競馬往来
──五月一日軍人会館に於ける「ダービーの夕」の講演──

 生活のために忙しい現代に生きてゐる大人である僕等にとつては、遠足を控へて明日の
嬉しさに心が躍つて、夜もオチオチ眠れない等と云つた、小学校の児童のやうな気持を味
はふ事は難かしいものであるが少くとも僕は競馬に行く前は小学校に返つたやうな気がす
る。競馬は人間の実生活に於ける種々の苦痛を忘れしむる心の楽しみである、馬券を買つ
て損をした場合でもさうである、但し余り損をするとそれが実生活に響くけれども。(笑声)

 ダービー競馬といふものは今から百四、五十年も前に、英国に於てロード・ダービーと
いふ人が創めたものである。日本に於けるダービーの一着賞金は二万円であるが、向ふで
は一万磅位の賞金が付く、日本でもせめて五万円位にしてもいゝと思ふ。英国では丁度復
活祭の日に此のダービーを挙行する、それは五月末頃になるらしい。

 英国でのダービー一着馬は安くとも六十万円位で売れる、そんな馬の種付料は一回が二
千円から五千円程度である。又向ふでは馬券の外にスイープといつて、馬券と富籤とを一
所にしたやうなものがあり、全国民ばかりでなく英国の殖民地までが熱狂する。

 英国では此のダービー競馬の当日を「ダービー・デー」として内閣でも閣議を休んで総
ての大臣連が参観するのである、その上に、皇帝、皇后両陛下も競馬場にお出になる、而
も皇帝陛下は皇太子であらせられた時分からダービーに持馬をお出しになつて、今迄に二
回優勝されてをる、即ちダイヤモンド・ジユビリーとミノルの二頭の馬がそれである。日
本でもダービーはもう少し盛んになるべきだと思ふ、大臣連も強ち閣議を休まなくてもいゝ
が、閣議のない時には出席したつていゝじやないかと思ふ、(拍手)最も 皇室に於かせら
れては非常に馬産の御奨励をおやりになり 明治陛下は嘗て根岸競馬に御親臨遊ばされた
事もあり、現今でも 宮様方がそれぞれ競馬場に御成りになつたり、馬術御奨励に御心を
注がせらるゝ事は畏れ多い次第である。

 僕も馬を持つてゐますが、数年どうもいゝ抽馬が当らないので、何処か馬に関係のある
神様に参詣仕様と考へたが、これと云つて思ひ当る所がないので、甚だ恐れ多い事ながら
明治大帝は非常に馬事御熱心であらせられたので、明治神宮に参詣したのである、いゝ馬
が当つた、そこでその馬にメイオンと名付けた訳である、明治神宮の御恩と云ふ意味であ
る。

 近頃よく新聞記事に「競馬罪あり」といつて、妻君まで売つて競馬に夢中になつた男の
事等を載せて、競馬が如何にも罪悪を醸するものゝ様に考へられてゐるが、これは実に遺
憾な事である。世の中には馬券で損をしなくても妻君を売る位の男はあるのであるから、
直ちに競馬罪あり等とするのは如何にも論理の矛盾であつて、こんな事は正確な統計をと
つた上でなければ言明出来ない訳であつて、そんな間違つた思想がある、と亦来年も貴族
院で土方寧といふ人が競馬を攻撃するのじやないかと思ふ。(拍手)

 畢竟競馬では強い馬が勝つのであつてその強い馬の見分けが付かないのは僕等の調査研
究が足らぬからで、賽ころ的に競馬をやる人は別として、十分研究をして馬券を買へば損
しない様になると思ふ。僕もこの前の中山では千円ばかり損をしたので、府中では決して
儲けまいといふ心算でやつたところが、各日の損得を差引してみると、七八十円ばかり勝
つた、だから研究的に損をしないつもりでやれば、損をしないまで研究は出来得るのであ
る。但し中山でのハヤカゼの様に、恰も天の一方から飛んで来た様な勝ち方をしたのでは
あの場合の二百円は誰にも取れないと思ふが、府中でのハヤカゼの二百円は沈思黙考すれ
ば取れる筈である、さう云つても僕もやはり取れなかつたが。(笑声)

 要するに競馬についても、色々考へが細かになつて来ると可なり的確なところまで行く
と思ふ、例へば雨に強い馬だと云つても斤量が重ければ駄目であり、それから厩舎あたり
から聞込んだ事でなく自分で精密に研究してやるべきで、厩舎からの情報は、善い事と悪
い事がある。中山第四日の第十レースで、阿部騎手が私に「茂木さんは自分でいゝ馬に乗
つて勝たうと思つてゐるからサモンに乗るので、ジンバが勝つ見込なら私にのせる筈がな
い、私の乗るジンバを買ふ位なら茂木さんのサモンを買ひなさい」と云ふのでさうしたと
ころが負けて仕舞つた、後で阿部騎手にお詫を云はれたがもう遅い。(笑声)

 馬券は決して賽ころを振るのではない、馬の血統、騎手との関係、天候の工合、牽馬の
状態等を研究観察して、自ら苦心努力を試み、而も大胆にして沈着な態度を以て臨む事が
必要である。平生だらしのない生活をしてをつて、種々の商売をしても失敗をしてゐる様
な者が、競馬に勝つて成功仕様などゝ考へたところが駄目であつて、凡そ処世上に於て誠
実勤勉な研究的な人にして、はじめて競馬にも勝つのであると思ふ。(拍手)

 先程も申した様に、夢を追ふといふ事は今の世の中では却々出来難い、そこで競馬に行
つて自分の夢の実現如何を試みる、其処に人生の妙味もあらう。人間は誰しも或る「思惑」
をしてその実現を見度いものである、而も眼前に於て思惑の実現を見る事が出来るに至つ
ては、競馬なるもの又やめられぬ味があるのである。

 相場と競馬と何れが至難であるかと云へば、相場は一時に上るか下るか二つを研究すれ
ばいゝが、競馬は一レースでも多い時は、二十数頭の馬についての研究が必要な訳で、そ
の中から一頭を掴まねばならぬから余程難かしいと思ふ。しかし競馬はつまり娯楽である、
競馬を道楽にやらうと考へられる方は、小使銭以外に決して馬券のお金を工面しない事で
あると思ふ、さうすれば非常な損をする事もなく、たとへ小使銭を損しても女や酒等に使
ふよりもましである、女や酒では損をした上に健康にまで影響するが、競馬では健康を増
進されるので、僕も一面健康のために競馬場に出掛ける(笑声)かう云へば皆が笑ふけれど
も、実際健康と、生活に対する刺激を受けんが為である。永く競馬をやつてみやうと思ふ
人は、決して多くを儲けようと思はないでやられるがい。最後に僕は、馬券が下手ですか
ら、穴場では、僕の影響を受けないやうにして頂き度いものである。(拍手)


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