STAIRS


02

「そうだな。ここ最近は、就任後に『自分の担当する怪談話を創作する』のがデスサイズスの通例になっていたらしい」
「……マジで?」
 さして意外な風でなく、真面目くさった顔で言うキッドの調子から、それが真実であると察したソウルは、「冗談かと思ってた」と脱力してがくりと肩を落とした。
 死武専の内部事情にも通じる友人に、相談を持ち掛けたのは先日の招集で言い渡された『任務』について、どうにも信じきれないところがあったからだ。悪乗りの過ぎるデスサイズと、あの死神様のことだ、もしかすると新人デスサイズスである自分を、からかっているだけかもしれない……そんなソウルの予測は、残念ながら外れることとなった。

「『死武専八不思議』、そもそもはEATクラスのものが、デスサイズスの誰かをモチーフに面白半分にでっちあげた話を、NOTクラスの生徒が間に受けてしまったのが発端だったらしいが」
 休日で生徒の姿もなく、しんと静まり返った校舎内を、歩きながらキッドがことの経緯を話す。
「NOTクラスのものは特に、デスサイズスと対面する機会もあまりないからな。どのみち、学校という場にはこの手の話がつきものだ。前例ができてしまった以上、デスサイズスの顔触れが一新されるたびに怪談話は作られるだろう、と」
 腕を組み、ふぅ、とキッドは一つ溜息をついた。
「……そこで、『どうせならみんな自分で作っちゃえば? 面白いし♪』と、父上が提案したと聞いている」
 一旦言葉を切ったキッドは、自らの父の、学長にあるまじき自由奔放さを、どうフォローしたものかと考えているようでもある。ややあって「それに」と再び口を開く。
「デスサイズのような不名誉な噂を流されるぐらいなら、予め用意させた方がマシだろうという配慮もあって」
「…………そりゃァ、ありがたいことで」
「腐るな。仕事だと割り切って、キッチリカッチリ終わらせればいい話だろう。俺も手伝ってやる」
「へーへー、分かりましたよ」
 話しながら、二人が歩いているのは死武専の課外活動棟だ。
 教室棟同様に複雑に入り組んだ廊下は、気をぬくと、自分がいまどちらの方角を向いているのかさえよく分からなくなってくる。「マリー先生などは、足を踏み入れたが最後、二度と太陽の光を拝めないかもしれないな」とキッドが言ったのは、決して大げさではない。
 もうずっと、窓の無い廊下が続き、壁の蝋燭の火が瞬きをするかのごとく揺れている。階段を、上っていたと思った筈が辿りつく場所は地下だというあたり、死武専の構造は迷路というより迷宮だなと、ソウルは仄暗い通路を薄気味の悪い思いで眺めながら思う。
「魂の波長を合わせ共鳴率を高める訓練の一環として、死武専では様々なカリキュラムが設けられているが」
 かつん、かつんと靴音が響くなか、キッドの声もまた、石造りの床に硬く反射してソウルの耳に届く。
「なかでも、『音楽』による呼応を試みる授業を、選択するものがこのところ増加傾向にあるのは、」
 言いながら、キッドの視線が、隣を歩く魔鎌をちらと意味有りげに捉えた。
「……勿論、新しきデスサイズスの誕生に起因するものだろうな」
「右へ倣えってか。お手軽だな」
「それぞれの持つ特性を無視して流行りに流されるのは、確かに好ましい事だとは言えんが。習得の初期段階はまず模倣から、とも言う。一概に悪いとも言えん」
 石壁に反響していた靴音が止む。二人が足を止めた視線の先、細い通路にずらりと並ぶ鉄製のドアには全て、小さな窓が付いており、そしてその上に『個人練習室』と書かれたプレートが填めてある。
「音楽室やダンスルームでもいいのだが、こちらの個人練習室の方がより、ロケーション的に向いているのではないか、と思う」
「……やっぱピアノ関係?」
 キッドが挙げた教室はいずれも、『ピアノがある場所』という共通点がある。気乗りしない様子で言うソウルに、「当然だ」とキッドはにべもなく返した。
「お前の能力は音で波長を伝達、増幅、ときに遮断するものだろう。媒介はピアノだ、ならばピアノをモチーフにしたものにするのが筋と言うものだ」
 キッドの言葉に、小さく唸ったきりでソウルが黙り込んだのは、その意見が正論であることを認めた証拠だ。どのみち他に、良い案も思いつきそうになかった。
「さて」と仕切りなおすように言った、キッドの方が当事者であるソウルより余程、やる気に溢れている様にも見える。
「音楽室に纏わる怪談といえば、『誰もいない教室から聴こえるピアノの音』『死を呼ぶ演奏』『表情の変わる肖像画』あたりがポピュラーだな」
「じゃあそれで」
「……手を抜くんじゃない。もっとオリジナリティーを出そうという気はないのか」
「あーーっ。面倒臭ェな、いいだろ別に。伝統守んのも大事だっての」
 ぶつぶつと文句を言うソウルを引き摺るようにして、キッドは並び立つドアの前を過ぎる。休日と言う事もあってか、いつも誰かしらが使用している練習室には、今日は生徒の姿はなかった。
 ひとけがないのは好都合だ、と一番端の練習室の前に立ったキッドは、死神特権を行使し拝借してきた鍵を鍵穴へ射し込む。カチャリと小さな解錠音がして、ドアは静かに開いた。
「練習室は計十三ある。十三は多くの地域において忌み数だからな、怪談を創作するならこの部屋がいいだろう」
 アップライトピアノが一台、ぎりぎり納まる程度の狭い部屋だ。二脚ある椅子の一つに腰を掛け、鍵盤蓋を持ち上げたソウルは、戯れに白鍵を叩いた。ポォン、という澄んだ音が部屋の空気を震わせるのを、確認したあと「で?」とキッドに向き直った。
「どーすんべ」
「…………そうだな」
 狭い室内を見渡したキッドは、片手を顎に添え考え込むような仕草をする。
「取り敢えず、この部屋に肖像画はない」
「んーじゃ、残り二つだ」
「ふむ。『誰もいない部屋からピアノの音』か、…………ならば、この部屋に人が存在しない、という確たる状況を作り上げる必要があるな」
「いっそ開かずの間でも作るか。扉を塞いじまってさ」
 やや投げやり気味に言って、けらけらと笑ったソウルの言葉を、けれどキッドは真摯な顔でしばし咀嚼し、「そうだな」と肯定の言葉を発した。
「いいんじゃないのか?」
「は? …………マジかよ」
「どうせやるなら徹底的に、だ。……ピアノの音をどうするかだな。カセットデッキを置いておく、という手もあるが、しかし録音したものでは真実味がない。鬼気迫るような演奏が必要だ」
「んーじゃあ、どーすんだ」
「まず俺がこの部屋の扉を塗り込めよう」
「ふん」
「で、だ。お前は中に残れ」
「……は?」
「そして真夜中の三時になると徐にピアノを弾く」
「…………ほぉ」
「深夜、学内の見回りをしていた警備員が、偶然演奏を耳にして、」
「………………へェ……」
「以来『封鎖された十三番目の扉、誰も入れるはずの無い部屋から夜な夜な聞こえるピアノの音』という話がまことしやかに広がる。あとは勝手に尾ひれがついてゆくに任せればいいだろう。この部屋か、あるいはピアノが曰くつきのものだとでも、…………どうだ? なかなか怪談らしくなったんじゃないか」
 話のオチがどこにあるのか、しばらく黙ってキッドの言葉を聞いていたソウルの、眉間に寄った皺がひくひくと痙攣する。キッドをじとりと睨み、その表情から言葉の真意を汲み取ろうと試みたあと、それがいかに空しい事であるかを悟って、ソウルはその銀髪を苛立たしげに掻いた。
「? どうした」
「どうした、じゃねェよ。扉封鎖したあと、俺はどーやって出てくんだ」
「お前が外へ出てしまっては、ピアノの奏者がいなくなってしまうだろ。……しかし、そうだな。永遠にここにいる訳にもいくまい。期を見て解放しよう。噂が完全に怪談として定着するまで、…………一カ月、といったところか?」
「オーケーオーケー、その間俺にずっとこのクソ狭い部屋に閉じ込もってろと、そういう訳だな」
「必然的にそうなるが」
「…………ふっざっけんな! 誰がやるか!」
 冗談じゃねェ、とソウルは言い捨て、対して言われたほうのキッドはどこか納得のいかない顔をしている。その表情を認め、もしやとは思ったが、とソウルは少し疲れた溜息をついた。先の提案はどうやら冗談ではなかったらしい。方向性は違えどどこかズレているのは親譲り、血は争えないというわけだ。
 計画の明らかな問題点を並べたてるのも面倒で、「却下」と実に簡潔に話題を終息させたソウルに、しばらく不満げな顔をしていたキッドは、「では」と気持ちを切り替えるように言った。