8.思えばここから ――Stone is here――
 アディカトレースの隣国、ログエルナの山頂街道を一台の馬車が行く。
馬車は悠々と南下しており、この調子なら日没までにはアディカトレースとの国境にたどり着くだろう。
「……つまり、俺はついてるって事だよ」
 葬史時代の遺物を見つけたことも、仲間達の目を盗んで逃げ出せたことも、あっさりと騙される越境商人が見つかったのも。
全ては幸運でしかない。だが必然に基づいて連鎖する幸運と言うものが、世の中には確実に存在する。
 そして今、それは確実に自分の手元に舞い込んできていた。
あとはそれを生かす知恵さえあれば良く、既にこの頭の中に用意されている。
「へへっ、女神さまさまだぜ。見る目あるじゃねぇか?」
 国境の砦が近づいてくる。不安は無い。今の自分が失敗するわけが無いのだから。


 休日を運任せで決め続けていると、たまに哀れな程に働き続ける者が現れる。例えば昨日までのアルハイトのように。
13日間の連続勤労は決して精神的にも肉体的にも辛くない。アルハイトにしてみれば皆の妙に優しい視線の方がよほど辛かった。
「そもそも『こりゃどこまで負け続けるか見物だな』って言い出した癖に憐れむな、って話だと思いません?」
「まぁ……ごくろうさん」
 そして休暇を貰ったは良いものの、今度はその時間をどう過ごすかという問題が付きまとう。
鍛錬に励むのも悪くない。が、今日はそういう気になれない。
 無論、ホッフルのカウンターでだらだらとマスターに愚痴をこぼすのが楽しいわけでも無いのだが。
「暇そうだな?」
「休みを貰ったら貰ったで……やることがある訳でもないんですよね。一人だと」
 他に休んでる人間と居れば、それなりに娯楽の選択肢も生まれる。だが、今日の非番はガルスとヴェノアだ。
出来れば鉢合わせしたくない。
「なら、うちの娘の相手でもしてやってくれ。いま裏庭で張り切ってる最中だ」
「……はい?」
「行けば分かる。暇つぶしくらいにはなるだろうよ」

 ホッフルの裏庭に回ると、縄を巻きつけた人の背丈ほどの杭が二本突き立っていた。
その杭の片方は現在進行形で打撃音を響かせている。
「あー、確かに張り切ってる……」
 その原因はマスターの言うとおりにティアナだ。
彼女は学舎で半端に習ったアルハイトよりよほど洗練された動きで、杭を相手に鍛錬している。
 アルハイトが近づくとティアナはその動きを止めて笑顔と共に挨拶を返した。
「あらアルハイトさん、今日はお休みなんですか?」
「満場一致の特例のおかげでね。にしても……」
 横目でティアナが鍛錬に使っていた杭を見る。杭には昨日今日に使い始めたのでは決して得られない、深い年季が刻まれていた。
「ティアがここまで格闘技が出来るなんて知らなかったな。どうりであの時、一撃でノされた訳だよ」
「お父さんに小さい頃から教わってるんです。『身に着けておいて損は無い』って。
 ホッフルで働くようになってからは、結構役に立ってますよ?」
 なるほどねー、と呟くアルハイト。
(……格闘親子の店なら、わざわざ俺達が巡回する必要があるのかなぁ)
だがその疑問は口にしないでおいた。
「それで、アルハイトさんはどうしてこっちに?
 お店の入り口を間違えたのなら入り口は反対側ですけど……あ、まさか私の顔を見るためにわざわざ?」
「どっちも違うよ。マスターに暇なら裏手に行ってみろ、って言われただけ」
 ティアナが悪ノリし始める前に出鼻を挫く。先手を打たれたティアナは拗ねたようにアルハイトを睨んだ。
「駄目ですね、アルハイトさん。そこは『おぉ、流石ティアはよく分かってぐべぉはっ!!』って行かないと」
「……ちなみにそれをやるのは?」
「ヴェノアさんか、オックスさんですねー」
「……うんゴメン。俺はそこまで開放的に生きるのは無理だなー」
 学舎に居た頃には得られなかった、どうしようもなく哲学的な感傷がアルハイトを包む。
ここはサントメニアから遠い遠い場所なんだ、と。
「あの人たちが開放的過ぎるだけですよぉ。普通の人は月一であんな事しませんから」
「月一であんな事……?」
「……アルハイトさん」
 二人の間に横薙ぎの風が吹いた。
風に気をとられ一度視線を逸らしたアルハイトが見たのは、唇を横一文字に結んだ真剣な願いを伝える真顔。
「私、アルハイトさんの事、信じてますから」
 ティアナの言葉は重く、アルハイトは迂闊にその言葉の意味を問い返せなかった。


「……あああぅ!?」
 マリアの小柄な体が土煙を上げて転がっていく。
その回転は速く、大の字で転がるマリアが巻き上げた土煙は相当な量である。
「やはりこうなるか……大丈夫かね?」
「……うぅ…………多分、大丈夫です」
 もうもうと上がる土煙の中、マリアが止まったのを見計らってアーゼンが声をかける。
ゆっくりと起き上がったマリアの顔に少し拗ねたような表情が浮かんでいた。
「発想は悪くない。魔術としても難しいわけではない。だが、失敗したときの危険は相当なものだ。
 そう考えると……熟達するまでにあと何回転がることになるだろうね?」
「……しょ、承知の上です」
「ふむ、なら怪我の無いように頑張りたまえ。私はここで応援しているよ」
 服についた土を叩き落としてマリアが立ち上がる。
 ズレた眼鏡を外し、アーゼンに預けると元の位置に戻り浅い前傾姿勢を取った。
『……結ぶ二点の一瞬』
 放たれた声は一因子として世界に魔術を記述し、一瞬でマリアの体が遠く離れた場所に移る。
 そして
「……ああぅー!」
出発点と到着点を結んだ延長線の方向へとマリアが派手に転がっていく。
 彼女が求めているのは「高速移動」と言う魔術としては比較的単純なものだ。
魔力を運動量にして体を加速させる。基本概念はそれで済む。
 だが、マリアは練習の為に敢えて「後処理」の部分を含まない形で魔術を発動させている。
その結果が派手に転がるマリアと立ちこめる土煙と汚れた衣服と言う事だ。
「本当は、同じくらいの重さの石などでも構わないのだけどね……」
 しかしアーゼンの呟きはマリアには届いていない。その為に小声で呟いたのだが。
『……む、結ぶ二点の一瞬!』
 南門にマリアの悲鳴が響く。


 夕食を終えてその円卓を囲む顔ぶれはガルスとオックス、そしてヴェノアと引き止められたアルハイトである。
わけも分からずに引き止められたアルハイト以外は皆一様に真剣な表情だ。
「……んじゃあ、そろそろ始めようか」
 あぁ、じゃの、等々の返事を得てその議題が提示される。
「では、これより毎月恒例『正々堂々と女風呂を覗きにいこうの日』作戦会議を始める」
「裏切り者(ジルケドミア)ことロクスは今回も共同浴場の見張りについとるでな。
 あと、今日の有志警備はレビーシャらしいぞい」
「レビーシャの小母さんか……かなりの強敵だな。ガっさん、なんか良い案有るか?」
「案が無ぇわけでもねぇが、これは秘策だ。ここで話すことは出来ねぇし可能な限りは使いたくもねぇ」
「普段どんな耕し方しとるんかは知らんが、レビーシャの鍬は振りが冴えとるからのう……対策は立てておきたいわな」
「積み重ねこそ最強の修練なり、てか。とまれ、見張りのどっちかに的を絞って強行突破しかなさそうだな」
「……物凄く奇妙な話題が盛り上がってるようですけど、何で俺が参加させられてるんですか?」
 眩暈とも頭痛ともつかない頭の重さに耐えながら、アルハイトが会議に割り込む。
女風呂を真剣に覗く算段をしている事も、それに反対するロクスが裏切り者扱いされていることも到底納得出来る事ではない。
 ジルケドミアとは現在に続く歴史よりも古き時代、僅かに残る「葬史時代」の文献に記されている数少ない人物の一人である。
彼について分かっていることは、人類を二分すると言われた大戦において大きな裏切りを行ったこと。
それ故に討ち取られ、以降その名が忌み嫌われていたこと。
 それ以上の詳細は今も見つかっていない。
 残された文献に記された怒りは激しく、それ故に「裏切り者・大罪人」の意味で彼の名が使われるようになった。
言うまでも無く、ロクスはそんな大それた事が出来る様な人物ではない。
「何でって…………アルハイトも覗くだろ、風呂?」
「どうしてそんな自然と人の行動を決定しちゃうんですか?」
 頭に感じていた重みが、眩暈と頭痛に進化する。だが三人の猛攻は続いた。
「なるほど、アルハイト君はおなごよりも野郎のほうが良いと……流石都会派は一味違うのぉ」
「いや俺は普通に女性が良いです。そーじゃなくて俺達は『騎士』でしょう?
 国の剣で民の盾で規範を体現する『騎士』が毎月恒例で覗きだなんて――」
 アルハイトの訴えが遮られる。ヴェノアが横から彼の首を抱きかかえて割り込んできたからだ。
「そーは言うがな新入り。俺の話を落ち着いて聞け」
「……何ですか?」
 アルハイトの視線には大盛りの疑念が添えられているが、ヴェノアは意に介することなく続けた。
「ティア、あれで実は結構デカいぞ」
「な…………」
 アルハイトが言葉を詰まらせて赤面する。
ヴェノアはその沈黙を意思疎通の成立と見て、返答する余地を与えず畳み込む。
「よしならば覗こう今すぐ覗こう遠慮なく覗こう堂々と覗こう見てみたいんだから仕方ないよな。
 なに男てのはそれが正常なんだから迷う事は無いさよし行こう」
 アルハイトの反論はヴェノアの巧みな首締めで物理的に黙殺された。

 共同浴場は村の外れ、近くの川から水車で汲み上げた水を貯める貯水槽の横にある。
その浴場を伺う影が四つ。彼らの視線の先、浴場の入り口に体格の良い中年の女性がその手に鍬を持って仁王立ちしている。
「レビーシャの小母さん、気合入ってんなぁ…………」
「つーかあの鍬、直撃したら大怪我確定じゃないかえ?」
「仕方ねぇ、オレの秘策を使うしかなさそうだなこりゃ」
 オックスの肩に手を置いて、ガルスが楽しげに呟く。その秘策に相当の自信があるようだ。
「ガっさん、出来る限り使いたくないってた割にノリノリだな?」
「まぁ見てろって」
 その一言と同時にオックスの体が宙に浮く。否、持ち上げられる。
そして持ち上げられた当人がお、と呟く間もなく、その体が共同浴場へと勢いよく投げ出された。
 その速度は相当に速い。オックスの身体能力ではどう足掻いた所で着地、転倒そして怪我の王道が待ち構えているだろう。
「な、ちょっ…………『しかし儂は停まるでな』っ!?」
 故にオックスは魔術をもってその運命に逆らい、運動量を廃した体は重力に従って地に下りる。
着地姿勢は両足を揃え両手は横に広げ見本の用に美しい。着地地点はレビーシャの正面、鍬が届く場所だ。
「や、やぁレビーシャ……今夜も、元気そう…………じゃの?」
「オックス爺さん……」
 挨拶を受けたレビーシャは、嘆息を一つ漏らし言葉を続ける。
「アンタもいい年なんだからいい加減に風呂覗きなんて阿呆な事してるんじゃないよ!!」
「いや待つでなレビーシャその鍬が直撃したら儂の腕がもげるがなー!?」
 そして訪れる鍬の暴風にオックスは進路反転全速逃亡。逃げる悲鳴と追う怒号は次第に浴場から離れていく。
「完璧だ、完璧すぎる。流石はオレ様、最高の一手だぜ」
「……で、次にガっさんが投げるのは俺と新入りのどっちなのよ?」
 呆れ気味に呟いたヴェノアの視線が、槍を構えるロクスを見つけていた。

「よう、裏切り者さんよ。張り切ってんじゃねぇか?」
「裏切り者扱いが微妙に腑に落ちないけど……まぁ、君達をここから通さない位には好調だよ」
 至って気楽なガルスに対し、ロクスの声音には悲壮とも呼べる気迫が有った。
「ロクスにしては男前な良い台詞じゃねぇか…………気合入ってんな?」
「気合も入るってものさ。ここで君達に突破されると、僕が、レミィに…………っ!」
 顔を蒼くして震えるロクス。さながら蛇に睨まれた小動物か。しかしロクスはその蒼白になった顔を僅かに和らげて続ける。
「けど、そう無謀な台詞でも無いと思うよ?アルハイト君はどう見ても巻き込まれてるだけだし、手伝ってくれるよね?」
「甘い、甘いよ副隊長。新入りだって健全で若い男子なんだぜ。ティアの胸の大きさに反応するくらいには、な?」
 う、と二人分の呻きが漏れ、アルハイトの顔に浮ぶ正直な懊悩とそれを見たロクスの焦りが交錯する。
「んじゃま、突破させて貰いますか。槍は俺が『手品』で抑えるから、ガっさんは援護よろしく」
 ガルスとヴェノアが身構える。ロクスの持つ槍は刃を潰してあるようには見えないが、ヴェノアには対抗策があるらしい。
アルハイトが静観している内に最後の防衛線は突破されるだろう。
 それは同時にアルハイトの立場も一線を越えた所に行くことになる。
(……それで、良いのか?)
 アルハイトは己に問いかける。答えがそこに在るかを。

 対峙する三者と一人。その一触即発の均衡を破ったのは、ヴェノアの後頭部から聞こえた硬く鈍い音。
何事かとガルスが振り向くよりも早く、その脇腹に鋭い一撃が叩き込まれる。
 呆気にとられてるロクスを尻目に、二人が昏倒したのを確認してアルハイトは小さくぼやいた。
「よく考えると……と言うか考えるまでも無く、俺の取るべき選択肢は決まってるんだよな。
 ま、来月からは俺も裏切り者と言う事で……ロクスさん、運ぶの手伝ってください」
 足元で寝ているガルスの体を持ち上げるが、その巨体はとてもアルハイト一人では運べそうに無い。
ロクスと二人でガルスの肩を担ぎ、引きずるように宿舎に運ぶ。アーゼンが広間で何やら本を読んでいた。
「おや副隊長にアルハイト君。今夜は随分と大物を仕留めたようだね」
「あ、アーゼン。ちょっとガルスの様子を診ててくれないかな?」
「それは構わないが、医務室までは運んで貰えないかな」
「じゃあ僕が医務室まで持ってくよ。アルハイト君はヴェノアを拾ってきて」
 ガルスをアーゼン達に預け、アルハイトはヴェノアを回収するため再度外へ出る。
小走りで駆け抜ける道中、談笑している女性陣とすれ違う。アルハイトは彼女達に会釈をしてヴェノアの元に。

「ねぇマリア。まさか……アルハイト君があの三人を?」
「……意外ですけど、そうみたいです。彼のことだから強引に付き合わされてると思ったのですけど」
 レザミアとマリアは珍獣でも見つけたような顔で囁きあう。
だがティアナはその会話に頬を緩めて、一人くすくすと笑っていた。
「ティア……貴女、何か知ってるわね?」
「いいえー、私が知ってるのは『信頼と期待は与えてこそ意味がある』ことだけですよ?」
「……ティアが言うと、説得力薄いです」
 マリアさんひどーい、と笑いながらティアナは教会で学んだ「神与説話」の一説を棒読みする。
そして信頼の大切さと在り方を説く一節の最後に、こう付け加えた。
「でも、打算を信頼に見せかけるのは優しさの表れだと思いませんか?」


――私、アルハイトさんの事、信じてますから


「レビーシャレビーシャ!もう皆とっくに風呂から上がってると思うんじゃけどなぁ!?」
「そんな事はどうでも良いからその腕を寄こしぃぃぃぃっ!!」
「なぁなぁいくら忍耐強さが売りの儂でも流石にそろそろ泣いちゃうぞい!?」
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