home, Sweet home

02

「ぜーーーったいにやだ」
 死刑台邸に帰ろうと、手を差し伸べたマカにリズは両の手で大きくバツを作り明確な拒絶の意思を示す。彼女が細かに身体を震わせているのは決して寒さのためではなく、その顔は血の気が引いて蒼白だ。
「私はもうあの屋敷には帰んない!……だいたい、あの屋敷オバケ騒動多すぎなんだよ!最初にうちらが来た時だってそりゃあもうひどいもんで、」
 そこまで言うと言葉を切り、自身を抱きしめるように身体を縮めリズはブルっと一際大きく身体を震わせた。
「……あああもうやだ思い出したくもない。もーー絶対やだ。絶対帰んない。ずっとここに居る!!」
「ここに居るー♪にゃははは」
 早口でまくし立てて、部屋の隅っこで頭から毛布を被りガタガタと震えるリズに、背中から覆いかぶさるように抱きついたパティが同調して笑う。
 困ったなぁ、と眉を寄せるマカの横で、一番困ってるのは俺なんですけどとソウルは溜息をついた。
 拳銃姉妹が今まさに不法占拠しているのは、マカとソウルの二人が暮らすアパートの、さらに言うとソウルの部屋だった。



「リズちゃんとパティちゃんが家出しちゃってさぁ」
 二人がデスルームに呼び出され、死神様からの相談を受けたのは昨日の話だ。死刑台邸はどうやら物の怪の類を呼び寄せやすい性質らしく、夜毎邸内を徘徊する幽霊らしき何かにすっかり怯えたリズが、パティを連れて出て行ってしまったのだという。
 頼むよマカちゃんソウルくん、と死神様のあの緊張感のない声で頼み込まれ、どうせ『正体見たり枯れ尾花』だろうと軽い気持ちで引き受けて、すぐに二人は後悔することになった。まさか本当に幽霊が、それも尋常でない数を相手にすることになるとはと。
 その招かれざる客人たちにはなんとかお帰り頂いて、クラスメイトの家を点々としていた姉妹を強引に引っ張ってきたところまでは良かったのだが、悪寒がする、やっぱりヤダ、絶対に入らないと死刑台邸の門扉にしがみつき中に入ろうとしないリズに手を焼いて、結局自分たちのアパートに連れて来たのが一時間前。温かいココアで気を落ち着かせ、ようやくまともに話が出来るようになったところで、帰るの帰らないのという押し問答が始まったのだ。

「帰らないって……キッドのことはどうすんだよ。帰って来てくれって、泣いて懇願してたぞ」
 多少の誇張もこの際必要だろうと、若干事実を捻じ曲げて伝えたソウルの言葉に一瞬リズの目がたじろぐ。彼女の心の天秤が微妙に揺れ動くのが揺らぐ目線から伝わってきたが、やがてふっと暗い笑いを浮かべ、リズは昔を懐かしむような遠い目をした。
「キッドに伝えておくれよ……短い間だったがあんたとパートナー組んだ日々は、まぁなにかと鬱陶しかったけど、それなりに楽しかった、ってな……」
「本気か?」
「私は本気だ」
 即答したリズの目は完全に据わっていて、参ったなとソウルは頭を掻いた。帰るぐらいならパートナー解消も辞さないという固い決意はよく分かったが、そのゴタゴタに人を巻き込むんじゃねぇよ、というのは正直な本音だ。
 毛布の中で丸まってしまったリズの背を、「しょーがないなぁ」とマカはまるで妹にするように優しく撫で、よしわかった、とにこりと微笑んだ。
「完全にオバケがいなくなったかどうか、確かめてきてあげるから。それならいいでしょ?」
「……本当?本当の本当に?」
「まかせといて!」
 リズの潤んだ瞳に頼もしい笑顔で応えたマカは、じゃあそういう訳で、とソウルに向き直った。
「事後調査、任せたから。宜しくね?ソウル」
「…………はぁ?なんで俺が、」
 不満を述べようとするその口に人差し指を付きつけ、マカはずいと顔を近づける。姉妹には聞こえない程度の小声で囁いたのは、相棒を黙らせる魔法の呪文。
「あ・ん・た・の恋人、でしょ」
 一瞬言葉を途切らせたソウルが、それとこれとは話が別じゃねーのかと、言うより先にもう彼女の手がスポーツバッグに着替えを詰めて目の前に差し出されている。
「……ていうかこれってチャンスなんじゃないの?私ってば恋のキューピッドかも、寧ろ感謝されてもいいぐらいじゃないよ」
「おま、チャンスとか適当な事言いやがって、早い話が面倒事押し付けたいだけだろうが……!」
 ひそひそと声を潜めるように言うマカに、やはりひそひそと反論するソウルの背に何か冷たいものが走る。恐る恐る振り返ると、相変らずリズに張り付いたままのパティと目が合った。
「ほえ?」
 軽く首を傾げてみせた彼女がその無邪気な風貌とは裏腹に、とてつもなく恐ろしいものを抱えた存在であるという事は仲間内での共通認識だ。
 主人に寄り付く『悪い虫』を、排除するのも彼女の勤めなのだろうか。目線を外した途端、背中に突き刺さるような視線を感じる。もしも視線だけで人が殺せるなら、きっとこの瞬間だけで三回は死んでるなと用意もそこそこに背を押されながらソウルは思う。
「頑張ってねー」と掛けられる無責任極まりないマカの声。何を頑張んだよ何を、と言ってやるべきかどうか考えながら振り向いたソウルの視界に、マカの隣で同様にして見送るパティが映る。「にゃは♪」と浮かべたいつもの能天気な笑顔は、瞬間的に凄惨な笑みに変わった。

「精々頑張れや、ヘタレ」
  (滅多なマネすんじゃねーぞ?)

 耳に届いた言葉と、無言の威嚇との両方に軽く打ちのめされながら、取り敢えず引き攣った笑みを返した。恋人と何某か物事を進展させようと思うとき、障壁として立ちはだかるのはまず彼女かもしれない。
 それでも付いて来ようとまではしないのは、何も間違いなど起こせはしないという、ある種の信頼のようなものなのか。
(それはそれで、なんだかなぁ)
 見送る視線の著しい温度差を背中に感じつつ、ソウルはやれやれと肩を落とすと予定外の任務を遂行するため、再び死刑台屋敷へと足を向けた。