競馬雑筆

競馬十年

 僕は、大正十五年以来、競馬フアンとして、精勤してゐる。西は小倉、北は札幌まで行
つたし、血統の知識は、何人にも劣らない位研究したし、記録もよく知つてゐるつもりだ、
それでゐて、馬券はちつとも上手にならない。

 結局馬券の巧拙は、勝敗の機徴を掴むカンにあるらしい。これは、ケントクや第六感で
もない。一種の洞察力である。

 競馬は、相手が絶えず新陳代謝する丈けに、多年の経験もあまり役に立たないものであ
る。


曳馬

 自分は、面倒くさがりの方であるから、曳馬を殆んど見ない。だから馬を見る眼が何時
が来ても発達しない、ある先輩の話では、馬がよく分るまでには、三年かゝるとの事であ
る。長く競馬をやらうとする人は心がけて曳馬を見ることを、よく修業すべきであらう。


穴人気

 人々が(穴はこれだ!)などゝ云ふ馬はもはや穴ではない。それは穴人気といふべき、一
つの人気馬である。穴々と騒がれた馬が、穴になることは滅多にない。それは、もう人気
だからである。


合理的

 二百円が出た後で考へると、なるほどその馬が勝つべき筋があつたことに気がつくので
ある。しかし、後で気がついたのでは仕方がない。先きに、気がつく必要があるのである。

 しかし、二百円の中にも、合理的なものと、突発的なものとがある。人気馬の落馬出遅
れ、失格などで出る二百円は、取つたところで、あまり名誉にはならないであらう。


無駄な投票

 イワクニは、根岸から中山まで、ずつと人気がありながら、単勝では遂に一回も来たこ
とがなかつた。ヒロイは、単勝で容易に来なかつたが、中山では到頭百円以上の配当をつ
けた。イワクニを単勝で狙ひつゞけた人は大損であつたらうし、ヒロイを狙つた人も結局
は損であらう。競馬は、損をするやうに出来てゐる。


乗り方

 僕の持馬たるドラボーが、府中の中日にヤチヨに鼻の微差で敗れたとき騎手の油断であ
ると非難する人が多かつた。しかし、騎手の話では、直線コースの坂を上つたとき、既に
ヤチヨの脅威を感じ、一杯に追つたが五十米しかいゝ足が出ず、ゴールには入つたときは、
もう足がなかつたとの事である。自分は騎手の云ひ分を信じてゐたが、優勝には、全力を
尽したにも拘はらずヤチヨに四馬身敗れたのである。だから、中日に鼻で敗れたときの方
は、騎手としては、大出来であるが、それでゐて、非難を受たけわけである。をかしなも
のである。

 だが府中で二回ともヤチヨに破れたのは、トラボーが先きに逃げて、ヤチヨのために目
標となつてやることがいけなかつたらしい。それを悟つて、中山の優勝には先きに逃げず、
ヤチヨに随けてゴール前で器用な差し足に依つて、一気に敵を制するの乗り方をして、幸
ひにも成功したのである。乗り方が勝敗に関係ある一つの例であらう。

 カンロ、ゴリユウカツプ等の強剛に比すれば、ドラボーは、一枚下であるが、しかし同
馬は、七月生れで九年度の競走馬の最年少者であり、しかも体高五尺に足りない。それに
しては、よく健闘してくれると思つてゐるから、自分は同馬が、何に負けても恨んだこと
は一度もない。


馬主とフアン

 フアンの中で、儲ける人は、五人に一人十人に一人であらう。しかし、馬主も同じ位で、
得になつてゐる人は、五人に一人、十人に一人である。一頭走る馬の背後には故障で馬房
に呻吟してゐる馬が、二三頭居るのを、フアンは知らないのである。馬が勝てば、人目に
つき易く、故障してゐる馬は、人目につかないのである。

 僕なども数頭の呼馬は、みんな駄目であるが、しかし抽馬が好成績であるために、当つ
てゞもゐるやうに思はれるのである。

 根岸の競馬のとき、六代目に逢つたら曰く。『君の勝を少し譲つてくれ!』と(冗談ぢや
ない!)と思つたが、しかし六代目よりは、僕の方が少しはましかも知れない。

 しかし、外の馬主を考へても、当つてゐる人はあまり沢山はないやうだ。


希望一束

 馬主としては、登録料の高いこと。馬を持つことが、十中の八、九損である場合に儲か
つてゐる倶楽部が損をしてゐる馬主にあんな高い手数料を課するのは不当である、新呼と
古呼の両方に登録する場合など、一頭で八十円位かゝるのである。もう少し馬主に馬を持
つことを奨励するやうな主旨にしてよいと思ふ。

 二鞍に分割する制度は、ゼヒ復活してほしいと思ふ。あの制度は、多くの馬と馬主とを
救ふと思ふ。抽馬などは、倶楽部が会員に分譲してゐる以上、ある程度の抽馬でも一年や
二年は、競走馬生活が出来るやうにして置くことは、倶楽部の責任ではないかと思ふ。

 しかし、現在では着も拾へない馬が、いかに多いか、しかも馬を拾へないやうな馬が多
く居てこそ、馬券も売れるのである。二、三流馬保護の意味で、分割制度を、実現してほ
しいと思ふ。(昭和十年一月「競馬フアン」所蔵)


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