調教の実状

 勝馬鑑定には成績を調べるだけではいけない。如何にすぐれた勝時計を有する良駿でも、
躯の調子を悪くしては勝てない。また調子がさがつて、一時成績の上にいい所を示さなか
つた馬でも調子を取戻せば再び活躍の機会を掴むであらうし、前季いい所まではくるが末
がちよいと足りないで勝てないと云ふやうな馬が、今季好調を迎へるとすれば愈々活躍の
時がきたと云ふことになる。

 即ち勝馬鑑定には是非とも調教の状況を調べることが必要である。尤も調教状態を調べ
るといつても、その完全を期するとなれば敢へて本馬場調教のみならず、競馬開催前の内
馬場に於ける朝夕の調教から、レース当日の朝早くの調教まで視察調査しなければならな
いかも知れない。ところがこれだけでもまだ完全とは云へないのである。と云ふのは競走
馬は一競馬場に集中してゐるのではないからである。中山競馬に当つて、いつ迄も中山へ
は来ずに、その馬の本来の厩舎たる東京競馬場で調教してゐるやうな馬もあり、レース当
日の朝になつて初めてよその競馬場へ持つてくるやうなこともある。

 といふわけで調教状態の視察調査は結局一人では絶対に完全にこれを遂行すると云ふこ
とは不可能である。そこで諸君は新聞雑誌の報導なり、もしも厩舎関係の人に知合ひの人
でもあれば、その人の口から聞かせて貰ふなりして、調教状態に関する実際のニユースの
蒐集に手を尽すよりほかはない。

 その完全は到底望み得ないとしても調教状態を全く無視するよりは、出来る限りその調
査材料を集めて実戦の参考に供することが賢明であり、それだけの努力は当然報ひられる
であらうと信ずる。

 調教時計なんか幾ら良くても駄目だと云ふ人がある。それも嘘ではない。調教時計だけ
は人目を惹くやうな馬で実際のレースになると、さつぱり良い所なくして終つてしまふと
云ふやうな馬もある。しかしその反対に調教で示した通りの好調を実際のレースにも現は
す馬もあり、いづれかと云へば調教によかつたやうな馬は大抵レースにも悪いことはない。
従つて例外はあるとしても調教状態の良い馬はこれを実戦の勝馬鑑定に際しては問題に上
してみるべきである。

 しかし調教で一一三、つまり一分五三秒を示した馬は一一五の調教時計を出した馬より
も強く、勝ちみがあると云ふことは云ひ得ない。これは成績の項で述べたやうに時計の数
字だけに捉はれてはならないのと同様で、その実力を見極めた上で参考の一つとするので
なければ却つて失敗を招く基となる。

 仮りにアカイシダケの追切の時計が一一七であつたとする。そしてフソウの時計が一一
三であつたとする。しかし両馬の実力が分つてゐれば調教時計が幾らよくても実戦となつ
てフソウがアカイシを敗ると云ふやうなことは想像できないことである。

 つまり血統、馬格、成績に於けると同様に参考に役立てるだけである。調教状態によつ
てその馬が好調かさうでないかを推定すればよいのである。そしてもしも好調らしいとす
れば、実戦に際して相手馬の顔ぶれとその馬の過去の成績に徴して検討を加へてみるので
ある。前季の成績でその馬が入着圏内にあつた馬だとして、今後の調教にその好調を示す
とすれば、今度は単式候補として考へてみてよいのである。

 調教状態が良いにも拘はらず実際のレースとなつてそれ程の成績を挙げない馬のある一
方には、調教には少しも良い時計などを示さず、それでゐて実戦になると活躍する馬もあ
る。時には調教よりも勝負になると良く走ると云ふ気質的にさうした特徴を持つた馬もあ
り、その反対に気質的に実際の勝負には弱い馬もある。しかし調教時計が悪くてレースに
活躍すると云ふ馬の場合は、さう云ふ気質的のことよりも調教にはあまり追はないと云ふ
馬の場合が多い。だからさうした馬は調教時計だけで、簡単に調子が悪いのではないかな
どと早呑込みしてはならない。

 その一方には実際に調子が悪くて良い時計を出せない馬もある。そのいづれであるかは
自分で調教を視察に出かければ、大体はわかるものだが、調教視察などに行けない人は、
調教状態に関する材料を集める時に、さう云ふ点にも留意するがよい。

 試みに今春中山の本馬場調教の時計の実例に就いて些さか記してみる。

 新抽でケンカツは第二回調教に一一七といふ時計である。アラブの古馬でさへこれだけ
の時計は出してゐない。これは時計通り中山の初日に素晴しい新記録で勝つてゐる。追切
日にスモールドウターは一二一を出してをり、これはケンカツに次ぐ時計であり、矢張り
初日ケンカツとは別の鞍で一着となってゐる。三日目に勝つたサロンフラワは第二回には
一二三半、追切に一二三で走つてゐる。ところでサロンフラワが勝つたレースで一番人気
となつたヨシボーは第一回に一二五半、追切に一二四で、サロンフラワだけの時計は出し
てゐなかつたのである。そのヨシボーが人気になつて三頭立ての殿りとなつたのだから、
これはこの馬を人気にしたフアンの方が悪い。

 新呼で初日勝ちのハツピーライトは追切に一一三で、古呼のニシキに次ぐ良い時計を出
し、実戦にも調教通りのよい足を発揮した。追切に一一四半のパプステツトは余り追つた
時計ではなかつたといふことだが、果してレースには相手馬とは問題にもならない楽勝振
りを遂げた。

 アラブの追切でアキヅキは一一四半、トキノハナは一一九半であつたがトキノハナはア
キヅキ程追つてゐなかつたのであらう。実戦になると調教時計ではトキノハナよりも良か
つたアキヅキが鼻の微差ながら敗れた。ここが調教時計だけを鵜呑みにしてはならない点
で、調教時計の違ひは単に参考に止め、これだけの時計なら両馬ながら好調にあるものと
推定して、そこで両馬の競走経歴、その実力を比較検討して一着馬を狙はねばならないの
である。尤もこの時のトキノハナの時計の後三ハロン(一ハロンは二百米)は四二で素晴
しく、アキヅキの後三ハロンの方が悪かつたのだから、一周の時計だけでどつちが早かつ
たかと云ふ事を比較するのは些さか早計に過ぎるのである。

 古抽で追切に一一七を出したホワイトローズは中山三日目ハクエイの二に来て複式九十
四円の好配当をつけた。これは調教状態の好調を実際のレースに於いても裏書きしたもの
である。サンメードは第二回に一一六、追切に一一八半で好調らしいが、中山二日目着に
も入れなかつた。これは調教状態以外の何等かの点に敗因があつたものと思ふが、此処で
は主として調教状態に就いてペンを進めてゐるので、その敗因の追及は暫らく措くことと
したい、フバツは第二回一二四、追切に一二五であつたが、この二度ながら後三ハロン四
一で好調を物語り、二日目猛烈に逃げまくるハコネヤマを物の見事に捉まへた。

 古呼で追切日のニシキは一一二半の一番時計を出し、三日目に一着となつて九十三円の
好配当をつけた。レースの結果は調教に於ける好調をよく証拠立ててゐるが、若しも同馬
を初日の特ハンに狙つて損した人が不服を唱へるとするならば、その人には矢張り調教時
計だけが勝馬鑑定の材料ではないと云ふことを再考して貰はなくてはならない。特ハンに
一着となつたゼンポウが第二回調教に一二一の時計しか示してゐないが、これは調教に充
分には追はなかつたのであらう。同じく第二回にラツキーウインは一一三半で好調ではあ
るが、元来この馬は逃げ馬だけに一周の時計は良くとも、後の頑張りが足りないのだから
中山初日三着にさがつたのは当然で、同じ調教の日に一一四だつたユキオミが二着にきた
のは已むを得ない。

 速歩で第一回二分四四秒、第二回二分四五秒で共に一番時計となつたヒダカイブキが第
一回二分四五秒、第二回二分四七秒のブラボーステーツマンに一着を許し、ヒダカ自身は
着外に敗退して、調教時計の好調を裏切つた理由は茲では詮索しない。三日目のレースで
シマネに最後のキヤンターがなかつたとしたなら、一着は可能であつたかも知れないと思
ふ人もあるだらうが、追切の時計はミヨス二分四五秒、シマネ二分四十六秒で、ミヨスの
好調は疑ひもなく、ミヨスのスピードに堪えきれず、苦しくなつてシマネはキヤンターに
なつたのであると考へれば、レースの結果は極めて合理的である。

 と云つたやうな訳で、調教に良い馬は本レースにも良いのが普通で、調教時計を莫迦に
するやうでは馬券も損と覚悟しなければならない。たとへ完全は期せないにしても、調教
の状態は努めて探知するに越したことはない。


前日迄の成績

 先に述べた「成績」は東京なら東京の競馬開催に先立つ過去の成績である。それとこれ
との項目を変へて記すのは競馬場が変れば早くもその間に各馬のコンデイシヨンに変化も
起るであらうし、出走馬の顔触れや組合せにも多少の変動があるわけで、過去に於ける成
績に対する見方とは幾分そこに相違があるべき筈のものと考へたからである。

 殊に新馬の場合などは当然過去の成績と云ふものはないわけだし、障碍などにしても此
処で始めて障碍入りをすると云ふやうな馬も現はれる。障碍新入りの馬の場合に、勿論そ
の過去に於ける駈歩当時の力量といふものは考慮の対象となるが、しかし実際に於ては駈
歩でいかに優秀な成績を示した馬でも、障碍馬となつてからそれ程の戦績を挙げない場合
もあり、駈歩レースでは殆んど見るに値ひする程の活躍もしなかつた癖に、障碍に廻って
からめきめきと能力を発揮してくるやうな馬もある。

 かうした馬に対してはその成績と云へば過去のものではなく東京なら東京の競馬場だけ
の成績を勝馬鑑定の目安としなければならない場合もある。

 しかし勿論成績の見方、調べ方の点で前述したタイムの偏重に陥らぬ事とか着順に捉は
れぬとか云ふ事に対する考へ方は、ここでもまた同様のことが云ひ得られる。

 ただ前の競馬場での成績はかうかうであつた。しかしそれから直ぐに調子がさがつたと
か、その時よりもまだ一段と好調になつてきたとか云ふ変化がある。その変化は調教の実
状によつて窺ふわけで、競馬場が改まつてからの成績には当然それだけの変化も現はれて
くるのである。これを検討するのが、そのレース当日の曳馬の調子と気配とを観察する事
と同じく、勝馬鑑定の最後の条項となる。

 A馬は昨日のレースでは半馬身の二着となつた。そして今日の顔触れには有力な差馬と
云ふものも殆んどないし、後は前日迄に着に入つてゐるやうな馬もなし、そのA馬の実力
に見通しがついてゐれば、これは殆んど確実な本命でなければならない。

 しかし此処にB馬と云ふ差馬が現はれたとする。B馬は前の競馬場では三日目に初めて
出て七頭立ての五着、五日目に出て三着、ところが八日目の負馬には着外に敗退した馬だ
とする。そして此の馬のその後の調教状態に見るべきものあり、馬が上つてきてゐるとす
れば、前の競馬場では三着がただ一回で成績だけでは心許ないやうな気がしても、穴はこ
れだと云ふことになる。また前の競馬場での三着がそのレースの勝馬の勝時計に対して着
差の開き少なく、惜しくも三着になつたのだと云ふやうな成績ででもあれば、その成績だ
けから割出しても、此処ではA馬以上に嘱望できるといふやうなこともある。尤もこのB
馬が三着に入つた次の負馬に着外に敗退した時の敗因と云ふものを討究する必要もあるが、
敗因の討究と云ふ事項に関する説明は後に譲る。

 差馬の場合に、またこれが関西の競馬場で好タイムで勝つての直後であるとか、前の競
馬場で優秀なタイムで勝ちながら、此処の競馬場では今まで待機してゐたかの如く休養し
てゐた馬ででもあつたとすれば、これもまたA馬以上に嘱目できる場合が多い。

 ただかうした馬はどうかすると往々にして人気になりながら、前の競馬場で示した好成
績に反比例して、だらしなく負けてしまつたりすることもある。かう云ふことは前の競馬
場以後の調教状態がわかつてゐるとすれば、恐らく無考察に前の成績だけを信じてその馬
に期待することを許さなかつた何等かの調子の低落があつたに違ひないのである。

 だから差馬の場合はその馬の過去の成績と差馬として出る迄の調教状態をよくよく見極
める必要があり、差馬に人気がかぶつたために、前日の二着馬、しかも僅かに半馬身の着
差しかなかつた二着馬でありながら、これが意外の好配当になつたりすることもある。

 それからかう云ふ場合がある。A馬が前日二着だつた時のレースで、三着馬との着差は
一馬身、四着馬はそれに首、五着馬はそれに頭と云ふきはどい成績だとする。これだけの
成績だけで云へば着順の通りA馬の勝抜いた今日はB馬が勝つて当然と云ふことになるの
だが、事実はこの着順と着差とは極めてデリケートな問題で、着差の鼻や頭ぐらゐは内枠
と外枠とのコースの取り方一つで違ふこともあり、脚力が茲で伸びやうとした時に、先行
馬がぱツと前に塞つてきて、そのために伸びやうとした出鼻を抑へられたのが原因となつ
て、ゴールにきて一馬身もそれ以上もの着差を生じると云ふやうなことも極めて有り勝ち
なことである。

 この点から考察すると、昨日の二着、三着、四着、五着のこの四頭の間には、殆んど実
力的には懸隔がないと云ふことの云へる時もある。昨日のレースをよく観察してゐた結果、
着順は五着となつたけれど、その五着のC馬の敗因が全く不利なコースの取り方のためで
あつたことが明らかだつたとすれば、今日は寧ろB馬以上に、昨日は五着のそのC馬が実
力的には本命といふことにもなる。

 いづれにしても首、頭から精々一馬身かそこいらの着差であるとすれば、力量にそれだ
けの隔りがあると考へるよりも、寧ろこれは同着程度に考へておく方がレースの複雑性に
適合してゐて自然である。競馬の合理性と云ふのは、昨日の着順は今日またそれと同じ着
順で繰返されると云ふことではない。勝負の岐れ目がそれ程に微妙で、複雑な競馬が、昨
日と同じ着順を今日また繰返すと考へることの方が理窟に合はないくらゐのものである。

 そこで昨日の五着の此のC馬は、昨日のレースで不利な戦ひをしたかどうかと云ふこと
にまで観察が行届かなかつたとしても、もしもその馬の最近の調教状態が極めて良好であ
つたことでも知つてゐれば、これは狙つて無理のない馬である。即ち五着迄の昨日の四頭
の着差から考察する時、これを同着程度に考へれば、調教状態に眼立った進境を示してき
てゐるC馬を狙ふことが、昨日の着順に捉はれるよりももつと合理的なのである。

 今春根岸の記念競馬四日目にワツトホークと云ふ馬が単式一票の大穴を明けた。この馬
の初日以来の成績は初日二十一頭立ての十二着、三日目十四頭立ての六着であつた。しか
しその着差を見ると二着馬一馬身半、それに三着馬半馬身、四着馬首、五着馬半馬身と云
ふ、一着馬は兎も角として後は非常に接線であつた。

 成績表に着差の出てゐるのはこの五着迄であつたが、六着のワツトホークの着差もまた
首かせいぜい半馬身程度のものであつた。そしてその差脚にはその時相当に見るべきもの
があり、そのレースの日から返り初日迄中四日競馬は休みとなつた。

 しかし此の時のレースが此のやうに際どいものではあつたにしても、その直前の京都競
馬の成績が悪過ぎるし、過去に注目するに足る何等の成績もないので、成績だけではとて
も狙へるわけの馬ではない。ただこの中四日間の休みの時の調教に相当良い足を見せたと
云ふことを教へてくれた騎手があつた。すると果して返り初日の四日目にはこれが大穴を
明けてしまつた。かうした無名の馬の調教状態などは、本統に調教に従事してゐる連中で
でもなければうつかり見逃してしまひ勝ちのもので、此処まで詳しい調教の状況は容易に
我々に迄は分らないが、それでもワツトホークの例は、調教に良い馬は怖く、僅かの着差
はそれを同着程度に考へる事の自然なことを我々に教へるものである。

 も一つ同じく根岸記念の同じ種類のレースに例をとつてみるのに、初日三着のキキヨウ
とそれに一馬身で四着のケイシユンとがその次にまた顔が合つて、今度は逆にケイシユン
一着となり、キキヨウがこれに一馬身半負けた。

 ワツトホーク、ケイシユンのこれ等のレースはいづれも収得賞金三千円以下とか加齢重
量なき馬とか云ふ制限レースであつたが、特にかうした競走経歴の浅い馬のレースに於い
て、着順は次のレースに屡々狂ひ勝ちである。


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