Happy Birthday


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 当たり障りのない天気の話から春物のセール情報、最近オープンしたストアの話をたどり、なんとなはなしに会話が途切れたから。
「そういやさ」
「ん?」
「お前の誕生日って、いつだっけ」
 パティと二人、並んで通りを歩きながら、ふとそんな事を問いかける。
「……んあ?」
 ソウルの言葉に、やや間の抜けた声で返して、パティは軽く首を傾げた。『唐突になんだ』とでも言いたそうな顔をする彼女に、先ほどのデス・バックスでの事をソウルが説明するよりも早く。パティの蒼玉色の瞳は何かを察知した時のように閃き、やがて唇が、にやあっと笑みの形に歪んだ。
「……んだよ、その顔」
「いーやァ? 随分と遠まわしな聞き方だなぁーって思っただけー」
「…………。や、……別にそーいう、」
「へー。そーなのー。ふーん」
 目を細め、口元を押さえて意地の悪い笑いを浮かべた彼女が、何を言わんとしているのかは聞くまでもない。
 否定を返そうとして、口の中でもごもごと何か言いかけたソウルは、やがて反論を言葉に変えることを諦め、喉の奥で絡まり形をなさなくなった言い訳を、短い溜息に変えて吐きだした。
 そう、どう申し開きをしようと、それは言い訳にしかならない。
 実際、指摘されなければきっと、自然な話の流れで自分は問いかけていた筈なのだ。ならばリズは、――そして、キッドは、と。
 無意識の動きを的確に言い当てられ、明らかに気まずい顔で目を逸らしたソウルを、「わっかりやす」とパティがけらけら笑う。
「……笑いすぎじゃねーですかね」
「やー、だって! ……そーいうトコ、ヘンに恋する乙女っぽいっていうか、……ぷっははは」
 喋りながらもう自分の言葉に噴き出す始末だ。目尻に浮かんだ涙を拭う仕草すらしながらの大笑いが通りをゆき過ぎる人の目を引き、ひそやかな笑みを生じさせるのも仕方のない事だろう。
 自分の有意義的滑稽によって周囲が笑顔に満たされるとはなんとも愉快なことだと、なかば不貞腐れたように黙ってしまったソウルの肩を軽く叩き、「あーあーごめん」と欠片も心情を伴わない調子で言って、パティは漸く笑いをおさめた。
「……ウチはねー。いっつも、三人一緒にお祝いすんだよ」
「え? ……なに、オマエら誕生日近いわけ?」
「んんーーーっと」
 何事かを考えるように、可愛らしく人差し指を顎にあてた仕草でしばし中空を見つめたパティは、やがて「知らない」と不可解な答えを返してきた。

「…………は?」
 ソウルがあからさまに眉根を寄せたのは、返された言葉が理解できなかったためだ。会話をキャッチボールで例えるならば、彼女の言動がいつでもややワイルドピッチ気味なのにはもう慣れたつもりだったが。
 どうやらまだ甘かったらしい、と明らかに疑問と困惑の表情を浮かべたソウルの視線に気付き、「ん?」とパティが小首を傾げる。
「いや……何ソレ。意味わかんねェし」
「なにが?」
「何が、って…………えーっと」
 きょとんとした眼で瞬きをする、パティの蒼い瞳は純粋に、『何が疑問なのかが分からない』といった風の、他意のない色をしている。まるで自分の方がおかしなことを言っているようだ、と、ソウルは混乱する思考を持て余して眉間のあたりを軽く押さえた。
「……だから。誕生日がいつなのか、っていう話だったろ」
「うん」
「なら、なんで『知らない』ワケよ。変だろ、その答えは」
 話を整理しようと努めるソウルに、「うーんと」とパティが首を捻る。 
 単純に、共通認識のずれからくるものなのだろう。パティとの会話が成立しない場合がままあるのは、そのずれがあまりに大きいことに起因するものだとソウルは思う。
 彼女の内部に構成される『常識』というものが、一般的常識と照らし合わせて合致しないところが多くある、という事だ。そういう所はなんとなく彼女の主と、キッドと似通っている部分な気がするな、などと考える彼の傍らで、パティは難解な教科書に向かう時と似た顔で「なんだっけなぁ」と呟いた。
「なんかー。登録とか、されてなかったみたいだし? お役所に」
 ごくさらりと、告げられた事実にソウルは、咄嗟に返す言葉に詰まる。
 出生を、証明すべき届け出がなされていない、というその言葉で思い出す。彼女とその姉が、主であるキッドと出会うより以前、どのような環境で育ってきたのかということを。
 二人が庶出であることは――本人たちが好んで『不幸大会』なる会合を開き、身の上話を披露する程度には――周知の事実だ。そのような事情を、知る以前と以後で彼女らに対する心証が変わることも、まして憐れんだ事など決してなかったが、しかし面と向かって打ち明けられれば、何と応えていいか判断に迷う類のものであることもまた確かだった。
「教えてくれる人もいなかったし」
 そんなソウルの様子を気にも留めず、パティの言葉は続く。
 書類上の記録だけではなく。己の生まれた日を記憶する庇護者さえ存在しなかったのだ。ストリートでただ二人きり、互いだけを支えにして生きてゆかねばならなかった、幼き日の姉妹には。
 単純な事実でしかないそんな話を、けれど何気ない顔で受け流すにはやや重く。思わず歩みの速度を落としたソウルに気付いて、三歩ほど先を歩く形になったパティが振り返る。
「ん? どしたん?」
「……いや、」
 背を屈めた姿勢で顔を覗き込まれて、僅かに目を泳がせたソウルを、しばらくじっと見つめた後、パティは「ははーん」と何かに感づいたような顔をした。
「あーあー。やっべ地雷踏んだー、とか思ってる顔」
 ピントさえ合ってしまえば、そこから人の心を見透かす事も早い。そのあたりのカンの良さは主より優れているかもしれない、などとあまり関係のないことを考えたのは軽い逃避だろうか。
 動揺を押し隠しつつ、いつから自分はこんなに分かりやすい人間になったのだろうかと、軽い苛立ちさえ覚えながら言葉を濁したソウルに「図星! 図星!」とパティは手を叩き指をさして笑う。
 悲壮さの欠片さえないそんな様子に、はぁ、と一つ疲れた溜息をつき、自分のナンセンスを自覚しながら、ソウルは沈鬱な気分を誤魔化すように己の銀髪をがしがしと掻いた。
「思うだろ、そりゃ。一応」
 取り繕っても仕方のないことだ。正直に心情を述べたソウルを、「いまさらだよねー」とクール極まりない一言で切り捨てたパティは、けれど特に気分を害した風でもないようだった。
「そーいうワケだから。知らないんだよね、わたしも、おねーちゃんも、――キッドくんも」
「? ……キッドも?」
「ん。なんかの時にさ。聞いたんだ、キッドくんにも。そしたら」
 砂漠の町特有の乾いた風が、砂埃とともに彼女の言葉を舞い上げる。
「わからないって、言ったから」