フアンの油断に依る穴

 調教状態の好調に気がつかずその馬に穴を出されるといふのも、フアンの油断に依る穴
と云つて云えない事はない。しかしそこ迄心を配らずとも単なる理窟だけで取れる穴とい
ふのもあり得る。あり得ると云ふよりは大穴の半分はこれであらう。

 即ちこれは合理的な穴であり、我々にも取り得る大穴である。

 その最も単純な一例は先にも例に挙げたホンイチで、同馬が昨秋新呼に出た時、四日目
五日目の成績は悪かつたが、六日目には一着馬のキングサモンに一馬身の二着となつた。
それがその翌日は一着になつて二百円になつたのだから驚いた。その時の人気の状勢を顧
るのに一番人気のフアイヤーエンジンは前日ホンイチと顔は合はせてゐなかつたが、前半
戦でキングサモンと戦つて、常に一馬身以上はキングに負けてゐる。するとキングに一馬
身しか負けてゐないホンイチの方がフアイヤーよりも実際にも強かつたわけである。二番
人気のカネヒラは前日迄に四回出走して着外であり、前日のレースにもホンイチの二着に
対し四着である。三番人気のホーデンは五日目着外、前日ホンイチ二着の直ぐ後ろへきて
三着に入つた。四番人気のウエツトミンドアーは前日迄に二回出走して着外。ホンイチは
実に五番人気だつたのである。

 以上記した着順によつても窺ひ得られるやうに、この五頭のうちではホンイチが一ばん
いい所へ来てをり、理窟だけではホンイチを本命とするのが当然なくらゐである。

 そのホンイチをなぜ大穴にしたかと云ふと、恐らくそれは多くのフアンがホンイチの四
日目、五日目の着順が悪かつたために六日目の二着をフロツクと考へのであらう。もう一
つは四日目から出走してきたために、もつと前から出てゐる馬に対する程ホンイチの名前
に馴染んでゐなかつたための心理的見逃しが人気を呼ばなかつた原因の一つとなつたかも
知れない。

 フアイヤーエンジンが一番人気になつたのは、勿論ほかにも理由はあるが、一つには二
日目に出て二着となり、以来連日勝馬探求の対象となつて、ホンイチよりは遥かに強くフ
アンの頭に印象づけられてしまつたためと思はれる。

 もう一つ似たやうな例を拾ふと、京都記念四日目のアラブ障碍に一着となつて大穴を明
けたフクオーギが矢張り前日の二着であつた。尤も前日は岩井騎手が乗つて二着にきたの
を、その翌る日は井川騎手が乗つて出たので、そんな事にもフアンは多少の惑ひを感じた
かも知れない。

 いづれにしても同馬を二百円にしたのは矢張りフアンの頭に同馬の名前が馴染み薄かつ
たのが、これを大穴にした大きな原因で、同馬は新潟あたりで着を拾つたことはあるが、
その後別段香ばしいところもなく、常にフアンの勝馬研究の対象としては問題外にされて
ゐたために、前日二着に入つてもまだフアンの関心を喚起すことができなかつたのであら
う。

 馴染の薄い馬であるばかりに大穴にしたもう一つのよい例は昨春中山の七日目に大穴を
あけた古抽のハヤカゼである。この時のハヤカゼは過去に特記する程の戦績なく、成績表
による理窟だけでは到底取るを得ない大穴に属するが、その時の勝時計は中山連日の勝馬
の時計に比較しても相当よいものであつた。

 従つてこの馬の一着は深く心に留むべきであつたにも拘はらず、中山から直後の東京の
初日またしても此の馬に勝たれて然かも再び二百円の大穴にしてしまつた。これは全くそ
の馬に対して馴染み薄いばかりにうつかりこれを実力の比較とか研究とか云つた範囲外に
置いてしまつたためのフアンの罪である。

 総体にフアンと云ふものは極めて健忘症的である。東京初日のハヤカゼを二百円にした
のはその名に馴染み薄いためもあるが、一つには東京へくるともう直ぐ中山でハヤカゼが
いい時計で勝つたことを忘れてゐるからである。忘れてゐないまでもその成績に深く注意
を払つて、これに警戒してゐると云ふ程ではないからである。結果的には矢張り忘れてゐ
たのと同然であつて、フアンは健忘症的だと云はれても、これに強く抗弁できる程の人は
少ないのである。

 昨秋の例で云ふと、中山四日目チヤレンジヤーユキヨシに頭の二着となつて、俄然六
日目には最高人気となり、ゴール直前迄逃げのびたが、最後にヤングパレードに追込まれ
て半馬身の二着となつて惜敗した。次いで七日目のハンデはハンデの不利もあつたために
最高人気とはならなかつたが、一番人気の五百十一票に対し、四百八十七票のおつつかつ
つの人気で複式では一番人気であつた。然し戦ひ利あらず着外となり、八日目の負馬では
オトコヤマの四百七十三票に対し四百十二票の二番人気で未だ人気は衰へなかつた。

 根岸に転じて特ハンのどん尻、二日目はヤングパレードの九百三十四票に次ぐ四百八十
八票の人気であつた。七日目ニシキに四分の三馬身で二着となり未だ実力衰へたのではな
いことを示しはしたが、負馬には四頭立ての三番人気で、更に東京へ転じて二日目には最
早多くのフアンは愛想をつかしたやうに人気は下落し、七頭立ての五番人気で、中山に於
いて二回示した素晴しい逃げ足や、根岸のニシキに四分の三馬身二着などの成績は殆んど
忘れ果ててしまつた。

 それから六日目迄休養して、六日目のハンデ・レースに定量から八瓩貰ひの五六瓩とい
ふ軽量に恵まれて現はれ、見事に逃げ切つて到頭大穴を明けてしまつた。同馬の人気当時
はその馬券を買つた人も多かつたであらうと思はれるし、さう云ふ人はチヤレンジヤー
逃げ足の如何に鮮やかであるかをもよく承知してゐた筈であつたらうに、此処迄くると最
早大抵の人はさうした以前のレース振りや成績のことは忘れ果ててしまふのである。

 先に述べた京都記念四日目に大穴を明けたシヤダイツブテの場合にしても、多くのフア
ンは前季に於ける同馬の足を忘れてしまつてゐるので、これを見逃したのである。前季の
同馬は関西に於いて屡々人気となつてゐるのだから、これを買つた人も多かつたに違ひな
いのだが、一季も過ぎるとその馬の本来の実力的脚力を忘れてしまふらしい。フアンの健
忘症は明らかに大穴の素因と云ひ得られる。

 一場所、二場所、或ひは一季前のことを忘れるのはまだしも、初日の成績をもう五日目
頃には早くも忘れてゐるらしい場合もある。いくら良い足を見せられても、その次のレー
スにちよいと悪いと、三度目にはもう最初の時の良い足のことを忘れてしまふ。

 今日どんなにいいレースをしても、その次には必らず勝てるとはきまつてゐない。相手
馬の顔触れが違つて強敵を迎へたために負けることもあり、作戦の失敗などのために最初
の時だけのレースの出来ないこともあるのだから、その次に少しぐらゐ悪かつたからと云
つて、これを忘れたり見棄てたりするやうではいい配当は取れない。

 昨秋京都の新呼戦で初日三着のナンブは三日目五着となつた。とは云へ一着馬から二馬
身半、頭、一馬身半、それに首で来てゐるのだから、これは軽蔑すべきではなかつたにも
拘はらず、六日目には一着になつて単式百六十円五十銭、複式五十九円五十銭と云ふ大き
な配当をつけた。

 同じく昨秋京都の古呼戦で、ダテアオバは初日ハンサムジヤツクに鼻といふ際どい勝負
をした。しかし三日目にはイエミチといふ強敵が差馬として現はれたためにこれに敗れる
と、五日目には忽ち人気が落ちて、単式総数二千百六十五票の内五百五十四票の投票しか
なく六十六円をつけた。

 六十六円では穴とは云へないが、それでも初日ハンサムと鼻のレースをした事を考へる
と、此処では確実なる本命のやうにさへ考へられるのに、それに六十六円もつくのだから
かう云ふ競馬は固くて儲かる。結局は、多くの人が、初日の足を忘れてしまつてゐるから
である。


絶対人気を買ふな

 時に応じては確実な本命を買ふもよし、本命馬の実力が怪しいと睨んだら、可能性のあ
る穴を狙ふもよい。

 しかしいかに確実な本命であるとは云へ、その馬の人気が一本かぶりの絶対的なもので
ある場合は一考すべきである。取つてせいぜい二十四、五円程度取られれば二十円といふ
のは金額の点だけから云つても詰らない。第一さう云ふ馬では誰が考へたつて、勝馬だと
思ふに違ひないのだから、自分だけが鑑定し得た快感といふものが殆んどない。競馬趣味
の味はひから云つても面白くない。

 その上確実な本命だとは見極めても、そこに考へのどう云ふ誤りは、思ひ違ひや、忘れ
てゐる事がないとも限らない。

 鑑定違ひと云ふ事は誰にでもあり得ることであつて仕方がないが、時としては絶対動か
ないと信じてゐる本命の馬がコロリと負ける。そんな馬なら単式で大丈夫だらうなどと考
へてみても、単式の方が却つて余計あぶない。さう云ふ実例が存外に多いのである、実例
がこれを示してゐるのである。

 昨秋中山四歳馬特別ではアカイシダケが絶対人気で総投票数八百七十七票の内六百二十
七票を占めた。そこで一着に来ても単式払戻二十五円か二十五円五十銭である。しかし
スタマ
のために敗れたのである。とは云へこれなどは特配が十六円五十銭もあつたから痛
手は少なかつた方である。

 根岸記念四日目呼障碍のマンギンは単式七百四十九票の四百三十五票を占めながら四着
に敗退して単複共に生きなかつたが、これが一着にきたところで払戻は二十四円くらゐな
ものである。しかしこれにも特配十三円五十銭あつたから幾分は助かる。

 今春中山の三日目抽障碍でエマリーの単式は七百九十四票の内五百一票売れてトーテン
コー
に敗れた。もしもこれが単式で来たとしても、やつと二十七円ぐらゐである。これに
は特配はなかつた。

 同じく中山三日目古抽のマタハリは単式千二十四票の内六百七十四票の後援者を裏切つ
て、複式にさへ残らなかつた。これが一着にきたとすれば約二十五円五十銭の払戻であり
これにも特配はなかつた。

 第一かう云ふ本命を買つて損したのでは実に不愉快な、何かだまされて金を取られでも
したやうな気がしはしないかと思ふ。人に話したつて同情もして貰へない。笑はれるくら
ゐが落ちである。買はない方が悧口であらう。

 それが一着にきたとしても今春中山初日の新抽ケンカツや、確実な本命の項で述べた
キヅキ
の場合のやうに二十円元迄しなどと云ふのでは些かも競馬を楽しむ境地には入れな
い。

 複式はほかの人気馬が着にくるのとこないのとで払戻の多寡が違つてくるから一概には
云へないが、それでもほかの入着馬と一緒に入ったのではせいぜいついて二十二円ぐらゐ
などと云ふのは矢張り避ける方が馬券戦術の本筋である。前述したマンギンマタハリ
やうに複式にもこないやうな馬があるからである。

 単式なら如何に確実な本命でも少なくも二十八円はつくと云ふ程度の馬でなくては買ふ
ことを止めた方がいい。二十八円を買ふ買はないの境界としたい。八円なら三八、二十四
円で三度とれば後の一回滑つてもまだ四円の儲けとなつてゐるから、差引勘定損するやう
なことにはならないであらう。


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