がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜   HOME   記念コンテンツ目次       <BEFORE       >NEXT

がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

24周年記念:『太陽の船』(第4話)


 モラヴァは鉱山資源で栄えてきた地方で、山脈の北の山腹にはいくつもの坑道が口を開けている。
 付近には人間の鉱夫の他、ドワーフの鉱夫もたくさんいる。
 いや、ドワーフの場合は鉱夫というか、住んでいるといったほうが正しいか。
 幾つかの鉱山村を見て回ったが、トレノを見たという者はいないようだ。
「透明に姿を消してる? そりゃ我々にはわからんなぁ」
 周辺のドワーフに尋ねてみるが、彼らの大地を見る目でしても、トレノは見つからないようだ。
「地下の旦那、ワシら中津国のドワーフは姿を消すような魔法は知らないよ。それはフェアリー族じゃないのかね?」
「あぁ、やっぱりアールブヘイムの魔法なのかねぇ……」
 パイプをくゆらせ、煙を吐くドワーフから聞き取ると、ターセルはため息をついた。
 地下世界ニダヴェリルのドワーフであるドゥエルガル族も、地中はまだしも地上で姿を消して見せるという芸当はできない。
 西から来た者から妖精の魔法を教わったのだろう。
「同胞が向かったならわしらの故郷だと思うがね、さらったのはご領主様一人だけなのかなぁ?」
「目的を果たしたから戻るんだろうよ。恐らく、取り替え子も一緒のはずだ」
「つまり、取り替え子はモラヴァの城か街にいたってこと?」
「この辺りでは一番大きな町だ、人間も多くいる場所だから恐らくは」
 とにかく追うしかない。
 トレノは以前、ラヴェルたちと共に地下世界に赴いたことがあるから、多少は地下世界の知識があるはずだ。危険な真似はしないだろう。
「ここの坑道なら地下まで行けるはず」
 ラヴェルは以前に足を踏み入れた巨大な行動へ乗り込んだ。
 ターセルを先頭にニダヴェリルまで下りていく。
 地上の人間とドワーフが掘った行動を最深部に向かい、途中にある自然の割れ目と落盤跡から地下へ続く洞窟へと移動する。
 ごつごつの岩肌、奇妙な輝きをする鉱石と燐光、燐光が消えればまた暗闇。
「地下水で濡れてるよ。滑らないように」
 視界の効くターセルの助言に、ゆっくりと歩を進める。
 空気が薄く、松明を使うのもはばかられる。窒息するほどではないが、息苦しい。


 コツコツコツ


 時折、周辺のノッカーが安全な道筋を教えてくれているようだ。
 ラヴェルには、相手に追いつけている様子が感じられない。
「しっ、しずかに」
 ノッカーの音が変わった。


 キンキンキン……


 金属音を建てるときは、近くに悪意を持つ何かがいるという。
 気付けば、周囲を青白い鬼火がうっすら漂っていた。
 抑えた声で警告を発したのはレヴィンだ。
「コバロスの灯火だ。何かいるぞ」
「まずいぜ、多少は開けてそうだが、大立ち回りできるほどのスペースはない」
 剣の塚に触れた手をファーガスは離した。その手をそっとブーツに滑らせる。
 仕込んでいた短剣だ。
 鬼火が一気に濃くなった。腐った泥のにおいが立ち込める。
「山悪魔だぞい!」
 ターセルが忠告を発した。
 岩陰から異形の怪物が幾匹も湧き出てくる。
「おい、爆破するような魔法は使うなよ」
「わかっている」
 飛び掛かる怪物を巧みに避け、ファーガスは短剣で引き裂いた。
「らぁ!」
 大剣や槍を振り回せる間合いはなく、ホリンは格闘で何とかしようと試みているようだ。
「せやっ! せやっ!」
 人間のもの比べれば短い大斧を振り回し、ターセルが善戦しているものの、敵は無尽蔵に湧いて出てくる。


 ピン……


 漂った音にラヴェルが振り向けば、レヴィンが竪琴の弦をはじいた音だった。
 多くの悪霊は竪琴の音を嫌う。
 はっとするとラヴェルも竪琴を構えた。

 だが、それは二人に怪物が近づいて来なくなるというだけで、怪物の数を減らせるわけではなさそうだ。
 周囲から泥交じりの地下水が飛んでくる。
 怪物は犬のようなゴブリンのような、不思議な姿だ。
 その背後にコボルドがたむろしている。
「夢見る原の向こうは時の巡らぬ地」
 ふいに、竪琴の音に言葉が混じった。
 ターセルが山悪魔と呼んだ怪物がバタバタと倒れる。
「何だ、眠っちまったのか」
「よし、今のうちだ」
 怪物を踏みつけながら、ホリンは奥のコボルドの群れに突進した。
「うらぁ!」
 巨大なこぶしを振ると、コボルドは散り散りに逃げていく。
「リュフト!」
 追い打ちをかけるようにレヴィンが突風を放った。
「うひゃあ!?」
 思わすラヴェルは耳を塞いだ。
 空気の圧力が地上と違うのか、鼓膜が痛い。
 だがレヴィンは洞窟の奥を見てわずかにうなずいたようだった。
「空気が動く。近場でどこかへ通じている」
 密封された空間で風の魔法を使っても、空気は動きにくい。
 一気に突風が駆け抜けたということは、どこかに空気が抜ける場所があるということだ。
「おい、ここは早く離れたほうが良さそうだ。見ろ」
 ファーガスが示したのは彼が使っていた短剣だ。
「え? 溶けてる??」
 ラヴェルが呟くと同時、ターセルが焦ったように促した。
「早く。行こう。こりゃ、コベルト鉱の脈の中のようだよ」
「コベルト鉱?」
「そうそう、厄介な鉱石でね、これを伝う鉱水は靴裏とか武器とか服とか、色々なものを溶かしてダメにしてしまうんだ。我々ですら精錬できない、面倒な鉱物なんだよ」
 再びターセルを先頭に、地底深くへと降りていく。
 恐ろしく空気が冷たい。
 天空の空気の冷たさとも異なる、地底の寒さ。
 洞窟の石筍かと思えば、それは本物の氷柱のようだった。
 ラヴェルの背丈ほどもある霜柱をかき分け、地底の凍った池と滝を横目に、更に洞窟深くへと進んでいく。
「うわ!?」
「どうした!?」
 突然ラヴェルは地中にめり込んだ。
 地面が土のようにふわふわしている。
 ホリンがラヴェルを掴んで引き上げると、周囲の地面がボコボコと高速で盛り上がって筋を描いた。
「どうなってる?」
 促され、レヴィンは魔力の灯火を強めた。
「何じゃこりゃ?」
 ホリンが呻く。
 それは例えていうならモグラの通り道だった。
 畑などで見かける、土を掘った道筋である。
「ああ、これは鉱山モグラだよ。周辺のあちこちに穴がありそうだから気をつけて」
 地面に時折足をめり込ませながら歩いていると、ふいに何かやわらかいものを踏みつけた。
「ぎゃーーーー!?」
 ラヴェルが叫ぶと同時、負けず劣らずの悲鳴を上げて何かが土から飛び出した。
「で、で、で、でか!?」
 思わずラヴェルは呻いた。
 普段はデカいなどという言葉は使わない彼だが、つい、口をついて出た。
 それはドブネズミよりもまだ巨大な、ネズミのようなモグラのような姿の動物であった。
 ファーガスが眉を顰める。
「うん? 待てよ、モグラがいるってことは、そのエサもいるってことだろ?」
 モグラの主食はミミズである。
「このサイズのモグラが食べるミミズってことは……」
「……遭いたくねぇな」
 仲間が肩をすくめ合うのをわき目にレヴィンは無言で手をかざした。
 暗闇を突然一筋の稲妻が照らし出す。
「何!?」
 レヴィンはやはり無言で行く手を指さした。
 巨大なミミズが黒く干からびている。
「今のうちに行こう」
「そうだな」
 ドゥエルガルのターセルがいなければ、永遠にたどり着けないであろう地下世界。
 気がおかしくなりそうな地中の洞窟旅を延々と続け、それでも一行は何とか地下の広大な空間へと脱出することに成功した。




 ニダヴェリルの頭上に広がるのは青い空でも白い雲でもない。
 溶岩の海を反射して赤く光る、大地という天井だ。
「参ったぜ」
 ファーガスが愚痴る。
 いかな妖精界に自由に出入りしている彼と言えども、地底世界は初めてらしい。
「靴の裏がボロボロだ。短剣も使い物にならない」
 ターセルが言うところのコベルト鉱脈を歩いて来たせいだろう。
 ターセル以外の全員が、靴の裏をやられている。
 ドゥエルガル族の町で一休みしながら、靴の修理と短剣の製錬を頼む。
「へぇ、人間て背は高いのに足は小さいのですね、旦那」
 ドゥエルガルの靴屋にいた職人はレプラホーンと呼ばれる別の妖精族だった。
 靴づくりで知られる妖精である。
 宿の食堂で赤茶色い麦の粥をすすり、やはり赤茶色いビールでのどを潤す。
 湯気を上げる川に浸されたゆで卵を貰って食べると、ほんのり温泉の香りがする。
「で、一晩はここで休むとして、どこへ行けばいいんだ?」
 ファーガスの問いに、ターセルは町の向こうを指さした。


 ニザヴォールムの北に建ちてあり
 それは黄金の館にて
 貴きシンダリのもの


 遥か彼方に何かが黄金色に輝いている。
 ターセルは口を開いた。
「北の黄金の館なら何かわかるかもしれないよ」
 その館は、高名なドゥエルガルのシンダリの居館だという。
 そんな場所に人間が行って良いものかとラヴェルは躊躇したが、レヴィンもファーガスも気にしていないようだった。
「ドワーフ族だぞ? 細かいことは気にしない連中さ」
「そうそう、一緒に宴で騒いで、歌でも歌っていれば大丈夫だ」
 翌日、よく研ぎ澄まされた短剣と頑丈に修理された靴を受け取ると、一行は北を目指した。
 常に輝いているその館はこの地底では北極星のような役割であるらしい。
「あの館があるほうが北。わしらはそうやって方角を確かにしてるんだよ」
 輝く館をひたすら目指していくのだから、道に迷わずに済む。
 湯気を立てる川や沼、溶岩の海、ひたすら岩場の地面。
 赤茶色い世界をただただ歩いていくと、やがて立派な扉が立ちはだかった。
 シンダリの館だ。
 元々黄金色なのだろうが、燃え盛る溶岩の光を浴びて赤々と輝いている。
 ターセルは恭しく門番の同胞に頭を垂れた。
「ターセルと申します。地上から来訪者をお連れしました。お館様に面会をお願いできますか」
「地上世界から??」
 門番は不思議そうにラヴェルたちを見上げ、やがて飛び上がった。
「こいつは珍しい、人間だ! 初めて見るぞ。伝説の生き物だと思ってた!!」
 ラヴェルはそれはお互いさまだろうと思いつつも、帽子を取って挨拶した。
「初めまして、衛兵さん。こちらのご主人にお話を伺いたいのですが」
「へい、すぐに伝えます」
 いそいそと館へ消えると、しばらくして門番は戻って来た。
「中へどうぞ。お館様がお待ちで」
 人間の城よりもさらに重厚な館だ。
 ドワーフにしては天井を高くとったらしく、ラヴェル達は背を屈めずに歩くことができるようだった。
「おお、本当に人間だ」
 奥の部屋では、椅子で何かを読んでいた恰幅の良いドワーフが顔を上げた。
「どれどれ、ふむふむ」
 ラヴェルたちに近づくと、一人ひとり丁寧に見て回る。
「素晴らしい! 伝説の人間よりも自由で洗練されている。神々から解放されたのだね、よかったよかった」
「神々から解放?」
 ラヴェルが問い返すと、脇にいた別のドワーフが口を開いた。
「われらの先祖が伝えてる。天上の神々は、人間を奴隷として使っていたそうだ」
 恰幅の良いドワーフがこの屋敷の主シンダリであるようだ。
 生気がみなぎっているが、ドワーフの中でもかなり高齢であるのだろう。
「昔から天上の神々は、巨人や我々といった妖精族と争ってきた。つまり、対等の敵としてなのだよ。でも人間はあくまで奴隷として扱われていた。一部の妖精たちも人間を捕まえて奴隷として使っていた。かわいそうに」
「うーん、昔のことはわからないけど、僕らは自由です。安心してください。そもそも神様になんて出会ったことないし」
「そうかそうか、それはよかった」
 どうやらシンダリは人間の無事を心から喜んでくれているようだった。
 いつだったかレヴィンが言っていた。
 天上の神々は奪う者、セラフの住まうアスガルドを滅ぼしたのも天上の使いだと。
「それにしても、人間は中津国に住んでいるのではなかったのかな? なぜこのニダヴェリルへ?」
 酒と干し肉、何か甘い菓子でもてなされながらラヴェルは口を開いた。
「知人を探しているんです。あと、誰だかわからないのだけど取り替え子と」
「取り替え子? それはエルフの仕業では?」
 シンダリの疑問に答えたのはターセルだった。
「実は、西のアールヴヘイム、ええと、こちらの方々はティルナノグと呼ぶそうですが、そちらの同胞は取り替え子を行うのだそうです」
 その言葉にシンダリは考え込んだ様子を見せた。
「ふうむ? そういえば、ニダヴェリルでも西の方に住む同胞は取り替え子を行うのだったな。あの辺りは、昔、地上の妖精界と行き来していたものも多い」
「ええお館様。それで、恐らくその周辺の同胞と思われますが、しばらく前に取り替え子をしたようで、それが人間に取り戻されて、更に今もう一度、同胞たちが取り返し直そうとしているようなんです」
 地下のドワーフが地上に上がり、周辺を崩落させながら移動していたこと、何かを探していたこと、トレノを連れ去ったらしいこと、地下のドワーフは扱わないはずの姿を消す魔法を使っていたこと……。
 ターセルと共にラヴェルは今まで起きたことをすべて話した。
「西の妖精たちが裏で糸を引いているのも確かなんだ」
 ファーガスも補足する形で口をはさんだ。
「ティルナノグのドワーフがエルフに攻め込まれ、キャスパルクの猫を送り込まれた。そいつを黒妖犬に退治してもらうために、取り替え子を生贄に捧げようって話らしい」
「そういえば」
 周辺で室内を掃除していた別のドワーフが口を開いた。
「お館様、先日、同胞が、列をなしてニダビョルグへ昇ってましたぜ。その後、この館に負けず劣らず光る何かが海の上を西へ飛んでいきました。ありゃ、何だったんですかね? 同胞が山から下りてくるのは見てないですし、関係ありそうな、なさそうな?」
「ニダビョルグから飛んで行った?」
 シンダリは難しそうな表情を浮かべた。
「ニダビョルグ?」
 ニダビョルグというのは、このニダヴェリルで最も有名な山である。
 ラヴェルの質問にターセルが答える。
「ニダビョルグは、ここからちょっと南西にある大きな山だよ。このニダヴェリルの象徴でもある。わしらの心のよりどころでね、山頂には小さな祠が祀られてて、わしらは山登りといったらそこへ行くんだ」
「そう、だから同胞がその山へ列をなして登るのは別に珍しいことではないのだよ。でも」
 シンダリはあごひげに手を当てて考え込んでいる。
「光る何かが山の上から飛んで行ったというのが気になるね。それは伝説の太陽の船かもしれんですな」
「太陽の船?」
 初めて聞く名前にラヴェルは何度か口の中で反芻した。
 知識がないらしいと悟るとシンダリや周辺のドワーフたちは口々に語り始めた。





 太陽の船。
 それは地底の妖精族に伝わる船だ。
 といってもいわゆる船ではなく、小さな大地、つまり島であるという。
 全体に火山が分布していて、吐き出す溶岩で黄金色に輝くさまは、伝説に聞く太陽というものに似ているという。
 島の底の部分にはアダマントという伝説の金属が埋め込まれていて、天然の磁石の役割を果たし、地面と反発しあって浮いている。
 そのためか、かなりの速度で移動できるそうだ。
 その島は、ニダビョルグの山を炉心として稼働するという。


「アダマントは伝説の金属で、もはや我々ですらその精錬方法はわからないんだよ。でも、もし西の同胞たちがその精錬方法を知っていたら、太陽の船を浮かべることができるかもしれない」
「伝説の金属か……いかにもドワーフっぽい話だな」
 アダマントという謎の物質の噂話はラヴェルもおとぎ話で聞いたことがある。
 それは不思議な輝きをする鉱物で、とても硬いという。
「ケルティアではどう? それっぽい話を聞いたことってあるのかな?」
 ラヴェルの問いに、ファーガスは首を横に振った。
「太陽の船もアダマントも知らないな。お前さんは?」
「知らん。影の国でも聞いたことがねェ」
「レヴィンはどう?」
「少なくともアスガルドには存在しない物質だ。伝承の類では、硬い岩だとも金属だとも言われているようだが」
 ラヴェルたちがひそひそ話していると、シンダリは確認するように使用人らしきドワーフに尋ねた。
「それは西へ飛んで行ったのだね?」
「へい」
 ドワーフはうなずいた。
「西ということはティルナノグ方面じゃ?」
「そいつを追わなければならなそうだな」
 どうやらその船、いや、島に西のドワーフ族が乗っているようだ。
「恐らくそこにトレノさんも一緒にいる」
 ふいにファーガスが尋ねた。
「なぁ、あのトレノって奴、歳、幾つだ?」
「俺よりは上だと思うがそう離れてもいないだろう」
「いや、お前って歳は当てにならないだろが」 
 いくらレヴィンだってファーガスに言われる筋合いはないと思うが、ラヴェルは頭の中で計算を試みた。
「えーと、王子、じゃなかった、陛下よりは若いはずだよ。二十代半ば過ぎくらいじゃなかったっけ? それがどうかしたの?」
「いや、なんとなくだけどな。あいつがさらわれた理由として考えられるのが、まず一つ目はあいつが取り替え子である可能性。もう一つが、取り替え子の情報を知っている可能性」
「そうだね」
 モラヴァの城でトレノに会ったものの、ノッカーの警告が響いたため、取り替え子のことはトレノから聞き出せずじまいになっていた。
 彼が何か知っているかどうかすら不明である。
 ファーガスは再び口を開いた。
「ラヴェルじゃないが、連中の言うところの少し前ってのがどうも引っかかっていてな。フェアリー族の場合だと、取り替え子に気付いてすぐ取り返せば人間の時間で一週間くらいかね。ちょいと時間が空いた場合は十五から十七年くらいで、こいつがフェアリーの感覚でいう一週間くらいになる。しばらく前っつったら、それよりももう少し時間がかかることになる」
 ホリンもうなずいた。
「そうだな、大体、ガキが行方不明になって、大人になっていた場合が二十から三十年くらいか」
 なるほど、フェアリー族とエルフ族、ドワーフ族は大体時間の概念が同じらしいから、今回の取り替え子を行ったドワーフたちの感覚もそれくらいなのだろう。
「ありえるな」
 レヴィンも同じ意見のようだった。
「モラヴァ公が子供に見えるかと言ったら俺達には当然そうは見えないわけだが、人間慣れしていない地下のドワーフは、人間を巨人並みの大きさだと思っている節がある。つまり、巨人サイズを標準に考えれば」
「なるほど、子供か赤子サイズだね」
 ターセルは納得したようにうなずいた。
 彼自身は中津国へ出入りした経験があるため人間を見て知っているが、他のニダヴェリルのドワーフはそうではないだろう。
 ティルナノグのドワーフは妖精界自体がケルティアという人間の住む地域と接しているため、人間の時間の感覚や成長の度合いを心得ている様子もある
 しかし、ニダヴェリルのドワーフは人間を知らない。
 今回、取り替え子を求めているのは西のドワーフのようだが、探し回っているのはその地下のドワーフたちである。
「ティルナノグの同胞とニダヴェリルの同胞で何か取引があったんだろうね」
 一体何の取引があったのかも気になるが、まずはトレノの確保だ。
「妖精につかまるとろくなことにならないって言うから、大丈夫かなぁ」
「ヤツがそう簡単にやられるとは思わないが」
 心配なのは、取り替え子がトレノではなかった場合である。
 むしろ頑丈なトレノが取り替え子だったほうがまだ安心できる。
 とにかく、今はその飛行する島を追わなければならない。
「伝説の太陽の船が相手となれば徒歩では追いつけないよ」
 ターセルの言葉に一同が考え込んだ。
 どうするか。
 しかし追わないわけにはいかない。
 微妙な沈黙の間、館の主シンダリは何やら地図を描いていたようだった。
「西への近道があるんだよ。これがそう」
 地図には山とそれを迂回する経路が描かれていた。
「船ならば西へ向かっても南側へ大きく迂回しなければならないだろうが、歩きなら山を突っ切れる。高さはあるけど、そんなに険しい山ではないから大丈夫」
「ありがとうございます」


 そこはとにかく暗かった。
 トレノは暗い所にいた。
 いや、暗いのではない。これは恐らく目が見えていない。
 体の感覚ではすごく熱い。真夏の直射日光下、もしくは火の側にいるような肌感覚だから、恐らく相当周囲は明るいはずだ。
 ここへ連れ込まれてから、地鳴りのような音が絶え間なく続いている。
 周囲には複数の何者かがいるようだ。
 それは人間ではない気配だ。ドワーフに酷似している気配をトレノは感じ取っていた。
 記憶もおぼろげな幼少時、ぼんやり覚えているが、父親が行方不明になったことがある。
 数年後、盲目にされた状態で見つかり、ほどなくして死亡した。
 犯人は不明だが、妖精につかまっていたと噂されている。
(もしかして同じ目に遭うのでは?)
 父親がどこへ行っていたのかは結局のところ判明しなかった。
(どこへ向かっているのか?)
 気配で探るが、どうも坑道のかなり深く、以前に踏み込んだ地底世界なのではないかという空気感だ。
 しかしこの灼熱感は何だ。溶岩の海にでもいるのだろうか。
 とにかく、縛られていて身動きできない。どれくらい経ったのかもわからない。
 時折無理に妙なものを飲ませようとして来るのを抗ったが、何度か続けていたら諦めたのか、押し付けてくるのはやがてただの水になった。僅かな水分だけで耐え忍ぶ。
 何とか脱出できないか、体を動かそうと試みるが、縄とも鎖とも違う何かで縛られてしまっている。
 確かめていると、指だけは動いた。
(何かはめられている)
 どうやら指輪のようなものをはめられているようだ。
 それは跳ね橋で手を掴まれたと同時に指に滑り込まされたものだ。
 しかしうまく外せない。
 剣は落としてしまったようだが、短剣は常に隠し持っている。腰にはいていた短剣は奪い取られたが、ブーツに仕込んでいる投げ矢のように細い短剣の数本は気付かれなかったようだ。
 しかし脱走しようにも目が見えないのは不利だ。
 トレノはいましばらくは冷静に様子を窺うことにした。



 ターセルを道案内に、ラヴェルたちは西の山へ赴いた。
 そんなに険しくない、というのは地底のドワーフの感覚であって、ラヴェルには十分険しい。山道が麓であって標高が高くないのがせめてもの救いか。
 周辺は赤茶色く尖った岩山が幾重にも重なっている。その隙間を縫っていく。
「どう?」
 時折遠くを見やる。
「あれだろう?」
 遥か左手遠くを光る何がか緩く旋回しながら西へ向かっている。溶岩の海に浮かぶ高山の島を迂回しているらしい。
「おい、何か気配がするぞ」
「ああ、これは犬だねぇ」
 注意を促すとターセルは斧を構えた。
 湯気とも煙ともつかぬものを上げ続ける岩陰から、炎の犬が群れを成して現れた。
「フレイムドッグって奴か」
 汗をぬぐう間もなく蒸発する。
 ピリピリと皮膚が乾いて痛い。
 ファーガスが切りつければ、獣の血ではなく炎が飛沫となる。
 炎を纏い、火を吐く犬とも狼ともつかぬ地底の獣だ。
 三つ首のケルベロスではないだけまだマシか。
「戦神の怒り天を震わし、制裁の咆哮を空は上げん」
 レヴィンの宣告に、炎の中に稲光が荒れ狂う。
 それは黒魔法だ。
 得意とする精霊魔法を使おうにも、氷の精霊がこの場に近づきたがらないようだ。
 無理に呼べば渋々来るだろうが、以降、疎遠になりかねない。
「おい、サラマンダーだ!」
「犬っころの次はトカゲかよ」
 何とかフレイムドッグを退治すると現れたのは火トカゲだった。
 サラマンダーにしては小型ではあるが、それでも怪物には違いないし、それなりの大きさもある。
 できるだけ素早く退治しないと熱で体力を消耗する。
「温度を下げてやるから一気に畳み掛けろ」
「おう」
 指示を出すとレヴィンは何か唱えた。
「冷たき風よ……フェアアイゼン!」
 それは、目標の温度を下げて凍てつかせる魔法だ。
 この環境では凍らせることは叶わないが、周囲の空気がぐっと涼やかに変化した。
「今のうちに一気にやるぜ!」
「任せな!」
 溶岩の輝きを受け、ファーガスの金色の刃がより一層禍々しく輝く。
 一閃。
 炎を噴き出しながら断裂する火トカゲの傷口に、ホリンのゲイボルグから迸る魔力の矢じりが降り注いだ。
 蒸発するような音を立て、火トカゲがただの炎となって消えていく。
「よし……」
「やれやれ。お館様の地図によるとこの先が洞窟で……」
 斧を背負うと再びターセルを先頭に歩いていく。
 しばらく坂道を登り続け、山の中腹付近まで上がっていく。
 その先は地図の通り、洞窟になっていた。
 これを抜けると今いる地底大陸の西側に出られるという。
 山の地下、溶岩洞窟である。
 煮えたぎる岩、地下とは思えぬ眩しい視界、湿ったガス、肌を焼く空気。
 これはもはや地下というより、炎と灼熱の国ムスペルヘイムのようですらある。
 周囲は灼熱に赤く光る岩だ。
 地底の靴屋によって修理された履物でなければ歩くことすらできない場所だろう。
「ああ、めまいがしてきた……」
 洞窟に入ってまだそれほど時間が経っていないというのにラヴェルは限界に近づいていた。
 とにかく暑い、いや、もはや熱い。
 汗すら出ない。
 塩分だけが肌にへばりつく。
 視界が揺らぐのは、めまいのせいか、それとも陽炎か。
 金属が熱に溶けて金色に輝くのは知っている。
 火山の岩が溶けて赤く輝くのも知っている。
 しかしここでは溶けた岩は金色に輝いている。そのところどころは白く明滅している。
 温度がより一層高い証だ。
「うう、少し休みたい」
「だめだめ、休むのは洞窟を抜けてからじゃないと」
 ターセルに促され、ラヴェルはよろよろと足を進めた。
「ここに長時間いてはダメだよ。少しでも早く抜けなければ。ここで休んだら余計に消耗してしまうよ」
 何時間も、いや、幾日、場合によっては数カ月以上も続けて溶鉱炉脇で製錬しているドワーフですら、ここは厳しいようだ。
 ごぼり、と溶岩沼が音を立てた。
「溶岩が泡立ってる」
「凄まじいな、アヴァロンにはここまでの火山はないぜ」
 表情こそ涼しげではあるものの、さすがのファーガスもこの暑さは堪えているようだ。
 ホリンにいたっては最初から猫過敏症で赤かった顔が、更にもまして赤い。あからさまにうんざりした表情を浮かべている。
「なぁ、この洞窟って長ぇのか?」
「そんなに長くないよ。この先で左に曲がって二つの溶岩沼を過ぎれば山の向こうへ抜けるって地図に書いてあるよ」
 視線を上げれば、陽炎に揺らいでよく見えないものの、道はもう少し奥で左にカーブしているようであった。
 ドワーフには問題なく通れても、人間には天井が低い。
 時折は腰を曲げ、膝を曲げ、頭を庇う場所もある。
 道はやがて下りになった。
 溶岩沼がぼこぼこ湯気を吐いている。
 時折は間欠泉のように盛大に溶岩を吐き、その真ん中から凄まじい勢いで熱蒸気が柱のように噴き上げていく。
 沼の溶岩が盛り上がる。
 こんなところへ落ちたら一巻の終わりだ。
 そもそも冷涼なシュレジエンの育ちである。暑いのは苦手だ。
「うん?」
 ターセルが足を止めた。
 警戒するそぶりだ。
「どうしたの?」
「足の下に何か動く気配が……」
 言い終わらぬうち、ずるずるという音が足元から上がって来た。
 同時、脇の溶岩沼が山のように盛り上がった。
「ぎゃーーーー!」
 地底の溶岩沼から現れたのは火竜だった。
「ふ、ふいぁだれいかぅ〜〜!」
 ターセルすら口が回っていない。
 恐らく、ファイアドレイクと言おうとしたのだろう。
「おい、これ猫と犬のほうが弱いんじゃねぇの?」
「かもな。ま、ケルティアじゃ滅多にお目にかかれない大物だ、楽しもうじゃないか」
「けっ、余裕ぶりやがって」
 とはいったものの、その足元は溶岩の沼だ。おいそれと竜の本体に近づけない。
「うっかり踏み込むなよ」
「わかってらぁ」
 魔の槍ゲイボルグがうなりを上げる。
 ホリンの雄たけびと共に、槍の魔力が迸る大量の矢じりとなって竜に叩きつけられる。
 一方、空気を切るような音に目をやれば、ファーガスが煌めきの剣を振ったところだった。
 全てを貫くような雷撃が剣から放たれる。
 伝説の武具を持つ二人と違い、ラヴェルのはただの細いレイピアだ。こんな高熱に突っ込んだら溶けて曲がってしまうのがオチだろう。
「えっと、えっと……フロスト!」
 考えあぐねたラヴェルは、僅かに使える初歩魔法の中から凍らせる魔法を選んだ。


 じゅっ……


「…………」
 微妙な沈黙が流れる。
 ラヴェルの手からは、しょぼい水蒸気が上がっただけだった。
 周囲を冷やして寒い思いをさせる魔法のはずだが、この環境の中ではかき消されてしまう。
 別の意味で寒い空気が流れる。
「だぁりゃああああああ!!」
 何もなかったかのようにケルティアの二人連れは攻撃を再開した。
 ターセルは何か叫びながら、飛んでくる溶岩の塊を斧で迎え撃っている。
「ホーホー、ロッホ、ホーホー!」
「うわわわわ!?」
 火竜の吐く溶岩や炎を何とか避け、破裂する沼の溶岩しぶきを避け、足場の狭い中で戦わなければならない。
 地底に住む妖精の靴屋が修理した靴とはいえ、さすがに足の底がジンジンと熱い。
 足の裏がほてり、地腫れしている感覚がある。
 靴がきつい。
「レヴィン、水の魔法はどう? 一気に火を流し消せるんじゃ?」
 ラヴェルは雷の魔法を連打している相棒に尋ねた。
「こんなところでうっかり水を使ったら熱湯になるぞ。こっちがダメージを受けかねん」
 いつも何にも構わず魔法で吹き飛ばしているように見えるレヴィンだが、これでも考えて魔法を放っているらしい。
 そう、このような場所で水を使ったら熱湯どころか荒れ狂う熱蒸気に巻き込まれかねない。
 水や氷の精霊が近づきたがらないがゆえに、精霊魔法はあてにならない。
 己の魔力のみで黒魔法を放つしかない。
 自分がダメージを受ける可能性もあるが、一瞬考えたのち、レヴィンはその魔法を練り上げた。
「我焦がれるは氷の女王、凍える吐息よ、美しい雪原の風」
 常ならば荒れ狂う猛吹雪となる魔法が、半ばみぞれ交じりで湯気を吐いている。
 間髪入れずに次の魔法を放つ。
「ウィンツブラオト!」
 荒れ狂う熱蒸気となってしまった己の魔法を突風の渦に巻き込んで集め、誰もいない方に流し捨てる。
 やはり氷の魔法は下手をすれば自分が熱蒸気に巻き込まれかねない。
 さてどうしたものか。
「おぅらぁああああああああ!!」
 肩で息をしながらもホリンはゲイボルグの闘気を開放し続けている。
 そろそろ酸欠になりかねない。
 天空とは別の空気の薄さだ。
「おい、こいつって何か弱点はないのか? 氷以外で」
 剣から稲妻を放ちつつ、ファーガスはターセルに問いかけた。
「弱点、うーん、氷以外の弱点は思いつかないよ。ああ、でも、これはね、大地から力を得ているんだ。そこを何とかできないかな」
 この火竜は、炎そのものではなく、溶岩が姿を取っているようである。
 しかし、大地からといってもその足元は燃え盛る溶岩、ラヴェルたちが近づくことはできない。
「……なるほど、そういうことか」
 レヴィンは何か気づいたようだった。
「おい、少し後ろに下がってくれ」
「どうした?」
 竜をけん制しながらホリンとファーガスは背後に下がった。
 ラヴェルにはレヴィンが何をしたかわかった。
 前髪の下に隠している片方の瞳を開いたのだ。
「冷たき風よ……フェアアイゼン!」
 しばらく前に使ったのと同じ魔法だが、今度は魔眼バロールの魔力で放った。
 先ほどとは桁違いに温度が下がったのがラヴェルにもわかった。
「動きが鈍った!」
 見れば、竜の足元が黒い岩となり、冷たい蒸気を吐いている。
「こいつは下の溶岩沼が本体だ。溢れた力が竜の姿を取っているんだ」
 レヴィンは火竜を狙ったのではなく、下の溶岩沼を冷やし固めたのだった。
 さすがにこの環境では溶岩が冷え固まっていられる時間は短い。
 だがホリンやファーガスといっ勇者には十分だ。
 固まった黒い岩は足場にもなる。
「よし、一気にやるぜ!」
「おうよ!」
 大地からの力の供給が断たれた隙に一斉に攻撃する。
「フェアアイゼン!」
 瞳を隠し、固まった溶岩沼を再び冷やすと、レヴィンは攻撃に転じた。
「ブラストフレア!」
 雷球を爆発的に炸裂させる。
 その背後から、ラヴェルはちまちまと溶岩沼に魔法を放った。
「フロスト! フロスト! フロスト!」
 ラヴェルごときでは溶岩沼を凍らせることはできないが、すでに凍った対象に冷気を供給し続けるくらいなら何とかなる。
 足場が固まった今なら近づける。
「ホーホー、叩き割れ!」
 力の供給の断たれた溶岩竜にターセルは斧を振り下ろした。
 ファーガスも雷光を帯びた刃を振り下ろす。
「くらっちまいな!」
 山の頂すら切り払うといわれる煌めきの剣の一撃を受け、竜はその身をぐずりと崩壊させた。
「退け!」
 全員が飛び退ると、竜の足元の固まった溶岩が割れた。
 冷気を消耗し、再び溶けた溶岩沼が赤く割れ、竜だったものは沈んでいく。
 ただの炎と溶岩に戻り、いましばらくは眠りにつくだろう。
「よし、次の竜が起き上がらないうちに通り抜けるぞい」
 うなりを上げる溶岩沼を背に、緩やかな下り道を急ぐ。
 やがて、洞窟は西の斜面へと抜けた。


<BEFORE       >NEXT

  目次   HOME         (C) Copy Right Ren.Inori 2025 All Right Reserved.