競馬の魅力

 僕の題は『競馬の魅力』といふ題でありますが、しかし皆様方に競馬の魅力を説くなん
か全く釈迦に説法をするようなもので、また僕も競馬の魅力よりも、なんかもつと妖力と
でもいふような大変なものに掴まへられてをるような気持がいたします、(笑声)私なんか
もこの競馬がなくなると、なんだかボンヤリしてしまつて、急に憂鬱になるやうな気持が
いたします。ですから、一月から三月末までは競馬がないもんですから、どうして暮さう
かと考へてをります。だから一月の初めに催眠剤でも呑んで寝てしまつて、三月の末にな
つたら眼が覚めるような催眠剤はないか知らんと思つてゐます。

 皆様方の方は、僕よりももつと其感が強いだらうとお察ししてをるのであります。さう
いふ訳で、競馬の魅力を説く必要はチツトもないと思ひます。私も、大阪に来るのは他に
なんにもないんですが、たゞ此競馬の講演にツイ、フラフラと出て来たのであります。で、
出来るだけまア馬券買について、私の経験をお話しようと思ふ。

 此中には屹度私よりも玄人の方がゐらつしやつて、菊池寛なんかはあまいもんだ、と軽
蔑してゐらつしやるかも知れませぬが、さう考へると私は講演が出来ませぬから、ここに
ゐらつしやる方々は私よりも素人だと思つてお話をいたします。(笑声)

 まだ日本の中には、競馬を賭博だといふ風に考へてをる人がある。競馬は決して賭博ぢ
やない、しかしこれが例へば賭博であつても構はないと思ふんですが。賭博といふことを
非常に日本人は悪いことのように思つてをるが、あれは少しどうかしてゐるんぢやないか
と私は思ふ。男と男とが金を賭けて、チヤンと承知の上で、いづれかに決するのですから、
此位男性的なことはないのだらうと思ふ。(笑声)

 英国なんかは決して賭博などについて、なんとも言はない。尤も英国人位賭事の好きな
国民はない。面白い例は曽て英国人が嘘のつきつこをなした。其中で誰が一番勝つたかと
いふと『俺は一生涯賭事をした事がない』といふことを言つた人が一等だつた。ですから
英国人が一生賭事をせぬ、といふことは、一番大きな嘘になるんです。

此間も軍縮会議から帰つた山本五十六といふ海軍中将があります。其人の話では、曽て英
国の軍令部長であるチヤツタフヰルドといふ人のところへ遊びに行つた。ところがチヤツ
タフヰルド氏は其お嬢さんとトランプをやつて、親娘の間でありながら、チヤント金を払
つて居たと云ふ。英国ではさういふ賭事はいかなる身分のものであらうが、当然となされ
てをるのでありまして、此点からしても其一班はお判りになるだらうと思ひます。

日本でも昔は此の賭事は非常にはやつたんです。貴族社会でも賭事は盛んであつた。それ
から戦国時代兵隊が戦争をやつて暇な時は、みんな賭博をやつた。ところが此明治になつ
て賭博が非常に厭やがられる、これは徳川時代に賭博うちといふ職業的な連中がでて、賭
博だけをやつたために悪く思はれたんでせう。われわれのやうに正業をもつてをる人が、
遊びにやるのは私は結構差支ないだらうと思ひます。

しかし只今賭博の弁護をしたが競馬は残念ながら賭博ではない。競馬はすなはち、六頭馬
がをれば、其一から六までの馬が賽ころの目のやうに、おなじチヤンスに出るかと言ふと、
決しておなじチヤンスに出ない。競馬は強い馬が勝つに定つてゐる。決して賭博ぢやない。
それを賭博だと思つてゐる人は、競馬の判らない人だ。賭博だと思つて馬券を買ふ人は、
決して得をしない。屹度私は損をなさる方だと思ひます。

これから馬券買について私の考へたことを話しますが、此競馬はかならず強い馬が勝つん
です。強い馬が勝つことは非常にハツキリしてをる。二百円がでると、非常になにか弱い
馬が勝つたように思ひますが、それは今まで実力が知れない馬が、初めて其実力を出した
時が二百円になつたんですから、別に不思議でもなんでもない。ですから皆様方は二、三
年前の成績を御覧になるが一番よい。さうすると実に強い馬が勝つてをることが分る。ど
うしてこんな馬が二百円になつたんだらうと、不思議に思ふ程強い馬は、みんな二百円に
なつてをる。

さういふ訳ですから、其実力を発揮せぬ前に此馬の実力を知ることは二百円を取る一番捷
径だらうと思ひますが、サテこれは却々難しいことだと思ひます。それにはですね、矢張
実力を知るにはいろいろ方法がありますが、一番に馬の血統といふことを御研究になつた
方がよいと思ふ。

例へば競馬でよくいふサラブレツトといふことが、どういふ意味かお考へなつてゐない方
がある。英語にありますが、サラといふのはこれは純粋といふ言葉、若しくは完全、ブレ
ツトは育成、サラブレツトは純粋に育成されたといふことで、決して意味の判らない言葉
ではない。完全に育成されたといふ言葉である。競馬に関係の深い人でもアラブ、サラブ
といふ人がありますがサラブなどと云ふ読み方はない。サラと云つて貰ひたい。皆様アラ
ブ、サラブと仰しやらないでアラブ、サラと仰しやつて頂きたいと思ひます。

サラブレツトは英国から来た馬であります、それから一般に濠洋、濠洲産洋種といふ馬の
中には購入当時その血統が詳細でないため、実際は濠洲から来たサラブレツトが多数混つ
てゐます。それから此血統といふことです、御研究になるとおなじサラブレツトでも北海
道辺のサラブレツトは余り強い馬はゐない。矢張小岩井、下総牧場のサラブレツトは強い
血統の馬がゐる。さういふことを一寸御注意になればよく判るだらうと思ひます。此血統
をよく知つてをれば皆様方も馬券をお買ひになるとき自信がつきます。其血統に対して信
用をもつてをれば、確信が従つてもてることになります。

それからもう一つは過去の成績、去年の春の成績、秋の成績をよくお調べになつて置けば、
屹度私は二百円の穴が一つ位は取れるだらうと思ふ。それから競馬が始まりまして、五日
目位に前の四日目位の成績を根よく調べられると、屹度二百円が一つ位取れるんぢやない
かと私は思ふ。

それからもう一つは馬格、馬の気合。私は競馬をやり始めてから恰度十年です。此馬の恰
好なんかは誰でも知つてをるが、馬の恰好だけでは判らない。馬の気合といふものが分ら
ない。僕も時間潰しに、時々、曳き馬を見て判つたような顔をしてをるが、本当は判らな
い。これはどうしても馬の気合を知るためには三年間位修業しないと判らない。私はもう
これから三年修業して、やり直すのはいやですから、馬は判らないでお終ひにしたいと思
ふが、皆様もうまく馬券をお買ひになるなら、今からどうか三年だけ馬を見る修業をして
頂きたいさうすれば馬券を買つても、負けないようになるんぢやないかと思ひます。

それから馬の持主ですが私も馬を幾らかもつてゐますが今日はどうだと聴かれるが、馬主
も判つてゐない。皆様が判つてゐないように、馬主も勝つ勝たないといふことは決して判
つてゐない。私も聴かれても、自分が走るならハツキリ言はれますが、走るのは自分では
ないんですから、また馬といふものが口をきかないもんですからさういふ点で、馬主とい
ふものは馬が其日に勝てるか、勝てないか、ハツキリ分るもんぢやない。

騎手といふものもゐるが、これも判らない。私も騎手も、判らないといふのが本当だと思
ふ。騎手が本当に此の勝敗が判るといふことは、自分だけ乗る一頭だけで走るなら判りま
すが、人が扱つて、そして十頭も走つてをる馬が勝つか、勝たないかなんといふことは、
却々判らない。また騎手の中でも強気の騎手、弱気の騎手があります。これは皆様も厩舎
で予想をお聴きになる時能く御注意にならないといけない。

東京で言ひますれば佐々木安、稲葉秀男、かういふ人は自分は屹度勝つ勝つといふ。さう
いふ人の説を聴いて、馬券を買つたら金が幾らあつても足りない。それから田中和一郎と
いふ騎手此人は弱気で、決して勝てると言つたことがない。ですから此田中が屹度勝つと
言つた時は屹度負る。で去年の秋田中厩舎にゐたハクセツが中山で百六十三円といふ配当
をつけた。其のとき私は田中に訊いた。田中はハクセツは此間からテンデ動きませぬとい
ふのでハクセツを買はないで他の馬を買つた。所がハクセツが堂々百六十三円をつけた。
ですから騎手も決して自分の馬が勝つ、勝たないといふことが判る訳がないと思ひます。

さうして此の騎手は恰度船頭や猟師とおなじくあの山に雲が出て日がさす、だから明日は
天気だといふように、自分の住んでをる海岸や、其の附近の雲なんかで天気を予想する、
それとおなじもんぢやないか、自分の住んでゐる海岸の雲がどういふ風になつてるかとい
ふことを知つてるが、他所の海岸のことはどうなつてるかテンデ考へないで天気を予想す
る、騎手も自分の馬が勝てるだらうかといふような予想はするが、恰度船頭や猟師が天気
予報をするのとおなじようだと私は思ふのです。馬主といひ騎手といふも本当の勝敗の秘
訣なんかは握つてをらない。

それから馬主も試験的に馬を出すなどは、なかなかやれるものでない。一度馬はレースを
すると、それが故障になるといふチヤンスは私は十回に一回は必ずあると思ふ。脚が少し
おかしい、肩がおかしいといふことが一度レースをやれば、十分の一位は出来る。だから、
出走した以上、全力を尽すものと考へて頂きたい。

それから馬券の買方に本命ばかり買ふ人、穴ばかりを狙ふ人とがあります。本命ばかり買
ふ人も、これはどの馬に一番馬券が売れるかといふことを見てから、馬券を買ふのが本式
ではないかと思ふ。馬券は勝馬を当てるといふのが本義じやない。他人が間違つて鑑定を
してゐるのに対して自分の正しさを馬券によつて立証する、これが馬券の興味じやないか
と思ふ。

またそれに対抗して穴ばかり買ふ人がある。私なんかも其方で、後悔することが非常に多
い。本命も邪道であるが穴々といふ、これも邪道でありまして、殊に本命には非常に確な
本命と怪しい本命がある。私なんかは十年かゝつて怪しい本命と、確な本命とは判るよう
になりましたが、本命でも確な本命と怪しい本命と、これをハツキリ覚えるといふことが
非常に大切なことではないかと思ふ。それから穴といふことですが、穴も皆んなが穴だと
考へたらもう穴ではない、既に人気だ。

それから此馬券を買ふことは、どうしても人に聴いちや面白くない。人に聴いて馬券を買
ふならそれは競馬場へ行つて金を拾ひに行くとおなじことでありまして余り褒めた話では
ありませぬ。矢張り御自身の研究で御自身で、買はなければ、私は本当の面白味はないと
思ひます殊に自分が買はうと思つてゐる馬ですね、何か人から聴き込んで、他の馬を買つ
時に、自分が最初に買はうと思つた馬が当たつた時の口惜しさは全く永久に忘れられない。

私が昔京都に行つた時、『ナノハナ』を買はうと思ひ一寸便所へ行きました。便所から出
ましたところ厩舎の前で或人が『もしもし奥さん茲は、タマフネですよ』と、これが耳に
入つたもんですから忽ち『ナノハナ』をやめた。ところが皆様『ナノハナ』がその時二百
円出した。其の怨みは今日でも忘れませぬ。ですから皆様も最初御決心になつたら、其馬
を買といふことが、一番私はよいんぢやないか、人の説を聴いて、そうして却て取られる
といふことは一番いやな気持ぢやないかと思ふのであります。

それから競馬に負けないといふ方法を考へましたが、一番堅い方法は其日に持つて行く金
を定めて置くこと、皆様方の小使の範囲、五十円の方は五十円、百円の方は百円といふ風
に定めて行かれるのが一番よい。これは或厩舎関係の男ですが、其男は競馬に行く時に、
お神さんが十円しか呉れない、十円しか呉れないから其の十円を持つて行つて其十円を元
金として儲ければ儲ける程、だんだん大きくして一日に四百円位勝つことがある。最初に
十円取られると其日は帰つて来る。

ですから、かういふ制度でやつて八日間全部負けても八十円ですむ。しかし十円で一日丈
でも四百円になれば優に三百二十円の勝になる。かういふことをやつてゐますが、此十円
負けたら帰つて来るといふことは、非常に克己の心、此位の自制の心がなければ馬券とい
ふものは駄目だ。世の中の商売でも、自制心、自分にかつといふことがなければ私は儲け
るといふことは難しいと思ふ。

私の知つてをる範囲で儲けた人は余りないが、たゞ東京の芸者で一人知つてゐる。其芸者
は旦那と別れたために、馬券で儲けてお座敷着を買拵へるといふ考へで競馬を始めた。此
芸者は最初の目的通り、チヤンと儲けてお座敷着を買つた。最初から計画的に馬券で儲け
てお座敷着を買ふといふことにチヤンと成功した。私の知る限りで女では此人一人である。

で其人はどういふやり方かといふと、決して自分が確信をもたなければ誰が何と言つても
買はない。自分が確信のない時は馬券は決して買はない。矢張本当に損をしないといふた
めには、さういふ克己心といふものがなければ駄目ではないかと思ひます。

ですから皆様方のお小使の範囲でやるといふことが、此競馬フアンとして、何時までも競
馬を楽しむ方法で、競馬場へ持つて行く金を工面するやうなれば、私は駄目だと思ふ。皆
様方は月五十円の小使の方は五十円、月百円のお小使の方は百円でやるといふことが、私
は競馬フアンが自分の身を保つ唯一の方法だと思ふ。皆様方の中には金が沢山ある方があ
つて、競馬で損をしても平気だと仰しやる方があるかも知れませぬが、金のない方は小使
の範囲でやることは、永い間楽しめるところの一つの方法ではないかと思ふんであります。

馬券で得をするかといふと、非常に無理なことでありまして、昨年なんかは馬券の売高が
九千万円近い、此九千万円の一割五分は政府へとられる。これは皆様が一千四五百万円政
府へとられることになる。日本人の競馬フアンが一万人ゐるとすれば、一年に千四、五百
円の税金を払つてをり、二万人をれば、皆様方が七百円位の税金を払つてをることになる。
此七百円の税金を払つて、そして尚残さうといふのは却々難しいと思ふ。

さういふ点からしても、私は小使以上に出るなと、いふことは本当ぢやないか、また皆様
方がどんなに御研究なさつても競馬フアンの人が、みんなが儲かるかといふに、何時が来
ても、みんなは儲からない。損をする人がなければ儲かる人はない。皆様、これはどんな
に御研究になつても、丁度入学試験とおなじやうな、みんなが幾ら勉強しても入学する人
間の数はふへない。それとおなじで競馬フアンが損をする率も決して変らないと思ひます
が、熱心に御研究になります方は、だんだん損をすることが少くなる。

私も競馬を始めた頃は春に四千円、秋に四五千円、ザツと一万円位の損でしたが、此頃は
儲かつてゐるかといふに儲かつてはゐない。此頃の損は春に千円、秋に千円、やつと四分
の一に少くなつただけで、まだ一度もシーズンを通じて儲けたことはないんです、私の理
想としては、そんなに儲けなくてもよいからいつか一度だけ第一競馬から第十一競馬まで
みんなとつてみたいと思ひますが、却々とれさうもないんであります。(拍手)
(於大阪中央公会堂 昭和十、四、四)


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