八百長はあるか

 かうした狂ひは、よく人の云ふ、あの馬は今日はやるとかやらぬとか云ふやうな結果の
ためではない。二着なり三着なりに入つた馬が次の機会に着外に敗退する。すると「ああ、
今日はやらずか」などと云ふ。つまりこれを目して一人八百長とするのである。

 しかし斯うした「やるやらぬ」と云ふ事はレースの実際には殆んど全くないと云つても
よい。前日のレースで着に来たからと云つて、今日必らずしも着が固くない場合もある。
一度レースをすればそれだけの勢力の消耗する、所謂二日追ひ、三日追ひなどの利かぬ馬
なら、前日程走れないのが当然であり、前日と違つてレースに不利な過程を辿れば前日だ
けの成績は挙げられない。理由は様々な場合があるが、これ等を一様に「今日はやらずか」
などと云つてしまふのは騎手に対しても気の毒である。

 人によつては、必らずしも一着を目的とせず試走的にレースに出る馬もあると云うふう
に考へてゐるやうだが、事実は決してさうではない。出走すれば馬はそれだけその勢力を
減らすのだ。仮りに今日は「やらず」で次の機会に「やらう」と目論んでも、今日のレー
スでそれだけ勢力を使つてゐるのだから、折角「やらう」と思つてゐるレースになつては、
実力だけの勝負も出来ないことになる。「やる」積りでもやれないのである。

 馬主にしても騎手にしても、馬を出走させるからにはその馬に勝たせたい。勝たせなけ
れば損である。しかもいくら勝たせたいと焦つても、競走馬の数は多いのだから思ふやう
には勝たせられない。「やれば」勝てるなら馬主も騎手も気は楽だ。しかし幾ら「やる」
にしても容易に勝てないのが現状である。

 それだのに何を好んで、馬の勢力を労費してまでも「やらず」と云ふやうなレースに出
る必要があらう。

 八百長にしても馬数の少ないレースの多かつた昔は兎も角、現在では相当に馬数の多い
レースがふへてきてゐる。出走馬が三頭とか四頭とか云ふ少数ならば、それは時に騎手同
士が馴れ合つて、一番強い馬を引張つて、その次に強い筈の馬に勝たせると云ふやうなこ
とも可能かも知れない。

 しかし馬数がふへてきて、そんな莫迦なことをしてゐては、いつどんな強い他の馬に勝
たれてしまふかも知れない。馬券で取ると云ふやうなことも云はれるが、馬主は馬に賞金
を稼いで貰はなければ損なのだ。仮りに馬券で取るにしてみたところで、八百長をやるな
ら矢張りそれだけの力量はある馬同士でなくてはならない。いくら一番強い馬を引張つて
みたところで、それだけの能力のない馬に勝たせるわけにはいかない。

 とすれば八百長を目論んだとしても勝たせるべき馬は相当に強いと云ふことになる。そ
れならフアンだつてその馬を見逃すわけはないから、仮りにその馬が勝つたにしても、大
して好配当になるやうなわけはない。まづ六十円もついたとして、そこでその馬券を二十
枚取つたとする。六十円が二十枚で千二百円、そこから元金の四百円を引くと、懐ろに入
るのは僅かに八百円である。

 八百円ならアラブの負馬の一着賞金だつてそのくらゐはある。成功するかどうか分らな
い八百長などを目論んで、馬券で儲けるといふやうな危い橋を渡るより、それが勝てるレー
スなら最初から賞金を狙つた方が確実なわけではないか。

 それに馬は今は無事でも、いつ調子がさがつたり、故障になつたりもしないものではな
い。そんな事にでもなれば最早当分なり永久なりその馬に賞金を稼いで貰ふことはできな
くなる。だから稼げる間に稼いで貰はなくては、いつどんな結果になるかも知れない。や
るとかやらぬとか、引張るとか、そんな呑気な考へで、馬をレースに出してゐられるもの
ではない。

「やるやらぬ」それから八百長と云ふやうなものは、少なくも現在の公認競馬には絶対に
ないと信じてよい。諸君はそのやうな余計ごとに気を廻すことなしに、ただ自分の判断す
るところに従つて、馬の実力本位に馬券には手を出すべきである。

 前日または前々日と云つた最近の成績を検討して、勝馬鑑定を試みる。その時自分の買
はうとする馬の前日迄の敗因を探ることは勝馬選定に当つて最も有効である。負けるには
負けただけの理由は必らずなくてはならぬ訳のものであり、これが勝つだけの実力なくし
て負けたのか、勝てる脚はありながらレースに於ける何等かの不利のために負けたのかを
考究する。

 実力はあつても、時にはスタートの出遅れもないとは云へず、馬混みに入つてそこから
抜け出られず、遂に力量を発揮するチヤンスを失ふ場合もあり、先行馬の脚力の最後の衰
へを予期して馬の力をため過ぎたために、先行馬に逃げ切られると云ふやうな失策もあり、
時にはコーナーを曲る時に馬が外にふくれたり意想外の失敗を招いて負ける馬もある。

 これ等の事実はレースの観察に忠実でさへあるならば、それ程発見に困難な事柄ではな
い。そこでこれ等の事実と相手馬の実力とを比較検討する時、もしもその馬に前日のやう
な失敗がなく実力通りのレースができたとするならば、今日は確実に勝機を掴むことがで
きるだらうと云ふ判断もくだし得られる。その馬に習慣的悪癖――つまりかねてから出遅
れの癖があるとか、コーナーへ行くと馬が外枠の方へ行きたがると云ふやうな癖があると
すれば、それはまた別の問題だが、単にレース上だけの失敗だとすれば、今日は昨日の失
敗に懲りて、騎手ももつと有利に勝負をするに違ひない。さう云ふ確信を持つこともでき
る。

 だから負けた馬に対しては一応はその敗因を探ることとレースの観察には常に忠実なる
べきことを諸君の前に希望しておきたい。


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