ジメテのハジマリ


03

 考えてみれば、あれはキッドなりの不器用なデートの誘い、だったのだろうとソウルは思う。

 死武専指定の制服は果たして現在何種類の組み合わせがあるのだとか、そういう他愛もない会話を始まりとして、キッド自身の服装について話が及んだのが、その切欠だった。
『さあ。金額など気にしたことがなかったな』
 普段好んで着用している、黒のスーツにちらと視線を落としたキッドが言う。立場上、略礼装としても使用できるデザインと、なおかつ有事の際にも身体の動きを妨げぬよう伸縮性をもって作られたそれは、死武専指定の制服ではなく、キッドに合わせて仕立てられたテーラーメイドだというのだ。
『おー。でたよ、お金持ち発言』
 坊ちゃんは違うな、と感嘆めいた溜息を零したソウルに、キッドは『そういうものか』と軽く首を傾げてみせた。
『動きを抑制するような、ごてごてしたものでなければ』
 前置きして、身につけるものは基本、シンメトリーでありさえすればそれでいい、と。いつもの仏頂面で、そんなことを嘯くキッドは、どちらかと言えばトラッドな様相を好むようだが、その実、ただ一点だけを抑えておけばいいというのなら、案外なんでも袖を通すのだろうか。
『……アレだな。たまにはなんかこう、違う毛色のとか着たくなんね?』
 そんな事を言ってみたのは、本当に雑談の一環でしかなかった。
 黙って立ってさえいれば、『端正な面立ちの思慮深げな少年』に見える死神家の御令息。カッチリとした装いはたしかに彼の気性にも沿ってはいるが、もう少しドレスダウンしたスタイルだって似合うのかもしれない、などと。
そんな事を考えながらファッション誌を手持ちぶさたに捲っていたソウルに、返ってきたのは意外な言葉だった。


『なら、お前が選んでくれないか?』


 ・
 ・
 ・


 好きな系統もブランドも、特にないと言うから取り敢えずモールを散策し、所謂ウインドウショッピングを敢行したソウルは、しかし自らの認識がまだ少し甘かったことを思い知った。とにかくまずシンメトリーでなければならない、というキッドの主義主張を尊重したおかげで、上下ひと揃いを買うだけで結構な時間を要してしまい、さして歩いてもいないはずであるのに、なぜだかやけに疲労していた。
 死刑台邸のキッドの私室。はあ、と少し疲れた吐息を零してソファに身を沈めたソウルの視線の先には、先程買ったばかりの秋物のダッフルジャケットを羽織ったキッドがいる。
「ふむ。悪くないな」
 薄手だが保温性に優れている、とまず材質的な感想を述べたキッドが、軽く身を捻ってみせる。ちらとこちらを見たのは、感想を求めてのことだろう、と思い「ああ、いんじゃね」とソウルは相槌をうった。
 シンプルですっきりとしたシルエットは、カジュアルにもクラシックにも落とし込みやすいデザインだ。店舗でも繰り返し試着をしたというのに、帰ってきてまた着替えてみせるあたり、よほど気にいったのだろう。明らかにいつもより声を弾ませた恋人の様子が、何より可愛く思えた。
「そういうカラーのも、あんま見ないし」
「そうだな。いい色あいだ」
「……俺はてっきり、グレーとか黒とかのを選ぶかと、思ったけど」
 ワインレッドのダッフルジャケットを、見立てたのはソウルだが、この色がいいと最終的に選んだのはキッドだ。モノトーンの方が手持ちの服に合わせやすいものだろうし、そもそもいつもの傾向から言って、おそらく選びはしないだろうと思われるカラーに彼が手を伸ばしたことが、ソウルには少し意外だった。
「それは、――……」
「?」
 何か言いかけて一瞬言葉に詰まり、何故かじっとソウルの目を見据えたキッドの頬がじわと朱に染まる。
「……毛色の違ったものを、と言っていただろ」
 呟くように言ってふと目を背け、キッドは律儀に一番上まできっちり止めていた、ジャケットのボタンをひとつ外した。
 店頭は既に秋物一色だったし、確かに暦の上ではもう秋といっても良い季節ではあるが、とは言えまだ気温は夏の終わりのそれだ。流石に暑さを覚えたのだろうか、と少し上気した顔でジャケットから袖を抜くキッドをぼんやり眺めながら、「んーまあ、そうな」とソウルは応えた。
「いーんじゃん? 似合ってるし」
「そうか」
 肯定の言葉をうけて、キッドがはにかんだように小さく笑う。それは例え僅かなことでも、二人の間で共有される感覚があることを、喜んでいる表情だった。
(…………、)
 自然、高くなる鼓動を自覚して、けれどできるかぎりの平静を保とうと努める。
 平常心、と胸の裡で呟く、そんなことを、もうどれぐらい繰り返したか分からないが、いつまでたっても『今がその時だ』と背を押される気分にならないのはどうしたことだろうか。
 人並みの自制心と、人並み以上の好奇心とを衝突させながら、恋愛という名の先の読めないコーナーを、必要以上にブレーキングしての安全運転。正直、臆病が過ぎるなという思いは常にソウルの裡にある。
 無鉄砲が売りのティーンエイジャーの行動としちゃ正しかァないだろ、とは思いながら、しかし『この先』をどうやって踏み出したものだかを、いつまでも迷っている自分がいるのもまた確かで――

「? ……どうした?」
「は、ぇ、」
 不意をつかれて間抜けな声が漏れた。視線をあげたその先に、怪訝な顔をしたキッドがいる。
「あー……っと、ちょっと疲れた、……かも」
「だらしがないな。この程度でか」
 呆れたように言いながらも、金の双眸には少し気遣わしげな色が滲み、それまで明るかった声の調子が、ややトーンを落としたものになった。
「……すまない。無理に付き合わせた」
「いや、」
 咄嗟の言い訳が、あまり芳しくない方向へ転がってしまいそうな気配を感じる。早めの方向転換が肝心だ、とソウルは何か話題を転換できるものを探し、視線を泳がせた。
 脱いだジャケットは既にクローゼットに収納したのだろう。薄いブルーのシャツにツイードのクロップドパンツを合わせたキッドのスタイルは、結局トラッド寄りになってしまったなと、考えたところでソウルは片眉を上げた。
「あ、……そういや、ネクタイは?」
「? ああ」
 ソウルの指摘に、胸元のあたりに手を置いたキッドが、ややあって困ったように眉を寄せた。
「材質のせいか、結び辛くてな」
 言いながら、キッドが差し出した濃紺のニットタイは確か、シャツに合わせて購入したものだ。
 そもそも、ネクタイを身につける習慣自体があまりないのだ、と言うキッドに、そういえばとソウルは彼のいつもの服装を思いだした。『きっちりかっちり』した物を好む、という彼の印象からなんとなく選んでしまったが、よく考えてみれば、キッドがタイを締めている場面はあまり見かけた覚えがなかった。
「もしかして、あんま好きじゃなかったか? ……悪ィ、気付かなかったわ」
「そういうわけでは、ないんだが…………時間がかかるから止めろと言われている」
「――……なるほどね」
 彼の父かあるいはパートナーからの苦情であろうか、どちらにせよキッドらしい理由だと深く納得するしかない。ループタイか何かにしておくべきだったか、と思いながら、タイをくるくると丸めていたソウルを、しばし思案顔で見詰めていたキッドの顔が、何かを思いついた時のようにぱっと明るくなった。
「結んでみてくれないか」
「へ? ……あ、え、…………コレ?」
「うむ。ソウルならきっと、綺麗に結べるだろう?」
「なにを根拠に」
「手先も器用だしな」
「はァ……」
 手の中のタイと、キッドの顔を見比べたソウルが自らの銀髪を軽く掻く。その仕草は、彼が戸惑いを覚えた時に無意識にする、癖のようなものだ。
「別にいーけど、……期待すんなよ。人のなんか、結んだことねェし」
「大丈夫だ。信じてる」
 そのストレートな信頼は、一体なにを根拠にしているのだろう、と微妙な表情でキッドの言葉を受け止めたソウルは、よっこらしょと年に似合わぬ掛け声とともに、ソファから腰を上げた。
「シンメトリーに頼む」
「…………了解」
 予想にたがわぬ注文をつけてきたキッドに、応えてソウルはやれやれと言った風に笑みを浮かべて応えてみせた。