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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜 
22周年記念:『シャーニュブールの笛吹ブリューナ』(第2話) 
 
 ややぬるめの湯だが、じっくりと芯から温まる。 
「あー、いいお湯だった」 
 ラヴェルは湯上りに腕をもみほぐしていた。 
 全身からホカホカと湯気が上がる。 
 バート・ヴィンプフェンの街は昔から知られた温泉の街で、多くの詩人や文豪に愛された町でもある。 
 大詩人ロベルトの石像の下からは温泉の源泉が飲めるようになっており、うすく湯気が立ち上っている。 
 町のいたるところで湯けむりが上がり、多くの湯治客がゆったり散歩していた。 
 ラヴェルも気楽なものだ。 
 財布の心配もしなくて良いし、昼食の後に再び湯に浸かり、のんびりと腕を休める。 
「どうせ優勝なんてできないんだし」 
 今日はもう練習しなくてよいだろう。 
 城に戻って、あとは寝るだけだ。 
 帰りの道中のつまみに菓子を買い求めると、温泉宿を出立する。 
 ふと、町の広場で何やら人だかりが蠢いているのが目に留まった。 
 見れば子供が集まっているが、その中心には派手ないでたちの弁士がいる。 
 何か面白い話でもしているのだろう。 
 それにしても弁が巧みだ。 
 耳をそばだてれば、それは見たことのない新しい町の話のようだった。 
 子供たちは目を輝かせ、すっかりのめり込んでいる。 
 それらを脇に眺めながら、ラヴェルは王都ブレスラウに向かって歩き始めた。 
 夕刻、王都に着けば街はいつもにも増して、旋律が流れている。 
 あちこちの街頭で、広場で、四辻で。 
 あるいは酒場で、宿屋で。 
 各地から明日の歌合戦に向けて詩人たちが集まっているのだ。 
 もはや前哨戦とでもいうような様相。 
 歌や演奏の掛け合いやセッションも生まれている。 
「みんな楽しそうだなぁ……はぁ……」 
 ラヴェルは歌は自信があるが竪琴は下手だ。 
 クレイルは演奏は上手いが歌は下手だ。 
 歌と演奏を両立するというのは実はハードルが高いのかもしれない。 
「ただいま戻りました」 
 シレジアの王城。 
 宮廷詩人や楽士たちもどこかそわそわしている。 
 今日は歌をたしなむ貴族も、出仕の番でもないのに城に滞在している。 
 興奮を押し隠しても隠し切れない、そんな城内の空気感は独特だ。 
 皆、明日の歌合戦に出るか、あるいは聴衆として立ち会うか、そのいずれかなのだろう。 
 夜になってもどこからともなく歌声や楽器の音色が響いてくる。 
 窓の外の篝火を眺めながら、ラヴェルは床に就いた。
 
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 夜中。 
「ああ、また聞こえる……」 
 マリアは憂鬱そうに身を起こした。 
「もう、誰よ……」 
 カーディガンを羽織り、バルコニーへ出る。 
 音は……昨晩よりも近い。 
「本当、嫌な音色」 
 笛の音で間違いないだろう。 
 だがそれは、思っていたほど高い音ではなかった。 
 もちろん時折高い音にはなるが、意外と低く響くときもある。 
「あの音か」 
「レヴィンさん」 
 マリアが振り向くと、そこには青い陰が佇んでいた。 
「聞こえましたか」 
「ああ。今朝の話があったんでな」 
 二人そろって視線を城の外に向ける。 
「城内じゃないですよね」 
「恐らく街だろう。誰かが歩きながら笛を吹いている」 
「こんな夜中に。迷惑よね」 
「夜中であることに意味があるんだろうよ」 
 レヴィンの言葉に、マリアは問いただすように見上げた。 
「何でです?」 
「恐らく、笛を吹くことが目的なのではない。笛を吹いて、何かを起こしている。かなりの魔力を持った音だ。ただの笛ではあるまいよ」 
「厄介そうなんですね?」 
「恐らく、相当にな」 
「明日の歌合戦に来るんでしょうか?」 
「ああ。だが、この笛の音の魔力は夜であることを利用して高めている。昼間はどうだろうな」 
「じゃぁ、歌合戦には笛以外で参加するってことですか?」 
「可能性としてはあり得る」 
「それだと……きゃっ!?」 
 突然の風圧にマリアは思わず身を避けた。 
 白い陰が飛び、羽ばたきが庭を横切っていく。 
「落ち着け、ただのフクロウだ」 
「ああ、びっくりした……」 
「とりあえずお前は寝ろ。俺は町へ降りて痕跡を探してみる」 
「お願いします。もし笛吹き犯を見つけたら、安眠妨害ということで遠慮なくやっちゃってください」 
「……了解した」 
 物騒なお願いをするとマリアは自室へ戻った。 
 一方、ベッドから起き出したのはラヴェルだ。 
「くうううう、寒いっ! 湯冷めした〜〜……」 
 温泉で温まったのはいいが、その後、涼やかな屋外を歩いて帰ってきたのがいけなかったらしい。 
「ああ、せっかくなら一泊して朝帰りするんだったな……うー、冷える……」 
 マントだけでなく毛布にもくるまり、暖炉に火を入れる。 
 暖炉に火を入れる季節ではないが、この冷えには代えられない。 
「そっか、窓が開いてたんだった」 
 開け放っていた窓を閉めようと近づくと、何かの音が耳にとらえられた。 
「え? なんだこの音」 
 それは不気味なうなりを伴う音だった。 
 高い音ではあるが、同時に低い唸りを伴っている。 
(共鳴? いや違うな。高音と低音で一つの音だ。でも和音じゃない) 
 バルバロスの言っていた笛の音だろうか。 
(笛のような音楽的な音ではないけど、何らかの旋律だな……) 
 はっきりとした音ではない。 
 だが、よく聞こうと耳をそばだてると余計に聞こえなくなる。 
 気にしないでおこうとすると、耳に響いてくる。 
「うわ、嫌な性質の音だなぁ……これじゃ寝られないよ」 
 遠くから聞こえてくるような響きだが、窓を閉めても、布団をかぶっても耳に着く。 
 確かに音は小さくなったようだが、一度耳についてしまった音は完全に消えるまでずっと聞き取れてしまうものだ。 
 明日は大きなイベントだ。 
 無理にでも寝ようとラヴェルは目を閉じた。
 
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 夜の闇の中、青い影が石畳の上を渡っていく。 
 レヴィンはブレスラウの町へ降りていた。 
 マリアの言う笛吹き犯を確かめるためだ。 
 周囲にうっすらと魔力が漂っているのを感じるが、正体は判然としない。 
 笛の音も聞こえているが、発生源が掴みにくい。 
 響きが町全体から聞こえているのだ。 
 反響しているのとも違う。 
(ただの笛の音ではないのは確かだ) 
 全身の感覚で周囲を探る。 
 音に集中しようとすると、余計に聞こえなくなる。 
 正体を掴ませない何らかの音色。 
 暗闇からふいに現れた気配に、レヴィンは思わず飛び退いた。 
 反射的に魔法を撃とうとして気づく。 
「!!!」 
 レヴィンは慌てて魔力を打ち消した。 
「何をしている」 
 返事はなかった。 
 そこにいたのは子供だ。ぼんやりしている。 
「おい、しっかりしろ」 
 どうやら夢遊病の気があるらしい。 
「ぶりゅー……」 
 何かぶつぶつ呟いているが、ほとんど寝ぼけているようだ。 
「おい、起きろ」 
 肩を揺するが子どもは相変わらずだった。 
「ぶりゅー……新し……」 
 ひたすら同じことを呟いている。 
 自ら出歩くということは完全に眠っているのではなく、中途半端に覚醒している。 
「ちっ……夢見る原の向こうは時の巡らぬ地……シュラーフ」 
 子供の膝が折れた。 
 一瞬で熟睡して崩れ落ち、地面に激突して目覚める。 
「痛……いった!?」 
「起きたか」 
「え? え?」 
 何が起きたのかわかっていないようで、目覚めた子供はたんこぶを抑えながら周囲を見回した。 
「夢遊病か? 一人で出歩いていたぞ」 
「ご、ごめんなさい」 
 しょげかえった子供に聞けば、家は二本向こうの通りだという。 
「あ、あの……送ってもらえませんか」 
 子供は困ったようにレヴィンを見上げた。 
「何だか薄気味悪い音がずっとしていて。お、お化けかも……」 
 子供は泣きべそをかいていた。 
 確かに、近くに化け物がいる可能性も捨てきれない。 
 レヴィンは仕方なく子供を送っていくことにした。 
 少し歩けば、通りの先で炎が二つ揺れていた。 
「マービン!」 
「父ちゃん!」 
 どうやら親が探しに出てきていたようである。 
 松明を手に駆け寄ってくる。 
 レヴィンが付き添っていることに気づくと父親は頭を下げた。 
「これはどうも、ご迷惑を」 
「夢遊病か? 気が抜けないな」 
「いえ、それが……」 
 父親は困ったように背後を示した。 
「今まで寝つきは良いほうだったのですが、ここ数日、急に寝ぼけ出しまして。しかも妹まで。妹は先ほど妻が見つけたのですが、うわごとのように何かずっと呟いています」 
 父親の背後では地面にかがみこんでいた母親が頭を下げた。 
 脇に置かれたランプがうっすらと照らしている。 
 母親の膝の上にはぼんやりとした小さな女の子が抱えられている。 
「ああ、まただ」 
 レヴィンが見つけた男の子マービンは耳を手で塞いだ。 
 父親を見上げて訴える。 
「怖い音がする。助けて」 
「音? 何の音もしないぞ」 
「本当だよ、薄気味悪い音楽みたいなんだ。ここ最近、寝てると聞こえるんだ」 
「バカなことを言うんじゃない、みろ、静かなもんだ」 
 子供は音が怖いと訴えるが、親には聞こえていないようだ。 
(おかしいな) 
 レヴィンは違和感を抱いた。 
 そもそも彼がここにいるのは、幼い王女マリアの頼みで怪しい笛の音を追ってのことだった。 
 マリアは寝られないほど音が苦になるようだったが、侍女長には聞こえなかったという。 
 トレノは音は聞き取れないが何か鳴っている気はしたらしい。 
 クレイルは聞いていなかったようだが、恐らく聞こえていなかったのではなく、気付かなかったのだろう。 
 レヴィンは親子と別れると城壁沿いに歩き、各詰所の衛兵に尋ねて回った。 
「おい、妙な音が続いていないか。笛の音のようだが」 
「ふえ? いんや。風の音でないの?」 
 詰所にいた寝ぼけ眼のバルバロスには聞こえないようだ。 
 他の衛兵にも聞いて回るが、大半は首を横に振った。 
 しかし、幾ばくかの衛兵には音が聞こえていた。 
「ああ、変な笛のような音が響いていました。でも聞こえたのが自分だけだったようなので、気のせいかと」 
(こいつは) 
 レヴィンは確信を得た。 
 音の正体がわかれば、レヴィンの耳はそれをはっきりと聞き分けられた。 
 確かに、妙な音が鳴っている。 
 音というのは年齢が増すほど聞こえにくくなる。 
 問題となっている音に関しては、男性よりも女性の方が聞こえていて、低いうねりを感じるという。 
 なおかつ、若い兵士には高い音に聞こえたという。 
(人間の耳に聞こえる範囲外の音だ)
 
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 人間にもたまには並み以上の聴力を持つ者がいるが、そのような者にははっきり音として聞こえているようだ。 
 通常の聴力以上の高音は子供には聞こえやすく、聴力以上の低音は一部の女性に振動のような不快な音として認識されやすい。 
 どうやら、今問題となっている音は、通常の聴力の範囲外の二つの音が同時に響いているらしい。 
 音の発生源は幻のようではっきりしない。 
 視覚で例えるならば、暗闇の中に、靄のかかった黒い鬼火のようなものが無数に飛び交っているような感じである。 
 その中心は濃くなっているがよくわからない。 
 音が移動しているのは確かだ。 
「マリア王女の話は聞いたか?」 
「うん? ああ、夜中に気味の悪い笛の音がするっていう話かね」 
「ああ」 
 レヴィンは今迄に掴んだ話をバルバロスと衛兵に説明することにした。 
「妙な音が響いているのは確かだ。その音は、高音と低音が同時に鳴っている。その音は、子供にははっきり聞こえ、年齢が高くなると聞き取りにくくなる」 
「はーん。それで姫には聞こえて、侍女長には聞こえないわけね」 
 音の性質を説明すると、レヴィンは本題に入った。 
「さきほど、町で寝ぼけて出歩いている子供に会った。親が探しに出てきていたが、子供二人が外へ出たそうだ。親の話によると、今まではそのようなことはなかったらしいが、ここ数日、急に寝惚けるようになったらしい。その子供も、怖い音がすると言っている」 
 レヴィンの言葉に、バルバロスは難しそうな表情を浮かべた。 
「寝惚ける、夢遊病ねぇ……何か引っかかりますなぁ」 
「それはどのような?」 
 レヴィンがたずねると、バルバロスは視線で部下を促した。 
 衛兵が話の後を継ぐ。 
「音と関係あるかわかりませんが、ここしばらく、夜中に子供がいなくなる騒ぎが続いています」 
「ほう?」 
「幸い、すぐに親が気づいて追いかけたために事なきを得ていますが、どの子供も、それまでは夢遊病の気などなかったそうですよ」 
 バルバロスが腕を組んで考え込んだ。 
「姫がおっしゃるところの、ここしばらく、というのが、もしや子供たちが夢遊病になり始めた時期と一緒ではないの?」 
「ありえるな」 
 子供たちは音の魔力にあてられているのか、あるいは音が原因で寝不足になって奇行を招いているのか、それははわからない。 
「音の出どころを本格的に探らないとダメだねこれは」 
 バルバロスは周囲を見回すと夜番の衛兵に指示を出した。 
 音が聞こえる若い兵士を中心に町の中を探らせる。 
 レヴィンは城壁の上に登ると回廊を駆けた。 
 町を上から一周して俯瞰する。 
 闇に包まれた夜の街。 
 大通りを夜警の持つ松明が移動していく。 
(町の中だな) 
 耳に妙な響きを持つ音が捕らえられる。 
 音が聞こえた衛兵の話によれば、昨晩は音は遠かったという。 
 恐らく、昨晩は町の外だったのだろうが、今はもう町の中にいる。 
 ふいに、鋭い笛の音が上がった。 
 明らかな笛の音は、夜警の兵士が吹く警笛だ。 
「なんだ?」 
 城壁の上の兵士の視線も町中を探る。 
「あそこか」 
 レヴィンの目が町の一角で止まった。 
 ある場所に子供が集まっている。名もない小さな広場だ。 
「おい、行くぞ」 
 レヴィンはバルバドスに合図するとともにその広場へ駆けつけた。 
 笛を吹いた夜警が松明を振って誘導する。 
「隊長、見てください」 
「なんじゃこれ」 
 その一角には、目の虚ろな子供たちが集まっていた。 
 表情こそ虚無だが、気配から察するに妙に興奮している。 
「意識は?」 
「夢か現かといった感じですね」 
「どーなってるの、これ」 
 子供たちの高い体温のせいか、湯気が立って見える。 
 汗をかいている子供もいるほど興奮している様子だが、暴れることはなく、意識もはっきりしない。 
 衛兵たちが困惑しているのを脇目に、レヴィンは耳を澄ませた。 
 得体のしれない笛のような音は確かに鳴り続けている。 
 しかし、子供たちの気配や立てる音が幾重にもこだましていて、はっきり聞き取れない。 
 だが音が濃い。 
 何やら得体のしれない魔力も漂っている。 
 何か方法はないかとレヴィンは一瞬思案し、その魔法を紡いだ。 
「立ち止まりし風の精……シュティル」 
 ふっと空気が凪いだようだった。 
 シュティルは精霊魔法の一種だ。 
 全ての音をかき消して静かにする魔法である。 
 周辺から全ての音がなくなり、ピンと、何か魔力をはっきりと感じた。 
 レヴィンの魔法によって音などしないはずなのに、一瞬、笛のような高い音が一つだけ聞こえた。 
(向こうか) 
 振り返る。 
 だが、それでも相手の姿は見えなかった。 
「炎の中に魂よ帰れ……ファンタズマゴリア」 
「あ、ちょっ……」 
 レヴィンの詠唱に、魔法と悟ったバルバロスが慌てふためく。 
 その眼前で、周辺を包むように淡い陽炎が立ち上った。 
 火事になったとでも思ったのか、直前まで無言だった子供たちの悲鳴が上がる。 
 周辺に漂う魔力を取り込んで陽炎と一緒に燃やす、どす黒い炎。 
 意識を取り戻し、瞬間的にパニックになった子供の集団だったが、その混乱も強制的な沈黙によって消し去られた。 
 無音の空間で魚のように口をパクパクし、自分の声すら聞こえない事実に呆然として黙り込む。 
 それは、レヴィンが再びシュティルを放ったためであった。 
 全ての音が掻き消える。 
 幻のような炎も消え、我に返って立ち尽くす青ざめた子供たちをバルバロスたち警備兵が宥めて回っている。 
「ひとまず落ち着きたまえ」 
「う、うう……怖いよ……」 
 シュティルの効果が切れたのか、子供たちは耳に手を当てた。 
「怖い音がする」 
 シュティルで我に返るということは、どうやら子供たちは魔力を帯びた音に惑わされていたらしい。 
「子供たちを任せた。俺は辺りを探してくる」 
「了解」 
 レヴィンは子供をバルバロスと衛兵に託し、周囲を探る。 
 これは悪魔の仕業だ。 
 世界にはいろいろな魔族が存在するが、悪魔というそれは純粋な魔だ。 
 時折探れば、独特の魔力を感じるが、相手は巧みに姿を消している。 
 ただ気配は感じない。 
 レヴィンの感度は鋭く、通常であれば何らかの存在が気配を消しても探り当てることができる。 
 それができないということは、相手はすぐそばにいるわけではないらしい。 
 だがさほど遠くでもあるまい。 
 暗い路地を駆け巡る。 
 レヴィンはふと足を止めた。 
 石畳の街路に舌打ちが漏れる。 
「チッ……時間切れか」 
 見上げた先に朝日が昇る。 
 どこかから聞こえてくるのだ鶏の鳴き声だ。 
 夜明け。 
 悪魔は闇の中に帰る時間だ。 
(これ以上の探索は無理か) 
 レヴィンは笛吹き犯の探索を切り上げて城へ帰ることにした。
 
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