がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜   目次   Novel   Illust   MIDI   HOME       NEXT>

がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第一話:旅立ち(前編)

 薄暗い室内にありとあらゆる音が飛び交っている。
 安物の皿の上をナイフが踊る音、エールのジョッキのぶつかりあう音、ギシギシ悲鳴を上げる樫材の床、酔っ払いどもの品のないダミ声に高いびき。本人は気分がいいのだろうが周りには迷惑でしかないオーク顔負けの音痴な歌声。
 その合間を縫って走り回るウェイトレスの足音……そう、シレジアの田舎、シュレジエンの郷の安宿の、ごく普通の夜の光景。
 会話しあう者の声は更に大きくなり、食や酒を注文する声ももはや怒鳴りあっているようにしか聞こえない。
(やかましいなぁ……)
 頭痛がするほどの騒音の中で、あまりおいしくなさそうに食事をしている者がいる。
「うるさぁいっ!」
 ……などと怒鳴る勇気はこれっぽっちもなく、彼はちまちまと皿のソーセージをつついていた。
 ラヴェル・ベルナール。
 赤い衣服に身を包み、淡いミントグリーンの柔らかい髪を背まで垂らし、その上には羽根帽子がぺたんと潰れて乗っている。
 足元に所在無さげに置かれている竪琴を見ずとも、そのいでたちだけで詩人とわかるというものだ。
 それにしても……竪琴の出番はないのだろうか?
(誰か一曲依頼してくれないかなぁ……?)
 フォークに刺したソーセージを持ち上げながら、ぼんやりと考える。
 喧騒のわずかな途切れを見計らって歌いだす……そんなことは彼にはできなかった。
 なぜなら。
 ……まだ吟遊詩人としては駆けだしであるからだ。
 それどころか、二十一歳にもなってまだ旅人としてすら半人前である。
 初めての国外への一人旅に向けて村を出てきたものの……ここはまだ故郷の隣町という有様である。
 ドワーフの宴会のような有様のその酒場で、ラヴェルは何とかごろ太いソーセージの皿を退治すると、ようやく竪琴を手に取った。
 タイミングを慎重に測ると、恐る恐る弦に指先を触れさせた。
 楽しい食事の場に合わせ、陽気な農民の祭りの曲を奏でる。
 その楽しい雰囲気にどこからともなく手拍子が始まると、口笛や控えめな硬貨が飛んでくる。
 もっとも……弾き語っている本人は必死だ。
 なにせ……歌は上手いが竪琴は下手なのである。
 駆け出しであるラヴェルにはベテランのように即興でアドリブを入れたりアレンジしたりすることは不可能である。
 そのぶん、丁寧に歌い、奏でる。
 ラヴェルは間奏をようやく無事にこなすと、最後の部分を歌い上げようとした……まさにその時。
 不意に別の歌声が入った。その歌はまさしく今からラヴェルが歌いだそうとしたそのフレーズだ。
 自分のすぐそばで聞こえるその響きに思わず振り向くと、まさに背後霊よろしくラヴェルと背中がくっつくほど近くで竪琴をつま弾く男が一人。
 ラヴェルとは違ってその歌声も竪琴の音も時にはさざ波のように静かに、時には鳥のように高らかに歌い上げ、まるで詩の中の朝日を浴びる遠く白き山々のように輝いている。
 一瞬静まった聴衆から、割れるような拍手と歓声が上がった。
 ラヴェルは口をぱっかりと開けたまま唖然とするばかり。
 ラヴェルに向かって転がってきた硬貨の何倍もの硬貨がその男に向かって雨のように投げつけられる。
「〜〜〜〜〜〜っ」
 がっくりと落ち込むと、音がするほどの勢いで肩を落とす。
 悔しくて声すら出ないが、ちょっとでも気を抜けば、だばーと涙が出てきそうな気がする。
 その歌も、竪琴も、はっきり言ってラヴェルとは比べ物にならないほどにうまい。
 その男は……到底詩人には見えなかった。
 どう見てもせいぜい街の不良兄ちゃんである。
 青くごわごわしてそうな服とかなりくたびれたマント、昔ながらの素朴な五弦琴。かなり長旅をしてきたらしく、幾らか疲れ気味に見えなくもない。
 顔は……よく分からないがケンカにでも巻き込まれたのか、左頬に大きな絆創膏、額には包帯を巻いている。
 ただ、右半面だけはどういう訳か前髪を伸ばして隠していて、その髪はラヴェルと同じ、ミントグリーン。
 瞳を閉じ、いくらかうつむき加減で歌っていた男は、歌を終え、その余韻が消えると顔を上げた。
 ちら、とラヴェルを見る。
 つられて見返せば、不思議な輝きをする赤い瞳がラヴェルを捉えている。
 その目と口許に微かにイヤミ笑い。
 男は立ち上がると、何事もなかったように戸口へと歩んでいった。
 その背中にやんやの喝采。
 ラヴェルはただ呆然と見送るしかなかったが、誰かに肩を叩かれてわれに返った。
「やられたな、ねぇちゃん」

 …………。

「僕は男だぁっ!」
 思わず顔を真っ赤にして叫ぶと、室内は大爆笑に包まれた。
 その笑い声に、戸口の前まで歩みを進めていたイヤミな同業者は、ふと思い出したように立ち止まった。
 そのまま、振り向きもせずに一言。
「……さらばだ、へぼ詩人」

 ざくっ!

 周囲にすら音が聞こえそうな勢いで突き刺さる。
「〜〜〜〜〜〜!!」
 端から見ていても気の毒なほど、しこたま傷ついたラヴェルを尻目に男は出て行った。
 重く乾いた音を立てて樫材の扉が閉まる。
 その音に我に返ると、ラヴェルは竪琴を抱えこみ、自分にあてがわれている部屋へ一目散に逃げ帰った。



 絵に描いたような初秋の空。
 シュレジエンの空は高く青く澄み渡っている。
 だが……爽やかな空の下には、風景を台無しにしかねないほど激しく塞ぎ込んだ吟遊詩人の姿。

 どがしっ!

 よたよたと歩いていたラヴェルは、たかが石畳のでこぼこ程度につま先を引っ掛けると、派手な音を撒き散らしつつ顔面から地面に接地した。
 顔に石畳の模様を貼り付けたままむっくりと起き上がったラヴェルの視界には、相変わらず青い空と町を行き交う人々……と、加えてラヴェルを指差して笑う子供達の姿。
 完全に寝不足のようだ。
 ……あのイヤミな詩人のせいである。
 最後の一言が一晩中ぐるぐると羊と一緒に頭の中を回っていて、とうとう眠れなかったのだ。
 目の下にクマを作ったラヴェルはレイピアを杖代わりにすると、重い足取りで街を離れた。
 林の小道を行く。
「時告ぐ鳥の声聞きて宵闇は西へ去り往けば、淡く東雲昇り立つ。鴇色に染まりし山々に、 麓の森は芳しき露に濡るる。朝霧の中から浮かび上がりし湖水は、水鏡となりて山々を写し出づ。やがて満ち出づる朝空に、白き雪霜の妖精は溶け消えて、霧の彼方、山の彼方より黄金の朝日は輝き、湖上の城は陽光の彼方へ消え往かん。蜃気楼に淡く輝く妖精城。やがてそれは森へ……」
 朝の歌の詩を呟きながら歩いて行く。
 ラヴェルも吟遊詩人の端くれ、歌うのはもちろん好きなわけで、詩をつぶやくうちに段々気分も良くなってきた。
 有名な歌には適わないが、それでも十分に爽やかな朝である。
 元々涼しい気候のシレジアだが、すでに初秋ということもあって、すでに朝夕にはもう一枚上着が欲しくなるほどの清涼感があたりを満たしている。
(そうだ、ニンフェンブルクにでも行って見るかな?)
 ニンフェンブルクはシレジアの誇る有名な観光・保養地で、王家や貴族の別荘もたくさんある。
 その中には、ラヴェルの育ったベルナール男爵家の別荘ももちろん含まれる。
 ラヴェルは姓こそベルナールではあるが、実際は養子である。
 二十年と少し前、シュレジエンの郷のベルナール男爵邸の前をうろついていた貧しそうな女性が、男爵夫妻を見つけるなり抱いていた赤子を無理やり渡して去っていったのだそうだ。
 もちろん男爵夫妻は困惑したわけだが、二人はどういうわけか子供に恵まれずにいたので、そのまま引き取って育てることにした。
 男の子でもあるし跡取りには丁度良く、幼い寝顔に愛着が沸いたのか、二人とも実によく可愛がってくれた……のだが。
 二年ほど経ったら夫妻にやっと男の子が産まれ、さらに何年かすると今度は女の子が。
 おかげでラヴェルは男爵の跡取り息子から一転、ただの居候養子になってしまったのである。
 「んー、やっぱりいいなぁ」
 山と湖の水気を含んだ爽やかな空気を胸一杯に吸い込む。
 数日をかけてニンフェンブルクに辿り着くと、詩の通り、美しい風景がラヴェルを待っていた。
 蒼い湖水、緑の木立、妖精城の異名を取る城、その周りを囲む愛らしい別荘、そして小さな町。
 そこには明るいグレーの石畳、アイボリーの壁に褐色の木組み、くすんだ朱い屋根の小さな家並みが続き、重そうな樫の扉や可愛らしい唐草模様の看板がアクセントになっている。
 ラヴェルはゆるい坂道を下ると、湖の見える宿を選んで扉をくぐった。
「だからよ、近づかなきゃいいってったって、出るって聞きゃあ気色悪ィだろうがよ」
 お昼にマッシュポテトをつつきながら周りの会話に耳を澄ませば、どうやら宿の食堂はある一つの話題で持ちきりのようだった。
「そりゃそうだが……城と言ったってありゃ別荘だ、普段は空き家と変わらないんだ、近づく必要もあるめぇ。近づかなきゃ遭わないんだからいいだろうが」
「とにかく、黒くてでかいらしい」
「出たのは夜だったんだろ?」
「噂だけどな」
 ニンフェンブルクという街は湖にせり出した半島あるいは岬といった形の地形の上に建つ町で、陸地とは細い地峡でつながっている。
 岬の先には少し離れた湖上に小さな島があり、そこに王家の別荘である妖精城が建っている。
 妖精城は昔からあった廃墟を利用して建て直したもので、いくつもの伝説や詩の舞台ともなっている。
 その中には……ありがちなお化けの噂もあるが。
「まぁ、そのなんだ、城への橋に何か出るってのは確からしいぜ」
「正体不明の化け物ねぇ……」
 ポテトと地ビールのグラスを空にすると、ラヴェルは会話に混ざってみた。地元の人々の会話に首を突っ込んでみるのも旅の醍醐味の一つといえよう。
「お化けってなんですか??」
「それがさ、詩人さんよう、わからねぇんだよ。黒くてでかくて硬いらしい」
「とにかく街の者も気色悪がってですね、困っているわけでして」
 会話の後を引き継いだ人物にはラヴェルも見覚えがある。確か街の長老だ。
「昨日も旅の方に退治を頼んだんですが、あっさり断られてしまいましてね」
 害はないといわれても、正体不明のものが出没すれば気色悪いのは当たり前だ。
「ところで詩人さん……腕は立ちますかい?」
「へ??」
 間抜けな声を出してから、ラヴェルは相手の視線が自分の佩いているレイピアに注がれていることに気付いた。
「ああ、えーと、一応それなりには……」
 いくらラヴェルが軟弱にみえるとはいえ、何も見た目を補うためにレイピアを持っているわけではない。
 ふと思いあたる。
「あのー、もしかして、僕にそのお化けを退治しろと……」
「いや、話のわかる人で助かったよ、頼むよ」
 引き受けるなんて一言も言っていないのだが……。
「いやいや助かった、うんうん、では早速行ってくれたまえ」
「……えーと」
 なんだか見事に担ぎ出された気がするのだが気のせいだろうか?
 仕方ない、断る理由も特にないし、怖いもの見たさもちょっぴりある。
 ラヴェルは食休みをすると町の外れに向けて歩き出した。



 湖面をさざなみが覆い尽くしている。
 銀波。
 湖水の打ち返す音を聞きながら、ラヴェルは木の橋をポクポクと音を立てながら渡り始めた。
 腰からぶら下げたクリスタルのお守りが銀波と同化したかのごとく美しく輝きながら揺れている。
 まだ辺りは昼間、怪しい気配は感じられない。
 ないのだが……。
 「これじゃ通れないなぁ……」
 大きな岩が行く手を阻んでいる。
 城へ行くには細い橋を渡らなければならないのだが、その橋の上に何故か幅目一杯の巨大な岩が乗っているのである。
 しかたない、よじ登って越えるしかないだろう。
 しかしどこからこんな岩が転がってきたのだろう?
 湖にかかる細い橋。両脇は当然、湖面である。橋の片方は城、片方は町へとつながっている。
「よいしょ、よいしょ……」
 岩の高さはラヴェルの背丈とほぼ同じくらいか。
 確かに硬く、凹凸もあるが意外と滑らかなその岩は登るには多少苦労した。
「ふう〜〜」
 岩の天辺までよじ登るとラヴェルは一息入れた。降りるには苦労しないはずだ。この高さなら飛び降りてもいいし、表面が意外と滑らかなので滑り降りるのも可能だろう。
 が……。
「うわわっ!?」
 突然岩が動いた。
 何と、ラヴェルを乗せたままのそりと起き上がったのである。
 岩の表面につかまり損ねたラヴェルは、せっかく登ったのに元来た陸地側へ滑り落ちてしまった。
「あいたたたたた……えっ??」
 落ちた帽子を拾い上げたとき、ラヴェルは見てしまった。
 岩から手足と頭がずるりと這い出てきたのである。
「きゃあああああああっ!?」
 どすん、と橋の上に尻餅をついたラヴェルはその体勢のまま尻と手足でぺたぺたと後ずさりした。
「でっ、で、で、出たぁ〜〜〜〜!?」
 てっきりただの岩かと思っていたが、どうやらこれが噂のお化けのようだ。
 ……橋の上に岩がある時点で十分に怪しかったのだが。
 のそり、岩が動いた。
 のそり、のそり。
 動きは遅いようだ。
 丸い頭にはちゃんと目と口、鼻の穴が開いている。手足はひれのような形だが一応爪が生えている。
 その全身が鱗のようなもので覆われ、見た目にも堅そうだ。
「ど、どうしよう……」
 とりあえずラヴェルはレイピアを抜いた。
 しかしこんな細身の剣で斬っても剣が折れてしまうだろうし、突いても貫けないだろう。
 のそのそ……。
 岩のお化けはまるであたりを見渡すように首を動かし……やがてまた頭を岩の中に引っ込めてしまった。

 ………………。

 ……意外と大人しいようである。
「とりあえずこれをどかさないと橋が通れないよね……」
 さてどうしたものか。
「足があるんだから歩けるんだよね、これ……」
 自力でどいてくれればいいのだが、頭や手足も引っ込めてしまった今、まるきりただの岩と変わりはない。
「どけよー通れないだろー」
 言葉は勇ましいが口調は正反対。
 ラヴェルは半分逃げ腰になりながら声を掛けてみた。
 のそり。
 頭が出てきた。
 が、言葉が通じるはずもなく、岩はまた頭を引っ込めてしまった。

 ………………。

 ため息をつくと、ラヴェルはレイピアを握り締めた。
「ていっ!」
 思い切り岩に向かってレイピアを振り下ろす。
 がしっ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜……」
 これだけ硬いものを叩いてもレイピアは無事だった。
 が。
 じ〜〜ん……。
 振動で手がしびれる。
 レイピアを振り下ろした体勢のままラヴェルはしばらく固まっていたが、痺れが取れるとがっくりと肩を落とした。
 橋の上にぺたんと座り込むと、ラヴェルは恨めしそうに岩の怪物を眺めた。
 のそ……。
 突然岩が起き上がった。
 見れば頭と手足、尻尾と、全部生えている。
 それがのそのそと前進し……やがてラヴェルのすぐ前で止まった。
 くんくんと、においをかぐ。
「……食べ物じゃないからね」
 噛みつかれたらどうしよう?
 逃げ出せるようにラヴェルは腰を上げ……そこでやっと岩の正体に気付いた。
 頭と手足の生えた岩。
 そもそも岩に手足があるわけがない。
「これってもしかして……カメ??」
 よくよくみれば、ラヴェルがよじ登ったところは甲羅のようだ。岩の凹凸だと思っていた部分は亀甲模様が浮いている。
「カメさんかぁ……参ったなぁ……」
 お化けだと思っていたのはただの巨大な亀であった。
 なんだか気が抜けてラヴェルはまた橋の上に座り込んでしまった。
 大人しくて動きも遅い。
 多分このままにしておいても無害であろうが、この橋は町と城をつなぐ唯一の通路、通れないのは不便であろう。
 もっとも、城は王家の別荘で普段は誰もいないのだが。
「どいてくれないかなぁ……?」
 ぺち、と、ラヴェルは亀の巨大な頭を軽く叩いてみた。
 …………。
 叩いたのが悪かったのか、亀は再び頭や手足を引っ込めてしまった。
 橋の上に鎮座する巨大な亀……の甲羅。後ろには麗しき妖精城。
 なかなかに珍妙な風景ではある。
 はてしなく珍しいものを見ているラヴェルだが、本人は感動できるはずもなく、頭を抱えている。
 とりあえず亀は自分で退く気はないらしい。
 しかたない、引き受けてしまった手前、このまま帰るわけにも行かない。
 ラヴェルは渋々立ち上がると甲羅に手をかけた。全体重をかけて押し出そうとする。
「ふむむむむむむむむむむむっ……!」
 ラヴェルがいくら顔を真っ赤にして頑張ってもびくともしない。
「うう、僕一人の腕力じゃ無理だよぅ……」
 ラヴェルは恨めしそうに、ちら、と視線を自分の背後に向けた。
 町の人が様子を見に来ているが、誰もこの岩のお化けに近づいてこない。
 一人で何とかするしかないか。
 それにしてもこんなに重いものをどうやって……。
「そ、そうだ、こうやって……」
 思いつくと、ラヴェルはレイピアを亀の下……つまり亀のおなかと橋板の隙間に差し込んだ。
 転がっていた太い木の枝をさらにレイピアの下に入れ、それを支点にするとテコの原理で獲物を持ち上げる。
「たぁっ!」
 一気に力を入れると、亀は重い音を立ててひっくり返った。

 ………………。

 ……甲羅の上下が逆になっただけである。
 しかも両脇には橋の欄干があり、ここから直接湖に落とすのは難しい。
 しかたない、ラヴェルは亀の甲羅を数度ひっくり返した。
 ごろん、ごろん。
 何とか橋の上を亀を転がしながら城の前まで辿り着くと、最後にもう一度。
「てやっ!」
 ざっぱーん!!
 派手な水しぶきを上げて亀が湖水へ沈んでいく。
 おお、と遥か後方で無責任な町人の歓声が上がる。
 ……腰と背中が痛い。
 なんだか単純作業だったわりには疲れた気がする。
 ラヴェルは汗を拭くと、疲労でふらふらしながら町へ戻った。




「いや、詩人さん、助かったよ。化け物の正体もわかったし、これで奇妙なものにおびえずに済む」
「はぁ……」
 怯えるほどのものではなかった気もするが、とりあえずラヴェルは黙って聞いていた。
「お礼といっちゃなんだがね、少ないが受け取ってくれたまえ」
「……はぁ、ありがとうございます」
 とりあえず一夜の宿には困らない程度のささやかな銅貨を受け取ると、ラヴェルはそのままその宿屋へチェックインした。
「お泊りはお一人で……ところでお名前は?」
「ラヴェルです」
「カメ退治のラヴェルさん、と……ではお部屋は二階になりますんで」
「……」
 いや、もう亀退治はどうでもいいのだが……。
 とりあえずラヴェルは詩人として売れたいのであって、お化け退治の英雄になりたいわけではない。もちろん、勇者になれればそれはそれでカッコいいかもしれないが……所詮倒したのは亀である。
 ラヴェルがよろよろとあてがわれた部屋へ戻ってからも、下の酒場ではお化け退治の英雄の話で盛り上がっていた。
 とにかく、本人は知らないがこれ以来ラヴェルに『カメ転がしのラヴェル』という情けない綽名がついたことは言うまでもない。



 目を閉じると遠く微かに水音が聞こえる。
 荷物を投げ出したラヴェルは硬い木の椅子に腰掛け、窓から景色を楽しんでいた。
 目で見るのではなく、耳で聞く風景。
 せせらぎの音、小舟の揺れる音、風のそよぐ音、微かな葉ずれの音、小鳥のさえずり。
 空を行く雲とともにゆっくりと時間は流れ、青い空は徐々に暖かみを帯びた色へと移ろい、やがて赤く染まった風景の中、太陽は湖に写り揺れる光を残しながら山の彼方へと沈んでいく。
 沈んでもなお山の向こうに残照の白い空が残り、やがて金星の輝きと共に夜は暗さを増してゆく。いつのまにか宵闇には満天の星が零れるようになり……。
 窓辺に頬杖をつき、半分うとうとしながら時を過ごしたラヴェルは、あくびを一つすると目をこすりながら階下へ降りた。
 腹ごしらえをしたら、また路銀を稼がなければならない。
 他の客より幾分早めに食事を終えたラヴェルは、あたりの人数が増えたことを確認すると竪琴に指先を触れさせた。
 挨拶代わりに、湖水に浮かぶ白鳥と称えられる優雅な妖精城の詩を口ずさむ。
 この街で歌い始めるときは、それが吟遊詩人たちの間での作法である。
 幻想的な霧、蒼い湖水、山並みに美しい森、そして妖精の住まう城。
 その歌を終えると、ほろ酔い加減の客のリクエストに応じて簡単なサーガや愛の歌を口ずさむ。
 昔シレジアの森に住んでいたという勇敢な狩人の話、森の城の姫の歌、そして……湖上の城の妖精たちの歌。
 そろそろ終わりにしようか。
 最後は陽気なポルカにする。
 昔の踊りから派生した曲に合わせ、居合わせたほとんどの人が食事をしながらも体を揺らしている。
 ラヴェルは自分でも楽しくなり、調子に乗ってついついテンポを速める。
 不意に。
 音が変わった。
 はじけるような竪琴の音。
 その音色は空を飛び回る小鳥のように軽く、くるくるとテンポが変わる。
 ラヴェルではない。
 その軽やかなメロディーに誘われるかのように手拍子が起こる。やがて空いているスペースで踊りだす者も。テーブルの間をジョッキが行き交い、タップの音や手拍子が部屋に響く。
(別の誰かが奏でている……)
 はっとして部屋を見渡すと隅のテーブルで竪琴を手にしている男が一人。
 どこかで見た顔だ。
 そうだ、この男は……。
 淡碧の髪、青い服、包帯に絆創膏、どこか不良っぽいその雰囲気……いつぞやの吟遊詩人。
 その男は曲を終えると足元のコインには目もくれず、戸口へ向かう。
 黙って立ち尽くすラヴェルの横を通り過ぎる時、その男はニヤッとするとこう言った。
「また会ったな、ラヴェル。次に会う時までには少しでも腕を上げておけよ」
「大きなお世話だよっ!」
 顔を真っ赤にしているラヴェルにはお構いなく、そのイヤミな同業者はそのままスタスタ出て行った。
 パタンと扉が閉まった後もラヴェルは肩で息をしている。
 気の毒に思ったのか、酒場のマスターが冷たい水を汲んでくれた。
 それを一気に飲み干すと、やはりコインには目もくれずにラヴェルは二階へと階段を駈け上がる。
 その階段の途中ではたと気付くと彼は足を止めた。
「……そう言えばあの人、何で僕の名前を知っているんだろう……」



 可愛らしい町並みの向こうに優雅な城が立っている。
 ラヴェルはシレジア王国の王都、ブレスラウの町へ来ていた。
 別に立ち寄る必要はなかったのだが、どうせ近くを通るなら城に寄って顔なじみの王子に旅立ちの挨拶でもしてこようと思い立ったのである。
 ……のだが。
 とんでもないことに気が付いた。
「あれ……財布がない!?」
 腰の辺りが軽い。ベルトに挟んであった財布がなくなっている。
 入っていたのは僅かな銅貨。
 ラヴェル一人がどうにか一日食べていける程度の額ではあるが、ないと困る。
 今夜の宿が取れないのだ。
 歌って稼げばいいのだが……もともとシレジアは芸術、特に音楽の盛んな国であり、王都に国内外から訪れる高名な詩人達のおかげで、この町の人々の耳は肥えている。
 売れない詩人がいくら頑張ってもたかが知れているというものだ。
 ラヴェルは、ちら、と恨めしそうに視線を上げた。
 石造りの闘技場が目に入る。
 普段は城の騎士達の稽古場だが、今日のような週末には闘士達の戦いの賭けが行われている。
 一文無しのラヴェルには当たり前だが観戦することも賭けることも出来ない。
 やけっぱちになる。
「闘技場で戦う吟遊詩人……笑えるよなーー」
 見た目は軟弱そうだが、いや、軟弱だがこのラヴェル、実はレイピアに関してはなかなかの腕前である。
 実子ではないとはいえベルナール男爵家は名だたる騎士の家系、居候養子のラヴェルも紳士のたしなみとして一応剣技の訓練は積んでいる。
「……なんてね」
 はぁ……と思わず溜め息をつく。
 確かに闘技場で戦えばそこそこの稼ぎにはなるが、相手は戦いのプロ。詩人なぞの活躍する場はない。
 ラヴェルはとぼとぼと噴水の周りを廻ってみた。
 廻ってもどうにもならないのだが。
 仕方ない、下手な竪琴を手に歌いだすが……予想通り、誰も足を止めない。ほんのお慈悲に銅貨が転がってきたが、宿代には足りなそうだ。
(まいったなぁ……本当に闘技場でも入るかな……)
 本気で考え始める。
 闘技場には本職の闘士の他に、ラヴェルのように金欠で食いっぱぐれた者達も出場する。大抵は本職の闘士達の前座試合で賭け金も安い。
 その辺での勝負なら勝ち目はある。
 仕方ない、ラヴェルは重い心と足取りで闘技場の扉をくぐった。
 賭ける者、観戦する者。
 懐事情の温かい人達ばかりだ。
 ラヴェルはたった二枚の銅貨を自分に賭けて戦うわけで、対戦に登録しようとカウンターに近寄った。
 ラヴェルの前には青年。次の戦いに賭けるつもりらしい。
「戦士の勝ちに銅貨一枚な」
 ……みみっちい。
 どん、と賭けないところが小心者。
 ここへ来るくらいだからお金を持っていないわけではないだろう。それともすでに使いきってしまったのだろうか?
 などと考えながら前の青年を見ていたラヴェルだが、その手元を見て思わず納得してしまった。
 なぜなら……青年の手にあるのはラヴェルの財布。
 手元から離れるその前からすでに中身はごくわずか。
 その青年の肩をラヴェルはぷっくりした指先でつついてみた。
「もしもーし?」
「うるせーな。しっしっ」
 振り向きもしない。虫でも追い払うように手を振っている。
 だがここであきらめるわけにも行かない。
「……君が持ってるの、僕の財布だよね?」
 振り向いた青年はまるで寝ていた所を踏んづけられた猫のように飛び上がった。
「当然返してもらえるよね?」
「う……」
「返してもらえるよね?」
 真顔で迫る。
「ね?」
「うぐぐぐぐ」
 とうとうその青年はギブアップした。
「しゃあないな……ま、そんなに入ってないからいいか。ほらよ」
 全く反省した様子もなく、青年は財布をラヴェルに返してよこした。
 ほっとしているラヴェルの耳にその青年のブツブツが聞こえてくる。
「まったく、すられたのに気付かないなんて、マヌケな女だぜ……」

 ぐさっ!

「お…おんな!?」
 人が一番気にしていることを!
 ラヴェルは青年に抗議するのも衛兵に突き出すのも忘れ、体を引きずるようによろよろと闘技場から出て行き、そのまま手近かな宿に入った。
 時間帯のせいか客はほとんどいなかった。
 時間を潰しているらしい町人が一人と、手前壁際の椅子に可愛らしい若い踊り子が一人いるだけ。
 踊り子は育ち盛りの女の子らしくぽっちゃりした体に丸い顔、つぶらな瞳、服や髪型もちょっぴりオシャレで、わりとラヴェルの好みのタイプだ。
 ラヴェルがぼーっと見ていることに気付いたのか、彼女はにっこり笑うと話しかけてきた。
「あら、あなた詩人さんね? 丁度良かった、退屈してたの。よかったら何か楽しげな曲を弾いてくれない? ぱーっと思いっきり体動かさなくちゃ、やってらんないわ」
「ええ、いいですよ」
 もともと頼まれたらイヤとは言えない性格、しかもかわいい女の子の頼みとあってはなおさらだ。
 ラヴェルは地元シレジアの民族舞踊から生まれた舞曲を弾き始めた。
 速いテンポの三拍子。
 踊り子の小さなブーツのかかとが床をこつこつと鳴らす。
 しかし。
 曲が盛り上がるサビの部分まで行かないうちに踊り子さんは踊るのをやめた。
 可愛い顔が丸い膨れっ面に変わっている。
「んもう! よくそんな下手な腕前で詩人なんかやってられるわね! 踊りにくいったらありゃしない。もういいわ。さようなら、お姉さん」
 自分で頼んでおきながらぼろくそ言うとその踊り子は出て行った。
「……僕、男なんですけどー……」
 勢いよく閉まった入り口扉を見ながらつぶやくが説得力はいまひとつ。
 そこへ……。
「フ……」
 背後で誰かの忍び笑いが聞こえた気がした。ばっと振り向くと誰かが二階から降りてくる。手すり越しに青いマントの裾が見えた。
「……相変わらずのようだな」
 ギギ…という床の音とともにやっと全身の姿を現わしたその男に、ラヴェルははっきりと見覚えがあった。
(うっ……こいつはっ!)
 いつぞやの、忘れたくとも忘れられない例のイヤミ詩人!
 青ずくめはそのまますたすたラヴェルの横を通り過ぎて出て行く。
「……さらばだ、カメ転がしの勇者殿」

 ………………。

 もう何も言う気もしない。
 その詩人を見送るとようやく今夜の宿を取る。今日一日なんやかんやとすったもんだしたが、どうにかベッドで寝られそうである。
「お泊まりですか?銅貨で六枚になりますけど」
「……はい?」
「銅貨で六枚です」
 ………………。
「……また次の機会にします」
 手持ちの金額は銅貨で三枚だった。 つづく

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