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 第7章 の た う つ 竜   その4                五期主計雲南始末記
 竜陵陥落は時の問題。守るは入院患者 400名を含めた1300名、対する敵は4万名、兵員の数は兎も
角、火力は丸で違う。未だ我々は大量の物資を抱えている。敵に糧を贈るは経理官の最大の恥辱とい
う経理学校の教訓が頭を離れません。一人悩んでいる。主計は守っていてもいざと云う時の糧秣の処
分に思い悩みます。補給基地である竜陵野戦倉庫は膨大な在庫をかかえている。誰も心配しません。
私一人が悩んでいます。悩んでいたって始まらない。よし、乾パンの処分を始めよう。音を潜めて開
缶し、壕の外に放り出す。君知らずや、乾パン袋の中には白と黒の金平糖が8粒ずつ入って居る。
金平糖目当てで作業が捗る。呆然と前を見ているより楽しみです。壕の前は放り出された缶や乾パン
の山で、バリケード然となっている。敵襲のない夜間は倉庫に行って米袋を引き出し、地面に撒き散
らし、敵に糧を贈る勿れと念仏を唱えながら作業をするが、過大な在庫にため息が出る。

 私を除き倉庫長以下主計の総引き揚げの命が来た。残ったのは主計少尉の私と他部隊の出向者だけ
となった。竜も最後、石川少尉はここでと言うに等しい。部長には騰越で救われたが、今度は苦肉で
すネ。拉孟の中島も、騰越の花田も玉砕した。今度は竜陵の私が順当です。覚悟を決めています。
尻から脂が出る程、吸えと煙草の在庫をはたいた。明日が最後と思い切り吸って見たが、そんなに、
吸えるものでない。明日が最後になりませんでした。

 9月15日 小室守備隊長は補給の要衝としてこそ価値ある竜陵であるが、戦略的価値のない竜陵を
死守するに値せずと決断し、零時を期し守備隊は雲竜山方面へ転進するの命を発し、各陣地は撤退
準備を始めた。撤退迄、あと1時間という時、師団司令部から独断転進を許さず、ますます、守備を
厳にせよの命が来た。小室守備隊長は野戦倉庫隣の工兵連隊兵舎裏の空き地にどかっと腰を下ろし、
副官の土生中尉の介錯により割腹自決してしまい、竜陵の守備は 113連隊の石田大尉が指揮を取って
居る。後方の芒市で図上作戦をしている師団司令部限りでは意地もあって[進め]と[死守]の命し
か出せないのでしょう。

 11月3日 33軍の本田軍司令官は主力と勇兵団を率い、平戞部隊を救出、次いで、竜陵救援に来た
が、竜陵手前の双坡で進出を阻まれている。辻政信大佐も第16軍を率いて竜陵に入れないでいる。
本田軍司令官は救出できないと見て、午前3時を期して竜陵守備隊に撤退命令をだした。
命令が来たのは撤退時限の50分前でした。私は敵に糧を贈る勿れという経理学校の教訓に思いを致し、
及ばずながらもやるしかない。3人1組の処分割り当てをし、今から40分を時限とし、手分けして処
分をし、時限後は各個、撤退し、芒市方向の某地点に集結を下命した。既に、守備隊は撤退を始めて
いる。これまでと、金盥に押収缶ミルクをなみなみと張り、犬は親子5頭を残し、1匹だけを抱いて
撤退した。このミルクが私が自ら行った最後の処分となった。集合地点で兵を纏めて芒市に向かって
転進し、某地点の橋の袂で10分間の小休止の積もりが寝てしまった。ふっと目覚め、見ると夜が明け
かかっている。こりゃ、いかんと兵を起こし、急いで橋を渡り、芒市に向かった。20分後にあの橋の
爆破音を後ろに聞いた。敵によるものか、友軍によるかしらないが、若し、敵によるものでしたら私
達は全滅だったでしょう。

 芒市に到着。先ず、経理部長に申告。部長は軍服で出て来られ、懐中電灯で一人一人の顔を照らし
て労らわれた。部長は私達が来るのを知っていて軍装して待っていた。感激です。

 次いで、庶務主任の竹下大尉の宿舎に赴き、申告を申し入れたところ、朝にしてくれと言われ、も
う朝だのに、私達は寝ねばならない。姿なき竹下大尉に大声で申告して引き揚げた。
私達は芒市で一泊して翌日、柴田大尉の率いるナンカン籾収集班傘下に編入のため、芒市を発った。
今や、竜の双頭である騰越と拉孟を切り取られ、喉元である竜陵を食い切られては芒市を守ろうにも
20ケ師の大軍に抗すべくもなく、芒市を12月20日 撤退し、28日 緬支国境である椀町まで撤退し、
進攻以来3度目の正月、昭和20年を迎えました。(私はナンカンで迎えた。次章後段参照。)
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