生活 せいかつ
とじる
2017-07-25: 内容をよりくわしくしました。 「地図上の位置」は現在の地図で示しています。

 ゆりストアの新聞(しんぶん)チラシに、百合ヶ丘駅前(えきまえ)におみせができてから、2010年(H.22)で50年になるということがかいてありました。  チラシには、ゆりストアの上の階(かい)から百合ヶ丘駅(えき)を写(うつ)した写真(しゃしん)がのっていました。  駅の向(む)こう側(がわ)に、たんぼが見えているのが印象的(いんしょうてき)でした。

 ゆりストアは百合ヶ丘駅(えき)ができた1960年(S.35)からおみせをひらいています。  私は、1963年(H.38)の2月にこの町(まち)にひっこしてきました。  そのころの百合ヶ丘駅前(えきまえ)には、ゆりストアのならびの今とおなじ場所(ばしょ)に、すでに商店街(しょうてんがい)ができあがっていました。  でも、お店(みせ)のしゅるいは今とはちがっていました。

siteLocation :ゆりストア百合丘本店

 そのころの百合ヶ丘駅前にはこんなお店がならんでいたのをおぼえています。(たくさんある中のごく一部です)
 • 菓子屋(かしや) 森永キャンディーストア
 • 本屋(ほんや) 大塚書店
 • 八百屋(やおや) 美登里屋(みどりや)
 • 床屋(とこや) コロナ
 • 布団屋(ふとんや) ころもや
 • 酒屋(さかや) 吉澤酒店(よしざわさけてん)
 • 電気屋(でんきや) 電化(でんか)のヨシザワ
  交番(こうばん)も、昔からずっといまの場所(ばしょ)にあります。

siteLocation :百合ヶ丘駅前のお店

 そのなかでも、たべものを中心(ちゅうしん)にいちばんよくゆくお店はゆりストアでした。  コンビニはまだ世の中にでてくる前(まえ)で、スーパーの三和(さんわ)もありませんでした。

 駅からバスどおりを公団坂上(こうだんさかうえ)にむかって登(のぼ)ってゆくと、ちいさな商店街(しょうてんがい)がいくつかありました。  こんなおみせがありました。

  • すみれ堂文具店(ぶんぐてん)♦ 百合小の南側(みなみがわ)の階段(かいだん)をあがったところのバス通(どおり)り沿(ぞ)いにありました。  数年前(すうねんまえ)までひらいていました。(2010年現在)  百合小にかよっていたころには、よく文房具(ぶんぼうぐ)を買(か)いに行きました。
    siteLocation :すみれ堂文具店
  • 三ツ輪星(みつわぼし)マーケット♦ 現在(げんざい)のサンフレッシュのある場所(ばしょ)で、 いろいろなお店が1つの屋根(やね)の下で商店街(しょうてんがい)を作っていました。

    その中で、八百屋(やおや)の宮野青果店(みやのせいかてん)だけが、スーパーマーケットサンフレッシュとして 2010年現在(げんざい)もつづいています。
    (なつ)にいちばん奥(おく)にあった食堂(しょくどう)で食(た)べたかきごおりを思(おも)い出します。  すごい量(りょう)の氷(こおり)がてんこもりでした。
    siteLocation :三ツ輪星マーケット

    (サンフレッシュは2012年11月末に閉店しています)

    地図により「三ツ輪星マーケット」と「三ツ輪星ストアー」の2つの書き方がありました。  私の記憶(きおく)では「三ツ輪星マーケット」なのですが…

  • ゆりストア弘法松店(こうぼうのまつてん)♦  ゆりストアには本店のほかに弘法松のバス停前にお店があった時期(じき)もあります。
    はっきりおぼえていませんが 1970年ころの開店でしょうか。(年はかなりあやしいです)  その後、弘法松店は閉店し、現在その場所にはデニーズレストランがあります。 
    siteLocation :ゆりストア弘法松店

 駅からちょっと離(はな)れた百合丘第二団地に住む人たちのために、第二団地の入口にもつぎのようなお店が集まった商店街がありました。  2000年を過ぎたころ(?)、第二団地101号棟跡(あと)にはコンビニができ、松葉浴場(まつばよくじょう)は営業を続けています。  しかし、現在、その他のお店の多くは閉店し、跡地(あとち)には住宅(じゅうたく)ができています。

  • 日之出(ひので)マーケット♦  第二児童公園(だいにじどうこうえん)のななめ向(む)かい、 クリーニング屋(や)のならびの、今はマンションがあるところにありました。

    ここはアーケードになった商店街(しょうてんがい)でした。  電気屋(でんきや)、肉屋(にくや)、本屋(ほんや)、すし屋、とんかつ屋、 米屋(こめや)、履物屋(はきものや)、小料理屋(こりょうりや)などがありました。
    訂正:当初、「床屋」「とうふ屋」も書きましたが、これらはアーケードの外にとなりあっているお店でした)

    ここの履物屋(ふじい)では、傘(かさ)の骨(ほね)が折(お)れたりしてこわれると、修理(しゅうり)をしてくれました。  今ではあたらしく買(か)ったほうが安(やす)いですね。  直(なお)せば使(つか)えるのにもったいないのですけれど...

    いっぽう、このごろは自分(じぶん)でなおすための部品(ぶひん)も売られるようになっています。  大量消費(たいりょうしょうひ)の時代(じだい)からまた少しもどっているのでしょうか。
    siteLocation :日之出マーケット
  • 富士塚(ふじづか)商店街(しょうてんがい)♦  今のみずき街(がい)入口の十字路(じゅうじろ)のまわりに広がっていました。  ここには、酒屋(さかや)、八百屋(やおや)、金物屋(かなものや)、牛乳屋(ぎゅうにゅうや;はいたつをしてくれる)、 おもちゃ屋、パン屋、とうふ屋などがありました。
    siteLocation :富士塚商店街の十字路

    第二児童公園のとなりには、団地(だんち)とにているコンクリート作(づく)りで、 棟(とう)の番号(ばんごう)がふってある二階建て(にかいだて)のたてものがありました。  130号棟と131号棟の番号がふられた富士塚名店街(ふじづかめいてんがい)です。

    たてものの1階(かい)が商店(しょうてん)で2階が住居(じゅうきょ)になっていました。  いわゆる「ゲタばき住宅」とよばれていたたてものです。  これら2棟も何年も前(まえ)にとりこわされました。
    siteLocation :富士塚名店街 131号棟
    siteLocation :富士塚名店街 130号棟

    この中にあった酒屋/食料品店(さかや/しょくりょうひんてん/「生田ストアー」だったか?)が、いまのみずき街入口のコンビニになっています。  跡地(あとち)はしばらく空地(あきち)でしたが、2009年(H.21)にはあたらしい住宅(じゅうたく)が建(た)ち、 売り出されていました。 toUpperRight
  • fromLowerLeft  銭湯(せんとう)の松葉浴場(まつばよくじょう)は、百合丘団地ができたころからありましたが、今も元気(げんき)です。  松葉浴場となりのパン屋 百合丘ベーカリーのクリームパンがとてもおいしかったのですが、ずいぶん前(まえ)にお店をしめてしまいました。
    siteLocation :松葉浴場

 百合丘には、急に数が増(ふ)えた住民(じゅうみん)のための医院・病院(いいん びょういん)もありました。  次のような医院・病院です。  これらの医院・病院はすでに閉じてしまったものもあります。 先生のお年のためでしょう。  しかし、百合丘の人口(じんこう)はその後も増え、町には新(あたら)しい医院(いいん)が多(おお)くできています。

  • 星外科(ほしげか)♦  百合小の校庭(こうてい)の南側(みなみがわ)を出たところにありました。 (いまは駐車場(ちゅうしゃじょう)) 体育の時間(たいいくのじかん)にケガをすると、ここにつれていってもらうこともありました。
    siteLocation :星外科
  • 百合ヶ丘中央病院(ちゅうおうびょういん)♦  百合小校庭(こうてい)の前(まえ)、 百合ヶ丘シティタワーのところにありました。 入院(にゅういん)のできる大きな病院(びょういん)で、 いろいろな病気(びょうき)をみてくれました。

    ここは1990年代(ねんだい)くらいまであったとおもうのですが、いつのまにか1階(かい)にクリニックのあるマンションにかわっていました。(マンションの完成は 1997年)
    siteLocation :百合ヶ丘中央病院
  • 百合ヶ丘診療所(しんりょうじょ)♦  今もバス停に名前を残す団地の管理事務所(かんりじむしょ)と並んでたてものがありました。  当時の日本住宅公団が、団地を作ったのに合わせて住民のために用意した診療所だと思います。  その後、団地はサンラフレ百合ヶ丘に建て直されましたが、すぐ近く(サンラフレ百合ヶ丘7号棟内)で診療所は続いています。(医師(いし)は代わっていると思います)  1960年代の百合小では、ここの朝日先生が校医として健康診断(けんこうしんだん)などをしてくださいました。
    siteLocation :百合ヶ丘診療所
  • すどう医院(いいん)♦  第二児童公園(だいにじどうこうえん)のバスどおりの向(む)かい、 今は麻生キリスト教会(きょうかい)があるところにありました。

    内科(ないか)と小児科(しょうにか)をみてくれて、往診(おうしん;いえまでみにきてくれること)もしてくれました。 私も熱(ねつ)を出したときに、すどう先生(せんせい)に家(いえ)まできていただいたことがありました。
    siteLocation :すどう医院

 上下水道(じょうげすいどう)と都市(とし)ガスは、百合丘団地では整(ととの)っていたとおもいます。  しかし、まわりの町(まち)ではまだ使(つか)えないところがありました。

 たとえば、私の住(す)んでいた生田(いくた;今の東百合丘)では、水道はポンプでくみあげた井戸水(いどみず)を給水塔(きゅうすいとう)にためて、 各家(かくいえ)に配(くば)っていました。

 この給水塔から東に200mほどのところにも、新しくできた中台住宅地(ちゅうだい じゅうたくち)に水を配る、同じような井戸水の給水塔がありました。

 井戸水は塩素(えんそ)のにおいがなく、夏(なつ)は冷(つめ)たかったです。  そのまま飲めば、水道水(すいどうすい)よりおいしかったかもしれません。  しかし、消毒(しょうどく)していないということで、飲(の)み水は湯冷まし(ゆざまし=いちどわかしてしょうどくしてからさましたもの)にしていました。

 断水(だんすい=水がたりなくなり、でなくなる)した記憶(きおく)はありませんが、 台風(たいふう)などで大雨が降(ふ)るとしばらくの間は蛇口(じゃぐち)から出る水は濁(にご)っていました。  たくさんの雨が地層(ちそう=地面の下の土や砂)でじゅうぶんに濾過(ろか=よごれた水をこすこと)されないで井戸に流(なが)れ込んでいたようです。

 生田では、下水道(げすいどう)はいわゆる「どぶ」で、道路(どうろ)の両脇(りょうがわ)の側溝(そっこう)に下水(げすい)を流(なが)していました。  トイレの水は、各家(かくいえ)に備(そな)え付(つ)けられた浄化槽(じょうかそう)できれいにしてから、側溝に流(なが)していました。

 ガスはプロパンガスで、家(いえ)の裏(うら)にはおおきなガスボンベが取(と)りつけられていました。

»  ウェブ上にある「プロパンガスボンベ」の画像 

 上下水道(じょうげすいどう)と都市ガスは、その後、徐々(じょじょ)に使えるようになってゆきました。

【浄化槽】[じょうかそう] 家庭(かてい)からでる汚(よご)れた水(トイレ、ふろ、キッチンなど)を、側溝(そっこう)に流(なが)す前(まえ)に、細菌(さいきん)などの力(ちから)できれいにする設備(せつび)

家の裏庭(うらにわ)などに埋(う)められている大きな入れもので、この中で細菌が時間をかけて汚(よご)れを分解(ぶんかい)します。  汚れがとれた水は薬で消毒(しょうどく)し、きれいになった水が側溝に流(なが)されます。

»  ウェブ上にある「浄化槽」の画像 

その後、汚れた水をそのまま集める下水管(げすいかん)が各家庭(かくかてい)につながり、浄化槽は必要(ひつよう)なくなりました。  集(あつ)められた汚れた水は、下水処理施設(げすりしょりしせつ)でまとめてきれいにされます。

現在(げんざい)、この周辺(しゅうへん)の水は上麻生6丁目(柿生駅近く)の「麻生水処理センター」(あさおみずしょりせんたー)で処理されています。
現在のバス停(てい)「原店前」(はらみせまえ)の近(ちか)くにあった井戸水(いどみず)の給水塔(きゅうすいとう)です。 

ここからまわりの家(いえ)に水が配(くば)られていました。  給水塔の向かいに「原店」(はらみせ)という食料品・雑貨店(しょくりょうひん ざっかてん)があり、お店が井戸水の管理(かんり)もしていました。

タンクのふもとにはモーターで動くポンプがおいてありました。  各家(かくいえ)で水を使ってタンク内の水が減(へ)ると自動的(じどうてき)にポンプが動いて地下水(ちかすい=井戸水)を吸い上げ、タンクにためるようになっていました。

上に書いたように、このタンクから東に二百数十メートルのところにもおなじく給水塔があり、まわりの家に水をくばっていました。  このへんは尾根(おね)の上で標高(ひょうこう)も100mほどあるのですが、それでも井戸水が使えたのです。  もう一つのタンクの跡(あと)はずっと空き地でしたが、最近(さいきん; 2017)になってなにやら工事が始まりました。  家がたつのかなと思いましたが土地はせまいです。

1963年にはまだバス停はありません。(バス停ができたのは、1970年より後だったと思いますがよくおぼえていません)
2013年現在、原店はすでに閉店しており「原店前」のバス停の名前としてのみ残っています。

さつえい:1963年4月5日(S.38)