勝馬鑑定法
実力の鑑定
競馬の勝敗は決して偶然のものではない。従つて僥倖の勝馬といふものはあり得ない。
勝つには勝つだけの実力を備へてゐなければならないのである。
しかしこの実力に変化がある、上り下りがある。幾ら実力のある馬でも疲労の程度が加
はれば実力だけの脚速は発揮できないし、故障になればまたこれ実力の衰へると云ふこと
は云ふ迄もない。しかし疲労が恢復され、故障が快癒すれば、元来が実力のある馬ならば
必らずそれだけの実力を取戻し、これを発揮する事もできるのである。
人間に個性があり同じく頭が良いと云つても、記憶力に富んでゐる人の場合もあり、判
断力に秀れてゐる人の場合もあり、その傾向は千差万別である。馬にもまた馬それぞれに
違つた特性傾向がある。雨馬場に強いとか弱いとか、長距離に持つとか持たないとかと云
ふのがこれである。もしも雨馬場に弱い馬だとすれば、雨馬場には実力一杯のレースをす
ることのできないのは当然であり、長距離に耐える剛強さがなければ、幾ら短距離には素
晴らしいスピードを持つた馬でも、長距離レースとなれば短距離に於いて示しただけのス
ピードを現はすことはできない。
かうした実力の変化、調子の上り下り、実力以外の特性傾向と云つたやうな事のあるた
めに、レースの結果は一見変幻極まりなく複雑にしてデリケートなものになつてくるので
ある。そこに馬券の難しさと興味とが潜んでゐるのである。
実力のない馬は勝てない。しかし実力があつても敗れることもある。実力があつて負け
るとすれば、実力実力と云つてみたところで仕方がないではないか、と云ふやうなことを
云ひかねない人もある。また馬の実力などと云ふものを全く念頭に置かないで、さいころ
の目を当てるやうな気持だけで馬券を買つてゐる人もある。その証拠にはどうしてこんな
馬にこれ程投票してゐる人が多いのであらうかと疑はずにはゐられないやうな、全く実力
を持たない馬でも時には相当に人気になつたりしてゐる。
実力がないために勝つことのできない馬の馬券を買つて損するのも、実力は持ちながら
何等かの理由によつて負けた馬の馬券を買つて損するのも、その損すると云ふ一点に於い
ては同様かも知れない。しかしその馬の実力を見極めることもなく、実力のない馬ばかり
を買つてゐるとすれば、これではいつになつたつて損を取返すこともないし、まして得す
るなどと云ふことは到底望み得ないことになる、その実力に信頼して馬券を買つてゐるの
だとすれば、その馬が実力一杯のレースを出来ず負けて損することはあつても、実力通り
に勝つて当然なのだから、これなら時に損も取返せるし、儲かることもある。勝馬の選定
に際しては、だからその馬の実力検討といふことが先づ第一の研究事項と云はなくてはな
らない。
茲に十頭立てのレースが行はれるとして、なかなか力量伯仲した顔ぶれではあるが、そ
の内から兎も角も勝てるだけの実力ありと推定される五頭なら五頭の馬を拾ひ出す。そし
てその五頭のうちのどれかに一票を献ずるとして、そこで騎手と馬との関係を考へたり、
その日の馬場の状態を考察したり、人気の分れ具合に注意を払つたりした後、はじめて馬
券を買ふことになるのであるが、兎に角この実力の鑑定といふことが一ばん先に立つ。
数あるフアンのなかには実力の鑑定よりも先に騎手のことを考へたり、人気ばかりを問
題にしてゐる人もないではない。それではまるで馬券の買ひ方の順序を踏んでゐないと云
はれても仕方なく、フアンとしては邪道を行つてゐる者である。
そこで実力の検討は何に基づいて試みるかと云ふに、大体に於いて次に述べる血統、馬
格、成績と云つた各項に就いて研究すればよいであらう。
血統の調査
血統だけで馬は走れないが、それにしても馬の遺伝力といふものは実に強い。先に馬の
特性傾向と云ふことに就いて一言触れたが、この特性傾向といふものも遺伝による場合が
極めて多い。調教方法や調教者の失敗などが原因して、後天的に出遅れとかレースを厭が
るとか云つた悪い習癖を覚えるやうな馬もあるが、血統的に遺伝された特質傾向、能力と
いつたものは後天的のものに較べて遥かに多い。
競走馬に特有の疾病たるえびはらなどでさへ、その父馬がえびはらに罹つた馬であつた
りすると、その仔までがえびはらになり易い。父馬が心臓が弱いとその仔まで心臓が弱い。
さうした遺伝は人間に於いても同様かも知れないが、競走馬はその競走経歴に於いて、人
間の場合よりも遥かに歴然とその血統の遺伝を現はしてくる点は寧ろ不思議なくらゐであ
る。
例へば昨秋の中山競馬新呼の優勝戦でヘキライと云ふ馬が一着して二百円の大穴を明け
た。此の馬の血統を見ると、母馬(内サラ、レインボウノ二)の父、つまりヘキライの祖
父はイボアで、イボアの仔は大抵重馬場を得意とした。ところでヘキライの勝つた中山四
日目は前日雨が降つて、当日は雨こそ降つてゐなかつたが、馬場は生乾きで柔らかかつた。
優勝日は朝来の暴風雨で馬場は殆んど泥濘であつた。ヘキライの優勝は幾分この不良馬場
に恵まれたかと思はれるのであつて、他の馬は不良馬場のためにその実力だけのレースが
できなかつたに反し、祖父のイボアの血を受けたヘキライは不良馬場に参らなかつたとい
ふ事がその勝因の一つになつたと云ふ気がするのである。
今、今春の中山競馬番組の登録馬一覧表の呼馬のところを開いてみると、母系にイボア
の血液が入つてゐる馬にはホンイチ、ツキタカ、マナヅル、ミスアキラ等がゐるが、これ
等の馬はいづれも重馬場に不得手と云ふやうなことはなく、寧ろ重馬場は得意であるやう
に思ふ。それは母系に遺伝されてゐる血統のためである。
と云つたやうなわけで、遺伝は必らずしも父馬の血液からばかり受けるものではない。
と云ふよりも却つて父馬以上に母馬からの血統的遺伝力は強く、即ちヘキライの場合に於
いても、血統的遺伝は父馬からよりもイボアを父とする母馬からの影響が大きかつたこと
を意味する。
従つて父馬ばかりが如何に優秀な馬でも、母馬の能力がそれほどでなければ、父馬だけ
の成績は挙げられないといふことになる。つまり名駿の仔でも父馬の名を辱めるやうな凡
馬も時にはあるのである。
だから血統を調べる際に父馬ばかりを調べても何にもならない。殊に呼馬の場合は殆ん
ど大抵サラブレツト種の純血の仔であり、その父馬、即ち我国に於けるサラ系競走馬の種
牡馬の頭数は知れたものであり、従つて同じ父馬の仔も沢山にゐるので能力及び特性の差
異のデリケートな点は母馬を調べなくては充分にこれを窺知することは出来ない。
同じシヤンモアの仔であつても、アカイシダケとカチドキカナメとではその能力に非常
な相違があり、現在に於てカチドキがどんなに好調で、どんなに有利な条件のもとに戦ふ
にしても、遂にアカイシの敵にはなり得まい。そこでその母系を見ると、アカイシの母馬
は内サラ、フロリストでガロン系、カチドキの母馬は内サラ、第七フローリスカツプでイ
ンタグリオー系である。
更にその兄弟馬、即ち同じ母馬から生れた競走馬を過去に遡つて調べてみると、フロリ
ストからはいづれも当時その駿速を謳はれたハクリユウ、ハクセツ、スターカツプと云ふ
連中が出てゐる。カチドキの母馬の第七フローリスカツプからはキヤプテンコイワイ、ホ
ウケンが出てゐる。ホウケンは一時相当に活躍はしたが、元来抽籤馬だから呼馬と太刀討
ちは出来なかつたであらう。
また更に遠い過去に遡ると、フローリストの母馬は第四フローリスカツプであり、第四
フローリスカツプは第七フローリスカツプと同じくフローリスカツプを父とし、インタグ
リオーを母として生れた全くの姉妹馬である。血統は遺伝するとは云つても、同じ姉妹で
も多少は出来の良いのと悪いのとの相違はある。血統的遺伝だけで馬の能力といふものが
決定されるものではないのだから、これは仕方のないことで、第七フローリスカツプがた
いして目立つた産駒を持たないのに比し、第四フローリスカツプの産駒には、古くからの
フアンならば未だにその名を忘れはしないであらう程の競走馬としての華やかな活躍を遂
げたフロラカツプ、タチバナ、アスパイヤリングがゐる。
此のフロラカツプがアカイシダケの母馬フローリストの競走馬名だつたのである。つま
りフローリストは第七フローリスカツプの姪に当つてゐるわけだが、同馬は大正十三年の
春東京競馬で連合二哩に凱歌を揚げ、同年秋には御賞典を拝受したのを初めとして、駈歩
十勝の後蕃殖馬の生涯に入つたのである。
以上述べた如く競走馬の遺伝力は強いと云つても、その能力は於いては多少の出来不出
来の相違はある。しかし概括的に云つて良駿の腹には良駿が宿ると云つても誤りではない。
以上は血統的知識に対して特に興味を抱くやうになるかも知れない一部の人のために、血
統研究の一参考として挙げたのである。種牝馬の研究を各馬にわたつて詳しく試みるとす
れば、到底この一冊を以てしても尽し得ないものがあり、フアン諸君が馬券を買ふために
は斯くの如く精密に血統の知識を心得てゐる必要があると云ふわけではない。
殊に古馬の場合は血統よりは寧ろ競走の成績と調子のよしあしとが勝馬鑑定の鍵になる。
調子がさがつてゐれば純血種でも雑種に負けるし、昨秋の根岸二哩の如く呼馬でも抽籤馬
のナンコウに一蹴されてしまふ。余りに血統に拘泥することは時に勝馬鑑定の融通性を狭
めるやうなことになる。血統を調べるといふことは、これに縛られるやうな結果になるこ
とを極力避けて、これを実際に生かして使ふと云ふ風に心得ておいて貰ひたい。
しかし新馬の場合は古馬とは些か違ふ。新馬には競走成績といふものがないし、またた
とへ地方競馬に於ける成績などはあつたにしても、公認競馬と地方競馬とでは相手も違ふ
し事情も違ふので古馬の場合の競走成績を参考にするやうなわけにはいかない。いづれに
しても新馬に対しては古馬に於けるよりも勝馬鑑定の研究材料が乏しいのだから、血統の
調査といふ事が相当重視すべき一事となる。
父馬は兎も角母馬からどのやうな兄弟馬が出てゐるか、その母の血液にどのやうな特性
の馬の遺伝が流れてゐるかを考究する事は、勝馬鑑定に際する自信力を強める事にもなり、
無闇にあやふやな穴場の人気などに捲きこまれる危険性を避けることにもなる。同じ母馬
からどのやうな兄弟馬が出てゐるかと云ふやうな事は、時に新聞などにも出るし、専門の
競馬雑誌などにも掲げられるやうであるから、一読大体のことを記憶に止めておけばよい。
一口に新馬と云つても、新呼と新抽とでは血統の研究に幾分の相違がある。と云ふのは
新抽に於いては新呼に比して遥かに父馬の種類の多いことで、新呼ではサラ系以外の馬を
父としてゐるものはごく稀にしかないが、新抽の父馬となるとサラブレツド種あり、アラ
ブ種あり、アングロアラブ種あり、洋種ありで、従つて種牡馬の頭数も呼馬に比しては遥
かに多い。
そこで新呼の場合よりもより多くその父馬にも注意しなければならないといふ事になる。
例へば父馬がサラ系だとすると、サラ系は云ふ迄もなく競走馬としては最もスピードに富
んでゐるのだから、血統だけで云へばア系やアア系よりも速くなければならないのである。
事実に就いて云ふと例へば今春中山の新抽に就いて見るのに、父系で光つてゐるのは二
日目に勝つたルーナーパークの父馬がプライオリーパークであり、三日目に勝つたサロン
フラワの父馬がウツリーブリツヂである。プライオリー、ウツリー共に純血の輸入種牡馬
であり、アラブの父系としてはすぐれたものであるから、馬の調子さへ満足ならばそれだ
けの実力を発揮するのが当然である。
ところが中山の三日目、サロンフラワは二番人気に落され、父馬アア系のシヨウヤンの
方が人気となつた。これは前日の成績に於ける時計から云つてもおかしな事であつたが、
父系の血統の比較から云つてもサロンフラワが買へるところだつたのである。母系から云
つても九年春の函館の新抽で兎も角も一勝したトクマルの異父妹に当つてゐるのだから、
アラブの血統としてはサロンフラワは申分ないくらゐなのである。
初日勝ちのスモールドウター(母、扶桑)は呼馬で五勝したナルトの異父妹であり、その
他モードリンブリツヂの母アイシスからは七年春の京都の新抽で十二勝したアサコマ、九
年春の京都の新抽で今迄に七勝したタカラガワが出てをり、カメバンザイの母第三ベツセ
は呼馬のスマートや現在迄に二勝してゐるア抽のベツセーを生んでゐる。これ等の馬は血
統的には当然残り馬となつて、次のシーズン以後も勝敗を争ふべき資格ある馬である。
しかしアキヅキ、タカヒサ、それから前述のスモールドウターなどを出してゐるアブラー
ルなどと共にアア系の新進種牡馬として注目され始めたバラツケーの仔ではあるが、別段
兄弟馬などゐないケンカツが新抽としては素晴しい新記録を出して、前記のサロンフラワ
などに後塵を浴びせてゐるのだから、血統だけで勝馬を予想できないのは、所詮古馬に於
けると同様である。しかしさうした歴然たる良い血統の馬だとすれば、その馬の調教状態
のよしあしに照らし合はせて、これは断然勝つに違ひないと云ふやうな自信を持つことも
出来るのである。血統の調査は矢張り勝馬鑑定の一項目とするには充分の値ひがあらう。
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