馬主は得をしてゐるか

 僕などは、馬主としては、中以下の成績であるが、たゞ人口に上る評判馬を二、三頭持
つてゐるため馬主として当つてゐるやうな誤解を受ける場合もある。

 一般的に云つて、馬主は全部損をしてゐると云つてもよい。たゞ馬主が儲けてゐるやう
に見えるのは、稼ぐ馬は人目に付き易いに反して、損をする馬は、人目に付かないためで
ある。

 馬主と云ふものは、公衆の面前で得をし、厩舎の裡で損をしてゐるのである。得は人目
に触れ損は人目に触れないのである。だから、心なき人からはうまい事をしてゐるやうに
思はれるが、本音は皆損をしてゐるのである。

 私の知つてゐる馬主の例を引けば、十年秋季の活躍馬であるミスアキラのW氏なども、
今までは随分損をされてゐたことだと思ふ。ミスアキラで、やつと気をよくされたことは、
我々にも嬉しいことである。一時黄金時代を持たれたH氏なども、近頃は不運であるやう
だ。ハクシヨウ、ハクヨシと羨望の的だつたI氏だつて今は停頓期に在る。Hさんなども、
ニツポンバレの活躍で、わづかに気をよくされてゐるのではないかと思ふ。

 さう考へて来ると、馬主などは誰も得はしてゐないのである。みんな好きの道とて、損
を覚悟で馬を持ってゐるのである。

 馬主が、いかに損をしてゐるかと云ふことは、二三年前のブツクの新呼の馬名を一覧さ
れゝば、すぐ分る。新呼として華々しくスタートしたものゝ中で、功成り名遂げたもの、
果して幾頭ぞやである。今参考として、八年秋季の中山ステークスの登録馬名を挙げて見
る。

□イワトヨ     □イワウメ     □イワマサ    △イワアラシ    
◎ハツピーランド  □ハツピーゴール  □ハクノブ    □ニチヒカリ    
△ボニーチヤペル  △ホウカツイージ  △リオン     □オウカンオー   
□オーバアオウシヨン□オークランド   △ワカイワヰ   ◎ワカミチ     
△カリユウ     ◎カブトヤマ    □タチヒカリ   △タマリウ     
◎レツドサンド   □グレーハウンド  □クラツクミラ  □クモカゼ     
□グンコウ     □ヤシユウ     □ヤスノ     □ケゴン      
□フトウ      □フライングフオード□コーユウ    □エーシヤンモア  
□エーモア     △デンヴアー    □アマギ     △キクノハナ    
□キンセン     ◎メリーユートピア □メモ      □ミスシヤダイ   
△シラネ      □ヒデトシ     △セイシンゴー  □セントユートピア 
□スタイン     ◎スターカツプ     

 ◎印は、功成り名遂げた馬である。△印は、どうにかかうにか、損なしに済んだと思は
れる馬である。□印は失敗に終つた馬である。

 四十三頭の内、成功した馬は、わづかに六頭である。損失なくして、どうにか一杯だつ
たと思はれる馬は、わづかに十頭である。損失に了つたと思はれる馬は実に三十頭である。

 それらも平均一万円以上と思はれる馬ばかりだから、馬主の損失が、いかに莫大である
かゞ分る。

 之は、競馬協会発行の成績書の馬名表を一覧になつてもよく分るのである。百頭の内、
四十頭迄は、一銭も稼いでゐないのである。新抽の中でも、競馬場にも顔を出さす、馬名
丈をブツクに止めて消え去る馬が、十頭中三四はゐるのである。

 呼馬の場合でも、一頭功成つて、五六頭無為に了るのである。まして、抽馬の場合は、
一頭功成つて、二十頭も三十頭も無為に了るのである。

 例へば、昭和八年春季の日本レースクラブの新抽馬を見ても、成功したのはオシヨロ一
頭である。カムブロンが不慮の災禍に逢ひ、モンテカルロが末路不振である外、他の十七
頭は皆損である。

 とにかく、各倶楽部の払ふ賞金の全額では買ひ難く、また飼ひがたいほど、競走馬がゐ
るのである。

 現在競走馬は、日本全国に、千三四百頭居るのである。この費用一頭一年二千円として、
約三百万円である。之に対する賞金は、一年約三百五十万円である。騎手に進上金を引か
れるから、二百八十万円である。賞金で、馬を養ふのがやつとである。馬代金は、いつが
来ても浮びつこないやうに出来てゐるのである。カウボーイの技術を稽古して、野生の馬
でも捕へて来て、出走させる外、馬主として儲ける方法はない計算である。

 之は、僕の杜撰の計算であるが、正確に計算したら馬主がいかに不利であることが、も
つとハツキリして、当局者の参考になるのではないかと思ふ。

 かうした立場にある者が、損をする心配の少しもない倶楽部に登録料を払つたり、見込
のない優秀レースに馬を休ませるために、退場料を払つたり、馬主と云ふものはなかなか
悲しい立場に在るものである。

 たゞ病膏盲に入つてゐるため、損と知りつゝ止められない丈である。

 数年を通じて儲かつてゐるフアンなどは、絶対にないやうに数年を通じて儲かつてゐる
馬主などは、絶対にゐないと思ふ。

 競馬フアン全体で、一年一千万円近く損をしてゐるやうに、馬主全体で随分損を分担し
てゐるのである。たゞ幸運が訪れて、時々一息つく丈で、その幸運も長くは続かないのだ。
(昭和十年「馬の世界」所載)


競馬法と救護法

 救護法の財源を、競馬の収益から求めることを、道学者連中などが、反対してゐる。無
意味な反対だと思ふ。英仏の例を見ても、競馬の収益の一部を以て、社会事業費に充てる
ことは、常識である。フランスでは、競馬の収益の一部を以て、大戦に依つて、荒廃した
地方の学校の復旧費に当ててゐる。競馬の収益を教育費に当てるなどと云ふと、日本の道
学者などは目を廻すだらう。

 競馬と云ふことを理解しないから、さういふ偏見が起るのである。日本人は、かけごと
といふことをあまりに罪悪視しすぎるのである。英国人が嘘のつき比べをした時に「俺は、
一生かけをした事がない」と云つた男が、一等になつたと云ふ。その位、英国人は賭事が
好きなのである。かけ事が好きでも、英国人位、質実剛健であれば、沢山ではないか。ダー
ビー競馬には、英国の皇帝を初め皇室御一門挙つて臨場されるであらう。

 一九〇九年に、皇室御所有のミノルが勝つた時、群集は歓喜のあまり、陛下を取り巻い
て、大さはぎをしたが、中には欣び極つて、陛下の背中を軽打する剽軽者さへ出たと云は
れてゐる。(昭和六年四月「馬の世界」所載)


競馬

 むづかしいものである。十頭の中で、たつた一頭の勝馬を見つけるのである。たとひ、
強い馬は分つてゐても、馬自身に、その日の健康、気分がある。スタートの出をくれ、競
走中に包囲されるし、騎手の失策巧拙もある。況んや、強弱の分らない馬が、十頭の中に
三四頭もあれば、何が何だか分らなくなつてしまふ。

 しかし、それだけに、自分の鑑定した馬が決勝点間近くなつて、俄然僚馬を圧倒して一
着した瞬間の快感は、損得には換へられないものだ。勝敗がこの位男性的で、はなやかな
ものはない。しかし、競馬で儲けようなど云ふのは、相場で儲けるより、十倍位むづかし
い。相場は、上るか下るかの二つに一つである。競馬は、七八頭乃至十数頭の中、どれが
来るか分らないのである。自分など、儲けたことは一度もない。たゞ、だんだん損が少く
なつて来た。競馬で儲けた話などする男は、今日五十銭儲けたことだけを話し、昨日百円
損したことをかくしてゐる男である。(昭和八年五月「馬の世界」所載)


競馬随筆

アスフオード号購入

 帝国競馬協会が、今度アスフオード号を購入したことは、たいへん愉快なことだ。アス
フオード号は、「一九三〇年の英国競馬場の名駿」なる本の中に撰ばれてゐるわづか二十
頭の中の一頭として、自分は写真でその勇姿に接してゐたからである。

 ダービー及びセントレヂヤーの勝馬トライゴーが六十万円位の価格があるとすれば、こ
の馬だつて半分位の価値があるのだが、ただ前者がダービーの勝馬であるだけに格段の相
違があるわけである。五万円弱なら、非常に廉価だと云つてよい。

 なほ昨年か一昨年かのダービーの勝馬ブレナイム号も、アスフオードと同じくブランド
フオードの仔である。種牡馬アスフオードの英国に於ける成績は、

 ○ニユーベリイ・スプリングカツプ
  十九頭中一着。
  距離一哩直線。タイム、一分四十秒五分の三。
 ○ケムプトンパーク・グレートジユビリイ・ハンデキヤツプ
  距離一哩四分の一。タイム、二分五秒五分の三。
 ○ドンカスターカツプ
  距離二哩四分の一。タイム、二分五十四秒五分の三。

 この他、コロネーシヨンカツプ競走で、レイカウントにわづか頭で敗れてゐる。競馬成
績から云つても血統から云つても、トウルヌソル、シヤンモアに勝るとも劣らざる馬では
ないかと、自分は信じてゐるのである。


プライオリイパーク

 英国の雑誌で、「日本の競馬」の事を書いた文章を読んだが、その中に(日本へはイボ
アとプライパークが行つてゐる)と云う記事があつた。本誌の前々号だつたか、英国に於
ける過去数年間の重要レースの勝馬の表を見てゐると、プライオリイ・パークは四回勝つ
てゐる。トウルヌソルは、一回しか勝つてゐない。競馬成績から云ふと、プライオリイ・
パークは、日本で云へばケンコンもしくは、ケンキン位の競馬成績を表した馬だらうと思
ふ。奥羽種馬牧場が、シヤイニングスピアを福島にやり、プライオリイ・パークをその代
りに持つて来たのは、同馬の価値を認めたためではないかと思ふ。


呼馬の値段

 わづか、二万五千円の日本ダービー一鞍のために、一万円以上二万円前後の馬が、七十
二頭登録された。娘一人に婿七十二人である。むろん、ダービーだけが目的でないにしろ、
こんな高価な馬が、一年に百頭近くも新呼として出走して、何処でその馬代金を償ひ得る
かと考へると、馬が高すぎると云ふことが誰にも分ると思ふ。

 むろん、馬を持つことは、道楽であり趣味であるとしても、あまりに計算が無視されて
ゐると思ふ。呼馬中、十勝するものは、十頭に一頭しかなく、二十勝するものは、百中二
三であることを考へると、馬の価格は一万二千円位が最高であつていいのではないかと思
ふ。(昭和七年八月馬の世界所載)


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