本命と穴

確実な本命

 一口に本命と云つても、確実な本命とさうでない本命とがある。本命買ひにしろ穴狙ひ
にしろ、これに注目することが馬券買ひの第一の要諦である。もしも穴を狙ふ場合に、そ
のレースに確実な本命があるとしたら、これは詰らない。確実な本命が人気通りに勝つて
しまふであらうから、かう云ふレースではどんなに人気馬の嫌ひな人でも、無理に穴を買
つたりしてはならない。人気馬が厭なら、馬券は休むことである。

 同時に本命買ひのフアンは、その本命が人気はあつてもどうも不確かで怪しいと睨んだ
ら矢張り馬券は休まなくてはならない。

 そこで確実な本命と怪しい本命とは如何なる方法で見分けるかと云ふに、所詮それはそ
の馬本来の実力の検討と云ふ所から始まるべきで、確実な本命と云ふのはその馬の人気が
馬の実力に伴つてゐる場合である。あの馬なら人気になるのも当然だと云ふだけの根拠と
実力とがその馬にある場合。これが確実な本命である。

 その最も極端な例は今春中山二日目に勝つたア抽競走のアキヅキである。同馬の前日の
成績は二千米二分十一秒四と云ふ呼馬級の勝時計を出したトキノハナに鼻の二着であつた。
その時の重量は五八瓩で、二日目には六一瓩となり、三瓩の増量とはなつたが、元来競走
馬の負担重量と云ふものはその馬の馬格にもよるが、六二、三瓩までの軽量の間は二瓩や
三瓩変つてもひどく影響するといふものではない。六五瓩の馬が三瓩増されて六八瓩とな
つたり、七〇瓩の馬が七三瓩となつたりすれば、それは馬にとつては随分応へもするし、
従つて能力にも影響してくる。

 しかし五八瓩から六一瓩となつたのでは、その増量はその馬の殆んど何等の障害ともな
らない。まして目下のアキヅキは人も知る通りの昇り馬であるから、余計増量などに何の
痛痒も感じはしない。年齢は明け五歳の元気一杯の時であり、性は牡だと云ふのだから何
処と云つて一点の危なげを感ずるところもない。

 京都記念の二哩を叩いた疲労などと云ふことも云はれたが、それも初日のトキノハナと
の壮烈なレースを見れば忽ち氷解してしまつた。厩舎は馬を大事にすることでは周知の尾
形厩舎であり、騎手は新抽以来同馬に乗馴れた内藤騎手である。

 そして相手にどんな馬がゐるかと云へば、いづれも二千米を二分十五秒切つては走つた
事のない馬ばかりである。さう云ふ馬が二分十一秒四に鼻の差で二に来た馬と太刀討ちが
できるかどうかと云ふことは殆んど常識では考へられない。

 これだけの条件が揃つてゐて、しかも尚ほ一抹の不安なりともこの馬の一着に対して抱
く人があつたとすれば、最早その人は如何に口を酸くして競馬の合理性といふやうなこと
を説いてみたところで、遂にそれを理解し得ぬ人であり、さう云ふ人は結局馬券の邪道に
走るよりほかはない。

 レースの結果は果してアキヅキに取つつく馬もなく、後の馬を大差に引放して同馬の一
着となつたが、しかし単式払戻金は元金返しの二十円といふのだから、馬券を買つたフア
ンは唖然としたことに違ひない。

 確実な本命とは云つても、これは極端な例として挙げたのであつて、かう云ふ馬の馬券
を買ふのはどうかと思ふが、それよりもこんなレースにでもアキヅキ以外の馬に五十六票
も投票のあることに気づいて、随分無理な馬を買ふ人もあるものだと感心してしまふ。

 尤もこの中にはその一着を信じはしないが自分の馬だからと云ふので、御祝儀みたいに
一票を投じてゐるやうな馬主もあるだらうが、サンロクの二十八票、トーターカツプの十
四票などの中には、理窟は抜きの穴党フアンの金が相当に入つてゐるだらう。穴狙ひ大い
に結構だがかう云ふレースに穴を買ふのは禁物である。

 幾ら確実な本命でも二十円元返しでは仕方ないと云ふ人のためにもう一つの例を引けば、
今春根岸記念競馬五日目アラブ障碍の特別競走に於けるセントメリーは初日特ハンの三着、
翌日の二千八百米の勝馬であつた。そして特別に於ける相手馬の中で多少とも実力的に問
題に上るべき馬はタイザン、タフク、リンデン、ロングリツチの四頭でいづれも関西から
の遠征馬であり、直前の京都競馬にはセントメリーが関東から行つて、これ等の馬を相手
の堂々と初日に勝ち、また優勝をも奪つてきたのである。

 ところで根岸記念初日特ハンにセントは定量より一瓩増の六一瓩で三着に敗退したが、
その時の一着馬タフクは定量から三瓩の貰ひがあり六二瓩、これが特別には六六瓩で走る
こととなり初日よりも四瓩も重い。六二瓩から六六瓩ではこれは充分に応へる。ところが
セントは特ハンよりも一瓩減の六〇瓩となつたのだから、セントに有利なのは誰にも分る。
勝時計のハロン速度は五分の一秒にちよつと足りない程度でタフクの方が僅かにいい。

 しかしタフクの勝つたのは二千六百米であり、セントの勝つたのは二千八百米だから、
少しはセントのハロン速度の方が悪くなつて当然であり、特ハンに於けるタフクとの着差
を時計に直してみても、両馬の重量の増減の開きに比例してみると、どう考へてもセント
に勝ちみがあつた。

 タイザンは秋の同じ根岸競馬に特別をさらつた馬であるがその時は六〇瓩、今度は六四
瓩でまだ重量苦といふ程ではなくとも幾らかは能力に影響する、二日目セントに負けた時
は六六瓩で一馬身四分の三の二着であり、そのレースの時よりは二瓩軽くはなつてゐるが、
四日目リユウヒにさへ逃げ切られ、二日追ひの疲労をも考へに入れれば矢張り勝ちみはセ
ントに認めるよりほかはなかつた。リンデンは時計が悪く、ロングは調子を悪くしてゐた
ので、直前の京都に於ける堂々たる優勝ぶりから推察しても、本命にはセントを推すのが
至当であつた。

 レースの結果は一番人気の支持のもとにセントが新記録を以て快勝した。ところが此の
単式払戻金五十三円五十銭と云ふのだから、実力の確実さに比して好配当と云ふべきであ
らう。

 実例を挙げよと云ふなら、実に無限にこんな例を挙げ得るが余りに煩雑にわたるので此
処での記述はこの程度で控へるが、諸君自身過去の成績を繙き、そこから本命の確実なり
しものを拾ひ挙げ、その確実なりし理由を見出すことは極めて容易なることであらう。


怪しい本命

 常識的、といふよりも幾分皮相的な見方に於いてではあるが、多くの人々が此処のレー
スの本命はこれだと云つてゐる。従つて人気もその馬にジヤンジヤンかぶつてゐる。一番
人気である。

 しかしその馬の実力を深く考察してみる時、その実力に相当疑問のある馬が時に本命に
祭り上げられる。決してその馬が人気な程それほど確かな実力は備へてゐない。即ち怪し
き本命である。かう云ふ本命をただ人気だけに釣りこまれて、確実な本命に対すると同じ
やうに無考察にその一着を信じたりすると飛んでもないことになる。馬券に於いて本命主
義必らずしも非難さるべきではないが、本命買ひと云はれる人の危険はつまり此のあやふ
やな本命をも確実な本命をも同じくそれが人気であるといふ点に於いて、勝ちみ多きもの
のやうに過信してしまつて、その実力に対する検討を深くは試みないところに潜んでゐる。

 怪しい本命のなかには、実際にそれ程に人気になる理由は殆んどないにも拘はらず、そ
れが一番人気になつたりしてゐる場合がある。それは比較的競走経歴の浅い若馬の場合な
どに特に多いが、例へば根岸記念初日、収得賞金三千円以下の馬に限る呼馬競走でナスカ
が一番人気になつた。ところで此のレースの顔触れ中には過去のレースではつきりした
実力を示した馬と云ふのは殆んど一頭もゐなかつたと云ひ得る。だからこのレースでナス
カゲが人気で本命とはなつたものの、実際には本命に挙げるだけの実力のしつかりした馬
と云ふものは一頭もゐなかつたのである。

 ナスカゲは根岸記念直前の秋の京都の新呼であつた。そして三日目に差馬として出てき
て、千八百米一分五六秒三と云ふ新馬にしては好タイムで一着した。実際のところナスカ
ゲが一番人気になつたのは、この勝時計の良かつたと云ふ、ただ此の一事に基いてゐたと
思はれるのだが、さて京都新呼の優勝戦には、しかしこのナスカゲは三日目の勝時計だけ
の戦績は示すことなしに、十頭立てのレースで七着に迄敗退してしまつた。優勝戦の距離
は二千二百米であつた。

 この優勝戦の行はれたのは十二月廿五日のことで、それから二旬ならずしてナスカゲは
一月十一日の根岸記念に古馬となつて出走したのである。千八百米の時計はよかつたが優
勝戦の七着は感心できない。優勝戦で全く良い所を示さなかつたのは、距離が長いためも
あつたかも知れず、或ひはこの馬は短距離馬と見るべきであつたらう。さうとすれば根岸
記念初日のレースの距離は二千米であるから、特に距離が長いといふ程のことはなくとも、
千八百米よりは此の馬にとつて苦しいのではないかとも見られたのである。

 レースの結果は果然六着にさがつて、複式にも入らなかつたのである。ところが三日目
に再び同馬がレースに参加した時、その時は初日の人気ほど迄には偏らず、数頭に割れた
人気ではあつたが然かも依然ナスカゲ一番人気ではあつたのである。初日ナスカゲよりも
先にゴールへ入つたキキヨウよりもケイシユンよりも人気だつたのである。初日のレース
を見ただけでも六着の馬を一番人気にする手はないにも拘はらず、矢張り千八百米一分五
六秒三と云ふ過去の時計が同馬に対する信頼を集めてゐたのであらう。レースの結果は四
着でまたしても複式にさへ来なかつた。

 これは実力の未確定な馬が本命とされ、一番人気となつて敗れた一例である。同じ危な
い本命と云ふのに、これとはまた一分違つた種類の例をも一つ挙げる。それは実力が未確
定と云ふよりも、その馬本来の実力が今日は発揮し得ないのではないかと云ふ懸念のある
レースである。

 即ち調教は余り良くないと云ふことを聞きながらも、過去の成績だけに頼つて結局その
馬を本命にしてしまふ場合、評判だけは非常に高いが過去のレースにそれだけの成績もな
く調教時計としても別段すぐれたものなどないにも拘はらず、出来が良い出来が良いと評
判になつて本命になつてしまふ馬の場合。

 矢張り根岸記念の初日古抽特ハンにウネビヤマは単式総投票数千七百三十二票の中八百
四十四票を占めたほどの絶対人気であつた。しかし此の馬は直前の京都競馬特別戦では、
矢張り絶対人気になりながら鼻出血のために敗れてゐるのである。其敗因が鼻血のためで
あつた事は早くも吾々の耳にも達したし、また競走馬の消息に少しでも注意してゐる人に
は分つてゐた筈なのである。

 そのレースから根岸記念初日まで二週間と少ししか経つてゐなかつたのだから、根岸へ
きてから同馬の調教状態は悪くはなかつたにしても、本レースで強く追はれればまたして
も鼻血を出すかも知れないぐらゐの事は、一応疑つた上で馬券に手は出すべきであつた。

 しかし実際の人気の状況はそのやうな事実には些かの懸念も払はれなかつたかのやうな
形勢となつてゐる。レースになると、果して鼻血を出して四着に迄後退してしまひ、完全
に人気を裏切つてしまつた。

 ウネビヤマの過去の競走成績だけから推すとすれば、これは一見確実な本命の如く思は
れもしたのであらうが、直前の競馬で三着にさがり、しかもそれが鼻血のためだと云ふ事
を噂になりと耳にしたとすれば、これは実は危なつかしい怪しき本命だつたのである。

 斯くの如く実力未確定な馬が本命とされて人気を裏切る一方には、実力馬が或ひは敗退
の懸念を抱かせるに充分の根拠あつて、然かも尚ほ且つ人気となり本命買ひを嘆かせる結
果を生ずることもある。

 これ等は共に確実ならざる、怪しき本命であつて、穴を狙ふには絶好のチヤンスであり、
安全を愛する人は馬券を休んでおく所である。本命の馬の実力が確実か疑はしいか、これ
を検討することは勝馬投票に際する妙味ある戦術の第一歩であると信ずる。


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