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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第十四話:アスガルド

 霧と夜の国、死者の国と呼ばれるニブルヘイムはいつ訪れても冷たく暗く澱んでいた。
 ラヴェルはレヴィンと二人で冷たいニブルヘイムの山中を登っていた。
 ニブルヘイムの常に頂に雪をかぶる山脈は天まで届くと古い歌に歌われている。
 レヴィンが天空へ行くのにこの場所へ足を運んだことを見ると、その歌はまんざら嘘でもないようだ。
「……翼を持たない者が上へ行くには三つの方法がある。一つはニブルヘイムの山中にある古い塔を登ること、もう一つは宇宙樹を登ること、もう一つは中央高地の山を登ること。おっと例外、羽根のあるヤツに連れて行ってもらうこと」
「何で宇宙樹から行かなかったの? シレジアからなら近いのに」
 宇宙樹(イグドラシル)は世界樹とも呼ばれる巨大な古木で、地下から地上、果ては天空まで貫いているといわれる。
 その根や枝葉は九界を繋ぐといわれ、ミドガルドではシレジア城近くの深い森に根を張っているという。
 「行きたい場所にはここからの方が近い。第一お前、リスじゃあるまいし、空と同じ高さまで木登りが出来るとでも思っているのか?」
 さらに幾日も山道を行く。高く登れば、雪はないが霜で白く覆われた辺りにはすでに木々はなく、岩の隙間からは可憐な草花が寒さにもめげずに花を咲かせている。冷えた風は意外と乾燥していて、空気も薄い。
「さて……これだ」
 立ち止まったレヴィンの横にラヴェルも並び、辺りを見回した。
「うわぁ、高い……」
 グレー一色の景色の中、霧の向こうから古い塔が姿を現した。辺りの景色と同じグレーの石を積んで作られたそれは、見上げれば見上げる程高く感じられ、その先端は雲を貫いているのかここからは空に吸い込まれていて目にすることが出来なかった。
「……ち、ちょっと待ってくれる?」
 その塔へ入って数刻後。
「何だ?」
「どこまで昇ればいいのかな?」
「天空界へ行くんだろう? それと同じ高さまでに決まっている」
「………………」
 塔の中は人気がなく、ひんやりしていた。モンスターの気配はない。
 それはいい。
 いいのだが……足が棒になりそうだ。
 ラヴェルはもうレイピアを杖代わりによろよろと昇っている。
 延々と続くらせん階段。
「……まだ?」
「まだだ」
 殺風景な塔の中をしばらく昇る。
「……まだ……?」
「ああ」
「………………」
 汗をふきふき、壁の隙間から外を見れば雲はすでに遥か下。
 それでもまだまだ先は長そうだ。
 ラヴェルはもうふらふらしているが、相棒はさっさと昇っていく。
「……あの」
「何なら帰ってもいいんだぞ? 今まで昇った分の階段を降りてな」
「……遠慮しておきます」
 レヴィンは一体いつどうやって天空から降りてきたのだろうか?
 一人で延々とこの階段を下りてきたのだろうか。
 昇っても昇っても代わり映えのしない塔の中の景色に時間の感覚が全くわからない。ずっと同じ場所を堂々巡りしているような気にさえなってくる。
 もう無言でただただ昇っていくだけのラヴェルの耳に、やがてレヴィンの声が塔の内部にうっすらとこだましながら届いてきた。
「ラヴェル、見えるか」
「……え?」
 窓のように壁に開いている隙間から外の光が差し込んでいる。
「あっ……」
 所々に開いている明かり取りの小窓の向こうに、燃えるように眩く輝く虹が姿を現した。
「あれが炎の虹の橋、ビフレストだ。こいつを渡ればアスガルドに入る」
「虹の橋……」



 ビフレストは、天空界と地上界をつなぐ橋だといわれている。
 また、世界各地の昔話では、虹の根元をほるとお宝が眠っているとか、虹を渡れば向こうには楽園が広がっているとか言われている。
 この虹の向こうはアスガルド。
「よし、渡るか」
「う、うん」
 塔の頂から、ラヴェルは恐る恐る一歩踏み出した。
 地上から天空に昇った人間など、今までいるのだろうか。
「うわ!?」
 踏み締めた足下から、虹が白い炎となって吹き上がる。熱くはないし燃えもしないが、目が利かない程に眩しい。
 ほとんど何も見えない。
 それでも微かに映るレヴィンの後ろ姿を追って、夢中で足を進めていく。
 やがてレヴィンが手でラヴェルを制した。二人そろって立ち止まる。
 いつの間にかラヴェルは草原に立っていた。
 後ろには虹が架かり、足下は草に覆われ、見渡せば向こうには雪山が輝き、まわりの草原では日当たりのいいところに山野草が花畑を作っていた。
「何だか中央高地みたいだね」
「そうだな」
 ゆるやかな風に、コマクサが可憐に揺れている風景はシレジアの南に位置する地域の様子に良く似ているように思えた。
 今までのグレーの景色が嘘のように、そこには草花や自然の色が華やかに乱舞していた。向こうの崖の下には、雲の海。
「さてラヴェル。周りを見てみろ」
 低い位置は雲が覆い、今いる場所は雲海の中の島のようになっている。周りにも山の頂が島のように幾つか雲間から顔を出している。
「向こうが中央高地の山脈、すぐそこのグレーの一角がニブルの山々だろう。あれが塔だな。そして……上を見ろ」
「上……?」
 言われるままにラヴェルは空を仰ぎ見た。限りなく青い空……いや、違う。
 頭上に大きく影が差していた。
「……えっ?」
 さして高くはない位置に島が浮いていた。青空の中に、雲の中に。
 日の光を浴び、白く輝いているそれは神話に語られる風景そのままだった。
「これは……これが……アスガルド!」
 それ以上は言葉が出なかった。
 雲が流れるたび、次々と島や崩れた神殿のような建物が白く神秘的な姿を現す。かと思えばつややかな緑に覆われた美しい島も。
 天空界。
 だがそれは神界とでも言うべき風景だった。
 その雲間から天使や神々が姿を現しても全く不思議ではないだろう。
「さ、行くぞ」
 レヴィンの声に我に返る。
 他の島に渡るつもりらしいが、空中をどうやって進むのか。ラヴェルが困った顔をするとレヴィンはいたずらっぽい笑みを微かに浮かべた。
「あれを見ろよ」
 見ろといわれた方向を見るが雲に覆われて何も見えない。
 だがしばらくすると奇妙な音が耳に届いた。
 ギギ……ギギ……ギギィ……。
 雲の切れ間から姿を現したその影が何なのかラヴェルは一瞬わからなかったが、その正体を理解すると驚きで声も出なかった。
 地上で語られている伝説は嘘ではなかったのだ。
「あれが天空船さ」
 帆をいっぱいに張り、それでも数多くの楷で漕がれた船は、雲の海をゆっくりと滑るように進む。
 レヴィンに引かれて乗り込んでも、しばらくラヴェルは声が出せなかった。
 声も出ないままラヴェルは船内の客を見回した。
 乗っていたのはほとんどがラヴェルのような普通の人間に見えた。下界から吹き飛んできた島々にはその生き残りの人間が住んでいるというから、彼らの先祖はラヴェルと同じミドガルドの人間なのだろう。
 しかし、わずかではあるがそれ以外の存在も見て取れた。
 背に白い翼を持つ人間。
「あれがお前達のイメージする天空人なのだろうな。彼らは数が少ない。白い翼、ホワイトウィングと呼ばれる連中だ。あいつらも本当は下界の生き残りでな。まぁ、その時代でも高い山の上に住んでいたから天空人だと誤解されていたかも知れんな」
 空を羽毛が舞っている。見上げれば小鳥がチチチと鳴き声をあげながら雲間を渡って行く。
「白い翼たちよりももっと少ないが、他にも翼を持つ存在がある。この空の更に上に広がる島々にはとうの昔に滅びた古い都があり、そこに住んでいたものは皆が翼を持っていた。 今回はその上の島々に行ってみるか」
 しばらくすると、甲板で休んでいた白い翼がどこかへ飛び去っていった。目的の島が近くなったのだろう。
「上に広がる島々、上都(ハイガルディア)。本当は上都の事だけをアスガルドというんだが、今では空に浮かぶ島全てをアスガルドと呼んでいるな。だから、下の島々と区別するため、本来のアスガルドの事を俺達は上都と呼んでいるんだ。地上の伝説に歌われる桃源郷のほとんどは、上都にある」
「上都……」
 辺りに見える島の多くは山や森、草原といったものが緑に輝き、地上の生命にあふれる景色と良く似ていた。
 だが船が上昇するにつれ、周りの島々は真っ白な廃墟や神殿群に取って代わられていった。
「うわぁ……!」



 月と星々の光り受け、輝く雲の海は空の高みをたゆとう
 光のヴェール脱ぎ捨て、やがて波間に姿見せるは
 厳かなる神の言葉、失われし社
 白き翼行き交い
 漂う小島を結び渡るは空行く船
 また日の昇るまで雲と星の海を行く

 太陽の光を浴び、歌どおりの世界は歌よりも輝いている。
「これが天津国、アスガルドだ。この星の、星の精霊達(セラフ)のかつての都。天魔達に滅ぼされた今も、こうやって名残だけは輝き続けている」
「セラフの都……」
 白き衣をまとい、翼で空を舞いながら楽を奏で、強力な魔法を駆使するといわれる、世界で最も美しい種族達。
 そのセラ達が暮らしていた都が……上都である。
「さて……ここがそうだ」
 二人は荒れた廃墟へ下り立った。船は再び雲の向こうへ姿を消していく。
「ここは?」
「上都の一つ、ザナドゥ。上都の中でも中心といっていいだろう。ここは風や水のセラフの都で、星の神殿もあったところだ」
 周りを見れば、すぐ近くにもいくつか島が浮いている。これらの一群がザナドゥと呼ばれる都であるらしい。
「で、ここの城は向こうにあった。今は行くのはやめておこう。あとにするか」
「うん……こんなにたくさん一度には見切れないよ……」
 ただそこに立っているだけなのに、ラヴェルは鼓動が激しくうってなかなか落ち着けない。深呼吸をして見るが、感動しすぎたのか息が震えてしまう。
「ダメだ、どきどきしてる……」
「そんなに緊張するな、くつろいでいていいぞ。俺の家みたいなもんだからな、ここは」
「……へ?」
 はて?
 意識の向こうに見た幻影は上都の風景ではなかったような気がするが……。
「レヴィンってここの出身なの?」
「まぁな」
「え? ちょっと待って。じゃあレヴィンって……」
 上都はセラフたちの世界だ。
 つまり、ここの住人は当然ながらセラフ、という事になる。
(……見えないけどなー)
 口に出しはしなかったものの、考えはバレていたようで冷たい声が即座に突き刺さる。
「……何がだ?」
 横合いから白い視線を投げつけられ、ラヴェルは慌てて首を左右に振った。
「う、ううん! なんでもないよ!」
 首を振りながら、ラヴェルは永久凍土で出会った美しい精霊を思い出していた。
(うーん、どう見てもレヴィンってセラフには見えないよなぁ……)
 横から冷ややかさを増した視線が突き刺さる。
 その視線に気付き、ラヴェルは必死になって言い訳を考えた。
「えーと、ほら、レヴィンって普通の人っぽいじゃない? 下の島の出身かなーなんて思ってたんだけど」
「……ラヴェルよ、レクイエムは何が所望だ。一応望みは聞いてやる」
 ちぎれそうな勢いでラヴェルは首を横に振り続けた。
「正直に、らしく見えないといったらどうだ? 場合によっては半殺し程度で済むかもしれんぞ」
「遠慮しておきます……」
 チクチクと、毒の刺を含んだ赤い視線がラヴェルにしばらく注がれる。
 バジリスクにでも睨まれたように、ラヴェルは身動き一つできずに固まっている。
「……別に信じなくったって構わんがな。確かに俺はここの出身だ。本来はな。ただ、お前がいうように、下の島の出身とも言える」
「??」
 出身地が二か所あるという事か?
「さっき言っただろう、ここは天魔達に滅ぼされたと。その時に俺も危うく死にかけて、ぎりぎりの所で下の島で転生したわけだ。天魔から逃げたのはいいが、余計に厄介なヤツに目をつけられちまったがな」
「……そっか」
 意識の向こうを誰かの家族や司祭の幻影が揺らいでいる。
 何かと思いを見透かしてくるレヴィンに気付かれないよう、ラヴェルはその幻を意識から追い出すと崩れた廃墟の石柱に寄り掛かり、やがてその基礎の部分に腰掛けた。
「ここはどうして滅んでしまったのかな?」
「天魔(アンゲロス)どもに襲われたのさ。天魔というのはここより更に上、天上に住む凶暴な連中だ。自分達を空の支配者と自任し、セラ達を狩り、食い滅ぼし、その都を焼き払った。翼を持ち、炎を自在に操り、恐ろしく戦闘能力の高い奴らにセラ達はかなわなかったのさ」
 セラフは強力な魔法を簡単に操るといわれる。それが何故、なす術もなく滅ぼされてしまったのだろう。
「セラとアンゲロスは姿かたちこそ似ているがその性質は全く違う。セラは精霊、星に宿る叡智と様々な精気の結晶だ。対して天魔は物理的な存在で、力そのものだ。より強い何かの力に従い、力を求め、目的を達するまで一気に突き進む。その破壊力は計り知れないだろうよ」
「魔物みたいだね」
「そうだ。天に住む魔物、セラはそう呼び恐れた。天魔自身は己を天使と呼んでいるが」
 目の前を雲が流れ過ぎて行く。
「ここは風が気持ちいいね」
「ああ。この都はもともと風の精霊達の都だったからな。先人達の遺物みたいなもんさ。連中は気まぐれでな、特に目的もなく別に都を作って移り住んたらしい。それ以来ここは譲り受けて住み始めた水のセラフの都になっていた」
 空が頭上近くに見える。
 手を伸ばせば届きそうでいて、届かない青。
 一体空はどこまで高いのだろうか。
 その青を背景に、島に散らばる廃墟が白く輝いている。何かの石碑、石柱の残骸、建物の基礎、崩れた壁や階段。
 それら全てが神聖な聖域のように近寄りがたく神々しく、神秘の塊に感じられてラヴェルにはとても触れられないものに思えた。
 空に漂う霊気に当てられたのか、自分で自分の意識がわからない。目にするもの全てが伝説の彼方の幻のように思え、この場所に立っていることが信じられない。
 レヴィンが見守る前で、ラヴェルは何かを確かめるようにゆっくりと歩き回り始めた。



 冷たい風が吹き渡っていく。
 周りにある色は空の青と足下の草、廃墟と雲の白さだけ。
 ラヴェルは背後の廃墟を振り返ってみた。
 崩れた天井の隙間から光が差し込み複雑に反射し合って、壁や柱頭のずっしりとした中にも繊細な彫刻が浮かび上がっている。
 荘厳な神殿跡。
「さてラヴェル」
「なぁに?」
 しばらく休むと、柱の根元に腰掛けているラヴェルの少し左後ろ、神殿への階段に立っていたレヴィンがラヴェルの腰掛けている柱に軽く寄り掛かった。
 竪琴を取り出す。
「お前は実際にアスガルドを見たんだ。吟遊詩人をやっていこうという以上、ここを実際に見たお前はこれを歌い継いでいく義務がある」
「う、うん」
 微かに傾いた日の光は暖かみを帯び、低い位置から差し込む光に、神殿内は淡いオレンジに染まっていた。
「お前の言葉で、お前の旋律で、というのはまだ無理だな。出来合いの歌を一つ教えてやるから、レパートリーに加えておくといい」

 果て無き蒼穹を雲は流れ
 天は光満ちて絶えることなし
 雲海を渡る船に揺られ行かば
 煌き見ゆるはセラの都の天津国
 星を巡り流れゆく全ての者達よ
 昼と夜を渡る旅に翼疲れたならば
 霊気と叡智の都に今一時の休息を求めるが良い
 永遠の旅は終わることの無きが故に

 レヴィンの紡ぐ言葉と音をラヴェルは必死で耳に焼き付けようとした。
 セラの竪琴の後を、たどたどしい竪琴の音がついていく。
 他には何の存在も、その名残すらない廃墟に響く、二つの歌声と竪琴の音。
 たどたどしい音が何となく曲らしいものになった頃には辺りは夜の闇、地上とは比べ物にならない程澄んだ空気に、頭上に広がる星の大海は手が届かんばかりの近さで輝きを放っていた。
 見たことのない星空だ。
 途方もなく厚みのある星空が、頭上から降ってきそうだ。押し潰されそうなこの迫力は地上では感じることができないであろう。
「キレイだね」
「ああ」
 二人は手を休めた。
 月と星の光受け、浮かび上がるは神々の社……。
 まさしく古い詩のままの景色。
 星影に、廃墟が神秘的にシルエットをうかびあがらせている。
 二人は黙って空を見上げた。
 その足下に、暖を求めているのか、ウサギのような生き物がもこもこと這ってきた。
 ラヴェルはそれを抱え上げるとまた夜空を眺めた。



 星が糸を引く。
 唐突に、ぽつりとレヴィンがつぶやいた。
「……何年ぶりだろうな、こうやって空を無心に見上げるのは。今まで、星など眺めている余裕はなかったな……」
「………………」
 故郷に戻ってきて、珍しく感傷的になっているらしい。
 魔族に憑かれ、聖職者には追われる日々。逃げるように世界を放浪する生活。
 シレジアの高台でクレイルがいっていた。
『終わりにしたかったんじゃないかなぁ、そういうの』
 そして……実際にクヤンによって全て終わりにされたはずだった。
 が、彼はまだこうやって、ここに存在している。
 今までシレジアの片田舎でのんびり暮らしてきたラヴェルには、いくらわかろうと努力したとしてもレヴィンの心の奥を計り知ることはできないだろう。
 返事に困ってラヴェルも空を見上げ続ける。
「……珍しく感傷的だね?」
「悪いか?」
「……らしくない、かな」
「何も感じないようなヤツに吟遊詩人など勤まらんよ」
「そっか……」
 腕の中で不思議な温もりのある毛皮の塊がもそもそ動いている。
 それを逃がしてやると、ラヴェルは足をぶらぶらさせた。
 自宅を出て、レヴィンと出会い、アルトにルキータ、クヤン……様々な人間に会ってきた。純粋に行楽する者、国の使い・騎士団の代表として旅する者、戦いに明け暮れる者、単にふらついているだけの者、聖なる道を実行する者……。
 皆、旅の目的は様々だった。
 ラヴェルに旅の目的は特になかった。
 ちょっとした冒険気分だった。いろいろ見物して、いろいろな人に会って、幾つか詩のネタをみつけられればそれでよかった。
 が、いつのまにやら天空人やら魔族やら、伝説と思っていたものに直に触れ、今もこうして天空に腰を下ろしている。
 不思議な巡り会わせだ。
「きっと地上からここへ上がってきた人間って僕くらいだろうねーー」
「ああ、俺が知る限りでは下から上がってきたのはお前が初めてさ。ま、お前は普通の人間じゃないけどな」

 ………………。

「……今、なにげに失礼なこといわなかった??」
「そういう意味じゃないんだが……ああ、なるほど、確かに普通じゃないな」
 どうも墓穴を掘ったらしい。
 レヴィンに心の底から納得され、ラヴェルは無言で涙を流した。
 何で天空にまで来てこんな思いをせにゃならんのだ。
「じゃあ何なのさーー……」
 むう、と拗ねたような素振りでラヴェルはレヴィンに振り返り、その動きを止めた。
 赤い目がこちらを注視している。
 怒るでも笑うでもなく、何か物言いたそうな、それでいてどことなく悲しいような寂しいような……それでいて微かに優しいような、そんな複雑な色の目が。
「な、何……?」
 思わず半分引いたラヴェルの背に、純白の石柱の冷たい感触が伝わってくる。
 冷や汗などかき始めたラヴェルをしばらくレヴィンはみつめ、やがてふうと深くため息をついた。
「まあ……知らない方がお前は幸せだろうな。言わないでおくか」
「……すっごく気になるんですけど。道中は相棒なんだから隠しごとは嫌だな」
 そこまで言ってから、そういえばレヴィンと二人だけで旅するのは初めてだったっけ……ということに気付く。
 ずっと二人旅をしていたような気がしていたが、よく考えればクレイルやらルキータやら、誰かしらが他にも必ずいた。
 やれやれと、レヴィンは苦笑したようだった。
「そうか……じゃあそのうち話そう。今は……まだ勘弁してくれ。人間相手にわかりやすく説明できる自信がない。近いうちにまとめて話すか」
「う、うーん……」
 言葉を切るとレヴィンは再び竪琴をはじき始めた。
 とつとつと、ラヴェルの知らない何かの古い言葉で歌い始める。
 満天の星の下、冷たいまでに白く輝く大理石の廃墟に、竪琴の音と歌声が静かに響き始めた。
つづく

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