がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜
24周年記念:『太陽の船』(第1話)
妖精の女王は狡猾だ。
様々な詩人たちによってその美貌や魔力を称えられているが、どこか不穏な空気感も纏わせている。
ティル・ナ・ノーグ、それは常若の国とも呼ばれる妖精たちの楽園だ。
それは桃源郷のようであり、しかしどことなく仄暗い。
それはどこか狂っていた。
幾つかあるらしい妖精の国の一国で、エルフやフェアリーたちが歌い踊っている。
幾重にも焚かれる篝火の前で、鎮座する女王の前で。
ーー惨い仕打ちを受けた者たちは知っている
エルフの放つ矢に速やかに打たれる宿命が来ることを
それは病んだ雌羊が夏草を食むことをあきらめた時
もしくは、心臓を撃たれた牝牛が大地に横たわる時
不穏さを感じる歌が響き続けている。
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不機嫌さを隠そうともしないで、ホリンは鼻をすすっていた。どうも鼻がむず痒い。
風邪にはほとんど縁のない彼だが、なぜだろうか。
ホリンがいたのは古い船の上だった。
「いや、全く持って申し訳ございやせん、頭目様」
申し訳なさそうに頭を下げているのは小柄な男性だった。話し声の雰囲気からすると中年……いや、それよりはもう少し上、といっても老人よりは少し若い頃合いか。
「とにかく、島の仲間の大半が深手を負っておりましてね、どうしてもお強い方に退治して頂かないと、にっちもさっちも動けないもので」
その中年の話によると、島に怪物が現れるようになったのだという。
最初の頃は正体不明だったが、半月もすると暗闇ではっきりしないながらもその影を目撃した者が現れるようになった。
「ありゃ、噂に聞く獅子というものに違いありませんぜ」
「獅子ねぇ……」
ホリンは鼻をすすりながら腕を組んだ。
ケルティアで獅子が出たという伝説はほとんどない。
昔からの伝説の勇者たちも、例えば魔の猪退治の英雄などという綽名がつく者はいるが、獅子殺しなどという綽名を持つ者はいない。
ホリンとて、猛犬のホリン、熊殺しのホリンとして知られるが、獅子にお目にかかったことはない。
「獅子なんて、大陸の化け物じゃねえのか」
「いえ、でも詩人たちの歌う物語に出てくる獅子にそっくりですぜ、頭目様」
「ふうん……」
向かう島はケルティアでも北の方であるらしい。
だが、一番北部であるアルスターは王が不在、レンスターはまとめ役が病後のリハビリ中、マンスターも領主が逝去となっては、南方から英雄を呼ばざるを得ないのだろう。
「熊をも倒すと謳われる頭目様ならば、きっとあの獅子の怪物もお倒し下さるだろうと、皆が期待しておりやす」
「ふん、まぁ、俺に白羽の矢を立てたのは悪くねえ選択だ」
「島が見えて参りやした」
荒波の向こう、灰色の島影が見えてくる。
いざ上陸すると、獅子に荒らされたのか、島は荒涼としていた。人間が住んでいるとは思えないありさまだ。
それでもホリンが姿を現すと、島の住人がちらほらと集まって来た。
「なんだ、爺ばっかりじゃねぇか」
住民は皆、背が曲がっているのか、小柄でひげを蓄えたものが大半だった。
「元々若い者は本島に出てしまいがちなのですが、最近の騒ぎでとうとう本当に最後の若い夫婦が出て行ってしまいましてね」
残された住民の訛りの強い説明を受けながら案内されたのは洞窟だった。
「村は獅子に荒らされてしまいました。いつ襲撃を受けるかわからないので、こうやって洞窟に身を寄せておりますので」
干し魚をほぐした具を煮込んだスープで暖を取ると、ホリンはひとまず身を横たえた。コノートからの船旅はなかなか過酷だった。
獅子が現れるまで体を休めたほうが良い。
しばらくすると熊殺しの英雄はいびきをかき始めた。
「……寝たか?」
「ああ、寝た」
ホリンが爆睡しているのを確かめると、老住民たちはひそひそと相談を始めた。
「本当にパルグの獅子を倒してくれるのかね、このおっさん」
「仕方ねぇ、他に強そうな人間がいない」
「おれ達にゃ倒せないんだから仕方ない」
「くそぅ、エルフ族め、なんでこんな化け物をよこしたんだ」
「そりゃ、おれ達ドワーフ族をやっつけるためだろう」
「ああ厄介だ」
ホリンをコノートから連れ出したのは、人間に変装したドワーフ族だった。人間より頭二つほど小柄で頑丈な体躯を持つ妖精族だ。
昔からエルフやフェアリーの一族とは折り合いが悪いが、最近特にエルフの一団が争いを仕掛けてくるようになった。
噂では大怪物・パルグ家の獅子を雇い、この島のドワーフを滅ぼそうとたくらんでいるらしい。
ドワーフは戦士としては強靭であるものの、大怪物である獅子に対抗するのは無理だった。
その獅子は特殊な怪物で、豚から生まれ、災厄をもたらすとして海に捨てられたのを、かつてこの島に住んでいたパルグ家の息子たちに拾われ育てられたという。
そのためその獅子は、パルグの獅子、キャスパルグと呼ばれ恐れられてきた。
だいぶ前に人間の英雄に倒され封印されたというが、エルフ族はその封印を解いて手なずけたようだ。
ドワーフたちは島の戦士の大半を失い、何とか籠城しつつ考えたのが、人間の手を借りることだった。
そして選ばれたのがホリンである。
「ぶえっぇくしょい!」
突然、大きなくしゃみと同時にホリンが飛び起きた。
「っくしょーい! ちくしょう、目が覚めた! っしょいッ!!」
「ああ、冷えますかね、誰か毛布を……」
老人に姿をやつしていたドワーフが声をあげると同時、外から別の住民が駆け込んできた。
「出た! 山の西にパルグの獅子が!!」
「うっし、出番だな……ぶえーーっくしょ!」
ホリンがくしゃみをするたびに周囲のドワーフが身を避ける。
唾飛沫と鼻水を飛ばしながらもホリンは愛槍ゲイボルグを手に取った。
数々の化け物を討ちとってきた魔の槍だ。
とはいえ、くしゃみは我慢できるものではない。
「ひぃーーっくしょい!」
これだけくしゃみをしていれば、隠れて近づくなどという芸当は無理だ。
ホリンは開き直ると堂々とそのまま島の山の西へ向かった。
岩陰に赤銅色の眼が光っている。
「ヒ〜〜ッショイ! へっくしょ! あいつが化け物だな」
それは確かに巨大な体躯だった。
が、その巨体さに似合わず、音もなく暗闇を駆ける。
「ちぃッ!」
かろうじて避けるとホリン流行を手の中で転がした。
「意外と素早いじゃねぇかこのやろう! これでもくら……くら……へぶしっ!!」
肝心なところでくしゃみが襲ってくる。
何かおかしい。
本能的に、ホリンは異変を察知していた。
体調に不具合が起きる予感。
「こいつはまさか……」
ホリンは、ある一定条件で酷いくしゃみと鼻水に襲われる。
「へっくし! 正体を見せやが……っしょーい!」
右に左に鉤爪を避けつつ、ホリンは松明を突きつけた。
そこに黒く浮かび上がったのは、巨大な猫であった。
「だああああああ! 獅子じゃねぇじゃねえか!!」
そこで唸り声をあげているのは、巨大な猫であった。
獅子には立派なたてがみがあるというが、それには何もない。
確かに巨大だが……人間から見ても猫としては確かに大きいが……ドワーフたちはこれが伝説に聞く獅子というものだと思ったのだろうか。
「へっくし! へぶし! っしょーい!」
くしゃみの度に動きが止まり、武器の軌道が外れる。
これでは化け物を倒せるはずがない。
「ふ、ふっざけろ!! 俺様は猫過敏症なんだ!! よりによってこんな……へっくしょ!」
ホリンの毒吐きに、ドワーフは顔を見合わせた。
「猫……」
「獅子じゃないのかこれ」
「何だ猫か」
「でもでかいぞ」
見合わせた顔を元に戻したとき、視線の先からホリンは消えていた。
「頭目がいなくなった!?」
「あ、あそこ!」
一人のドワーフが指さした先には、乗ってきた船を必死に漕いでいるホリンの姿があった。
「あれ帆船なんだがなぁ……」
相手が猫とあっては退散するしかない。
ホリンが唯一苦手とするのが猫である。
……どこぞの詩人を除けば、の話だが。
「どうします、長」
「そうじゃのぅ……」
長と呼ばれたのはかなり年配のドワーフだった。
彼が熟考している間にも、北の荒海は容赦がなかった。
皆の目の前でホリンの乗っていた船が砕けた。
這う這うの体で島まで泳ぎ戻った彼を再びくしゃみの嵐が襲う。
「何とかならないんですかね、頭目」
「むちゃいうな! へっくし!」
もはやホリンは涙目だ。猫の発する何かに目までやられたらしい。
赤く血走った目にドワーフが後ずさりする。
「あ、いや、そんなに睨まなくても……でもなんとか怪物を……」
「無理!!」
そう叫ぶとホリンは今度は本当にドワーフを睨んだ。
「難題吹っ掛けやがって。俺は降りるぞ! どうしても怪物を倒したいなら、ファーガスの野郎にでも頼むんだな! ひーぃっっくしょい! 奴はノックナリアの塚にいるらしい。そいつに頼め! 俺は知らん!! へぶしっ!」
ドワーフも怪物の脅威を前にこのまま引き下がるわけにはいかない。
ホリンは役に立たないと判断すると、大地の妖精はホリンの言うファーガスとかいう英雄に合うため、ノックナリアという塚を目指すことにした。
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妖精の国アヴァロン。
詩人たちがそう呼ぶ国は、人間界においてはケルティアと呼ばれている。
その最南端にあるのがコノート地方だ。
ホリンの故郷であるが、ノックナリアと呼ばれる塚があるのもまたこの地方だった。
ホリンに書き記してもらった地図を頼りにドワーフたちは巨大な塚にたどり着いた。
着いたが……。
「これ、本当にここに入るの?」
「お主が行くとよかろう」
「わしゃいやじゃ」
塚を前に立ちすくんでいる。
ドワーフ族は戦士としてはかなり強靭で神とも争ったことがあるという種族であるが、その彼らにおびえの色がはっきりと見て取れた。
彼らの本能が、この先はまずいと警告している。
ノックナリアの丘。
それはコノートでも特別な場所であった。
これこそが、コノートの古の女王・メイヴの墓所である。
なんでも女王は死後において妖精の女王の一人となり、この塚の最深部に幾多の戦士と愛人を引き連れて眠っているという。
「だめだだめだ」
「いかんいかん」
これはキャスパルグの獅子よりも怖いに違いない。
ドワーフたちは青ざめるとその場から逃げ出した。
散り散りに逃げ去り、どこかへ姿を消していく。
「なんだありゃ?」
その様子を見ていたのはファーガスだった。
ドワーフたちが訪ねようとしていたその人である。
元は北の方の出身らしいが、女王メイヴに見初められて、今はこの塚を守っているという噂だ。
力を借りようとしていた本人に見られていたことなど気付かないまま、逃げ去ったドワーフたちは何とか集合すると知恵をひねった。
「フィアナの衆はどうかね?」
「優秀な騎士団だというではないか」
「行こう行こう」
昼夜を問わずケルティアの野を北上すると、ドワーフたちはフィアナの郷の騎士の館を訪れた。
「これは珍しい、ドワーフ族の方々ですか」
感心したように見降ろしてくるのは若い騎士だった。
「ぜひ騎士の方々のお力添えを頂きたく」
ドワーフが人間にする態度としてはこれ以上ないくらい丁寧に頼み込むが、応対した若い騎士はのらりくらりしていた。
「ん〜〜、と、申されましてもーー」
若い騎士はフィンといい、騎士団の頭目の息子だ。
穏やかに微笑みながらも、彼なりに脳みそをフル回転させる。
(これは関わらないほうが良さそうだなぁ)
フィンの持つ槍は古い時代の隕鉄でできており、魔的な危険が迫ると青く輝いて忠告するという。
その槍がうっすらと青く輝いているのだ。
(うん、断ろう。ドワーフなんて妖精族だし、関わったら面倒そうだし)
そう判断したフィンは、結局のらりくらりドワーフの言葉をかわし続けた。
「だめだこりゃ」
「これだから若いもんは」
「あれは魔法の隕鉄だ。わしらが妖精族とばれたのではないかなぁ」
「人間はつれないのぅ」
ぶつぶつ言いながらドワーフたちは去って行く。
古代、タラと呼ばれる丘にたどり着くとドワーフたちは輪になって相談を始めた。
「倒してくれそうな存在にもうこれ以上心当たりがない」
「ドワーフでは手に負えない」
ああだこうだ言っているうちに、一人が足の下に目を止めた。
ここは古代の聖地だ。
「そうだ、古代のドワーフに手を借りるのはどうだろう」
ケルティア、ティル・ナ・ノグには太古から多数のドワーフが住んでいるが、大昔、やはりエルフ族と争っていた時代に、戦いを避けて大陸の地下に移り住んだドワーフたちがいるという。
何でも、ティル・ナ・ノグの東の端は地下深くが海の下を越えて大陸の黒妖精の国と繋がっていると噂されている。
ニダヴェリル。
黒き妖精の国と呼ばれる世界だ。
それは太陽の光あふれる光の妖精の世界アールヴヘイムに対し、光の届かぬ妖精の世界、つまり地下や海底に広がる妖精の世界をさすという。
ニダヴェリルには太古の叡智を保ったまま、多数のドワーフが住んでいるというではないか。
「彼らに会いに行こう」
「行こう行こう」
「古い友人に会いに行こう」
遥か地下の果てにあるという世界。
大地の友であるドワーフだが、ティル・ナ・ノーグに長く住まう彼らにニダヴェリル行はかなり過酷であるらしかった。
妖精界に入り込むとティル・ナ・ノーグの東の果てに向かったが、そこで立ち往生する。
「この先は無理だ」
「でもいつかはいかなければならない」
「エルフに滅ぼされるよりはましだ」
ティルナノグの東の最果てにある現地のドワーフたちの集落で、彼らは樽酒を囲んで談義をしていた。
「旦那方はどうしてそんなに海向こうの地下へ行きたいのですかい?」
酒場のドワーフに問われ、彼らは口々にまくしたてた。
「エルフに滅ぼされてしまう」
「キャスパルグに食われてしまう」
「我々ドワーフでは戦えない」
「仲間は殺された。人間もあてにならん」
「古い仲間の知恵が必要だ」
この辺りのドワーフは、ニダヴェリルと往来をした先祖も多いという。
長い時を経て、地上のドワーフ、妖精界のドワーフ、ニダヴェリルのドワーフは少しずつ性質が異なるというが、この近隣にはティル・ナ・ノーグとニダヴェリルの混血のドワーフも数多くいるらしい。
話を聞いていた酒場のドワーフたちも輪に加わると同胞の危機にあれやこれやと知恵を練り始めた。
「海向こうの、鍛冶屋の子供はどうだろう?」
「チェンジリングだっていう噂のかね?」
「しかし人間の子供じゃ怪物と戦えまい」
「そうじゃない」
あるドワーフは首を横に振った。
「子供を戦わせるのではない。子供は捧げものにするのだ」
「捧げもの? 誰に?」
問われるとそのドワーフは答えた。
「ティル・ナ・ノーグの奥地にはそれはそれは恐ろしい魔犬がいるという。その犬に子供を捧げて力を得るのだ」
「黒妖犬のことか……!」
聞いたドワーフ一行は叫んだ。
「黒妖犬! なんておぞましい化け物! 確かに奴ならパルグの獅子を倒せる!」
その血に飢えた化け物は夜な夜な徘徊し、人間や獣、力のない弱い妖精を喰らっているという。
「そうだ、奴の力を借りよう」
「代償はどうする」
「そのチェンジリングを差し出せばよいのだろう?」
チェンジリングとはティル・ナ・ノーグの妖精にとってはなじみの深い行動だった。
自分の子供と人間の子供を取り替えてしまうのである。
多くの妖精にとって人間は忌むべき存在であるが、時に便利な存在でもあり、また一部の厄介な妖精を避ける魔除けにもなる。
妖精とは成長過程が異なるが、人間は子供のうちの容姿が可愛らしく、愛でる妖精も多い。
また、成長するまで手元に置き、妖精界の規律を覚えさせて召使などとして留め置くことも少なくない。
そのため、妖精は成長の良くない赤子が産まれると、評判の良い人間の赤子とすり替えてしまうことがあるのだ。
しかし人間も意外と利口で、取り替え子をした後にばれてしまうことがある。
大体はばれても手の施しようがないが、知恵の高い人間は我が子を取り戻してしまう場合もある。
そのような子供は、赤子のうちしばらくを妖精の手で養われ妖精界の食物を口にしているため、人間の手に戻っても知恵や魔力に長け、やがては英雄になることも多い。
優れた子供を黒妖犬に捧げてあの恐ろしい猫を退治してもらおう。
妖精らしい悪意なき残忍さをこぼしながら、ドワーフの一行はチェンジリングの子供を探す旅に出た。
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「はぁ!? つまりエルフとドワーフの戦いに巻き添えを食ったってことか!!」
すっかり剥けた鼻の周りを薬草の汁で手当てしながら、ホリンは客人に眉を吊り上げた。
「で、なんだ、エルフがあの猫野郎を雇ってドワーフどもを襲わせてたってことか」
「らしいぜ」
赤枝戦士の砦を訪れていたのは背の高い遍歴騎士だった。
どこか神秘的な雰囲気を纏い、だが、ざっくばらんに話を続ける。
「ドワーフは結局、自力でキャスパルグを倒すのは無理だと判断したらしい。で、お前さんだの俺だの、その後はフィアナの連中にも会いに行って断られた」
遍歴騎士……ファーガスはそういうと肩をすくめて見せた。
「で、辿り着いた答えが、黒妖犬をけしかけようって計画だ」
「猫と犬のケンカねぇ……」
ドワーフは以前にチェンジリングで取り換えた子供を生贄として黒妖犬に捧げるつもりであるらしい。
ファーガスはドワーフ一行がノックナリアを訪れた時から彼らの様子を怪しみ、その後を尾行していたのだ。
「連中は古代のドワーフの子孫に接触を試みていた。太古のドワーフの子孫、海の向こう、大陸地下のドワーフたちがしばらく前にチェンジリングを行って、話の様子からするとその子供は人間に取り戻されてしまったようだ。それを」
「再び攫ってきて、生贄にしようってかい。とんでもねえな」
「妖精だからな、連中も」
妖精とは決して無垢でかわいらしい存在ではない。
特にエルフやドワーフは集団で互いに大規模に争ってきた歴史がある。
中でも大陸地下の太古のドワーフたちは、天上の神々とも争ったという。
「まぁでもよ、巻き込まれて害を被ったままってのも面白くねぇ。引き下がるつもりはねぇからな」
島で散々な目に遭ったホリンが面白くないのは当たり前だ。
しかし猫だけはダメだ。
人懐こいケット・シーの子猫が喉を鳴らして寄って来ただけで逃げ出す始末である。
その場で健康が破壊されるのだから仕方ない。
「何とかしてぶちのめす」
「でも猫だぜ?」
「ぐ……」
獅子と聞いて意気揚々と向かったらただの巨大な猫だったとは。
とはいえ、猫も猫だが、犬も犬だ。
「ドワーフどもめ、厄介なモンを担ぎ上げやがって」
「まだそこまで行ってなさそうだけどな。問題はその生贄を阻止できるかどうかだろう。食われたら黒妖犬が強化されちまうぜ?」
「人間様のガキを食おうとはな」
ウィスキーを片手に二人の英雄は夜遅くまで語り合った。
「ドワーフよりも先にそのガキを見つけないとならねぇってか」
「チェンジリングはどうやらアヴァロン……ティル・ナ・ノーグの風習らしい。地下世界のドワーフにはその風習はないようだから、アヴァロンから向こうに移住した連中が犯人だろう」
「取り替え子っつー悪習を異世界まで広めちまったってわけかい」
「そう。しかもだ、連中の言う少し前っていつだと思う?」
「人間の考える少しじゃねぇだろうよ、どうせ」
「だろうな」
本人がはっきりと白状したわけではないが、ファーガスは妖精郷の騎士であるらしい。
元々は人間で今も遍歴騎士として人間界を渡り歩いているが、過去に妖精の女王に見初められ、その下に繋ぎ止められているという噂がある。
その女王の愛人になる代償に彼女から自由を与えられ、塚で眠らずにこうやって自分の意志で動き回れているようだ。
妖精界へ出入りできる彼は古代のドワーフの世界へ行くことにも恐怖は覚えないが、未知の世界であることに変わりはない。
「アヴァロンの地下ならなんとかなりそうだが、大陸の地下はまったくわからん」
「大陸ねぇ……人間様の大陸自体、ほとんど行ったことががねぇからな」
スツールをギシギシ軋ませながら、ホリンはますます眉を吊り上げた。
……妙に不快感が襲ってくる。
大陸を渡り歩いている人間に心当たりがあった。
奴なら詳しいかもしれない。
「あの、赤くないほうはどうだ」
「……誰だか分かったがもう少し他の表現はないのか?」
「青いほう」
「たいして変わってないような」
「だから! わかってンなら言わせるな! あのインケン野郎に決まってるだろーが!」
二人の頭には共通して、ある詩人が思い浮かんでいた。
ラヴェルとその相棒である。
彼らなら大陸を広く渡り歩いているし、異世界にも明るい。
今どこにいるかはわからないが、シレジアが故郷であるラヴェルならたびたび王城へ顔を出しているようだから、国王クレイルであればラヴェル……いや、レヴィンの居所もわかるかもしれない。
海を渡ってシレジアと往復するにはかなりの日数を要するが、妖精たちにとってはさほどの時間ではない。
なにせ時間の経過感覚が遅いのだ。
ホリンたちが戻ってくるまでの間に進展することはないだろう。
恐らくまだ準備中だ。
そう判断すると、ケルティア戦士二人は大陸へ向かう船へ乗り込むことにした。
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ケルティア王国は島国で面積も狭いはずだが、妖精界とあちこちで入り組んでおり、実際の地上の距離よりも相当余分な距離を歩かされることが多々ある。
それを思えば、大陸の街道を歩くのはたとえ地図上は遠くても感覚的にはかなり近かった。
なにせ地図通りの距離なのだから。
木々の梢の向こうに小さな城がひっそりとたたずんでいる。
ここは大陸の中央から西寄り、森に包まれるシレジア王城だ。
「や〜珍しい人が来るもんだねぇ。二人が揃って島を出るなんて」
コポコポと音を立てて紅茶を注ぐと、クレイルはむさ苦しい来客にふるまった。
「好きで出たわけじゃねぇ。売れない詩人どもはどこだ?」
「ん〜、そこらへんじゃない?」
どうやらこのいい加減国王はラヴェルたちの居場所を把握していないようだった。
舌打ちを隠しもしないホリンだったが、扉をノックする音に振り向いた。
「陛下、火急の知らせが」
「どうしたかにゃ?」
クレイルに問われ、大臣はやや緊張した面持ちで答えた。
「は、南のモラヴァで大規模な崩落があったとの知らせが。モラヴァ公が対処にあたっている様子ですが、崩落の多発ぶりに手に負いきれぬ模様です」
「多発してるの? それは普通じゃなさそうだね。ん〜、もう少し詳しい情報を……」
そう呟いたところでクレイルは来客に目を止めた。
「そうだ、モラヴァに行って様子を見てきてくれないかなぁ? 誰とは言わないけど、厄介ごとに首を突っ込む性分だから、もしかしたら向こうで会えるかもしれないよ〜ん?」
「……了解」
「ま、噂をしてれば向こうから現れるさ、多分な」
そういうと、戦士二人は王都から南へ向かった。
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