がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜
24周年記念:『太陽の船』(第3話)
日陰がちの斜面を道が続いている。
視線を上げれば、山脈の麓には黒っぽく大きな城塞都市が見て取れた。
ここはシレジアでも山岳地に属するモラヴァ地方、その首都であるブルノだ。
「ああ、留守かぁ……」
ラヴェルは城を訪ねてみたが、城主であるモラヴァ公トレノは留守とのことだった。
話によれば、トレノはあちこちで頻発する崩落の対処に当たっているらしい。
「わしらの同胞のせいか……」
「ターセルさんが落ち込む必要はないよ」
「同胞のせいで、すまんなぁ……」
落ち込むドゥエルガルをラヴェルは宥めた。
ラヴェルは今までも旅の途中に、いや、クレイルの厄介な頼みごとのために幾度かトレノの城を訪れている。
城の留守を守る侍従長とも幾度か顔を合わせており、トレノが戻るまで滞在させてもらえることになった。
そこへホリンとファーガスがやってきたのは二日後だった。
侍従に案内され、部屋で顔を合わせる。
「ちと聞きたいことがあってよ、お前ェらを探してたんだ。お前ェらは伝説や昔話の類には詳しいだろ。妖精たちの取り替え子のことで聞きたいことがあってよ」
「チェンジリング?」
ラヴェルは思わずレヴィンと顔を見合わせた。
ファーガスが話を引き取って続ける。
「ティル・ナ・ノーグ……ケルティアで厄介なことになっていてな、こいつ、巻き込まれたんだよ。よりによって猫が嫌いなのにな」
ファーガスの視線にホリンが面白くなさそうに眉間にしわを寄せた。
「ドワーフの連中が俺を呼びに来てよ、獅子が出たから助けてくれと」
「ケルティアに獅子なんていたっけ?」
「それだ。獅子だっつーから勇んで出かけたらでかい猫だぜ猫! ひでぇ目に遭ったぜ」
いまだにむず痒いのか、ホリンの鼻の周辺は赤くなったままだ。
「なんでも妖精界のエルフたちがドワーフに戦いを挑んだらしくてよ、キャスパルグの猫を呼び出して襲わせたらしい。で、ドワーフどもは自分達では倒せないから、俺にその猫を倒せと……ひ……ひくっ……」
くしゃみが出そうな様子に思わずラヴェルは身を避けたが、くしゃみは不発だったようだ。
「で、俺様にも無理だとなったら、ドワーフの連中は誰かに入れ知恵されたんだか何だか知らねえが、取り替え子を黒妖犬に捧げて、猫のバケモンとエルフを倒そうって考えたらしい」
レヴィンが面白くもなさそうに腕を組む。
「ティルナノグでエルフとドワーフの一大決戦か。面倒だな」
ケルティアの接している妖精界ティルナノグはアールヴヘイムの一部であるらしい。
かといって、全ての妖精がティルナノグやアールヴヘイムに住んでいるわけではないようだ。
「ターセルさんはティル・ナ・ノーグを知ってる?」
ラヴェルが訪ねるとターセルは首を横に振った。
「いーや。何でもニダヴェリルよりはるか西の果てにある楽園としか。行ったこともないなぁ」
ニダヴェリルは光の妖精の国アールヴヘイムに対してスヴァルトアールヴヘイム、黒妖精の世界とされる。恐らく、光のというのは太陽の光の届く地上、黒というのは光の届かない地下や海底をさすのだろう。
ニダヴェリルからヘルの谷を越えてまだ遥か西、海の下を潜った先で大きな坂を上がり、その先でティルナノグの東の谷底と繋がるという。
「チェンジリング、取り替え子については何か知ってる?」
「うん、この前も言ったように、自分たちは行わない古い風習だけど、西の地方のドワーフたちはまだ行うらしい。もしかすると」
レヴィンが面倒くさそうにため息をついた。
「もっと西、つまりティルナノグの連中がその風習を持ち込んだんだろ。向こうでは取り替え子なんぞ珍しくもないが」
現状、ターセルは同胞がしばらく前に行ったチェンジリングの子供を探すため、地上までの道案内役としてミドガルドに赴いてラヴェルたちと再会した。
一方、ホリンはケルティアにおいて、ドワーフを追ううちにチェンジリングにたどり着いた。
「そっちも取り替え子を追ってるんか」
「その取り替え子が同一かどうかということだな」
ふと視線を上げると、室内は茜色に染め上げられていた。
気付けば夕方、城主であるトレノが戻ってきた。
「ドワーフたちから聞いた。どうやら地下世界の黒小人が原因らしい」
トレノもそこまでは情報を掴んでいたらしい。
「東へ散り散りとなったそうだ。何かを手分けして探している」
「取り替え子だそうですよ」
「取り替え子?」
どこか訝しそうなトレノだったが急に扉の方を見た。
同時に甲高い音が鳴り響く。
カンカンカン、キンキンキン……
「なんだ?」
顔色を変えて叫んだのはターセルだった。
「ノッカーの警告だ!」
ノッカーは坑道や大地の異変を音で知らせてくれる。
「まさか、この城で!?」
「落ち着くように」
トレノは静かにターセルを制した。
「昔、城を建てるときに、基盤はこの地のドワーフ族の手を大いに借りたそうだ。いくら地下のドワーフと言えども数匹程度ではそう簡単には崩せまい」
「しかし人間にも知らせたほうが良くないか?」
「そうだな」
耳をそばだてるファーガスの提案にトレノはうなずいた。
小さな鈴を鳴らして侍従を呼ぶと、城の鐘を鳴らして警告することにした。
しばらく待つと、頭上から大きな鐘の音が響き渡った。
「これなら誰でも聞こえる」
トレノは配下の者たちに素早く指示を出した。
「地下にいるものはすぐに地上に退避、地上の者も山の崖側から離れるように誘導しろ」
「はっ」
ラヴェルはレヴィンと共に城壁に上がった。
周囲を見回すが今のところ土煙が上がっているところはなさそうだ。
階段を降りるとトレノと合流する。
「このお城って地下はどうなってるんですか?」
「この城は巨大な岩盤の上に建っている。多少、岩同士の隙間はあるが、大きな空洞はないはずだ。僅かな空間を掘って穀物庫などがある程度だ」
「そうなんですね。じゃぁ大丈夫なのかな?」
そう首を傾げた瞬間、ずうんと大きく揺れる。
「言ってるそばから!?」
「お前は庭へ」
レヴィンはラヴェルに告げると塔に駆け上った。
ラヴェルは言われた通り庭へ出ると、塔を見上げた。
|
「レヴィン、何か見える?」
「向こうで煙が上がっている」
「向こうだね?」
ラヴェルは示された方へ駆けだした。
門の外だ。
通路を走り、町へ出てみるとギルド会館が傾き、中にいた人間が広場へ退避している。
町の鍛冶師の元締めや武器屋の主人衆、彫金師、取引のあるドワーフ。
ドワーフはノッカーの警告だとおろおろしている。
城では走り回る兵士から情報を聞き取り、トレノはターセルを連れて地下の貯蔵庫へ向かった。
「大きい空洞はないはずだが、念のために見てもらえるか?」
「ええ、もちろんですとも、ご領主様」
そう答えるとターセルは石壁の向こうをドワーフの感覚で見透かした。
「うーん、確かに周囲に空洞はなさそうです」
「そうか。他には……」
形の良い指を無意識に動かしながら、トレノは何か思い出した。
「ああ、確か、使われていない古い地下通路があったはず」
それは城から町のギルド会館へ繋がっている細い地下通路だった。
ギルド会館は昔は城主の別荘だった館で、他の地方の貴族や国王が来た時の迎賓館でもあった。地下通路は万が一の際にギルド会館へ逃げられる通路でもあった。
報告に来た部下に指示を出す。
「地下通路の上に位置すると思われる建物や道路周辺の住民に退避命令を」
「は、ただちに」
部下が駆けだすとターセルはトレノに尋ねた。
「他に崩れそうな地下はありますかね?」
「他は北西の城門と櫓の地下がやはり貯蔵庫になっている」
「わしが行ってみましょう」
そう告げるとターセルは北西の城門付近へ向かった。
丹念に周囲を調べるが、崩れる心配はなさそうだ。
しかしノッカーが激しい。かなり急がせている。
キンキンキン、ギンギンギン……!
「なんで何も見つからないんだろう、こんなに警告してくれているのに」
ターセルはどこか不安そうに視線を上げた。
よりによってノッカーの警告は城方向から聞こえてくる。
トレノは町へ出ていき、城内にはファーガスとホリンが残されていた。
町の地理がわからないので、外に出ても役に立てそうにない。
「しかし妙だな」
「何がだよ?」
ファーガスの耳は、言葉まではわからないが何らかの精霊の言葉らしきものを聞き取っていた。
しかも、鬼火に似た青い火も見える。
「あれが見えるか?」
「いや。何が見えてるってんだ? 鬼火か何かか?」
「いや違う。コボルドの灯りに近いが、それとも違う」
ファーガスの顔が険しくなった。
「こいつは城内に入り込まれてるな。城主に知らせてくる」
「わかった」
こうなっては場所がわからないなどとは言っていられない。
ファーガスは町へ出ると、周囲の人間に片っ端から声をかけてトレノを探し、追いついた。
トレノは広場でラヴェルとギルドの親方、ドワーフと話をしているところだった。
「何か?」
なぜかファーガスは一瞬言葉に詰まったようだったが、すぐに口を開いた。
「どうも見えない何かが城内へ入り込んでいるようだ。やっぱり城が目的かもしれないぜ?」
「ならばすぐに戻る」
踵を返して急ぐトレノに、ファーガスははっきりとどうというわけではないが、何か違和感を感じたようだった。
「どうしたの?」
問いかけるラヴェルにファーガスは首を振った。
「いや……地上で自由に暮らせるわけがないか」
「???」
ファーガスは妙な沈黙に浸っていた。
トレノは明らかに人間のようなのだが、何か違和感を感じる。
だがそれが何なのかはっきりしない。
ファーガス自身は確かに妖精界と関わり合いがある元人間であり、同じ境遇の存在がいればすぐに気付くと思うが、そこまではっきりとした特徴はトレノに見て取れなそうだ。
「俺らもすぐ戻ろうぜ」
「そうだね」
思い過ごしと思うことにすると、ファーガスはラヴェルを促した。
城に向かう道すがら、ターセルが駆け寄ってきた。
ラヴェルは今一度、ノッカーの警告というものについて尋ねてみた。
「ねぇねぇ、ノッカーさんはどういう時に何を教えてくれるの?」
「ノッカーがこういう音で知らせる時は主に落盤、落石などの危険だよ。いつもより早い、金属音のような甲高い音でけたたましく教えてくれる」
ラヴェルはその答えに窓の外を見た。
「落石も教えてくれるのなら、地下じゃなくて裏山が崩れてくるんじゃ?」
「シャレにならんな」
舌打ちを漏らしたのはトレノだった。
何せ城の裏は大山脈の北斜面だ。落石や崖崩れの規模によってはシャレで済まない。
「町全体に退避命令を出すか……?」
堅牢な城門をくぐり、城に戻るとターセルが立ち止まった。
「うん? 金気臭い。妙な魔力も感じる」
「え?」
ラヴェルが思わずターセルを見ると、彼はぞわと全身を震わせていた。
「地面の毒だよ、これは」
トレノ、レヴィンやホリンとも合流し、ひとまず城の人間を町へ退避させることで意見が一致した。
「それにしても何が目的なんだろ?」
取り替え子を探すだけなら、城を崩壊させる必要はなさそうだが、一体どういう状況なのか。
城で働いている人間たちを誘導しつつ、ラヴェルは彼らと一緒に街へ退避した。
全ての人間が退避し終えたことを確認し、城主のトレノが最後に城を出る。
山陰の暗がりが迫る中、城を見上げる。
戦乱などの危険に備えて街の人間を城へ退避、籠城する想定は今までもしていたが、逆はあまり考えたことがなかった。
兵士たちは町の詰め所や街門付きの見張り小屋、侍従や使用人は町の北側にある別邸、自宅へ戻れる者はそれぞれの自宅へ帰らせた。
警戒するように松明の炎があちこちでゆっくり移動している。
赤い火。
妖精が灯すという鬼火のような青い火は見られないようだ。
しばらく様子を見るが、静まり返った城に変化は起きないようだった。
すでに夜も暗い。
ターセルの話によればノッカーは城の中を警戒していたというから、今すぐ裏山が町のほうを飲む心配はしなくても良いだろうが、念のため夜が明けたら町の外への退避も視野に入れなければならないだろう。
一人、暗い跳ね橋を渡る。渡り終えても町側からは橋を上げられないが、この際仕方あるまい。橋を渡ったところで高く頑丈な城門を越えられる盗人もそうはいないだろう。
コツコツと足音が響く。
「ご領主様、ご領主様、落としましたよ」
突然、声をかけられた。
トレノが足元を見やると、橋の下からドワーフが登って来た。どうやら下に潜っていたらしい。
「早く退避しろ。危険だ」
「ドワーフは足場崩れくらい大丈夫ですよ。それより」
ドワーフは何か懐をまさぐって取り出したようだった。
トレノには暗くて良く見えない。
「それより……これを落としましたよ」
「……!!」
いうなり突然トレノの手を掴む。
もちろんトレノもこの状況で警戒していなかったわけではない。
瞬間的にトレノは剣を抜き放ったが、ただ暗闇を切っただけだった。
|
町の館では篝火が炊かれ、兵士や従者の一部、ラヴェルたちがトレノを待っていた。
ここは公爵家の別邸の一つだそうだ。
いかにも城塞といった城とは異なり、別荘というか宮殿風に窓が大きくとられ、昼間であればなかなかに明るい建物なのであろう。
仲間たちの会話に混じらず、レヴィンは暗い窓の外を眺めている。
「青い火?」
ラヴェルの疑問にファーガスはうなずいた。
「ああ。コボルトの灯火に近いが少し違う」
「あ、あそこ」
指さしたのはターセルだった。
窓の外、遠くに青い火が並んで去って行くというが、見えたのはファーガスとターセルだけだったようだ。
「どこだ?」
訝しそうにレヴィンが暗闇に目を凝らす。彼には青い火は見えていないらしい。
ファーガスが説明する。
「他にも何か得体のしれないのがいるな。姿が見えないが……強いて言うなら透明人間的な奴だな」
「妙だな……ちょっと全員下がってくれ」
仲間を下がらせ、更に誰も入ってこないように室内の扉を閉めると、レヴィンは窓際に寄った。
降ろしていた前髪を上げ、常に隠していたもう片方の目で外を探る。
(確かに……)
何か青い火が揺らめいて去って行く。透明な何かの気配も共に遠ざかっていく様子だ。
魔の瞳を隠しながらレヴィンは考えた。
(俺の目では見えず、バロールの眼には見える? これはただの精霊ではなくケルティアの何かだな)
セラ、複数形でセラフと呼ばれる精霊的な存在。
レヴィンの由来となる存在だ。
そもそも天空に住むセラフは地下の存在には疎い所がある。もちろん岩や大地などのセラフも存在したのだろうが、あいにくレヴィンとは接点がない。
一方の魔物であるバロールはケルティアを拠点に活動したと言われる得体の知れぬ化け物だ。バロールの眼では見えたのだから、相手はケルティアの魔法を使っているのだろう。
(ケルティア、つまりティルナノグの連中ということになるが)
疑問もある。
ケルティアの妖精は海の向こうには魔物が住んでいると思っている節があり、怖れて海を渡れないでいると言われている。
そもそも妖精や妖魔の類には流れる水を渡れない者が一定割合で存在する。
大陸とケルティアの間を隔てる西の大海はただの海ではなく、南西部にカリュブディスという大渦があり、そのためかどうかはわからないがかなり潮流が速く、世界最大の川ではないかという者さえいる始末だ。
ケルティアの妖精が渡れるとは思えない。
(となると、地下を潜ってくるしかない。ケルティアから地下を潜って大陸方面へ向かえば、ニダヴェリルにたどり着くはずだ)
この鬼火を纏っている何か、おそらくドワーフ族の仲間だろうが、ファーガスにも一定の感知ができることから、相手はケルティアやティルナノグ、ファーガスに言わせればアヴァロンの連中ということだろう。
ティルナノグのドワーフがニダヴェリル経由で渡ってきたのか、あるいはニダヴェリルのドゥエルガルがティルナノグの魔法を身に着けたか。
「音がしなくなったね」
夜が明け、ターセルはノッカーの警告音が聞こえなくなったことに気づいたようだ。
「僕には音は聞こえてなかったんだけど……」
ラヴェルは妙な頭痛に悩まされていた。
まるで長時間ガンガン鳴った音を聞いた後のような感じがする。
レヴィンも不快感でよく寝られなかったようだ。
周囲に土煙などの異常がないことを確かめるとターセルは単身で城の様子を見に行った。
「音は聞こえないな。妙な金気臭もないし……あ!」
視界の異常に気づき、ターセルは顔色を失った。
「橋が落ちてる!」
町と城の間にある跳ね橋が深い谷底へ落ちていた。
昨晩はしっかりしていたはずだ。
「一体いつの間に?」
身を乗り出して下を覗き込む。
それは水量は少ないながらも谷川を引いた、自然の谷を利用して作った深い堀だ。
「ん?」
何かが光っている。
「剣だ!」
岩肌に手をかけ足をかけ、堀へ降りて拾い上げる。
手に取ってよく見れば、人間の剣にしてはなかなかの出来だ。地上のドワーフの技術を人間用に改良しているのだろう。
見回してみても他にめぼしいものはない。
崖をよじ登るとターセルはラヴェルたちのいる館へ小走りに駆けた。
|
館ではラヴェルたちが朝食にしていた。
「地面の陥没も警戒しないといけないし、取り替え子にも注意をしないといけないし」
「一番の目的はそのガキを探してるんだろ?」
「で、地中を探して手当たり次第に崩壊させているってか」
「人間の子供は地中には住まないけどな。そんなこともわからないのか、地下の連中は」
肩で息をしながらターセルが戻ってくる。
「おう、お疲れ旦那。水でも飲みな」
「ああ、ありがたい」
ホリンから水を受け取るとターセルは一気に飲み干した。良い飲みっぷりだがあいにく彼らの愛する酒ではない。
ターセルが息を整えていると、二階から侍従長の老爺が降りてきた。
「お館様はまだお戻りになりませんか?」
「あれ? そういえばトレノさん見てないな」
「そうですか。最後に城を出て、まだこちらに来ていないようですが、一体どちらに」
「あちこち見回ってるんだろ」
「あ」
慌てたようにターセルが声を上げた。
「どうした?」
「そうだ、これを」
ターセルが背負っていたものを皆に見せた。
「さっき城の様子を見に行ってね、これが谷底に落ちてたんだ。跳ね橋も落ちてたんだよ」
「何!?」
「なんと、それは……」
侍従長の顔が雲った。無理もない。
見ればわかる。
トレノの剣だ。
全員で城の様子を見に行く。
そこには確かに誰もいなかった。
町と城が分断されている。
深い谷底を覗き込めば、跳ね橋の残骸が見て取れた。
「跳ね橋は向こう側……城館側で操作するようになっています。お館様が最後に出てこちらへ渡れば、橋は上げることができません」
跳ね橋は城の防御機能も備えている。橋を上げてしまえば誰も渡れないからだ。
昨晩は城主であるトレノが最後に城を出ることになっていた。
跳ね橋はそのままになってしまうが、侍従長によれば緊急時は城門を閉じ、内側の鉄格子も降ろし、城の住人は脇にある隠された通用口から出ることになっているという。
見れば確かに城門は閉じている。
「入ってみましょう」
侍従長の手引きで、城の東にある緊急時用の通用口から城内へ侵入する。
正門まで周ってみれば、確かに城門の鉄格子は降ろされ、扉も締まっている。
城内にトレノの姿はないようだから、外へ出たのは確かだろう。
「どうだ?」
ファーガスは首を横に振った。
ターセルも何も見つけられないようだ。
「ノッカーの音もしないし、金気臭もないなぁ」
城門の上から堀と落ちた跳ね橋を見る。
「物理的な力で破壊されたのではなさそうだ」
「魔法か?」
「恐らく」
結局、城にも町にもトレノの姿はなかった。
愛用の剣だけがここにある。
「青い火の列が去ったというのは、もしかして、トレノさんを連れ去った?」
思いついたようなラヴェルの声にターセルが聞き返した。
「なんで?」
「だって、妖精族って時間の感覚が人間と違うでしょ? しばらく前の取り替え子って、もしかしてトレノさんじゃ?」
「時間の感覚はそうかもしれないけど、見た目、子供にゃ見えんよ??」
「まぁ、そうだね、うーん」
ターセルに言わせると、ドワーフも人間もエルフも、赤子の大きさは大して変わらないそうだ。
成人すると人間とエルフは大差ないが、ドワーフはかなり小柄になる。
ドワーフから見れば人間はかなり背の高い生き物なので、成人であるトレノを子どもと考えることはないのではないか。
「面倒ごとが増えたな。取り替え子かどうかはともかく、姿を消したのは確かだ」
「あれじゃないか? 取り替え子の情報を持っている可能性は? この辺の領主なんだろ? それで連れ去られたのかもしれないぜ」
「妖精につかまって尋問されるとなると、ただじゃ済まんぞ」
「探さなきゃ!」
とはいえ、いる場所の見当がつかない。
「ドワーフたちはどこへ……」
「まぁ地下だろうな」
急ぐ必要がありそうだ。
ラヴェルはモラヴァの坑道群へ向かうことにした。
|