神の髪を切る100の方法


03

「こう、まずは真っ直ぐに揃えてだ…、」
 コームでキッドの前髪を梳き、ざく、ざく、と大胆にハサミを入れる。数秒後には、眉の下あたりで水平に一直線になった、所謂ぱっつんな前髪ができあがった。
 …やばい、笑える。まじまじ見るとなにか可愛げがある気もする、でもやっぱり笑える。すげー面白い、誰かに見せたい、けど誰にも見せたくないこのアンビバレンツ。
「…おい」
 手を止めてにまにまとキッドの顔を眺めていたソウルに、目を閉じたままのキッドが不穏な空気を感じたのか、牽制するように呟く。
「人の髪で遊んでるんじゃないだろうな?」
「…滅相も無い」
 ていうか、ぱっつんの方がシンメトリー的にはいいんじゃないだろうか。その理論でいくと究極的にはスキンヘッドが、という事になってしまうのだが、そこはシンメトリーより美的センスを優先してほしいところだ。
 第一、この黒髪に触れられなくなってしまうではないか。それは却下だな、と身勝手な意見は胸中だけで呟いて、ソウルはハサミを構えなおした。

「そんで、こう…ざっくり切ると、自然に仕上がるんだ、コレが」
 軽く持ち上げた前髪に、再びハサミを入れる。はらはらと落ちた髪が、テーブルに広げた新聞の上に散った。
 上げていた髪を下ろし、今度は縦にハサミを入れて、梳き具合を調節する。うん、上出来だ。
 概ね左右対称になるように整えて、瞼に、頬に落ちた髪の毛をブラシで軽く払ってやった。
「目、開けてもいいぞ」
  差し出された鏡を受け取って様々な角度から眺めた後、ふむ、とキッドは一つ頷いた。
「なかなか上手いな」
「お褒めに預かり、光栄です」
 仰々しい台詞で芝居がかった会釈をしてみせたソウルに、キッドはケープを外しながら、少し目を細め笑う。
「今度から、時々切って貰うかな」
  鎌ではなくて、ハサミなら安心だ、と。
 やっぱりあの決闘の時のことは、まだ根に持っているらしい。
 それでも上機嫌な笑顔を向けられて、先ほどから意識しないよう努めてきた胸の鼓動が、一際大きく波打った。

 ――ああそうか、俺はこいつのことを。
 唐突に気がついてしまった。心の奥底で澱む、この感情の名前に。
「…どうした?」
 急に黙り込んだソウルに、キッドが軽く小首を傾げる。整えたばかりの前髪がさらりと揺れた。そんな何気ない仕草に、いちいちどきりとさせられる。
 …このままだと、勢いで、何かまずいことを言ってしまいそうな予感がする。取り敢えず今は距離を取りたい、そう考えて、そのための口実を探した。
「…髪の毛。まだついてる、顔に」
「む…そうか?ブラシだけでは、取れないものだな」
 顔を洗ってくる、と言い残して席を立つキッドの背中を見送ったソウルは、大きく息をついて椅子の背凭れに身を預けた。天井を仰ぎ、そのまま滑り落ちるようにずるずると身体を沈める。
 …どうしようか、これから。



 キッドが戻ってくるまでの僅かな時間で、一体何を考えようというんだろう。
 いっそこのまま帰ってしまうかと席を立ったところで、テーブルに広げた新聞が目に留まる。散らばった髪がまるで今の自分の思考回路のように思え、あとは廃棄されるだけのそれを無意味にまとめながら、何とはなしに一房拾い上げる。
 あの時と同じ、少しだけ白いラインの入った、艶やかな黒髪。あの決闘の後持ち帰った髪はどこへやっただろうかと、ソウルは記憶の糸を手繰る。
 まるで大事な宝物のように小さな箱に仕舞われたそれは、あの日抱いた奇妙な感情と共に、机の引き出しの奥へ仕舞いこまれてそれっきり思い出しもしなかった。
 敢えて思い出さないようにしていたんだろうか。自分の行動の意味を考えれば、嫌でも一つの答えに辿りつく。 その髪だけではない、自分はキッドに惹かれている。

 気付いたところでどうしろっていうんだ。
 無視できなくなってしまった感情を持て余しながら、手にした髪を見つめていると、ふと手元に影が差した。
「欲しいのか?」
「え!…いや、別、に」
  ふいに聞こえてきた問いに顔を上げ、しどろもどろに返答する。
 まさか、もう持ってる、なんて言えやしない。ていうかいつの間に戻ってきたんだ。
 自分の気持ちを自覚した途端、傍に立たれるだけで動揺してしまうのが分かる。くそ、落ち着け。
 手にした髪を戻そうとしたところで、すいとキッドに抜き取られた。
「髪は生命力の象徴であり、豊穣のシンボルでもある。神聖な力を有するものだと、捉えられる事が多いな」
  だから、幸運を呼び、災いを払うお守りとして贈る事もある。自分の髪を手持ち無沙汰に弄びながら、キッドがそんなことを言う。 遠く離れた恋人同士が、いつでも互いを身近に感じられるように、とか。あるいは、戦場に赴く家人の無事を祈って、とか、だ。
 最近は危険度の高い課外授業も多い、だから持っていけという事だろうか?
「…俺はお前の、家族でも恋人でもないけど?」
 だから、貰う理由なんかない。
 軽い気持ちで口にした言葉は、自分の胸に予想外に重く響いた。
 彼にとって自分は、ただの友人の一人にすぎない。そう再確認させられたようで。
(…だせぇ)
  自分で言ってへこんでいれば世話はない。全く持ってCOOLじゃないと小さく舌打ちしたソウルの横顔をしばらく無言で見つめていたキッドが、やがて静かに口を開く。
「理由があれば、受け取るのか」
「………は、」
  何を言ってるんだ。そう言おうとして、澄んだ瞳で真っ直ぐに見つめられ、何も言えなくなった。
 切なさをはらんだ金色に、胸の奥が疼く。
 …やめろ。そんな目で見ないでほしい。
 都合よく勘違いをしてしまいそうになる。自分が彼にとって特別な何かなのではないかと。
 そんな浅はかな期待なんか、したくはない。
 そう思いながらも目を逸らすことはできず、キッドの唇が、ゆっくりと言葉を紡ぎ出すのをただ見つめていた。


「俺は、ソウルが好きだ」