人気と穴

 人気に実力の伴はない本命の馬は、いかに人気は人気でも敗れるのが当然である。これ
に反して馬の実力に人気の伴はない場合がある。穴馬と云ふのがこれである。

 しかし時には、このレースの穴ならこの馬だ、この馬だと云ふので、へんに人気のかぶ
つてくる事がある。それは俗に穴人気と云はれるものだが、さうなればそれは最早穴では
ない。それ程人気になる理由もないのに妙に人気のかぶつてくる馬の実例は相当に多いが、
昨秋の福島古抽優勝戦に於ける人気の割れ方などは、その著しいものとして未だに記憶に
残ってゐる。穴人気が結局本命をしのぐ程の票数をさらつて行つたのである。

 この時の出走馬の顔触れを見ると、初日平場で勝つたミクニの時計が千八百米二分四秒
一、特ハンのフバツが千八百米二分二秒二、特ハンの二に来て翌る日勝つたテンリユウザ
が二千米二分二二秒一、初日ミクニと顔が合つて十二頭立ての九着だつたハチマンが三
日目二百円の大穴を明けて二千米二分二三秒一、この三日ながら馬場不良だつたので時計
はいづれも悪いが、この四頭中時計の一番いいのは特ハンに勝つたフバツであり、重量も
特ハン五五瓩、優勝戦五六瓩で軽かつた。

 テンリユウは特ハン五七瓩、優勝戦六二瓩で大して重いと云ふわけでもなかつたが、し
かし重量の開きに於いて明らかにフバツが有利であつた。

 あれやこれやと戦績を検討して見るのに、茲では何としてもフバツが勝つて当然の所で
寧ろ確実な本命と見られたにも拘はらず、投票が締切られた結果の数字では単式はテンリ
ユウ一番人気、二番人気がフバツの百七十一票であつたが、ミクニ百二十一票、ハチマン
百十七票でいづれも相当の票数を集めた。

 更に複式の票数を見て奇異を感じたのはハチマン百七十五票で第一人気、ミクニが百五
十五票、フバツが百四十六票、テンリユウ百四十二票で、単式と複式との人気の比例がま
るで正反対なのである。しかもハチマンなどはその春の新抽で勝つただけの馬で、過去に
その実力を裏書きすべき何等の根拠もなかつた。それにも拘はらずこれが複式の一番人気
になつたのは、穴はこれだこれだと云ふ人がそれでも単式ではさうさうは買切れず、複式
に走つたためであらう。

 レースの結果は確実な本命と見られたフバツ一着で単式六十一円五十銭つけ、複式は二
着に入つたミクニの三十八円五十銭よりも一円余計の三十九円五十銭をつけ、三着テンリ
ユウ、四着ハチマンとなつた。

 このレースは同季福島戦の最終のレースであり、この一戦で福島を去るのだと云ふフア
ンの気持が、奇異な人気の変調を招来したものに違ひないが、ハチマンの人気などは穴人
気の最も再だしい一例と云へやう。

 穴だと思つて狙つた馬に妙な穴人気が出来てくるやうな時は、その馬の実力に就いての
再吟味もさる事ながら一応はその馬への投票の気持を再考する必要のある場合が多い。


到底取れぬ穴

 一口に穴と云つても、到底取れぬ穴とさうでない穴とがある。

 到底取れぬ穴と云ふのは理窟だけでは狙ふことの出来ない穴である。穴を明けるには明
けるだけの実力と理由とを持つた馬に相違ないのだが、その理由が然かく判然とは成績の
上にも現はれてゐないし、眼にも見えなければ、耳にも聞えてこない、隠されたる理由な
のである。従つてその実力も隠されたるものとなつてゐるので、かう云ふのは理窟だけで
は狙ひ切れない。

 眼に見えない隠されたる理由とは馬の驚異的進境である。も一つは故障馬だとばかり思
つてゐたのが突如としてその実力を現はす場合で、これも驚異的進境と事情は似通つたも
のである。

 今春中山初日特ハンに大穴を明けたゼンポウは、九年秋には見るに値ひする戦績を挙げ、
今春の中山特ハンに取組んだ各馬に比較して、充分拮抗するに足る勝時計も持つてゐたけ
れど、以来調子はあまり香ばしくはなかつた。とは云へ十年春は福島にまで遠征して優勝
戦には兎も角も二着には入つたのだから、元来の実力はさう見棄てたものではなかつた筈
である。

 しかし十年秋は全く競馬場裡に姿を見せなかつたのだから、中山開催前府中に於ける攻
馬の調子は大へん良いと云ふ評判はあつたけれど、しかしその調子の恢復の程度には相当
の不安が残されてゐた。実際のレースで故障恢復の片鱗でも見てゐるのだつたらまた別だ
が、その程度の噂だけでは安心し切れない。

 尤もこのゼンポウを予想の一位に挙げて適中させた新聞もあつたのだから、それだけの
進境と根拠とはこれを察知し得た人には分つたのであらうけれど、何しろ十三円五十銭と
云ふ特配ものだつたくらゐで、理窟だけでは取れないと云ふのが本統である。

 これは故障馬が人のうつかりしてゐる間にすつかり立ち直つてゐて突如として元来の力
量を発揮した一例であるが、京都記念二日目に大穴を明けたホンイチの場合は、人の知ら
ぬ間に驚異的進境を遂げてゐてその実力を発揮したのである。

 ホンイチは昨秋東京の新呼で七日目千八百米を二分〇秒一で勝つたのだから時計は悪い。
そして東京優勝戦以来鳴かず飛ばずで、秋の京都にも春の根岸記念にも姿を見せなかつた。
それが突如として京都記念の二日目、差馬として現はれて物凄い脚力を示し、二着馬を五
馬身捨てて勝つたのである。

 しかし競馬開催前の同馬の調教状態には見るべきものがあつたさうで、一部の人々はこ
れを狙つてゐたらしいが、これも調教を巨細に調べてゐる人とか、レース当日の馬の出来
具合を察知し得た人でない限り、理窟だけでは取り得ない。新呼出走以後に、それ程の進
境を示してゐるとは考へられないのが普通だからである。

 しかし大穴のうちで到底取れぬ穴と云ふのがその半ばを占めてゐるとすれば、その大半
は前述のやうな驚異的進出に拠るものが多く、これ等は理窟だけでは狙へぬとしても、調
教状態や馬の出来具合や、或ひはその日の相手馬の形勢などを綜合して考察する時、これ
を絶対に取り得ない大穴と称することは出来ないかも知れぬのである。理窟では取れぬと
云つても、それは表面に現はれてゐない理窟だけであつて、調教状態や馬の出来具合と云
つた所に隠されたる理窟はあるのである。

 しかしどんな意味に於いても理窟の伴はない穴と云ふものもないわけではない。それは
そのレースに当つて何か異常な出来事とか、予期しない突発事故が起つたための番狂はせ
である。幾分軽い意味では落馬などもその一つである。

 例へば中山三日目の障碍レースに、アケタケが落馬して、ミスエメラルドが逃げ切つて
百十六円の配当をつけた。三頭立てだから或ひはアケタケが落馬でもすればこの馬に行か
れる、と考へることも比較的容易なので、大穴にもならなかつたし、最初からさうした鑑
定のもとにミスを買つた人も多かつたかも知れない。

 それにしても昨秋故障を発して以来レースに出れば大抵どんな尻を駈け、最近の調教状
態にも人目を惹く程のものはなく、その勝時計の極めて悪い点から云つても、合理的な勝
馬でなかつた事はわかる。アケタケの落馬といふ偶発的事故だけがミスエメラルドに穴を
出させたのである。

 障碍レースに落馬は附き物だから、アケタケの落馬でミスが勝つても、これは理窟で狙
へない馬ではないなどと説く人があるか知れない。さう云ふ人のために些か古いがもう一
つの実例を引いてみやう。

 八年秋の中山五日目新呼レースに出走馬二十頭の内七頭もの多数の馬が折重なつて顛倒
し、馬は廃馬となり、騎手には死亡者を出した程の椿事が突発した。このために人気馬が
二頭まで倒れ、二十頭中で単式の人気六位の投票数十九票のレオニンが一着となつて大穴
となつた。尤もその前に一度レオニンは三着に喰ひ込んだことがあつたから、狙つて狙へ
ぬ馬ではなかつたであらうが、しかしこの突発的椿事がなかつたら、それでもやつぱり一
着を遂げたかどうか疑問である。

 絶対人気の馬が非常な出遅れを喫したり、勝つたと思つた馬が失格を宣告されたりして
穴の出ることもある。豪雨のなかのレース中に競馬場の附近へ物凄い落雷がして、それに
驚いた人気馬が敗北の恨みを嘗めたと云ふやうな外国の話もある。

 これ等は所詮理窟だけでは狙へぬ馬であつて、さうした事故のために穴を出されたのだ
とすれば、合理的な勝馬鑑定に従つて買つた馬券で損した諸君は潔く諦めるがよく、しか
も斯うした例はさう無闇とあるものではないから、諸君は矢張り飽くまでも合理性の上に
立脚して穴馬を探求することに努めるべきである。


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