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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第十三話:精神世界(後編)

 まるで幻の中にいるようで気配の感じられないその神殿の奥へさらに進んで行く。
「それにしてもレヴィンって一体何者だったんだろう……」
「うーん、ここで見ている限りは普通だよなぁ……」
 壁に刻み込まれた目の模様がまるで二人を見張っているように感じられて薄気味悪い。
「クヤン様は何であんなに目の敵にしたんですか?」
「レヴィンが暗黒魔法を使った時、帝国では自分の魔法に精一杯で気付かなかったけど、クヤン様と対峙している時にははっきり見えたんだ。彼の中には確かに何かの魔物が封じ込まれているみたいだね」
「魔物ですか……」
「そう。でも封じ込まれているだけで、レヴィン自身が魔物というわけではなさそうだね」
 神殿は地下へと続いていた。薄暗い階段を下りていく。
 一つ階を降りるとフロアの奥には水が浅く張ってあり、その奥に礼拝用とおぼしき小さな祭壇がしつらえてあった。
 その祭壇の前に、いくらか大きくなった子供が神官たちに囲まれて床に押し倒されていた。抵抗して暴れようとするが、子供一人の力ではどうにもならない。
 子供に無理やり何かを飲ませ、やがて神官は不気味に黒光りするナイフで傷を付けた。その傷口に何かの薬液を注ぎ込む。
「あれれ、やばくない?」
「助けましょう」
 二人が駆け出しても神官たちは誰も気付いていないようだった。
 クレイルの光の魔法を浴び、霧が朝日に消えるように消えていく。
 毒でも注ぎ込まれたのか、倒れた子供はぐったりとしていた。抱え起こせば身体が微かに震えている。
「あ……まただ……」
 その子供もクリスタルの欠片を残すと姿が薄れ消えた。
「うーん、この時点だとまだ魔物じみてないよなぁ」
 祭壇を調べてみても何も手がかりになりそうなものは見つからなかった。
 仕方なくその場を離れ、更に階段を下って行く。
 幾つか階を降りたところで二人は若い女性の声に足を止めた。奥のフロアから聞こえてくる。
 ほのかに木々の香りが漂う。
 そっと覗いてみると、緩やかなウェーブの髪の、美しい女性がいた。
(うわラヴェル見て見て、あれはドライアドだよ。美人だよなぁ)
(初めて見ました……綺麗ですね)
 クレイルの耳打ちに、ラヴェルもうっとりするようにその女性を眺めた。ドライアドとは木や森に宿る神秘的で美しい精霊だ。
 その女性は、目の前にぼんやりと立っている少年の手当てをしていた。
 子供とはいえもう幼子ではないその男の子は、もうはっきりとレヴィンだとわかる容姿をしていた。
 どうも何かに操られているようで目は虚ろ、体も傷だらけであった。
「しっかりしなさい、レヴィン。目を覚まして。私がわかる? 幻惑はまだ解けないのかしら?」
 その女性は人間で言えば二十歳くらいの外見で、小さなレヴィンよりもだいぶお姉さんだ。
 まるで手のかかる可愛い弟の面倒を見るような口振りで話しかけている。
「もう、しゃっきりしなさい。あなたがしっかりしてくれなくては私……。ね、レヴィン、もう少し、もう少しだけ我慢して。あなたが自分で自分の身を守れるくらいになったらここを逃げましょ。そうしたら一緒に私の木で暮らすの。そうしましょう」
 大体ドライアドというのは見目の良い男に目がない。今のレヴィンは子供だが、先を見越して今のうちに捕まえてしまうつもりなのだろうか?
 ドライアドに捕まったら最後、一生彼女の宿る木の中で暮らすことになる。木から出ることはできない。
 それを考えるとレヴィンはラヴェル達と共にいたのだから、このドライアドとは一緒にいなかったことになるのだろう。
「ほら、おしまい。手当ては済んだから後はゆっくり休めばいいわ。あら、術、解けたのね?」
「ん……あれ……俺……」
 気が付いたようだ。眠そうに目をこすりながらレヴィンはドライアドを見上げた。
「ほらほら、そんなにこすっちゃ駄目。さ、お休みなさい、今のうちに休んで、いっぱい力を付けて、次の新月、潮が引いたらここを逃げましょ。それまで……」
「そうはいかんな」
 ホールの横に伸びている廊下から陰気な声が聞こえた。
 皆がそちらを向いた時にはすでにその方向から、集束された魔力の槍が飛んで来てドライアドを貫いていた。白い衣が乱れるように揺れ、身体がホールの向こうまで叩き飛ばされる。
「大事な器に抜け駆けをしおって……」
「ケフレンダ!!」
 それがドライアドの名前なのだろうか。
 レヴィンはそう叫ぶと彼女に駆け寄り、神官に向かって魔法を放った。
 こんな小さな歳で一体どうやって強大な魔力を身につけたのか、青光りするその魔力は幾つもの弧を描いて神官へ叩き付けられる。
 神官を一撃で葬り、レヴィンはドライアドを介抱しようとしたがすでに虫の息のようだった。ケフレンダと呼ばれたその女性はそっとレヴィンの頬をなでるとそのまま姿が薄れ、木の香りを撒き散らしながら消えていく。
「ケフレンダ、ケフレンダ!!」
 子供の悲鳴に近い声がこだまする。
 そのこだまが消えた時には、声の主も姿を霧と共に消し去っていた。



 周りに先程の神官がいないことを確かめるとラヴェルはホールに入ってみた。
 奥の祭壇には何かをかたどった像。人の形をし、片目を大きく見開き、もう片方の目は閉じている。開いている方の瞳にはルビーか何か、赤い石がはめ込まれているようだ。
「きっとこれがこの神殿の主なんでしょうね」
「片眼……魔眼バロール? ははーん、ラヴェル、これってクヤン様の言っていた魔族の像なんじゃないか??」
「バロールって……レヴィンに宿っているっていう?」
 しばらくその像を見つめ、ようやくラヴェルは気付いた。
「あ、そっか、レヴィンも片目は閉じてたっけ……開いている目は赤いし」
「でもそこらにいるレヴィンはちゃんと両目だし、目も赤くないぞ?」
 祭壇を確かめていると、像の下のわずかな隙間に例のクリスタルのかけらが挟まっているのをみつけた。
「ラヴェル、森の中でくぐった扉、真実と現実につながってるって話だったけど、これがレヴィンについての真実だとしたら、この神殿の中で見聞きしたこと、全部実際に彼が体験してきたことなのか?」
「そんな……」
 どうもここはまだ幻の世界であるらしい。
 現実世界に戻るべく飛び込んだ先で見ているものは、レヴィンが記憶に秘めて語らなかったものなのだろうか。
 重い足取りで二人はその階を後にした。
 すぐ次の階で二人はまた足を止めた。視界の隅にレヴィンが見えたからだった。
 数多くの神官の不気味な祈りの詠唱が聞こえる。
 物陰に隠れて様子を見れば、ホールの奥、今までで一番大きな祭壇にレヴィンがくくりつけられている。
 意識がないのか、ぐったりとした彼の下に描かれた魔方陣から青黒く薄気味悪い物が立ち上ぼり、彼にまとわりついていく。
「まずい!」
 何故かクレイルが飛び出した。
 いつも行動が遅い彼にしては珍しいことだ。
 手のひらから放たれた光の白炎が陰気な神官たちを焼き尽くそうとする。
「ああっ!? これもダメか」
 魔法は神官やレヴィンを素通りした。どうやら今見ているものも幻影らしい。
 レヴィンにまとわり着いて渦巻く蒼黒いものが、やがてレヴィンの身体へ潜り込むようにして消えた。
 それが完全にレヴィンの身体に吸収されたように消えると、神官達は不気味に笑った。
 ホール内にこだまする陰気な笑いはラヴェルの背筋を寒くするには十分すぎた。
 その笑い声が薄れていくのと同時に神官達も姿を消していく。
 神官たちが全て消えたのを確かめてから、二人は祭壇に近づいた。
 レヴィンは目を覚ましたようだったが目の前にいる彼らには気付いていないようで、くくり付けられた手足を何とかほどこうとしている。
 ラヴェルが解いてやると、激痛が走るのか、背を丸めてうめいている。
「ラヴェル、良く見て」
 クレイルが先にそれに気付いた。
 見ればレヴィンは右目の辺りを押さえている。両目ともぎゅっと閉じている。
 クレイルはそっと指を触れ、試しに左の目を開けさせてみた。
「あっ!」
 思わずラヴェルは声を上げた。
 瞳が、薄紫だった瞳が、ラヴェルの良く知っている赤い瞳に変わっているではないか。
「右目はもう見ないほうがいいな……ラヴェル、さっきの黒い霧、あれが多分……」
 魔眼バロールの閉じた目は、一度開かれると一睨みで相手を殺すほどの魔力を秘めているという。
 レヴィンの右目はもう、恐らくは……。
 やがて目の前の少年もやはり澄んだ結晶の欠片を残してすっと消えた。
「段々、現在に近付いて来たって感じですね」
「そうだねぇ……今のレヴィンで十四、五歳くらいじゃないかな」



 神殿の中は潮の香りや薬草の臭い、香の香りが漂っているが、どことなく空気が澱んでいて窒息しそうに息苦しい。
 しばらく二人は無言で階段を下りた。
「ん? これで一番奥かなぁ?」
 やがて階段が終わった。
 その階は今までで一番広い一つの空間になっていた。
 奥半分の両脇には浅く水が張ってあり、その中に柱が並んでいる。
 奥の祭壇はとても精密な彫刻で覆われ、上には天蓋がかかっている。
(しっ……)
 声を潜める。声だけではなく、自然と息も殺す。
 広間の中央を、若くはあるがほとんど今の姿と変わらぬレヴィンがゆっくりと歩いていた。
 奥の祭壇を睨みながら、一歩、また一歩。何かを確かめるように進む。
 やがて祭壇のすぐ前に彼は立ち止まった。
 次の瞬間、轟音を立てて祭壇上の像が砕け散っていた。
 粉となって消えるそれを哀れむような目で見るとレヴィンはふっと姿を消した。
 それは今までのようにかき消えたのではなく、まるで自分の意思でそこからどこかへ去っていったようであった。
 澄んだ音が響く。
 見ればクリスタルの欠片が床に落ちたところだった。
「結構な数が集まったね」
「ええ」
 試しにそれらをパズルのように合わせてみると、どうやらそれはもともと球状だったらしい。
 原型の半分すらもないようだが、オーブのようなものが姿を現す。
 淡く青いそれはとても透明で、神秘的な趣がある。触るとひんやりとしているが、目を閉じると何とも言えない温もりが伝わってくる。
「これって何だろう? いいな、これ」
 吸い込まれるような感触にラヴェルが両手で抱くようにして持つと、その欠片の塊が何かに反応したように光を放った。
「え?」
 ぱああ……と激しく光を上げる。
 その光が放たれると同時、二人は魔力か精神力のようなものの渦に引きずり込まれた。
「ええええええええ〜〜っ!」
「うわああああ〜〜!?」
 とてつもないスピードの落下感に包まれる。
 二人は情けない叫び声を上げながら光の中を落ちていった。



 何か鈍い音が聞こえた。
 気付けばいつの間にか森の中にいた……クレイルの下敷きにされて。
「……王子、退いてください……重い……」
「あ、ごっめ〜〜ん」
 全く悪びれる様子もなくクレイルはのんびりと立ち上がった。
 対してラヴェルは全く動けない。
「……大丈夫?」
「……いえ、全然」
 腰が反っくり返ったまま固まっている。
「仕方ないなぁ……レーベン!」
 仕方ないも何も自分で押し潰したのがいけないのだが、クレイルは全く気にする様子もなく、先程よりも強力な回復魔法をラヴェルにかけた。白魔法だ。
「ところでラヴェル、木くだりは得意かい?」
「木くだり?」
「うん」
「木登りじゃなくて?」
「うん、降りるほう」
「??」
 クレイルはやがて指を目の前にそびえている巨大な木に向けた。
「これ見て」
「……木?」
 ラヴェルはしゃがんだままその巨木を見上げた。
「そう。これは宇宙樹だ。地下から地上、さらには天空、果ては宇宙まで貫いているっていわれてる大木だね。ほら、うちの城の裏、巨木が生えてるだろ? あれ、宇宙樹だって言われてる。このまま木を降りていけば少なくともミドガルドには辿り着けるはずだ。どれくらい降りればいいのかわからないけど」
 もっとも、たとえ地上についても、その時間が問題だ。ラヴェル達の現在ではなく、レヴィンの記憶の現在では結局帰れない。
 そもそもこの意思の流れの世界から脱出しないことには帰れないのではないだろうか。
 突然木がざわめいた。良い香りが漂う。
 驚いて振り返ると、木の中から美しい女性が姿を現した。
「え? この人は……」
 見覚えがある。
 確か先程の神殿でレヴィンと共にいたドライアドだ。
 死んだのではなかったのだろうか?
 その女性は明らかにラヴェルたちが見えているようだった。
 微笑みながらラヴェルに手招きをする。
 思わず相手をまじまじと見ると、その胸元に何かが光っている。
 クリスタルの欠片のペンダントだ。
 相手はラヴェルが動かないのを見ると、木から出てラヴェルに近づいてきた。
 ラヴェルが手にしているクリスタルオーブの欠片に手を伸ばす。
「それを……私に……彼の魂の結晶、それが全て揃えば……」
「どういうこと……?」
 口に出し、ややあってラヴェルは気付いた。
「そうか、魂の結晶なら、これが全て揃えば……」
「ラヴェル、逃げろ!」
 突然クレイルが叫んだ。
 木々の葉が不気味な音を立てた。
 突然何故か枝と木の葉が襲いかかって来た。
「あっ!? 何を……」
 驚いて女性の方を振り返れば、美しい妖精の笑みは恐ろしい魔物の笑みに変わっていた。
 確かにあの女性のようではあるが、打って変わって凄まじいとしかいえない顔になっている。
「ラヴェル、逃げろって!」
 言われるまでもなかったが、木の枝に襟首を掴まれてはどうしようもない。
 まるで手や指のように動く枝先がラヴェルからクリスタルを奪おうとする。
「ラヴェル、仕方ない、戦うよ」
「わかってます!」
 迫り来る枝葉をラヴェルはレイピアで切り払うが、切っても切っても次々と襲い掛かってくる。
「そっちは頼むからね」
 枝葉をラヴェルに任せるとクレイルは呪文の詠唱を始めた。
 気付いたドライアドに合わせるように枝先がクレイルに向かうが、ラヴェルがそこへ割って入る。
「あまねく天を満たす日の光よ……」
 目を開いていられないほどの黄金の光が辺りに満ちた。
 圧力すら伴い、天からそれは降り注いでくる。
「ゾンネン・リッヒト!」
 ずうんと妙な振動がした。
 幻ではない。確かにクレイルは手ごたえを感じていた。
 彼が唱えたのは攻撃魔法ではなかった。
 光に打たれれば確かにダメージは受けるが、この光の本性は攻撃魔法ではない。
 魂に直接作用する強烈な光を浴びせ、狂った樹木精をその心ごと浄化して行く。
 しかし。
 相手もしぶとかった。
 妖精は消える瞬間、ありったけの魔力を二人に叩き付けた。
 吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた二人はしばらく声も出なかった。
 頭を打ったらしく、意識が白濁して行く。
 やがて……。



「う〜〜ん……」
 身体が重い。
 気付けば三度クレイルの下敷きになっているところだった。
「あ、ラヴェル気が付いた?」
「……目、覚めてるんだったら退いてください」
「あ、ごめんごめん。ほらラヴェル、帰ってきたよ」
 指をさされた方を見ると、見覚えのある景色だった。
 暗い室内、破壊されつくした祭壇。
 天井も壁も傷だらけで、床には乾いた血の跡がはっきりと残っている。
「ここは……海底の神殿!」
 思わずガバッと飛び起きたラヴェルは、次の瞬間にはそれと同じくらいの勢いで床を転げまわっていた。
「……大丈夫?」
「〜〜〜〜〜〜〜」
 声すら出ない。
 腰が分解されたような気分だ。
「もう、仕方ないなぁ……ラーブング!」
 身体の異常を直す魔法をかけると、クレイルはラヴェルを引っ張って立たせた。
 そのホールにいたのは彼らだけだった。
 クヤンの姿はなく、レヴィンの姿もない。
 しかし床には確かに血の跡が残っている。その量はどう見ても傷を負った人間が無事ではないと一目でわかるものだった。
「もうここにいても仕方ないな、ラヴェル、帰ろうよ」
「ええ……」
 神殿内は静まり返っている。
 恐ろしい静寂と潮の匂いの中、二人は無言で地上まで戻るとやがて港を目指して久しぶりの大地の上を歩き始めた。


「……にいさま」
 どすの効いた声に思わずクレイルは足を止めた。
 つられて足を止めたラヴェルはそのままくるりと後ろを向いたが、クレイルにしっかりとマントをつかまれて逃げることも出来ない。
 シレジアの城門。
 そこに立って待ち構えていたのは愛らしい幼姫であった。
 しかし。
 目には見えないがその頭には角が生えているようだった。目元もいつになくつり上がっている。
「あ〜〜ただ今、マリア」
「ただ今、じゃないでしょうっ!?」
 つかつかと妹姫は兄に歩み寄ると、神聖な杖をクレイルの丸い顎に押し当てた。
「どこへ行ってたのよ!? 行き先も言わないで、さあ白状なさい!」
 いつもは大変可愛い姫も、どうやら怒り心頭のご様子だ。
「いや、ええと、ちょっと精神的修練をだね……」
「な〜んですって?」
「だから、ちょっと精神的修練を受けたというか……」
 いくらなんでもこの状況では、他人の精神世界へ飛ばされていましたなどといっても信じてもらえまい。
「なにが精神的修練よ! にいさまに精神なんて高尚なものがあったかしら!? 根性だったら私が叩き直してあげるから、こっちにいらっしゃい!!」
 のらりくらりとある意味敵無しのクレイルだが、この妹だけはいかんともしがたく頭が上がらない。
「ラヴェル、トモダチだよな? な?」
 兄のあげた声にマリアの視線がラヴェルに向いた。
「……ラヴェルさん。あなたも来てください。類友っていいますし、丁度いい機会だから二人ともこの際まとめて……」
「ええっ!?」
 お説教は甘んじて受けてもいい。
 クレイルの友人であるのも事実だ。
 しかし、同類にされるのだけは勘弁願いたい。
 そんなラヴェルの心の叫びもむなしく、せっかく帰ってきたのに二人仲良く城内で姫からえんえんと説教を受けることとなった。



 部屋の中に紅茶の香りが漂っている。
「いいお天気ですね」
「うん、こういう日は外に出るのが一番だよ」
「……いいんですか?」
「大丈夫大丈夫! 見つからなければ大丈夫だって!」
 季節は冬も終わりだ。
 寒いシレジアではそれでもまだ雪が大量に残っているが、日の光は暖かい。
 衛兵や姫の視線をコソコソとさけ、二人は性懲りもなく城から抜け出した。
「王子」
「んーー?」
「結局レヴィンて……」
「何もわからなかったなぁ……」
 見てきた幻は本当にレヴィンの記憶だったのだろうか。
 ラヴェルはポケットに手を入れ、中にあったものを出した。
 集めたはずのクリスタルの欠片はいつの間にか消えていた。
 ただ、なぜかこの一つは、ラヴェルが向こうの世界に倒れていたときにともに落ちていたこの一つは、消えずに残っていた。
 そう、ラヴェルと旅をともにしていたレヴィンがずっと首に下げていたものである。
 根元を残して砕け散ったはずのそれが、元の大きさの欠片になって輝いている。
 二人は木漏れ日を浴びながら裏山に登った。
 城の北には雪の残る森と湖が広がり、遥か彼方には氷海も見える。
 裏山の頂上の少し下、崖の上に張り出した自然の展望台に粗末な木の十字架が立っている。
 帰ってきた次の日に二人が辺りの木の枝で作った物だ。
 クヤンもレヴィンも結局帰ってこなかった。
 ディアスポラやケルティアに多くの信者や国民を抱えるクヤンはともかく、名も知られず流れていくだけの吟遊詩人を覚え留めておく者はいまい。
 その粗末な十字架は一応墓のつもりだが何も入っていない。
 前方に森と湖、その彼方に海、背後には宇宙樹と城や街の見えるその場所に、入れる物は何もないがそれでもレヴィンの墓のつもりで十字架を立てた。
 もちろん名は刻まれていない。
「何だか納得できないです。向こうで色々見聞きしたら余計に……。本当にこれで良かったんでしょうか。クヤン様のやり方も何だか……」
「彼、絵に描いたような聖職者だからねぇ……魔族って聞けば問答無用だろ」
 そのやり方が正しいかどうかは判断する人間によって違うだろう。
 ただ、ラヴェルとクレイルもクヤンの考え方を理解してはいても、賛成も納得もする気にはなれなかった。かと言って他の方法も思い付かないのだが……。
 ラヴェルはポケットに入れていたものを再び手に取って眺めた。
「レヴィンもわかっていながらなんでわざわざあの場所に行ったんだろう……」
 北の岬、海底の神殿。レヴィンの死地となった場所。
『なぜこちらの呼び掛けに答えたのです?』
 レヴィンをあの場所に導いたのはどうやらクヤンだったらしい。
 レヴィンは何か答えたようだったが、本当にその言葉程度の思いだったのだろうか?
 結局本心は何もわからなかった。何を望んでいたのかも。



 空を小鳥が舞う。
 わずかに生え始めた草を引き抜いてぷーぷー吹いていたクレイルは、それを捨てるとひっくり返って空を眺めた。
「レヴィンてさ、すごく意思というか意識というか、自分ていう思いが強いみたいだったから何とか今まで魔族に心を乗っ取られずに済んでいたけど、それって要するに、常に心の内面で魔族と戦ってたことになるんじゃないかなぁ。それってさ、気が休まることないだろ。満足に寝ることもできないと思うよ。意識がない間は無防備だからね」
「常に戦っている……」
「多分ね」
 風に雲がゆっくりなびいている。
「レヴィン、あれかなぁ……そろそろ終わりにしたかったのかなぁ。ラヴェルは知らないだろうけど、取り憑いている魔族倒すのって、本当に方法がないんだよ。クヤン様も言っていたけど、お払いをしようにもそれには取り憑いている魔族以上の力が必要だし」
 相当な下っ端魔族ならともかく、そこそこの魔族より優れる力を持つ人間なんておいそれといるものではない。
「となると、その魔族を倒す方法は一つ、取り憑いている人間ごと倒しちゃうこと。憑いている人間から命や力を吸い上げて生きているわけだからね」
「それは……それはクヤン様の行った方法と一緒じゃないですか」
「そう。彼の言うことは僕にもわかるんだよ。でもね、納得できない」
 太陽の光は温かいが、風はまだまだ肌を刺すように冷たい。
「……もし取り憑いているのをそのままにしておいたらどうなっちゃうんですか?」
「憑依している魔族ってだいたいその人間の魂を食うんだ。もしその人間の魂を食らい尽くしたら、別の餌を探して生き続ける」
「それじゃ結局レヴィンて……」
「……魔族に喰い殺されるか、聖職者達に殺されるか、ってことだね」
「………………」
 ラヴェルもクレイルの横に腰を下ろした。
 眼下には木々の海が広がっている。
 クレイルは溜め息をつくラヴェルを眺め、また視線を空へと移した。
「あれかなぁ、やっぱりそういう生活を終わりにしたかったんじゃないのかなぁ。彼のことだから、自で自分の命を絶っちゃうようなことはしないだろうし、それだったらまだ他人に殺された方がマシだと思ったんじゃないんかなぁ」
「そうしたら丁度クヤン様が呼びかけてきたと?」
「そんなとこだと思うけどねぇ。まぁ推測にしか過ぎないけどさ」
 二人並んで空を見上げる。
 肉眼では天空の島々をとらえることはできない。雲が行き過ぎていくのみだ。
 記憶の見せた幻影ではなく、本物の天空は一体どのようなところなのだろう。
 崖の下から駈け登ってきた風が空に向けて吹き上げる。
 滅多に深刻にならないクレイルの目に沈痛な光が宿っている。
「今回はクヤン様だったわけだけどさ、僕も一応ヘンな家系だし、下手すりゃ僕ってことも……あったんだろうなぁ……やっぱり」
「………………。レヴィンに……勝てます?」
 かなり失礼な質問だったが、クレイルはあまり気に留めた様子はなかった。
 あっさり答える。
「勝てるよ」
 こともなげに言われ、面食らったラヴェルにクレイルは肩をすくめて見せた。
「僕だろうがクヤン様だろうが、極端な話、戦闘能力ゼロの君だって勝てるさ」
「え……?」
 クレイルはもう一度肩をすくめて見せた。
「……そりゃ、レヴィンの方が強いさ。多分クヤン様よりもね」
 ラヴェルが理解できないというような表情を浮かべたのを見て、クレイルはややあって告げた。
「レヴィンはわざと負けたんだよ。レヴィンにそのつもりがあれば、誰だって勝てるさ」
「……そうでしたか……」
 しばらく二人とも黙っていたが、クレイルはまた草を引っこ抜くとぷーぷー吹き始めた。
 雪を踏むような音が風に乗って流れてくる。
 それらを聞きながら、ラヴェルは手に砕けた欠片をぶら下げてその輝きをしばらく眺めた。
 ……が、次の瞬間、いきなり後ろから蹴り飛ばされたような強い衝撃が全身を突き抜けた。



「……誰だ、こんな所に墓なんぞ作ったのは」
「!?」
 視界に青い袖が伸びてきた。
 固まった体が動かない。忘れようにも忘れられない冷たい声。
 凍りついたラヴェルの目の前にのびてきた腕が、クリスタルの欠片を一瞬で奪い取った。
「レ……レヴィン!?」
 やっとの思いで振り向けば、そこにはいつもどおり、青ずくめの不良っぽいイヤミな同業者が立っていた。
 間違いない、そこに立っているのはレヴィンであった。
 まるきり無事なその姿を見ると安心したのか頭にきたのか、よくわからない感情が渦を巻く。
「勝手に殺さないでもらおうか」
 放心したように口をあけているラヴェルの横で、クレイルも顎がぶら下がっている。
「え、君、どうやって……」
「どうもこうも、あれくらいで殺られてたまるか。あれで全力だなどと思わないでくれ」
 持ち主の胸元へ帰ったクリスタルが清らかな光を放つ。
 いつものレヴィンだ。
 クヤンとやり合っている時の凄みのある表情でも、倒れ、目を閉じた時の別人のような穏やかな表情でもない。もちろん、影の薄い子供の姿でもない。
 前からの、共に旅していた時と同じ姿。
 それを見てラヴェルはやっと動けるようになった。
「ああっ、そうだレヴィン、あのあと僕達……」
 安心したラヴェルが喚きたてようとする前に、クレイルが先に口火をきった。
 レヴィンを質問攻めにする。
「君、天空人なんだって? どうして地上にいるの? 羽根とか生えてない? あ、生活習慣ってこっちと同じ? 魔法は? それから……」
 どうやら魔法を使うものは皆、自分の知識的欲求を満足させることを優先するらしい。
 うんざりしたような表情を浮かべ、レヴィンは視線をラヴェルに投げつけた。
「おいラヴェル、こいつを黙らせろ」
「いや、無理なんですけど……」
 一国の王子をこいつ呼ばわりするとレヴィンは溜め息を付いた。
「……いっぺんに聞くな。天空から来たのは本当だ。地上界にきたのは、ちょっとした事情で逃げてきたのと人を探してだ。翼は……今の身体では生えてないな。生活習慣は同じだ。魔法は……向こうではお前達が古代魔法と呼ぶ物が中心だ。あとは自分で調べろ」
「………………」
 何故かラヴェルとクレイルは揃って沈黙した。
 やがてぼそっと口を開く。
「……今の身体では生えていないって……元はあったってことだよね……」
 レヴィンは溜め息をついたようだったが……しばらくおいて微かにうなずいた。
 思わずラヴェルとクレイルは顔を見合わせ……やがて同時に尋ねた。
「「その羽、コウモリの羽だったとか?」」
「……死にたいのか貴様ら」
 まだ冷たいながらも、もう時期春になることを予感させる風がゆっくりと空へ舞い上がっていく。足下は丈の短い草が覆い、眼下の森も雪の下から芽が膨らみ始めたのか、色合いが和らいでいる。
 遠くには流氷の打ち寄せる海。
「春待つ草は風に揺れ……」
 誰ともなく歌いだす。
 山の上にはしばらく竪琴と歌声、フルートの音が柔らかく響いていた。



「……にいさま」
 ばっちり気付かれていたようだ。
 城へ戻れば、門の前でマリア姫が待ち構えていた。
 掃除でもしていたのか手にハタキを持ち、それを兄に突きつけようとするが、いつもの二人以外に人影があることに気付くと慌ててその手を引いた。
 ささっとハタキを隠し、可愛らしく微笑むとスカートをつまんでお辞儀をする。
「マリアって意外と好みがわかりやすいなぁ……」
「……ちょっとその趣味はどうかと思いますけど」
 背後の青い影に構わずラヴェルとクレイルはひそひそ話していたが、やがてクレイルは城内へ帰っていった。
「さて。僕もそろそろ帰るかな。レヴィンはどうする?」
 前に家へ帰ってから、どれくらい経っているだろう。
 そろそろ旅も終わりにしてもいいだろう。
 初めて国外へ足を伸ばして以来、故郷に戻ってきたことも多いが、一連の長旅もそろそろ良い区切りなのではないだろうか。
 もちろん、それはここに故郷があるラヴェルだからであって、レヴィンはまだこれからも流れ続けていくのだろう。
「俺か? そうだな、久し振りに上にでも行ってみるか」
「上って……アスガルド?」
 そうつぶやきながら、ラヴェルは意識の中で見た景色をおぼろげに思い出した。
 本当の天空界の姿は何も知らない。
 伝説の彼方の世界のことを。
「そうだ。どうする、ついて来るか?興味があるならつれて行ってやる」
 天津国、天空の島々、雲の海……伝説の舞台へ行けるというのだろうか。
 考える前にラヴェルはうなずいていた。
つづく

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