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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

22周年記念:『シャーニュブールの笛吹ブリューナ』(第4話)


「まずは参加された皆皆方、素晴らしい歌をありがとう。そのうえで、ベルナー君」
 名を呼ばれ、ベルナーは進み出ると恭しく頭を垂れた。
「君の歌は格段に素晴らしかった。途中の語りも情熱がこもり、とても感動的だった。何よりパンフルートの演奏が良いね」
「ありがたきお言葉にございます」
 さらに深く一礼する。
「うん」
 クレイルはうなずくと手拍を打った。
 その音に、宮廷楽士の一人が進み出て、盆をクレイルに差し出した。
 乗せられたものを手に取ると、クレイルは視線をベルナーに戻す。
「さて、歌合戦の優勝者には栄誉と褒賞が与えられる。これはその目録」
 クレイルは一堂に綺麗に折りたたまれて封のされた書を掲げて見せた。
「実はあらかじめ、褒賞として金一封を用意していた。だけど、どうやらベルナー君の望みは違うようだね。一応、もう一度聞いておこうかな」
 クレイルの言葉に、ベルナーは膝を折って胸に手を当てた。
「では僭越ながら……街を一つ賜りたく。どのような町でも構いません」
「詩人にしては変わった望みだよね」
「そうでしょうか」
 ベルナーの目の色は何かただ者ならぬ雰囲気だった。
 立ち上がると聴衆を見渡し、弁を振るう。
「陛下には先般ご挨拶をさせて頂きましたが、私は詩人のほか、植民の請負人をしております。詩人としてこの歌合せに興味を覚えたのは事実でございますが、今回は、このシレジアの森に点在する小さな町や村々を、より一層発展するお手伝いをさせて頂きたく、まかり越しました。つきましては……」
 植民の理念、町の発展のアプローチ方法……。
 まるで歌い上げるように抑揚や節をつけて熱弁する様子は、歌劇の登場人物のようだ。
 先ほどまでの歌の続きのように、聴衆は恍惚とその弁に聞き入っている。
「すばらしい案だ」
「ぜひ、国の発展にお力添えを」
 ベルナーの熱弁を、酔いしれた聴衆が讃える。
 熱気を鎮めるように手で制するしぐさを見せると、ベルナーはクレイルに向き直った。
「して、陛下、お答えは頂けるので?」
「断るね」
「何?」
 その場が一瞬にして静まり返った。
「なんということだ」
「陛下は正気か、これほどの人材を」
 国王に対して激しいブーイングが起こる。普通ならあり得ないことだが、正気を失っている聴衆は誰もその事実に気づかないようだ。
 ラヴェルがどうしたものかと身構えているのを気に留めた様子はなく、クレイルはしれっと繰り返した。
「断る」
「なんだその返答は」
 ベルナーの表情が変わった。人間の顔が、明らかに歪んでいる。
 一瞬で笛を取り出し、吹きならす。
 まるでそれが合図だったかのように、聴衆がクレイルを囲んだ。それは表情のない歌人や貴族たち、その群れだ。
 クレイルは焦る様子もなく見まわした。
 異様な雰囲気で睨み上げる聴衆を前に、全く恐れる様子すら見せない。
「そもそもベルナー君の今日の歌は、歌ですらない」
 クレイルは、ベルナーが演説で皆を操ったこと、幻術らしき魔力を忍ばせたこと、その他事実を次々と冷静に指摘した。
「だからなんだというのだ」
 クレイルが指摘したところで聴衆はベルナーの下僕となっている。
 クレイルの言葉など、耳に届いていないだろう。
 平然としている変態楽士に、ベルナーは詰め寄った。
 その姿には、得体のしれない黒い鬼火のようなものがうっすらと見て取れる。
 それはむしろ、気配に近い。
「町を所望する。優勝者に与えられた正当な報酬だ」
 町をよこせと詰め寄るベルナーに、クレイルは世間話の続きでもするかのように問い返した。
「町って言ってもたくさんあるからね。じゃあ、具体的にどの町が欲しいのかなぁ?」
 クレイルの言葉に、ベルナーはただ一言答えた。
「王都」
 王都。
 それはこのシレジアの王都ブレスラウだ。
 それを渡すということは、玉座を渡すに等しい。
 まるで望んでいたとばかりの歓声が聴衆から上がった。
(うわぁ、これはさすがにまずいよ王子)
 ラヴェルは焦るが、クレイルは平然としている。
「それは大胆過ぎる望みだ。ならばこういうのはどう? それをかなえるなら、こちらの望みもぜひかなえて欲しいね。かなえてくれたら町をあげよう」
 クレイルの言葉に、ベルナーは薄気味悪い笑みを浮かべた。
「言ったな。良いだろう。なんだって叶えてやろう」
「契約成立だね。じゃぁ、もう一度最後まで歌ってよ。もちろん、笛もね。アンコール。みんなもどう? 聴きたいでしょ?」
 周囲からどっと歓声が上がった。酔いしれている聴衆たちの声がこだまする。
 ベルナーは目に不気味な光を宿らせ、口の端を吊り上げてクレイルに答えた。
「ふっ、愚かな虫けらめ。良いだろう、何度でも聞かせてやろう」
 それは完全に悪魔の言葉じみていた。
 だが聴衆の歓声の前に、向き直ると再び紳士を演じる。
「では、陛下のご要望にお応えし、アンコールと致しましょう」
 ベルナーは聴衆の歓声を手で制し、笛に唇を当てる。
 前座の調べだ。
 やがて高らかに歌い上げ始める。
 耳を澄ませ、酔いしれる観客たち。
(ど、どうしよう)
 ラヴェルはどうしようと焦るがどうしようもない。
 ベルナーはただ者ではなさそうだ。
 しかも周囲の聴衆は彼に魅入られ、その味方であり、彼を取り囲む幾重もの防壁ともなっている。
 高らかに歌は続き、やがて合間に再び笛の旋律が流れる。
 それが突然……破壊された。



 空気が破裂するような感覚。
 葦笛の音が、別の何かの音に消される。
「何だ!?」
 ベルナーは慌てて笛を止めた。
 聴衆はざわついている。
 今までの幻覚と高揚感が消え、一気に不安と恐怖感に突き落とされる。
「なんだなんだ、この感覚」
「何が起きた」
 ラヴェルははっと気付いた。
 聴衆が幻覚から覚めたのだ。
 ベルナーは己の仕掛けた幻術が破られたことに気づくと鬼のような形相で何か叫び、腕を薙ぎ払った。
「昨晩の魔導士か! どこだ!?」
 悲鳴と共に聴衆がなぎ倒される。
 ベルナーから放たれた魔力に当たったのだろうが、それは攻撃魔法ではなかった。
 聴衆は立ち上がると傀儡のように群れを成し、クレイルに詰め寄った。
「我に、我らに逆らうな」
「ベルナー様に逆らうな」
「陛下!!」
 逃げ場のないクレイルの元へ、城門を守る衛兵が青ざめて駆けつけた。
「こ、子供が! 町の子供たちがおかしくなりました! 押しかけてきます!」

 ベルナー様のために、ベルナー様のために。

 王城の城門を固める兵士が冷や汗をかいている。
 町の子供たちが、片手には松明、もう片手には棒や鎌、短剣など武器になりそうなものを持ち、無表情で城ににじり寄ってくるのだ。
 その様子は部屋の窓からも見て取れた。
 ベルナーが薄気味の悪い笑みを浮かべる。
「町をよこさないならばこの子供たちをもらおう」
 それでもクレイルに動じる様子はない。
 むしろ、どこか挑発するように片目を開ける。
「おや? さっき約束したよね? アンコールはまだ終わっていない。契約を破るのは悪魔としてどうなんだろうね?」
「なんだと?」
 悪魔という言葉にベルナーは反応したようだった。
「こんな簡単な契約も守れないなんて、君、もしかして悪魔としては下っ端? 下っ端のくせに、王であるこの僕と渡り合おうっていうのかな?」
「侮辱するつもりか?」
 一説によれば、悪魔は契約を破ることなど何とも思わないが、己のプライドを傷付けられるのは極端に嫌うという。
 悪魔が人間と契約するのは常とう手段だ。
 そしてその契約を悪魔はよく破るし、人間にうっかり破らせて目的を果たすのが常だ。
 だが人間からわざと破られるのはよろしくないらしい。
 そのような時は大体、悪魔がしてやられる時だからだ。
 契約という手段そのものが悪魔の証でもある。
 それをあざ笑われるのは悪魔にとっては屈辱であった。
 そして、どうやら悪魔には絶対的な階級のようなものがあり、王というのは最上級の一つでもあるようだ。
 悪魔も相手が人間とはいえ、王に無礼な態度はとれないという昔話もある。
 ベルナーは再び笛を手に取った。
「ならば最後まで我が歌、我が調べを聞くと良い」
 やはりベルナーはこの笛の音の魔力で人間を傀儡にするようだ。
 しかし、メロディーが流れ始めたと思った瞬間、またも音色が破られる。
「いい加減にしろ、何者だ!」
 笛を離し、ベルナーは叫んだ。
 何かの音が笛の音を破っている。
 その音はかなり小さい。だが響いて聞こえる。
(この音色は……)
 ラヴェルの耳ははっきりとその音色をとらえた。
 竪琴だ。
 しかも、演奏用に改良の重ねられた楽器ではなく、昔からの素朴な……。
「ええいこしゃくな」
 悲鳴と絶叫が幾重にも重なった。
 ベルナーが魔法で室内を薙ぎ払ったのだ。
 だがクレイルは防御、ラヴェルは喰らうが起き上がる。
 立っているのはベルナー、クレイル、ラヴェルだけ。
「ふ、ふふふ……これくらい……これくらいの魔法、いつも喰らっている魔法に比べれば何ともな……」
 起き上がりかけたものの、やはり床に崩れ落ちた誰かなど完全に無視し、ベルナーは忙しく視線を走らせた。
「音を出しているのは誰だ!」
「僕じゃないもーん」
 とぼけるクレイルをベルナーは睨み据えた。
 床でもがいている詩人たちがうめき声をあげた。
「あ、悪魔だ……」
 ようやくベルナーの正体に気づいたらしい。
 ベルナーの姿は徐々に人から離れたものに変貌し始めている。
 クレイルは一歩前へ出た。
「さてと、契約は守ってもらおうかな。僕は最後まで歌ったら町をあげるといった。君は最後まで歌いきれるのかな?」
「貴様……。いいだろう、後悔させてやろう」
 ベルナーはクレイルをにらみ据え、今度は歌い出した。
 が、やはり竪琴の音が邪魔をする。
 ラヴェルには聞き慣れた竪琴の音色。
 城のどこかでレヴィンが竪琴を奏でている。
 だがそれは、いつもにも増して凄まじい魔力を帯びた音色だった。
 ベルナーだった悪魔は躍起になって笛を狂い吹いた。
 あまりの形相に、詩人や楽士たちといった聴衆が逃げ出していく。
「何これ!?」
 ラヴェルは耳を塞いだが、どちらかというと頭を押さえている。
 笛と竪琴の音色がぶつかり合う。
 何とも表現できない音。いや、魔力だろうか。
 耳が良いだけに、音による攻撃は驚異的だった。
 ラヴェルは叫びながら床を転げまわるしかない。
 ベルナーに笛を吹くのをやめる気配はなかった。
 どこからか聞こえてくる、静かに、それでいて背筋をえぐるほどの魔力を帯びた竪琴の音色に対抗するように笛を吹く。
 笛の音の魔力に反応し、聴衆だった者や町の子供たちが傀儡になっては正気に戻り、竪琴の音色に正気に戻ってはまた傀儡になりを繰り返す。
 笛吹き悪魔は、竪琴の音に対抗していては無駄に消耗すると察したようだ。
 全ての魔力を込めて笛を吹き上げる。
 音が届いた人々は、笛の音の傀儡になると列をなして歩き始めた。
 松明の赤い灯が、城の外へ、町の外へ。
「くっくっく、もう良い、町の代わりにこの者たちをもらうとしよう」
 ベルナーは笛を手にしたまま部屋を飛び出した。
 その背に葉黒い翼。悪魔の羽だ。
 詩人や楽士たちの列は、城から町の外へ、外へと向かう。
 耳が良い彼らを操るには、音による傀儡の術が最適なのだろう。
 ベルナーにいざなわれるように、深夜の町では子供たちが列をなして歩く。
 衛兵や親たちが驚いて追い、声をかけるが子供たちは無反応だ。

 ベルナー様のために、ベルナー様のために。

 笛の音に合わせ、虚ろに繰り返しながら歩く。
 ベルナーは城に振り向くと魔力を込めた。
 細い月に城が薄く輪郭を浮かべている。
 手に入れようとした王都だが、もはや無用だ。
 黒い翼で羽ばたくと、魔法を撃つ。
 が、それはあっさり迎撃された。
「何ィ!?」
 悪魔の放つ魔法、それも城を丸ごと粉砕するほどの強大な魔力を打ち消してのけるということは、城内にいるのはなにか。
 竪琴の音色に紛れ、耳元でそのささやきが聞こえた。
「マインドブラスト」
「!!!!」
 それは精神の安定を一気に破壊する魔法だ。
 一瞬、思考が奪われ、集中力も気力も、何もかもが失われる。
 そもそもその衝撃波すら脅威だ。
 ベルナーが地面に墜落し、はっと正気に戻った時には、傀儡の術は解け失せ、パニックになった子供たちが泣きわめいている。
「魔術師め、どこだ!?」
 ベルナーは魔法を撃った主を慌てて探すが、視界の範囲にそれらしい姿はない。
 悪魔の精神を破壊してのけるほどの使い手なら、並大抵ではない。
 視線を戻した瞬間、目の前にあったのは剣の切っ先だった。



 黒い袖が剣を握っている。
 トレノだ。
「貴様がブリューナ、シャーニュブールの悪魔だな?」
 街道に続く石畳の上で、ベルナーは目を上げた。
 トレノの姿を確かめ、目を細く吊り上げる。
「見たことがあるぞ」
 剣を突き付けている男をベルナーは遠くから見たことがあった。
「そうか、モラヴァ公だな?」
「いかにも」
 トレノはこの数日の騒ぎで気づいていた。
 しばらく前、モラヴァ領内であった神隠し騒ぎとの関連を。


 その時トレノは王城に出仕していたが、モラヴァの領内にて妙に弁の立つ派手な衣装の男がいたるところで子供相手に演説し、夜になるとその子供たちが集団でいなくなったと連絡を受けた。
 その夜、ある耳の遠い老婆が、なぜか笛の音を聞いたという。
 老婆は耳が遠いはずなのに何故と思って外を見ると、派手ないでたちの男が通りを歩きながら笛を吹き、その後ろを虚ろな表情の子供たちがぞろぞろとついて行ったのが見えたという。
 集団の中の子供のうち幾名かは親が追いすがり、押し倒して難を逃れた。
 朝になって我に返った子供が言うには、話の面白いおじさんだったという。
 新しい世界、新しい町、そこへ行けば天国のように暮らせると。
 夜になると怖い笛の音が聞こえて、昼間聞いた新しい世界へ行けば恐怖から逃れられるような気がして、歩き出せば恐怖は消え、ただひたすら幸福だったという。
 子供たちの話す派手ないでたちの男、そして笛の音というのが、モラヴァ公には引っかかっていた。
 その事件の前後、トレノの城に見知らぬ貴族風の男が訪ねてきたという。
 その男は言葉巧みで弁が上手く、モラヴァのどこかに植民したいと申し出てきた。
 自分にまかせてもらえれば、栄えさせてみせるといったそうだ。
 モラヴァは南の山脈沿いの地方で、山の斜面にはいくつもの鉱山が口を開け、その麓は深い森におおわれており、町や鉱山の開発にはいくら人出があっても足りないくらいだ。
 若い門衛には植民請負人の話は非常に魅力的に聞こえたらしく、トレノの留守を預かる老侍従に好意的に伝えたが、侍従は何を思ったか首を横に振ったらしい。
 侍従いわく、昔、ある男が当時のモラヴァ領主に植民の許可を請い、領主が拒むと町から大量の子供が連れ去られて消えたことがあったのだそうだ。
 何の痕跡もなく大量の子供が一晩で姿を消したため、悪魔の仕業だと噂が立ったらしい。
 その時の植民請負人は見つからずじまいになったそうだが、一説によれば夜中に笛を吹きながら子供たちを連れ去ったという。
 当時の人間にはその不思議な事件は悪魔の仕業、それはきっと昔話に聞く、山奥にあるという誰も知らぬ教会、そこの大司教にふんする悪魔シャーニュブール、その手下の笛吹きブリューナの仕業に違いないと噂しあったという。


 トレノはより一層剣を突きつけた。
「数百年を経て、また懲りずに子供をさらいに来たか。子供たちをどこへ隠した?」
「フン……決まっている。丘を探せばよい」
「コッペンの丘か。やってくれたな」
 モラヴァの昔話では、笛吹き男に連れ去られた子供たちは見つからなかったが、その話が忘れられたころ、町から離れた丘陵地帯にある谷間で大量の子供の骨が見つかった。
 その谷間の岩場には洞窟があり、調べると伝説の悪魔シャーニュブールを讃える祭壇があったという。
「貴様らの営み、これ以上繰り返させるわけにはいかん。ここで朽ち果てろ」
トレノは太刀筋を視認できないほどの素早さで剣を振るった。
 だが、いくら名剣でも、腕が立っても、清められた武器か魔力を帯びた武器でなければ悪魔に傷をつけることはかなわない。
 靄を切るように手ごたえはなかった。
「ふん……」
 視線の先で、ベルナーが空へ舞い上がる。
 辺りには、聞こえるか聞こえないかの竪琴の音が響き続けている。
 ベルナーの掛けていた術が解け、先ほどまで泣きわめいていた子供たちが静かだ。
「これは……」
 悪魔……ベルナーは気付いた。
 これは自分が取ってきた方法だ。
 目の前で、子供たちが列をなして歩き出す。
 やがて広場にたどり着くと声をそろえ、シレジア建国の祖、光の翁ウォードを称える歌を歌い出す。
「何者だ」
 誰かが再現して見せている。
 聞こえるか聞こえないかの音で、人々を操る。
 その音は、小さいが遠くまで響いて聞こえる。
 その音に乗せて、魔力を届けるのだ。
「どこだ! 姿を見せろ!」
 わめく。
 敵は見えないどこかから音に乗せて魔法を放ってくる。
 それに気を取られた。
「ゾンネンリッヒト」
 突然、太陽の爆発のような光にベルナーは打たれた。
 全身が脆い炭のようにボロボロになっていく。
「悪魔っていうのはさ、なぜか光に弱いんだよね」
「貴様……」
 悪魔の視線の先には一人の影があった。
 クレイル、光の継承者である。
 いつのまにかシレジア国王が城壁の上に立っていた。
 子供たちの歌声が町中に広がり、重なり合っていく。
「さて、契約を破った悪魔はどういう目に遭うのかな?」
 より上位の悪魔に消される運命。
「う、あ……あ!?」
 どこからともなく、禍々しく黒い影がベルナーを貫いた。
 影と共に崩壊していくベルナーが喚く。
「よくも……!」
 闇に飲み込まれていく悪魔を見下ろすと、クレイルは咳払いをした。
「うん、いい音楽が聞こえてくるね」
 クレイルは、わざとらしく耳を澄ませるしぐさをして見せた。
 辺りには清らかな子供たちの合唱が響き渡っている。
 人間には美しい声に聞こえるが、悪魔には耳障りだろう。
「せっかくだから僕も歌うとしよう」
 もったいぶる。
「オホン。あー、あー。歌います。では……」

 ア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

「!!」  子供たちの歌声とも竪琴の音色とも、まったく合っていない声。
 声そのものはソフトだが……聞いていて頭痛と吐き気が起こるほどの不協和音が響き渡る。
 音は空気の波長、振動だ。
 攻撃魔法さながらの音声攻撃に、崩壊しかけていた悪魔はとうとう崩れ去った。



 奇妙な沈黙に覆われていたのは、城だ。
 ラヴェルは床で泡を吹いている。周囲にはぐったりしていて身動きの取れない詩人たちが折り重なるように倒れている。
 傀儡が解けた反動だろう。
「また随分な体たらくだな」
 様子を見に来たレヴィンは呆れたように声を漏らした。
「おい起きろ、へぼ詩人」
 周囲にいた数名の詩人が自分ではないとばかりに明後日の方角を見る。
 レヴィンに引っ張り起されると、ラヴェルは呻きながら訊ねた。
「う、うう、ベルナーさんはどうなった?」
「モラヴァ公が追いかけて行った。クレイルが町へ出て行った後、しばらくしたら光術が炸裂するのが見えた。恐らくケリはついているだろう」
「そっか……うう、耳がおかしい……」
「元からだろ」
「くうううう」
 もうすぐ夜明けだ。
 どこかで鶏が鳴く声がした。


 日が昇る。
 すがすがしい朝とは言えないだろう。城全体が疲れ切っている。
 歌合戦の騒ぎの余韻だ。
 ベルナーが悪魔であったことが発覚し、歌合戦の優勝者はなしとなった。
 優勝者に用意されていた金一封は参加者で山分けとなったが、人数が多かったため、一人当たり銀貨三枚が配られたのみであった。
 トレノは以前にモラヴァであった神隠し事件について書類を作成、クレイルに提出した。
「なるほど、今も昔も、モラヴァでそんなことがあったんだね」
「領内での事件であったため報告をしておりませんでした。申し訳ございません」
「そっか〜まぁ仕方ない。それにしても気になる昔話だねぇ。シャーニュブールの笛吹き男か」
 その笛吹き男ブリューナこそ、今回の騒ぎを起こした張本人ベルナーなのだろう。
 己の手段を逆手に取られ、クレイルには光を浴びせられ、しまいには音声攻撃を食らって消滅した。
 その場はトレノもしっかと目撃した。
「しかし陛下、最後の音声攻撃、いや、御歌声はいかがなものでしょうか。あまりご披露なさらぬほうがよろしいかと存じますが」
 言い方こそ丁寧だが、要するに酷い音痴だと指摘してのけている。
 トレノの指摘にクレイルはにんまりと笑って見せた。
「うん、僕ね、音痴を自在に操れるんだ」
「左様でございますか、失礼申し上げました。音楽には疎い故、自分には理解しかねますが」
「大丈夫、細かいことは気にしなくていいよ!」
 コポコポと湯が注がれる。
 クレイルはお気に入りの紅茶でのどを潤すと窓の外を見やった。
「うん、いい朝日だ。少し庭へ出ようか」
「は」
 幾つかの書類仕事を片付けるとクレイルはトレノを伴って庭へ出た。
 午前の日差しが庭を美しく照らし出す。
 庭ではラヴェルとレヴィンも休んでいた。
「やあ二人とも。昨日はごくろうさま」
「ひどい目に遭いましたよ……」
 ラヴェルはゲッソリしている。
 繊細な耳に受けたダメージは大きいようだ。
「まぁまぁ」
 ラヴェルをなだめるとクレイルは木々の梢を見上げた。
 昨日の騒ぎが嘘のような穏やかな日。
「ああ、こういう日は、外で歌うと気持ちいいよねぇ。何か歌おうか」
「え?」
 思わずラヴェルは問い返した。問い返しながら逃げ腰なのはなぜだろうか。
「うん、今日は気分がいい。シュヴァーネ湖の小鳥の歌でも歌おうか。では一曲……」
 クレイルが息を吸い込んだその瞬間。
「バーストフレア!」
 当たり前のように周囲に響いたのは歌声ではなかった。
 それは、城を震わす爆発音と、なぜかレヴィンを褒め称える幾つかの声であった。


― 完 ―

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