の。
殆どは斜めに振り抜く動き。重い一打を最初から求めない、一撃の速度と手数に傾倒した戦法だ。
 だが速度の脅威は引き換えに行動を単純化する。事実、連撃を受けるアルハイトも僅かながら順応し始めていた。
……頃合ですね。
 剣を両手で持ち、右から左上へと振り上げる。速度よりも重さを重視した一振りだ。
それゆえに慣れを得ていたアルハイトはその一振りを確かに受け止め、マリアの姿勢を崩そうと力強く押し込む。
その動きを誘ったマリアは左手に剣を持ったまま逆らわずに押し込みを受け、
反動を用いて閉じていた体を開く動きで半回転。
 アルハイトの側面に背をあわせ、一歩を強く踏み込めば彼はたやすく転倒する。


「ねぇレミィ」
「……何?」
 隊長職と言うのは、他の騎士に比べると日頃からそれなりに責務がある。
だがそれもヘルザ村のように静かな場所なら緩急の波と当人の努力、そして創意工夫次第で幾らでも有意義な暇は捻り出せる。
その程度の煩わしさしかなく、現にレザミアは暇のあまりにロクスを引き連れホッフルで漫然と焼菓子を堪能していた。
「アルハイト君の相手、マリアで良かったの? 怪我が治ったばかりであの速さに付いてくのは大変だと思うけど……」
「ローク、貴方は私が何も考えないでマリアに任せたとでも思ってるのかしら?」
「……まぁ、レミィがそう言うなら任せるよ。実際、僕はあまり頭が回るほうじゃないしね」
 部下の事を気遣った上での真剣な会話だ。
しかしその会話をカウンターの向こうで聞いているマスターは、苦笑を堪えた無表情を浮かべている。
そして当人達もその会話が何処か浮いている自覚があった。
 原因はずっと響いている焼菓子を齧る音。特にロクスはその風貌と相まってどこか小動物を連想させる。
だがそれが分かっていながら二人とも焼菓子を齧るのを止めようとはしない。
 つまりはその程度にしか心配していないという事であり、それで問題ないと言う事なのだろう。
「……アルハイト君は」
 暫くぽりぽりとした静寂が続いた後で唐突にレザミアが切り出した。
「多分、伸ばせば伸ばすだけのものを持ってるわ。皆には黙ってるけど、普通なら第一団役に優先して回されてるところよ」
「え、それって……」
「事情は知らない。けど、光る原石を放置しておくのは愚かだと思わないかしら?」
 断言するレザミアの横顔に、長い付き合いのロクスですら初めて見る類の笑みが浮かぶ。
レミィもだいぶこの村に毒されてきたなぁ、と思うもそれを告げる勇気は彼に無かった。


 二人の体格差が為に激しく吹き飛ばす事は叶わない。
だがマリアが非力という事はなく、二歩分を突き飛ばされて転倒したアルハイトは上体を起こす。
……こんな簡単に手玉に取られるなんて。
 茫然自失の一歩手前の状態。ようやくの体で立ち上がるものの、次策はまったく思いつかず剣を構えることもしない。
その様子を見てマリアが剣を手元で弄びながらゆっくりと語りだす。
「……アルハイト君は、実力はあるかもしれません。ですがその実力も攻めるときに攻めないのでは無意味です」
 そして剣を握りなおし、その先端をアルハイトに突きつける。
「……押し切られて他人に被害が出てからでは、遅いんですよ?」
 その一言が起爆剤となった。
 アルハイトが後ろ腰に剣を置いた形で突撃。下段から上にへ大きく剣を振るう。
技も策もない一振りは容易く軌道を逸らされた。それでもマリアの口元には一見して分からない程の微かな笑みが。
 アルハイトの振り上げた剣は頭上で小さい捻りを得てすぐに振り落とされる。
その振り下ろしも効果は無く、三撃目から先も決定打にはならない。故に稚拙ながらも眼前の好例が行うように自らも動く。
 それは重さではなく速さを求める動きだ。
連撃が間断なく応酬される。マリアの動きが横への加速なら、アルハイトの動きは縦の加速。
 利用人数に比して広い訓練場に打ち合わされる金属の歓声が隙間無く響き、
その律動は時間の経過に合わせて小刻みになっていく。
 単調にして高速の動きが加速していけば、時間の感覚はそれに合わせて引き伸ばされる。
そして引き伸ばされた感覚の中で、思考は空白の微細を積み重ねた行動の為の純化に晒されていく。
 だが、意地とも呼べる方向性の中にも変化は生じていた。
 即興の模倣でしかないアルハイトの連撃はマリアに比べればやや遅く、打ち込む前に機先を制されている。
その構図の中で一度だけ、二本の剣が互角の打ち合いを果たした。
そして連撃の応酬は次第に四発に一度が互角のものへと変化。
 しかし両者の剣の重みには差があり、それは二人の関係をマリアの優位から両者同列へと押し戻す。

 幾度目かの重みを感じ、マリアは自分の手に僅かながらも痺れが蓄積し始めている事を自覚する。
その速度を感じてまず抱いたのは、自分がこの領域まで速くなる為にどれほどの修練を必要としたか、という回顧。
 そして脳裏に浮かんだ事実から感じたのは幾らかの賞賛と僅かばかりの嫉妬、そして強い確信だった。
……ここは一つ、見せてあげましょう。速度を追い求めるという事がどういうことか!

 それは下からの振り上げが互角に衝突した瞬間に訪れた。
 先刻より響き続けた高い音に重なり、低く叩く音が三度鳴る。
同時にアルハイトの視界から一瞬の金色に流れる残像だけが映り、そして誰も居なくなる。
 視界からマリアが消えたことを認識するのと背から僅かに脇腹を突付かれるのは同時。
「……初戦でこれだけ付いてこれれば上出来です。今日は、此処までにしておきましょう」
 少し荒い呼吸と共に吐かれた言葉には、微かな愉悦の色が混じっていた。


「……ガルス達の気持ちも少し分かりますね」
 汗に湿った衣服を着替えながら自室でつぶやく。
 初めて出来た「後輩」なる存在にどう接すれば良いか、深刻と言うほどでは無いが困ってはいた。
だがよくよく考えれば、先輩達に萎縮しないで後輩に萎縮するのも可笑しな話である。
何かを意識する必要は無いだろう。気遣うときに気遣い、突付くときに突付く。それでいい。
 そう考えれば、後輩と言うのも可愛いものだ。
「……さて、訓練のお礼に何を奢らせましょう……?」
next  back   to menu