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Sugar sweet nightmare ■■
02
デス・ザ・キッドとそのパートナーであるトンプソン姉妹がドイツ中北部へと赴いたのは、鬼神解放と狂気蔓延により活発になりつつある魔女会の動向を探るためだった。古くから魔女の聖地として知られ、数々の伝承を残し、また実際の活動事例も多く確認されているハルツ地方は、それだけに平時から死武専の監視の目も厳しい区域だ。
滞在中の拠点として現地の職員から案内されたヒュッテは、死武専の活動拠点としてではなく、情報収集の面に重きを置いて、通常は一般の観光客や登山者を相手に運営されている。そのためいつも利用する宿泊施設よりも物々しさが薄く、ともすれば観光気分で売店など覗いていたリズの表情が一瞬強張る。怪訝な顔をしてキッドを振り返った彼女に、キッドは『知らぬふりをしろ』と目で指示するに留めて、何事もなかったように三人の名前を宿帳に記帳した。
「魔女グッズとかー、いいのかねぇ」
一般の土産物屋ならともかくさ、と部屋に向かう途中の廊下で、先程目にしたものについて、潜めた声でリズは疑問を口にした。
「あれらはすべて魔術的意味の薄い、『おまじない』のようなものばかりだ。製造は死武専で行っているし、収益は運営に充てられる。実際に魔女が関わっているわけではないのだから、問題はないだろう」
「まぁ、理屈じゃそーだけど」
「……民間レベルでの魔女信仰はある程度は目零しされている。仕方があるまい」
応えた彼女の主の声は苦味の欠片さえ帯びてはいない。巨大組織を統括するものとしての、『大人の』考え方を模倣する彼の立場を、察してリズはそのまま口を噤んだ。自分達は何も、魔女会殲滅のために派遣された訳ではない、ということを彼女も理解はしていた。
鬼神捜索に必要以上の人員を割いている現状、魔女側との表だった衝突は避けたいというのが死武専側の本音だ。現状把握のための視察、万一動きを見せるようならば何らかの警告を与えるため、キッドが死神代行として勅命を賜ることとなった、というのが事のあらましだった。
滞在七日目は悪天候の為ろくに身動きが取れず、活動内容は観光客相手の情報収集、という名の世間話にとどまり、三人は殆どの時間を談話室か割り当てられた部屋で過ごすかしていた。
昼間は彼女らと同じよう、足止めを食った旅行客が集まり和やかに談笑していたホールも、今はひと気が無くしんとして、風が窓枠を揺らす音だけが響いている。実際の室温とは関係なく、人がいないというただそれだけで、場の持つ温もりのようなものが失われてしまったようにさえ思える。ほんの少しうすら寒いものを感じながら、キッドの隣に腰掛け背を丸めて、短く吐息をついたパティに、「どうした」と彼女の主が問いかけた。
「おなかへっちった」
「……。こんな時間にか。夜分の飲食は関心せんな」
渋い顔をするキッドに、にひひ、とパティは屈託のない笑みを返した。
部屋を出る足音を聞き逃したのは、窓の外で轟々と吹雪く風音に紛れた所為か。部屋の寒さで目を覚まし、トイレを済ませたパティが、階下へ降りてゆく主の気配に気付いたのは全くの偶然だった。
「うーー、寒っみいねー。……ホットチョコレートかなんか、貰おっかなーって」
オーナーどこにいんだろ、とぐるりと首を回し、ひっそりとしたホールを見渡したパティの傍らで、キッドはやはり先程の黒電話をじっと見詰めていた。
「かけないの?」
受話器を手に取るでなく、しかしその場から立ち去ることもできずただ無言でソファに身を沈めているキッドに、パティが再度促す。
「あー、わかった。気にしてんだ、アレを。……なんだっけ、…………爺さん?」
「……時差、のことか」
「そうそうそれ。デスシティって、今何時だっけ」
「朝の七時ごろだろうな」
「じゃあ、ちょうど起きた頃じゃん? ……あーいや、まてよ。アイツまだ寝てっかなぁ」
「…………、いや。いいんだ」
言わずとも、誰の事を指しているのかを察して、弱々しく頭を振ったキッドに、「なんかあったの?」とパティは首を傾げた。
「そう、見えるか」
「ん〜。なんだろ、なーんとなく」
共通の友人であり、またキッドにとってはそれ以上の存在でもあるあの魔鎌との間に、何かがあったのか。寧ろ『何もなかった』からこその変調であろうか、とも思わないではない。何しろ彼女の主は死武専に戻ってからというもの、友人との再会を喜びあう時間すらろくに設けず、世界中を忙しく飛び回っていたのだから。
何かに追い立てられるようにして、碌に死武専にも顔を出さなかった時期に比べれば、いくらか険の取れた表情ではあるが。それでも、どこか思いつめたような顔をしている、と思う。
そっと彼の横顔を盗み見る。電話機から目線を外し、しかし今度は窓の外を見詰めたままじっと黙りこんでしまったキッドの白い横顔に、ランプの灯が陰影を作り、幻想的にすら見せていた。
(死神サマなんだよねぇ、……こーんな細っこくて、空気読まなくて、時々アホでも)
口にすれば『お前に言われたくない』と渋面を作るであろう感想は、胸に仕舞っておいた。
瑞々しく雄々しい波長がときに、凍てつくほどの昏さを纏う。そのような二面性も、彼が生と死という二つの性質を持つものだからだろうか。精密な人形のように造作の整った顔立ちでありながら、けれど偶像的な空疎な美しさとも異なる主の横顔を、なんとはなしに眺めながら、取りとめのないことを考える。
その対称的かつ同期的なものを司る、人智のおよばぬ存在であるはずの彼が今は、闇に溶け儚く消えてしまいそうな、頼りなげな目をした少年にしか見えない。
危うささえ湛えた瞳に、胸がきゅっと締め付けられて。
無意識に伸ばした手が、キッドの肩に触れようとして一瞬躊躇い、そしてそのまま彼の頭にポンと乗せられた。
「……、何だ」
「んんー。……うちのご主人さまは相変わらず、肝心な時ほどヘタレだなァーって思っただけ〜」
平常運転だネ、とキッドの黒髪を撫でる。よしよしと幼児を宥めるような仕草を受けて、彼女の主は無言のまま憮然とした表情になった。
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