愛症候群(その発病及び傾向と対策に関する一考察)


02

「色々考えてみた結果、」という前振りで、話し始めたキッドは、缶入り汁粉にも手をつけず、ただじぃっと真剣な目で未開封のそれを見詰めている。
「俺は、ブラック☆スターに恋をしているらしい」
「…………ぅグ、……ぶっは! ゲホッ!!」
 咽喉を通過しかけた小豆の粒が、気管に引っかかってソウルは盛大に噎せた。口元を押さえ、しばしゴホゴホと咳こむ。「大丈夫か?」と掛けられた言葉に、軽く片手を上げて応え、はあっと長い息をついたあと、椅子に深く座りなおしてソウルはきょろきょろと周囲に視線を配った。
「……何? コレ。なんかの罰ゲーム?」
 リズかパティかが柱の陰で爆笑しているのではなかろうか、という疑いの眼差しでもって、辺りを見渡しているソウルに、「何を言ってるんだ」とキッドが眉を顰める。
「人が真面目な相談をしているというのに」
「……マジで?」
「うむ」
 頷くキッドの顔は真剣そのものだ。どうやら、冗談のつもりで言っている訳ではないらしい。事実はどうあれ少なくとも、キッド本人には、その気は無いように見える。
「…………そりゃァ…………なんつーか」
 言葉を途切れさせ、ソウルは改めて、掛けているテーブルの周辺をちらと確認した。放課後で、生徒もまばらな学食。彼のパートナーあるいは、クラスメイトの姿を探してみるが、やはりそれらしい影は見当たらない。
 キッドは基本的に何事においても真摯であるが、残念なことにその方向性が、周囲の常識と少しばかりずれている、場合がままある。そのおかしな言動は、また誰かに焚きつけられた結果ではあるまいか、という疑念は未だ消えてはいなかった。
「落ちつきの無いやつだな」
 そんなソウルに、少し呆れたように言ってキッドは、ふ、と物憂げに溜息をつく。その様は、確かに悩みを抱えているように見えはする。「ああ悪ィ」と居住いを正したソウルは、しかし内心、どうしたもんだかな、と返すべき言葉に迷った。
「…………ええと。とりあえず」
「なんだ」
「ブラック☆スターにはその話、もうしたのか?」
「いいや」
 ふるふると首を振ったキッドが、「この話をしたのは、ソウルが初めてだ」と付け加えて、再び小さく吐息をつく。
「いきなり本人にこんな話をしたら、驚かせてしまうかもしれんと、思って」
「まあ、驚きゃするかも、な……」
 いやどうだろうか、とかの親友の反応を頭の中でシミュレートしてみる。大方、『ハァ? なにワケわかんねーこと言ってんだおまえ』とスルーするか、もしくは常のように『みなまで言うな! 俺様にはよーっく分かってる。そう、例え神でさえもこの俺様のカリスマの前には、ひれ伏さずにはいられねェのだということを!』と高笑いして頼みもしないサインを押しつけようとするか、……或いはその両方か。なんにせよ、この冗談のような告白を、真面目に受け止めるとも思えない。

 冗談、――……では、ないのだろうか。
 どこかそぞろな気分を落ち着かせようと、ソウルは甘ったるい汁粉を口に含んだ。恋愛相談だなんて、ある意味汁粉以上に甘ったるい話をしているとは思えないほど、自分達の間にある空気は通常通りのもので、それがかえって戸惑いを覚えさせるのだ。
(キッドが、ブラック☆スターに、……恋、…………恋……)
 途端、ほわんと頭のなかに浮かんだ映像に、ソウルは再び噴き出しそうになるのをぐっと堪えた。キッドにお姫様抱っこをされたブラック☆スターと、その逆のパターンとが交互に浮かんで、笑いを噛み殺すのに苦労する。
 だめだ、全くリアルに想像できない。
 そうしてソウルが下を向き、微かに肩を震わせている間にも、キッドの独白は続いていた。
「『お前に恋愛のなにが分かんだよ』とリズに鼻で笑われてだな……」


 聞けば、昨晩リズと軽い口論をしたことが、その可笑しな相談事の発端だったのだという。
 彼のパートナーである魔拳銃姉妹は、色ごとに無頓着な妹はともかく、姉の方は典型的な『恋多き乙女』だ。死武専内でもデス・シティーでも、歩けば人目を引くリズは、当然異性に声を掛けられることも多く、そして彼女もそれを満更でもなく思っているフシがある。
 ただ残念ながら、見目は麗しくとも中身に相応に問題があるのは、仕える主の影響だと言っておくべきだろうか。リズの恋バナや新しい彼氏の話題はよく耳にするが、それらが長続きをしたという話をソウルは聞いたことがなかった。
「やれフラれたの飽きたのと言っては忙しなく次の恋を探すようなマネは、どうかと思うと言ったんだ」
「ふうん? ……やっぱ、心配で?」
「まあな」
 難しい顔で眉を寄せ、足を組み直したキッドの少し苛々した様子はまるで、年頃の娘を持った父親のようだなとソウルは思う。トンプソン姉妹の身柄を預かっているのは、死武専であり死神であり、つまりキッドでもある。パートナーとして、だけでなくそれ以上に彼女らのことに心を砕くのは、彼の義務でもあり、権利でもあった。
「……しかしだな。乙女たるもの常に恋をしてないと綺麗でいられないのだ、というのがリズの持論らしく」
「まァ、一理あるだろうな」
「それは、恋愛が刺激となり脳内伝達物質の分泌量が増加した結果、そういった美容効果を齎すという話だろうか?」
「…………そういう原理とかはよく分かんねーけどよ」
 一般論でな、と話をまとめたソウルに、ふむ、とキッドは頷いた。
「で? そこから、お前が恋をするのしないのって話になったワケ?」
「……まあ。簡潔に言えば、そういうことだ。恋愛経験もないお子様には何も分かるまい、と言う内容の事を」
 そこで言葉を切った、キッドはふと遠くを見るような目をして、「確かに、」と呟くように言う。
「俺はこれまで、そういった事象に気を配らずに生きてきた節がある」
「…………んな固く考えなくても、……気になるヤツとか、居たことなかったのかよ」
「意識したこと自体が無かったな」
 意外な話でもなかった。確かにこの風変わりなボンボンについて、そういった浮ついた話をあまり聞かないなとソウルは思う。死神様の御子息、という立場がそうさせるのか、遠巻きに彼を見ている女子も少なくはなさそうだが、果敢にその壁を越えようというものは、どうやら未だ現れてはいない。ならば、これまでも同様だったのだろうということは、容易に想像がついた。
「だから、一晩、考えてみたんだ」
「何を?」
「俺は、本当に恋愛というものを経験したことが無いのだろうか、と」
「……はあ」
 そこまでの時間を掛けて、真剣に考えなければ判別できないことなのだろうか、という疑問がソウルの頭を占めたが、口に出すのは止しておいた。世慣れぬ朴訥さを持ち、尚且つ何事においても加減というものを知らぬこの死神はもしかすると、恋愛というものの本質を探るところからスタートしてしまったのだろうか。
「そんで、結論が出たって話か」
 その結果がコレだというのだから、一晩じっくり何を考えたのだか、聞きたいような聞きたくないような。
 面倒な事になりそうだ、と少し気分が重くなる。そんな空気を読み取ったのか、キッドが視線を上げた。