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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

24周年記念:『太陽の船』(第5話)


 大地の深い割れ目を刃のような風が吹き抜けていく。
 それはギンヌンガの地峡だ。
 この真上はミドガルドでも深い谷間になっている。ニブルヘイムとムスペルヘイムの境目で、崖の向こうにはヘルの住まう死者の国があるという。
「あれは?」
 周囲を見渡せば、はるか南を光が移動している。
 暴風と霧に覆われるこの谷間では太陽など見えないはずである。
 その空にひときわ輝く何かが一つ。
 太陽の船。
「あれが太陽の船のようだね」
 なるほど、全身を溶けた岩と金属で覆われ、まばゆく輝きながら頭上を駆けていくそれは太陽に例えられるのもわかる気がする。
「こいつはいくら走っても追いつかないだろうぜ。どうする?」
「おい詩人、何か知らねぇか?」
 ファーガスの舌打ちとホリンのダミ声に、レヴィンは上を見上げた。
 何か思いついだようだ。
「一度ここから地上に上がる」
「は? ここからかよ」
 ここから地上へ上がっても、出るのは魔境だ。
「いいから行くぞ、急げ」
 風の吹き荒れる切り立った崖を登攀していく。
 こぼれ落ちてくる細かな砂や石が風に速度を増し、肌を切り裂いていく。
 強烈に寒く、強烈に暑い。
 風によって隔てられているという、氷の国と灼熱の国の境目。
 地底世界から登ってもまだそこは地上世界にとっては深い谷底だ。
 ようやくたどり着いた地上とて、その場所はニブルヘイムと呼ばれる魔境である。
 足元を見ればギンヌンガの深みを風が吹き抜けていく。
「くそぅ、影の国にだってこんなところはねぇぞ」
 歯ぎしりしているのはホリンだ。
 辺り一面無彩色、更に常時霧が渦巻く環境なのは影の国も同じだが、地底まで到達する深い切れ目や全てを薙ぎ倒すような暴風はあの島国には存在しない。
 ようやく崖を登りきるが、見上げる上には高い塔がそびえている。
 まだまだ昇らなければならないのは一目瞭然だ。
 灰色一色の世界をただただ駆けあがっていく。
 天空まで届くという塔なのだから、天空の高さまで駆け昇らなければならない。
「またここかよ」
「アスガルドつったか? なんでまた?」
 そう、以前にホリンとファーガスがこの塔を登らされた時も、このメンバーだった。
「天空船の船長と話をつける」
「あの空を駆ける船か!」
「ああ、またあの足元のおぼつかないお空の島に行くんだね……」
 地底の住人であるターセルは空が苦手であるらしい。
「くうううう、空気が薄い……!」
 レヴィンの案内で幾度かこの塔を登っているラヴェルではあるが何度来ても慣れないものは慣れない。
 もちろん天空界のほうがさらに空気は薄いのだが、無限にも思える階段を駆け昇るという運動をしている今の方が呼吸が辛い。
「上まで送ってやろうか?」
「くっ……うう、何が起きるか想像できるけど……!!」
 足を痙攣させながらラヴェルは悩んだ。
 覚悟を決めて頼み込む。
「送って!」
「いいだろう。シュピラール!」
「やっぱり〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 轟音と共にラヴェルの悲鳴が塔内にこだました。
 不意に起きた突風が空気を吸い上げ、ラヴェルを塔の上まで渦を巻きながら放り投げた。
 かなりの段数を転げ落ちたような音も響いたが、しばらくしたら静かになったところをみると何とか階段にしがみつけたのだろう。
 頭がおかしくなりそうな閉鎖空間だ。
 ただただ階段だけがある。
 階段が梯子のように急角度になった。
 最上階に近づいたのだ。
「よし……」
 空気が変わる。
 独特の清涼感。
 みずみずしさがありながらも適度に乾いた空気。
 塔の頂、扉を押し開ければ、真っ白に乱反射する雲の塊のような中に出た。




 深い霧が風に押し流され、天空界の風景があらわになる。
「少し離れた場所にいそうだな。しばらく待つぞ。塔の中へ」
 目当ての相手は視界の範囲にいなかった。
 天空の霊気と冷気、強烈な陽光、目を焼きそうに燃え盛る白い虹の橋ビフレストの魔力にあてられないよう、塔の中で待つ。
 レヴィンだけが外に出て、竪琴をつま弾いている。
 地下世界とは打って変わった景色の天空界ではあるが、この場所も時間の経過の分かりにくい場所である。
 塔の小さな窓からラヴェルは外の様子を窺ったが、今が昼なのか夜なのかわからない。
 天空界で夜を迎えると地上とは比べ物にならないほどの厚みと奥行きを感じる満天の星空を拝めるのだが、この場所はビフレストが燃え盛っているせいで常に眩しく明るい。
 強烈なまでに空気が薄いものの、階段を上るという運動から解放され、呼吸は整ってきた。
 ホリンとファーガスは仮眠を取っているが、ターセルは頭を抱えてうずくまっている。ラヴェルも頭がくらくらして落ち着けないでいる。
 時折、風のせいか塔の外のレヴィンの竪琴の音が微かに聞こえる。
 古い言葉の詩も。
 どれくらい待ったかわからないが、不意に扉が開けられた。
「おい起きろ、来たぞ」
 立ち眩みを起こしながらも外へ出れば、霧の向こうからギシギシという覚えのある音が近づいて来た。
 やがて雲海をかき分けながら現れたのは、空に浮かぶ天空船だ。
「これ、どうやって浮いているのかね??」
 海水を渡る船ですら珍しい世界から来たターセルは恐る恐る船を見上げた。
 前にも一度乗せられたが、正直、怖くて仕方ないらしい。
「浮いているんじゃなくて、飛んでいるらしいよ。何でも船長さんが風の精霊なんだって」
「せせせ、精霊!? 妖精よりもまだわけのわからない!」
 ぎっしぎっしと船体が鳴った。
 どうやら、抗議の意らしい。
「ま、まぁ、天空の住民からしたらドワーフのほうがわけわかんない存在だよね……」
 取りなすように声をかけるとラヴェルはレヴィンに尋ねた。
「で、どうするつもり?」
「今から相談するから少し待て」
 そういうとレヴィンは船に話しかけているようだった。
 ラヴェルには何も聞き取れないが、天空人同士で話し合っているのだという気配はわかった。
「地下へは降りられそうか?」
 船はいつも軋んだ音を立てていたのがぴたりと止まった。
 さすがにためらっている様子が伺える。
「俺たちの足では追いつけない」
 時折人間の言葉も交えて話し合っているのは、状況をラヴェルたちにも知らせるためなのだろうか、それともレヴィン自身が人間の言葉に慣れた無意識からだろうか。
「相手は太陽の船だ」
 ギシギシという音が響く。
 船、という相手に興味を持ったようだ。

 ギシギシ。ギシギシギシ?

 雰囲気から察するに、安全は大丈夫なのか心配しているようだ。
「俺たちがいる。地底のドワーフもいる」
 軋む音と共に、ゆったりと船がうなずくように動いた。
 護衛を頼むというようなことを言っているようだ。
「降りてくれるらしいぞ」
「よかった!」
 甲板に乗り込む。
「船室に入っていてくれだそうだ」
「了解」
 ターセルだけはあちこちしがみつきながら移動しているが、ひとまず言われた通り船室まで移動する。
 浮遊する島から離れると、しばらくその場に漂っていたが、やがて高度を下げ始める。
 天津国を航行する天空船。
 地上の空を航行したことすらあるかどうかわからないが、さらにその下の地底を行くという、かなり無謀な航行ではある。
「恐る恐るといった感じだね」
「そりゃそうだろう」
 ゆっくりゆっくりと、様子を見ながら高度を落としているようだ。
 それでもラヴェルたちが塔を駆け降りるよりはよほど早い。
 明るかった空はやがて厚い雲に覆われ、雲はやがて霧になり、陽光の届かぬ灰色の世界へ到達する。
 ニブルヘイムまで下りたようだ。
 さて、これからはギンヌンガの地溝の深みだ。




「うわぁ!?」
 ラヴェルとターセルが悲鳴を上げた。
 一瞬、船体が激しい風にあおられて傾くが、すぐに立て直す。
 さすが風の精霊といったところか。
 ギシギシ軋む音は船長の声ではなく本当に船体が軋んでいる音らしい。
 外は世界を二つに隔てるほどの強烈な暴風のはずだ。
 風同士が摩擦で火花を散らす。
 外は暗闇の中を雷光が明滅しているようだ。
 荒れ狂う暴風と船体の軋む音が狂ったように響き続ける。
 窓の外をよく見れば、いつの間にか帆が畳まれ、張り巡らせた綱が暴風によってもがり笛のように鳴り響いている。
 地獄というのはこのような音が鳴り響いているのではないだろうか。
 亡者の群れが泣き叫ぶ声にも聞こえ、ラヴェルは思わず耳を塞いだ。
 ここはヘルにもほど近い。
 外の暴風や霧には実際に亡霊も紛れ込んでいるだろう。
 土雷や鬼火の類も振り切り、船は地底の深みへと航行を続けている。
 ラヴェルたちは狭い空間でも這って登って来られたが、この巨大な船が通れる空間は限られている。
 荒れ狂う暴風の中を船は自分が通れる場所を探し、注意深く進んでいるようだ。
 しかし、さすがにこの風の中では揺れる。
「う、うっぷ……」
 次第にラヴェルとターセルは音を上げ始めた。
 船酔いというやつである。

 ギシギシ。

「我慢してくれ、だとさ」
「墜落しないだけマシだろ」
「ううううう」
「あ、わし、もう無理……」
「テメェ、そこでゲロんな!!」
 兜を器にしてターセルが嘔吐し始めた。ラヴェルも帽子を握っている。
 天空の嵐の核の中ですら自由自在に飛べる天空船だが、ギンヌンガの暴風は未知の風であるようで、飛行は慎重だった。
 恐らく、あまり揺れないようにと配慮して飛んでいるのだろうが、いっそのこと激しく揺れ動いてくれた方がマシかもしれない。
 ゆっくり大きく揺れる方がキツい。
 いつの間にか現れたモフモフがラヴェルの背をさすっている。
 船長のモフモフだろう。
 ホリンがしげしげと眺めている。
「この毛長ウサギみたいのは何なんだ?」
「特に名前はない。こいつはセラフ一人につき一匹存在する」
 レヴィンにもモフモフが存在するのだが、天空に置き去りで連れ歩いていない。
 船長がどこで調達したのか知らないが、船室には暖炉やベッド、テーブルとイス、多少の食料と食器など一通りのものは揃えられている。
 天空の下層の島々に僅かに生き残った人間が作ったものなのか、それとも船の家と呼ばれた伝説の島ノアトンで手に入れたのか。
 やがて、窓の外が赤くなり始めた。
 地底に近づいたようだ。
「どこか泊れそうか?」
 船長にギシギシと話しかけられ、レヴィンは何か指図したようだった。
 やがて船は移動を止めた。
 窓の外を見れば、船は地底空間の上部で停泊していた。
「どうした?」
「ああ、ちょっとな」
 ファーガスに問われ、レヴィンは甲板へ出た。
「地底の熱が苦手らしい。俺が何とかする」
 地底世界は溶岩の海が広がっている。
 相当な熱だ。
 天空を照らし出す直射日光ともまた違う熱。
「……ネーベル」
 レヴィンが呟くと、凍えそうに冷たい霧が渦を巻き始めた。
「あまり高度を下げ過ぎるなよ。熱湯になっちまうからな」
 船に告げると魔力を制御し続ける。
 レヴィンは船体に冷たい水気を纏わせて溶岩の熱と炎から守る。
 分厚い冷気の層を纏うと、天空船は船体から濛々と蒸気を発しながら、やがて溶岩の海の上空を疾駆し始めた。
 この世界に青い空はなく、溶岩の海を反射して赤く光る大地の裏側が空の代わりだ。
 ラヴェルたちも甲板へ出た。
 ようやく揺れが収まり、水平に飛行していく。

 ギシギシ。

「あれだね」
 太陽の船。
 何せ相手は光っているので目立つ。見失わなくて済む。
 地底に慣れたのか、天空船は速度を上げ始めた。
 徐々に距離を詰めていく。
 さすがに相手も追われていると気づいたようだ。どういう原理かわからないが、巡行スピードを上げて振り切ろうとする。
「追うぞ」
 応える様にひときわ大きく音を上げ、天空船はさらに速度を上げた。




 どれくらい時間が経ったのだろうか。
 トレノは暗闇の中で耳をそばだてていた。
 周囲で声が聞こえるが地上のドワーフよりも訛りが強く半分すらも聞き取れない。
 わかる範囲で判断すれば、どうやら自分は何かの人身御供にされるらしい。
(生贄ってことか? 女子供ではなくてか?)
 厄介な妖魔どもが人間を生贄にさらっていく話は聞いたことがあるが、大体において犠牲者は若い女性や子供だ。
 何とか知っている単語が聞こえないかとしばらく聞く。
(……犬?)
 犬がどうとか猫がどうとか聞こえてくる。何か飼っているのだろうか。
「…………?」
 突然、周囲がざわつき始めた。
 何かあわただしい様子だ。
 どうやら何かのアクシデントらしいと察するが、状況まではわからない。
 やがて鉱山で聞こえるような鉱石を大量に運び降ろす音や岩を割る音が聞こえ、火を燃やし始めた様子が伺えた。
 どうやらすぐ近くに炉があり、鉱石をくべ始めたような気配だ。僅かにわかる単語から、それは燃料であるらしい。
 島の動力がどうのこうのと言っているのが聞こえる。
(動く島だと?)
 どうやら自分はその動く島とやらに囚われているらしいと悟る。
 地鳴りの音が激しくなり、激しい振動をし始める。どうやら島が本格的に動き始めたようだ。
 一体どこへ連れて行く気なのだろうか。


 ホーホー、ロッホ、ホーホー!


 真っ赤な闇の中、ドワーフたちは盛り上がった大地の切れ目に大量の岩石や薪を投入していた。
 それは天然の炉だった。
 太陽の船の心臓部である。
 屈強なドワーフが、汗まみれで炉を覗き込んでいる。
 それは暑いせいか、それとも脂汗……冷や汗だろうか。
 彼らの表情にはどこか怯えが見て取れた。
 高熱に陽炎を上げ続ける炉。
 その中身……溶岩の中に黄金の指輪が溶けもせずに輝いていた。


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