競馬の一日に就いて

午前中は慎しむこと

 朝から競馬場へ駈けつける。直ぐに穴場へ飛びこむ。馬券を握つてスタンドへ出る。ス
タートが切られて、ゴールになつて、しかし自分の買つた馬は不幸惨敗を喫してしまふ。
それから曳馬でも見てまた直ぐに穴場へ入つて馬券を買つて……

 そんな具合に朝のうちから馬券に熱くなつてゐる人を見ると、見てゐる方で却つてはら
はらする。

 競馬の番組の仕組と云ふものは、関東と関西とでは多少違ふが、どつちにしても特殊レー
スとか大レースと云つた類ひのものは、殆んど午後の競走にしてゐるのが普通である。そ
れを朝のうちから二度も三度も馬券に滑つたりすれば、相当に気持が腐つて、愈々その日
ぢうでの興味あるレースとか大レースとかの時には、まともな勝馬の鑑定力さへ失つてし
まふ。さうなると益々気持が腐る。時には焦立しいやうな気持にさへなる。

 元来が競馬は楽しみに行くべきものだ。それが少しも楽しいものでなくなるなどは賞め
た事ではない。

 損してもいい一定の金額などをきめて行つたにしても、午後の競走の八競馬あたりには、
もう最後の二十円しかなくなつてしまつたなんて事になれば、気を入れてみたい所なのに
さうも行かない、味気ない心にならざるを得ない。

 一度取られればその次こそはどうだらうと、またしても手の出したくなるのは人情だ。
儲かれば儲かつたで、かう云ふ日は大いに買ふべしと云ふので、番ごと番ごとに手を出し
たくなる。余程自制心を奮ひ起さないと心の平静は保ち難くなる。

 それと云ふのが午前中から慎しみもなく馬券に狂奔するからである。勝馬鑑定に、心の
動揺や喧騒や迷ひは大いなる妨げとなる。

 そこでじつくり落着いて競馬を見て、いい穴の一つも取らうと思へば、先づ午前中ぐら
ゐは馬券は控え目に慎み深く、静かに構へてゐるに越したことはない。さうすればその日
の競馬場の空気にも馴れ、穴場の人気の形勢や、曳馬の気配などにもよく注意が行き届く
やうにもなる。

 心すべきは午前中の気持の構へ方で、時にはこれ一つが午後まで祟つて、周到な判断力
を失ひ、怪しげな本命を買つて損した次には、茲は固いと思ってゐた本命のレースに、い
つともなく疑心暗鬼の不安を持ち始め、無理な穴を狙つてみたりするやうなへまを繰返し
て、一人で憂鬱になつたりもする。大事なのは午前中の気持の持ち方である。


大穴の出た後

 大穴の出た次のレースでは、固い本命が屡々好配当をつける。それは大穴の出たための
昂奮が競馬場の一種の雰囲気に変化を与へ、人々はぢつと落着いて固い本命などを検討し
てゐる気にはなれなくなるからである。

 かう云ふ時に諸君は一種の昂奮状態の競馬場内の空気に捲込まれてはならない。仮りに
大穴が出たために諸君は馬券で損したにしても。

 この時の心の構へ方に隙があると、人は競馬の勝馬といふものが何か理窟はづれの、籤
引みたいなもののやうな気がしてくる。落着いた勝馬の考察といふことができなくなつて
しまふ。ついふらふらと無理な穴など狙つてみやうなどと云ふ量見にもなる。

 いつ如何なる時でも、レースに対してはそのレースの本命が確実かさうでないかを先づ
第一に見極める精神を忘れてはならない。大穴が出て場内が騒然たる時に於いて特に然り。
そしてその次のレースの本命が若しも根拠に乏しく、危なげなものだとしか考察出来なけ
れば兎も角、それが確実な本命であると信ずるならば、これは買ふべきレースである。

 多くの人は今の大穴のために今度もまた穴ではないかと考へ、本命を避けたい気持に傾
くのである。その結果確実な本命に思はぬ好配当がついたりする事があるのである。


番組の平凡な場合

 一見して、ああ今日の競馬は詰らないと云ふ気のする時がある。各レース共本命がきま
つてゐて、変化なく、面白い穴など到底出さうにも思はれないのである。ところがその結
果は必らずしも平凡に終らぬことがある。

 今春中山の三日目などにしても、最初は幾分さう云ふ感じがしたが、それは初日、二日
目とその前二日が珍らしいくらゐ順調なレースが多かつたために、また今日も順調な結果
に終るのではないかと云ふ気持に、直ぐ考へを支配されてゐたからである。しかしレース
が済んで結果になつてみると、なかなかどうしてさう順調なレースばかりではなかつたの
である。つまりさう平凡には終らなかつたのである。

 第一、第二、第三競馬までは一番人気の本命が人気通りに勝つた。だから最初から今日
のレースはみんな平凡だと思つてゐた感情は、この三レースの結果に依つて益々さう云ふ
気持に傾いて行つた。四競馬では新聞の予想などから人気の大勢を推察すると、二番人気
の馬が勝てば相当の好配当になりさうな感じがした。それに今日も本命日和だと思ふフア
ンの気持がみんなその一番人気の馬に傾きさうにも見えたのである。

 レースの結果は二番人気の馬が勝つた。しかしその馬が勝てば少なくとも五、六十円に
なるかと想像してゐたら矢張り四十六円しかつかなかつた。本命が勝たうと二番人気が勝
たうと、どつちにしても今日の配当は詰らない。みんな平凡なレースばかりだと思ふ感情
が、それで益々強くなつた。

 五競馬から午後の競馬になつた。抽障碍である。ここは最近調子もよし、初日オシヨロ
と相当のところ迄戦つたエマリーが殆んど絶対人気で、どうも吾々にしてもその馬が勝つ
て当然と云ふ気がした。結果は直線コースになつてから二番人気のトウテンコーに追込ま
れて、トウテンコーが二番人気ながら七十一円もの好配当になつた。

 六競馬の呼障碍は三頭立てで障碍初出走のザザが大した事がないとすれば、ミスエメラ
ルド
は故障後の脚力に全く見るべきものなく、アケタケの本命で動かないやうな気がして
ゐると、そのアケタケが一周ならずしてポロリと落馬して、ミスエメラルドが足にまかせ
て逃げてしまつた。ミス三番人気で百十六円。

 七競馬ア抽障碍は十五頭立てで概して出走馬の少なかつた今季の中山としては賑やかな
レースであつた。その顔ぶれには駈歩から新たに障碍入りをした馬の名が大分並んでをり、
それ等の馬が前季以来好調を伝へられてゐるセイカビウコウに対してどこ迄戦うかと云
ふ点に興味は感じられても、結局問題になりさうな馬は少なく大番狂はせなどありさうに
もないと思つてゐると、これまた人気のセイカがポロリと落馬して、セイカと殆んど同じ
くらゐに人気のあつたビウコウは三着にさがり、時として着にはくるがどうも確実性に乏
しいと思はれ勝ちだつたりラブルミエールが勝つて、この日初めての大穴を明けた。

 それから続く八競馬、九競馬共に出走馬は五頭と云ふ少数で、その辺も大した狂ひはな
ささうに見えたが、八競馬は一本人気のマタハリが複式にも入らずして、二番人気のハク
エイ
一着で単式七十一円、二着に入つたホワイトローズが複式で九十四円つけた。九競馬
は三番人気のニシキが勝つて、単式九十三円複式四十円五十銭つけた。

 あとの二鞍は共に本命が人気通りに勝つたが、恐らく平凡な結果に終りはしないかと思
はれたこの日の十一競馬のうちで最高人気が勝つたのは五レースだけで、大穴は一つだつ
たけれど、結果は決して平凡でもなかつた。

 七競馬のア抽障碍のやうに、最初の感じでは平凡な顔ぶれだと思つて、馬券を休む気に
なつて、レースだけを見物してゐると思ひがけなく大穴が飛出したりする。

 平凡の如く見えて、平凡ならず、狂ふかと見えて狂はず、競馬といふものは実に千変万
化であり、この道での苦労は如何に重ねても馬券ぐらゐ難しいものはない。口では云つて
もその適確は期し難いが、それでも精神だけは飽くまで周到細心に、平凡の如く見えるレー
スの顔ぶれに秘められた番狂はせの可能性を探り、狂ひさうに見えても実はそのレースの
本命の確実なことを確かめる、――その精神を常に忘れざることが肝要である。


馬数多きレース

 時に出走馬の頭数の非常に多いレースがある。十六、七頭から二十頭以上に及ぶやうな
事もある。馬券の安全を期する人は、このやうに頭数の多いレースは馬券を休むに越した
事はない。

 頭数多ければレースの失敗も起り易く、そのために馬本来の実力一杯のレースのできな
い事がある。出遅れと云ふやうな馬数少ない時よりはスタートの可能性も多いわけであり
コースを他馬に沮まれたりする機会も多い。どうしても幾分レースに無理が生じるのであ
る。

 同じく穴を取るにしても、出走馬の多い時よりは少ない時の方が取り易い。それは馬数
が少ないために、互ひの馬の実力の比較にも考察が行き届くし、穴馬に対する推定が合理
的に働くからでもある。それが十五頭からのレースになると各馬がどのやうなレースの作
戦を秘めてゐるかも想像できないし、騎手自身もたとへ作戦を持つてゐるにしても、馬数
多いためにその作戦にも間違ひを来し易い。

 殊に馬数はそんなにゐても、その中で一着のほぼ確定してゐる馬、つまり確実らしい本
命が一頭ゐる時、かう云ふレースに馬券を買ふと、屡々自分の予想を裏切られる。馬数は
幾ら多くとも強い馬は強いのだ。この中では断然これが強い。しかしその割に馬数が多い
から、ほかの馬にも人気が割れて、存外配当もつくかも知れない。そんな風な考へも起き
るか知れないが、事実はその反対となるのである。

 即ち二十頭近くのレースに、それ程の信頼をフアンに与へる馬がゐるとすれば、フアン
の気持は殆んどその馬だけに傾く。その馬以外の馬では、どれもこれも安心がならぬやう
な気持のする中に、ただ一頭さう云ふ馬がゐるのだから、その馬だけが断然光つてゐるや
うな気のするのは当然である。そこで馬数はいくら多くとも人気は殆んどその馬一頭だけ
にかぶつてしまふ事になる。

 今春中山辺り初日に収得賞金三千円以下のアラブ競走は十六頭立てと云ふ多数の出走馬
であつたが、その人気の形勢を見ると、単式投票数七百七十一票の内、一本かぶりのヱン
タープライズ
は五百三十九票を占めてしまつてゐるのである。従つてエンターが単式で来
たとしても僅かに五十銭しか配当はつかないのである。馬数が多いから多少はほかの馬に
も票が割れるだらうなどと想像すると大間違ひである。

 しかもこのレースの結果は、エンターの惨敗に終つたのである。エンターの実力はこれ
等の馬の中では断然一位ではあるかも知れない。しかしこのやうに馬数の多い時はレース
の過程にどのやうな間違ひが起らないとも限らない。エンターの敗因は別段馬数の多いた
めに禍ひされたわけでもなかつたやうであるが、馬数多いレースに対しては、さう考へて
よい場合が屡々あるのである。とすると人気は一本かぶりでその上危際率が多い。莫迦ら
しいレースなのである。さうかと云つて穴を狙へば、あつさりその本命の馬に勝たれてし
まつたりもする。だからかう云ふレースには馬券に手が出しにくいのである。それが怪し
い本命ではないにしても、勝つて幾らの配当にもならず、万が一負けることでもあれば莫
迦を見る。黙つて見物してゐるに如くはない。


第十一競馬の本命

 その日で最終の第十一競馬。もしもこれに確実な本命があるとすれば、恐らくその配当
は他のレースに於ける確実な本命の場合よりも割のいい配当率になる。

 中山三日目のユキオミのやうに、いくら確実な本命と云つても、ああまで確実さが一般
に徹底してしまつたやうな勝馬では、あの程度の払戻になるのも当然だが、普通の場合は、
これが今日の馬券の最終だと云ふので、山気の多い人は兎角穴を狙ふ。儲かつてゐる人は
どうせ儲けてゐる金だから、最後は一つ穴を狙つてやれと云ふ気持も起し勝ちだし、損し
てゐる人は今更本命をとつて少しばかりの配当を貰つたつて仕やうがない。最後の有り金
で穴を狙つてみやうと云ふ量見を起すのである。これは人間の心理として、どうしてもさ
うなり易い。「穴人気」の項で記した福島の古抽優勝戦の票の割れ方などがその最もよい
例である。そこで諸君は十一競馬には、今まで以上に特に勝馬の検討に忠実でなければな
らない。一般フアンの陥り易い心理的過誤に陥らぬためである。そしてそこの本命に信頼
できないとすればまた別問題だが、その確実性を見極めた場合に於いてはたとへその日は
勝つてゐても負けてゐても、敢然その本命を狙ふがよい。へんな馬の人気などに惑はされ
ることなしに、率のいい払戻金を狙ふが悧口といふものである。


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