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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第十五話:運命の扉

 太陽も月も昼と夜とを一巡りして戻ってきた。
 眩いまでの直射を浴びながら、空を行く船は徐々にその高度を落として行く。
 アスガルドの下の島々……遥か昔にミドガルドから吹き飛んできた島は、上都から見れば低空に浮かんでいるものの、それでも地上からは目で見ることが出来ないほどの高みに浮かんでいる。
 船から降り立った島は、緑に包まれた静かな島であった。
 濃い緑の生い茂る森の下には、柔らかな色合いの草が揺れている。
(あれ? ここは……)
 その森の風景にはどことなく見覚えがあった。
(そうだ、ここは……)
「……そうか、見覚えがあるか」
 ラヴェルが何も言わないうちにレヴィンはつぶやいた。
 それ以上は気取られないよう、ラヴェルは首を振ってその意識を追い払った。
 間違いない、意識の奥に見た幻影の風景だ。
 だが、足を向けた村の風景は、記憶から追い払ったその幻とは全く異なる姿を見せていた。
 崩れた家々、枯れた井戸、廃村の姿。人影がなければ家畜の鳴き声もしない。
「ここまで荒れているとはな」
 二人は一番奥の崩れかけた家へ入った。抜けそうに湿った床、苔とカビ。ゆがんだ柱、腐りかけた藁編みの揺籠。
「ここが俺の家……のはずだ。記憶違いでなければな」
 魔物に襲われた上都から逃れてきた魂が根付いた場所。
 上都という美しい故郷を失い、二つ目の故郷となるはずであったこの村も、彼に安らぎを与えることはなかった。
「さすがにほとんど覚えてないな……」
 崩れていなければ見覚えもあったのかもしれないが、ほとんど赤子のような頃の記憶だけが頼りのところへ来て、面影もなく崩れたその家は、初めて訪れたようにしか感じられなかった。
「入っていいかな?」
「ああ、構わんが……」
 玄関ともいえないような入り口に立っていたラヴェルだが、恐る恐る湿った家の奥へ足を踏み出した。
 腐った床を踏み抜かないよう、足元を見ながらそろりそろりとレヴィンへ近づいて行こうとする……が。

 ぼごっ……

 突然壁板の一部が倒れてきた。ラヴェルの頭を直撃して砕ける。
 腐りきっていたそれはラヴェルの頭に当たった瞬間に崩れるように砕けたために頭はそれほど痛くなかった。
 しかし。

 もあああぁ……

「うきゃああああああ!」
 板が粉々になった瞬間、その細かな空洞から虫の糞とカビの胞子が盛大に撒き散らされる。
 カビの粉で赤い帽子を妙な薄緑に染めたラヴェルを気色悪そうに一瞥すると、レヴィンはまた家の中を見回した。
「……ん?」
 何かが一瞬光ったのをレヴィンは見逃さなかった。
 その輝きはムキになって帽子を叩いているラヴェルにも確かに見えた。
「ほう……」
 レヴィンが拾い上げたのは透明な結晶の欠片であった。
 クリスタルの一部だ。
 淡い蒼色に輝くその小さな欠片に魔力を通し、レヴィンはそれを空中に置くようにして浮かべた。
 片手を自分の胸に軽く当て、レヴィンは目を閉じた。
 やがてその手を離すと、手のひらが淡く光を放っている。
 レヴィンは瞳を閉じたまま、その手のひらを上に向けた。中に浮いていた欠片がすっとその手に落ち、光と同化する。
 室内を温かみのある青い光が照らし出す。
 ひときわ明るく輝いたその光が突然その手に収束した。
 その手には……何かの青い塊が乗っていた。
 それが何かに気付くと、ラヴェルは思わず声を上げそうになった。



 大きく割れたオーブのようなもの、それは夢か幻かの世界で見た、クリスタルの欠片が一つの塊になったものであった。
 瞳を開けたレヴィンは己の手の中のものをしばらく見つめていたが、やがてもう片方の手で服のポケットをまさぐり始めた。
 やがて取り出したのは、もう一つの小さなクリスタルの欠片。
 その欠片をオーブに当ててみれば、その欠けた部位にぴったりと吸い付くようにはめ込まれた。
 それでもまだオーブは半分もない。
 ラヴェルがじっと見ていることに気付き、レヴィンは恐らくわざとだろう、手の中のものを床に落とした。
「あ! ちょっと!?」
 ラヴェルが思わず声を上げるのと同時、クリスタルのかけらは澄んだ音を立てて粉々に砕け散った。
 レヴィンは目を閉じている。
 困ってラヴェルは視線を砕けたクリスタルに戻した。
 粉々になったそれは、ガラスの粉のようにきらきらと床の上で輝いている。
 それがふいに風に舞うかのように煌めいた。
 空気の中をさらさらと音を上げながら、やがて光の粉は一筋の光となり、再びレヴィンの手のひらに集まると……もとの塊へ戻った。
「欠片のありかがわかっていれば、持ち主の意のままに再生できるのさ。意識を邪魔されなければな」
「レヴィン、それは……そのクリスタルの欠片は一体何なんだい?」
 不思議な輝きを放つ、クリスタルの欠片。
 もともとは球状だったらしいが今はその半分もない。
「霊気、あるいはエレメント……呼び方は様々だが、世界を巡り流れる意思の流れのようなものが存在する。全ての魂はその流れから分かれて形をとったものだ」
「うん、聞いたことがあるよ」
「世界は火、土、風、水などといった素から成り立っている。世界を巡り流れる流れの中で、特にこの素を司っている部分が形をなしたのが精霊だ。ゆえに彼らはこういった素を司っている。そしてその素の塊がクリスタルだ。もちろん、山などで採れる水晶のことではない。このクリスタルの正体は意思の流れの塊、魂そのものだ。セラをはじめ、多くの精霊はこの塊がその存在の本体になる」
「精霊の魂の結晶……」
 神秘的な輝きをラヴェルはじっと見つめた。
 あくせくと生き急ぐ人間には手の届かぬ輝きだ。
 吸い込まれそうに透明でそれでいてはかなげで、温かな光。
(あー、そういえばあの綺麗な女の人が言ってたっけ……)
 精神世界で見掛けたドライアド。
 彼女は確か、それは魂の結晶のようなものと、そう言った。
 ぼんやりとその美しい姿を思い出しながらラヴェルは視線をクリスタルからレヴィンへ移し……そのまま動きを止めた。
「な、なぁに??」
 レヴィンがじっとラヴェルを見ている。
 心なしか動揺しているように見えるのは気のせいだろうか。
 しばらくレヴィンはラヴェルに視線を注いでいたが、やがて声を絞りだした。
「……どこで聞いてきた?」
「へ?」
 聞いたって、一体何を……そう問おうとしてラヴェルはやめた。
 何かにつけて考えていることを読んでくるレヴィンだ、恐らくラヴェルがぼんやりと反芻していた、精神世界で見聞きしたことを読み取ったのだろう。
 今までラヴェルに黙っていたのだから、余り知られたくないことだったのだろう。
 それにしても……?
 レヴィンの様子にラヴェルはふと思いつき、少し意地悪く尋ねてみる。
「ねぇレヴィン、もしかして……ガールフレン……」
 輝いていた青い光が一瞬で赤黒く変化する。
 ラヴェルが最後まで言い終わらぬうち。
「バーストフレア!」
 耳に届いた返事は魔法の詠唱だった。



 湿った空気が臭い。
 その中にどことなく焦げた息を吐き出しながらラヴェルは身動きもせずにおとなしく座っていた。
 その彼にた〜っぷりと刺のある視線を注ぎながら、レヴィンは腕組みをして突っ立っている。
「……つまり、俺がどうこう説明しなくとも、お前はここで俺に何が起きたかくらいは大体知っている訳だな?」
「……あぅ」
 仕方ない、ラヴェルは精神世界に飛ばされた間の一部始終を話した。
「チッ……」
 舌打ちが漏れ聞こえる。
 やがてレヴィンも諦めたようにラヴェルの隣へ腰掛けた。
 湿気のある腐ったベッドは座り心地も何も全てが悪い。
「確かにあのドライアドの女が言ったとおり、これは俺の本体、魂の結晶だ。一応は俺もセラだ、これが本体である以上、半分以上も欠けている今、俺は不完全な代物だ。魔力から何から全ての面で力が落ちる」
「不完全って……」
 一体セラフはどれだけの力を持っているのだろう?
 半分以上も魂を失い、人間の身体を仮の宿としながらも禁呪を軽々と放つレヴィンである。本来の力は計り知れないだろう。
 レヴィンは割れた窓越しに外を眺めるとポツリポツリ話し始めた。
「俺がここへいたのはほんのわずかな時間だったしまだ赤子も同然だったから、正直あまり覚えていない。それ以前のセラの時のことも転生したせいでだいぶ忘れてしまった」
 湿り気のある空気がまるで瘴気のように粘りつき、息苦しい。
「アスガルドが滅んだ時、俺は別のセラにかばわれて空から突き落とされた。気がついたらここの夫婦の赤ん坊に生まれ変わっていた。だが育ったのはここではない。妙な連中が潜む神殿だ。俺はそこで、ある魔物の器となるべく育てられた」
「それがバロール?」
「そうだ。クヤンが目の敵にしていた、フォモールの魔族だ」
 部屋の片隅に、弦の切れた古い竪琴の残骸が見て取れる。ここの夫婦は楽人だったのだろうか。
「十四だったか、器が十分になったと思ったんだろう。神官どもは俺にバロールの印を刻み込んだ。それ以来ずっと俺の中にはこの俺ともう一つバロールの魂が入っている。今はまだ魔物も大人しくしているが、いつ暴れだすかは俺にもわからない」
「………………」
「将来赤ん坊が魔物に食われるといわれてここの夫婦は大パニックになった。二人は手元に子供が残るよう、まだ赤子同然だった俺を魔術師に預けて二つに割りやがった。だから俺にはもう一人、俺の分身がいる。そいつが存在する限り、俺は不完全な存在だ。たとえ他の欠片を全部集めても、そいつが最後の一つを持っているのだからな」
「……そっか」
「まぁいいさ、済んだことをどうこう言っても仕方がない」
 そう言ってかすかに笑うと、だが、次の瞬間には何とも言えない目をしてレヴィンは脇の腐った揺籠を蹴飛ばした。
「ただ、俺が気に入らなかったのは……」
 揺籠は床をずるようにして向こうへ飛ぶと、ぐずぐずと崩れ落ちた。
「あの夫婦はな、子供……いってみれば俺のことだが……それが失われると知った時、早い話が自分達で子供を死守しようなんざ思わなかった訳だ。まあ、いつか魔物になるなんて言われれば愛着も沸かないだろうがな。神殿の神官どもが取り上げにきたら迎え撃つとか、それが出来ないなら子供を連れて身を隠すとか、そう言うことは考えなかった。子供を失うことを前提に、そのために分身を作り上げ、神官どもが来たら手際よくそれを差し出そうと考えた」
「………………」
 室内の重い空気に無関心なのか、外では光が木々の葉に輝き、小鳥がさえずっている。
「子供を失うことを前提に、か。失わないように抵抗する、普通はそうするものなのではないのか。それとも人間どもはそれが普通なのか……」
「……そんなことってないよ」
 下界であれば、命の喜びあふれるミドガルドの人間ならば、取りあえずは抵抗するだろう。勇敢な人物なら、たとえ連れ去られたとしても取り返しに行くだろう。
 確かに、稀にはそうしない親もいるらしいが……。
「そんなことないよ。普通だったら何とかしようとするよ。でも……全部がそうでもないらしい話は稀には聞くこともあるんだ……。運が悪かった、で済む話ではないけれど、でも生まれてくる場所は選べないし……」
「………………」
 ラヴェルはかなり運がいいほうなのだろう。
 彼の今の両親は養親で血はつながっていないが、本来の親はかなり貧しかったらしい。
 その母親らしき人物に抱きかかえられていたラヴェルをベルナール男爵夫妻が引き取ってくれた訳だが、ベルナール男爵家といえば領地こそド田舎の村一つだが国の騎士団の中の一部隊を任されている家柄、下級貴族とはいえ庶民から見ればかなり裕福な方であると思っていい。
 居候養子とはいえ実に良く可愛がってくれたし、そこそこの教育も施してくれているし、好き勝手にもさせてくれている。それでいて家に帰ればちゃんと今でも居場所はある。
 ましてシレジアは平和な国で、ディアスポラのような辛苦を舐めて来た歴史もなければ帝国やケルティアのように戦いに明け暮れた歴史もない。
 それゆえに周囲の人々も皆穏やかで、常に温かな笑いが絶えなかった。
 ふう、とレヴィンは溜め息を付いたようだった。
 いつもの何事にも関係なさそうな顔をしているところを見ると、心の内面の整理を付けたのか。
 どこかへ移動するのか、レヴィンは腰を上げた。慌ててラヴェルも立つ。
「どこへ行くの? あ、探すのかな?」
「何をだ?」
 怪訝そうに振り返るレヴィンにラヴェルは視線をレヴィンの胸元にやった。
「だって欠片が必要なんでしょ? それに前にも弟さん探しているって言わなかったっけ?」
 レヴィンは弟といったが恐らく彼から分かたれた分身のことであろう。
「探す必要はない」
「え?」



 言い切るレヴィンにラヴェルは首をかしげた。
「でも……欠片が全部そろわないと、色々取り戻せないんでしょ?」
「確かにそれはそうだがな」
 レヴィンは再び光を生み出し、欠けたオーブを見せた。すぐにそれは空気に溶けるように消える。
 胸元では欠片の一つがペンダントになって輝いている。
「これは魂の結晶、俺の存在自体に関わってくるがそれは俺の分身も同じだ。欠片の一つはそいつが持っているはずだ。その欠片がそいつの本体になる。もし俺がそいつからその欠片を取り上げれば俺はだいぶ能力も魂も取り戻せるが、本体を失うことになるその分身は存在できなくなり、消える」
 分身……両親に当たる人物が魔導士達に頼んで作らせた、レヴィンの片割れ。
 レヴィンは完全な一人の存在になれないと知っていてもわりとさばさばしていた。もう諦めているのだろうか。
「いいの? そのままで」
「いいさ。……ツラは地上で拝んである。自分で好きな所で好きに暮らせばいいさ。会う前はそいつからさっさと取り上げて帰ろうと思っていたが……俺としたことがばかばかしい、どうも情が移っちまったらしい。奴からそれを取り上げることは……俺には出来ない」
「そっか……ふうん、でも会えたんだ? どんな人だった?」
「どんなといわれてもな……まあ、俺には似てないだろうな」
 まあ、レヴィンの片割れというくらいだから……。
 冷ややかな視線が横合いから刺さる。
「あ、いや、なんでもないです……」
 とにかく、あまり会いたくないような人物ではあろう。
(まあ、見た目はともかく、性格似てたら最悪だよねーー……うっ)
 わかっていながらもついつい考えてしまった思考はやはり丸わかりのようで、しらじらと赤い目で刺してくる。
 必死に言い訳を考えるラヴェルから視線を外すと、レヴィンは穏やかな窓の外へ目を向けた。
 その背に、何とかごまかそうとするラヴェルの言葉が半分逃げ腰気味に届く。
「でもさ、やっぱり片割れっていうくらいだから、似てた所はあるんでしょ?」
「さぁ、どうだかな」
 口調は投げやりに、それでいてどこか面白がるようにレヴィンは振り向いた。
 そのいつも紗に構えた表情を浮かべている顔に、ふっと一瞬穏やかな表情が浮かんで消えた。
「どうだかな……何て表現すればいいのかわからない。そんな感情は持ったことがなかった。セラなんざ人間の感情とは違うだろうし、第一あんな妙な神殿で育ってまともに感情を持てるはずもないだろうしな……」
「………………」
 レヴィンは今まであまりその胸の内を語らなかったが、それはもしかするとうまく感情を表す方法を知らなかったからなのだろうか。
 レヴィンが爪弾く竪琴の根もその歌も、何かを感じさせるには十分な情感がこもっているが、いざ自分自身の想いを表現するとなると、それはとてつもなく下手なのかもしれない。
「俺に似ているか似てないか、ただその一点だけで言うなら……似てないだろうな。奴は俺とは違い、何事もストレートだ。ガキみたいにな」
「………………」
「何て言えばいい……わからない。だが確かなのは、放っておけなかった。何か気になってな」
「惹かれたって言うんじゃないのかな、そういうの」
「さぁ、どうだかな」
 わずかに苦笑すると、レヴィンはぱっと表情を切り替えた。
 その顔はいつもの斜に構えた、少し意地の悪そうな表情。
「……鈍いヤツだな、お前は」
 いい加減あきれた顔をするとレヴィンはすっと姿を消した。ラヴェルが思わず目をこすったときにはすでにラヴェルの隣に腰を下ろしていた。
「こいつは何だ?」
 不意に引っ張られる感覚がした。
 妙な感覚に目をやれば、腰のベルトが歪んでいる。
 ベルトには空も同然の財布が挟まれ、水袋や小物入れ、レイピアの鞘が吊るされ、その他に……。
「えっ……?」
 レヴィンが軽く摘んで引っ張っていたのは、ラヴェルがお守り代わりにしていた 水晶のかけらのお守りだった。

「………………」
「………………」

 ………………………………。

「ち……ちょっと待ってレヴィン、それって……」
「本当に鈍いヤツだな! お前のことだ、いい加減に気付け、バカ」
「ええええええ〜〜っ!?」

 頭の中が真っ白になるというのはこういうことを言うのだろう。
 完全に思考も動きも止めて固まっているラヴェルを観察でもするように眺めると、やがてレヴィンは軽く手をかざした。



 ごすん!

 放たれた衝撃波が鈍い音を立ててラヴェルを直撃する。悲鳴すら上がらなかったのはラヴェルの顔面が腐ったベッドに埋まったからだろう。
「……どうだ、正気に戻ったか?」
「あああっ、そういうことをする!?」
 ずぼっと頭を引き抜くと、ラヴェルはカビだらけになった頭にも気付かないままレヴィンに詰め寄った。
「あのね、レヴィン、分かった、分かったから、そーゆー事しないでくれる!? ケガでもしたらどうしてくれるつもり!?」
「ん? たとえ失敗作でも一応は俺の分身だぞ、これくらいではのびないから安心しろ」
「し……失敗作!?」

 ざくっ……

 突き刺さったような音は、天井から落下してきた腐った材木がラヴェルを直撃したためだ。
 ラヴェルは額からだくだくと血を流しながら、はあぁと深くため息を吐き出した。
「なんか……今までレヴィンが面白がってついて来た理由が分かった気がする……」
 頭を抱えているラヴェルの横で、先程までしんみりしていた反動なのか、レヴィンは何やら楽しんでいるらしい。
 ああううと呻いているラヴェルをしばらく眺めていたレヴィンだが、やがて思い出したように立ち上がった。服についたカビの粉を払い落とす。
「さて……俺は出かけるが、お前はどうする? 下へ帰るなら送って行ってやる」
「出かけるって……どこへ?」
「ちょっと……ケリを付けにな」
「え? 何の?」
 レヴィンは前髪に隠れた片面へそっと手を触れた。
「これのさ……」
 そうだ、彼が天空人だという事、今初めて知った自分の事、何より、伝説の天空へ今いることに気を取られて忘れていたが……彼にはセラ以外にももう一つ、人間ならぬものが取り憑いているのだ。
「あ……ええと、バロールだっけ? 魔族だっていう……」
「ああ」
 この魔族に、いや、この魔族を崇める者達に目を付けられさえしなければ、レヴィンはこの島で普通の人間と変わらぬ生活をしていたかもしれない。
「バロールというのはミドガルドの西の海の深くに潜むフォモールという魔族の一人だそうだ。瞳に強い魔力を持ち、様々な災厄をもたらすといわれているが、昔ケルティアを襲った以外の話は聞いたことがないな」
「ケルティアね……」
 妖精の住むという西の島国。
「ケルティアを襲った魔物だからクヤン様は警戒してたのかな?」
「わからん。もしそうだったらわざわざディアスポラに長居などすまい。ケルティアに飛んで帰ってあれこれ策を練っていただろうよ。それに、他のケルティアの連中は誰も騒いでいなかった」
「そういえばそうだね……?」
 ケルティア内でバロールの話は聞いたことがなかった。町で詩人達を見かけたがその歌にはバロールの名はなく、騎士達も強大な魔物を警戒している様子はなかった。
「恐らくクヤンはケルティアの連中には魔族の話はしていなかったんだろうな。そこがどうも腑に落ちないんだが」
 すえたような湿気の臭いに顔をしかめながら、レヴィンは窓際へ立ち位置を変えた。外は相変わらず誰もいない。
「ミドガルドを巡っている時にバロールの痕跡を探したこともあるが、あの北の岬の沈んだ海底神殿以外は見つからなかったな。しかし天空にはその神殿が残っている。バロールが暴れた時代というのは、もしかするとこの島が吹き飛んでくる以前の古代のミドガルドだったのかもしれんな」
「痕跡はこっちへ飛ばされて、下では忘れられた……?」
「推測にしか過ぎんがな」
 ラヴェルもようやく立ち上がるとレヴィンと並んで窓の外を眺めた。何故かレヴィンはラヴェルを見て顔をしかめたようだったが、ラヴェル自身にはそれがなぜだかわからなかった。
「バロールに関して下の世界でわかったのは言葉の断片の羅列くらいなものだった。他には、ケルティアの連中はフォモールという一族は北の海から来たと言い伝えているくらいか。水底の悪魔といわれているが、海はおろか風や大地の力も自在に操ったという」
「でもなんでそれがレヴィンに?」
「バロールは遥か昔にケルティアの英雄達に倒されたというが、魂まで滅びることはなかったらしい。その魂を匿い、崇めてきた連中に俺は見つかっちまったんだろうな。セラフなんていい餌だろうからな」
「いや、レヴィンには天空人よりも絶対に魔族のほうが似合ってると思うけど……」
「……何か言ったか?」
「あ、な〜んにも! 言ってないよ!」
 だらだらと冷や汗をかき始めたラヴェルをレヴィンは一発小突き、何故かまた顔をしかめた。

 もふっ……

 ラヴェルの頭から何か粉が降って来る。
 それを眉をひそめたまま眺めると、レヴィンは何やらつぶやいた。
「ヴァッサァ」
 ばしゃっという音を立て、ラヴェルの頭に水がかけられた。
「何をするんだよ〜〜」
 ぽたぽたと濁った水を頭から流しながらラヴェルはレヴィンを拗ねたような目で睨んだ。
「ふむ……窓を見てみろ」
「??」
 言われるがままにラヴェルは窓を見た。
 外は緑に包まれている。
 しかしその割れた窓ガラスには何やら奇妙なものが映っている。
「うきゃあ!?」
 程よい水分を得て急に成長したらしい。
 ラヴェルの頭にはにょきにょきとキノコがたくさん生えていた。



 湿り、すえたような匂いのする家を出ると、外は爽快な蒼天だった。
 太陽の輝きが零れ落ちる森の中を二人は歩いて行く。
「さて」
 やがて二人は巨大な扉の前にたどり着いた。
「……この扉って……」
 ラヴェルは思わず眉をひそめた。
 森の中に扉だけが立っている。飛び込めばきっと落下して誰かの下敷きにされるに違いない。
「これをくぐるの?」
「まぁ待て」
 森の中は静かだった。さらさらと葉擦れの音だけが鳴る。
「さっきも聞いたがお前はどうする? 地上へ帰るか?」
「レヴィンはどこへ行くの?」
「水の魔の神殿。……俺が育った場所だ」
 言いながらレヴィンは手にはめていた布のグローブをはめなおした。
 その様子にラヴェルはピンときた。
「……何か殴り込むような気配がするんですけど」
「ご名答」
「………………」
 ケンカは買う主義だったんじゃなかろーかなどとラヴェルは思ったが、よくよく考えれば、売られたケンカは百倍返しするレヴィンだ、本当は高く売り付ける主義だろう。
「……あそこではいろいろあった。いつか潰してやろうと思っていたが、ガキの頃の俺には無理だった。何より、あそこには未だに神官どもがたむろしているし、逃げた獲物を探してもいる。今潰しておかなければ後々面倒になりそうだし、今の俺ならば連中くらい潰せるはずだ」
「……物騒な」
 ラヴェルはため息を一つ吐くとその扉をじっと見つめた。
「僕は喧嘩は苦手だけど、ついて行こうかな。何か気になるし、無関係ってわけでもないでしょ」
「相変わらずのお人よしめ」
 レヴィンは苦笑したようだったがすぐにその表情を改めた。
「……ちょっと事が荒れるが、お前がいいならいい。来い」
つづく

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