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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第十六話:エピローグ(後編)

 レヴィンが目を閉じて横たわっている。
 恐る恐るその手に触れてみれば、失血しているのか氷のように冷たい。
「レヴィン、レヴィン」
 呼びかけても返事はなく、胸元のペンダントも粉々に砕け輝きを失っていた。
 セラフの魂の結晶はたとえ砕けても主の意のままに再生できるらしいが、蠢く魔が意識を邪魔しているのか、その結晶は砕けたまま光りもしない。
「そ、そうだ」
 ラヴェルはずっと腰に下げていた水晶のお守りを思い出すと、それをレヴィンの胸の上に掲げた。
 肌身離さず持っていたその水晶のかけらは、ラヴェルが男爵家に預けられたときに一緒に託されたものだ。
 ずっとただの透明な石の欠片だと思っていたが、それはあろうことかレヴィンのクリスタルの欠片と同じ、精霊の魂の結晶だった。
 その欠片がふっと光った。
 一瞬ラヴェルの意識が遠のいた。
 誰かがその手を強く掴む。
 はっと気付いて目を開ければ、レヴィンがラヴェルの手を押し返していた。
 倒れたまま、ゆっくりと首を左右に振る。
「……それはお前のものだ」
「でも……」
 辺りには焼け焦げたような臭いが立ち込め、男達が怒鳴りあう声も剣戟の音も絶えることがない。
 激しく光が明滅し、絶大な魔力が炸裂している。
 戦っている者にわずかに目を向け、レヴィンは視線をラヴェルに戻した。
「大丈夫だ。死にはしないさ」
「………………」
 沈痛にうつむくラヴェルに、レヴィンは意味深く言葉を続けた。
「……俺の中のバロールもかなり傷を負ったようだ。大人しくしている。今なら……」
「今なら……何?」
 レヴィンは微かに笑ったようだった。
 いつもの、少し意地の悪い笑み。
「今ならあの高慢ちきな三姉妹(ノルン)にも抗えようよ」
「え……?」
 運命のあやを織る乙女達。
 レヴィンは赤い瞳を遠くの砕けた水晶柱に向けた。
「あれをとって来てくれないか?」
「!!」
 ラヴェルはそれの存在にやっと気付いた。
 何かが鈍く光っている。
 レヴィンの影が入っていた水晶柱の残骸に紛れ、影を造るのに使われていたものが薄く輝いているではないか。
 レヴィンのクリスタルの残りの欠片だ。
 その数六個。
「そうか、あれがあれば……!」
 暗黒神官達が手にして使っていたためにどす黒い魔力に蝕まれ、レヴィン本人の意思に乗せて流し集めることは不可能だった。
 取りに行こうにも今のレヴィンは身体がほとんど動かない。
「だぁりゃっ!」
 ホリンの雄たけびと共に、槍から黒い矢じりがクヤンに向けて降り注ぐ。
 それをクヤンは魔法で弾き返し、同時に燃え立つ剣を素早く薙ぐ。
 飛び散る炎はフィンが青い剣で叩き落し、薙いできた剣も辛うじて弾く。
 ぶつぶつと呟かれているのはクレイルの黒魔法のようだが、神の加護を持つクヤンにはほとんど効果が現れないでいる。
 炎と光、魔力の明滅、それを受けてきらめく刃、飛び散る火花。
 水晶の柱はその乱戦の向こう側にある。あの激戦をかいくぐって往復しなければならない。
 一体どうやって……。
「オレにまかせな!」
「え?」
 気付けばいつの間にか、ラヴェルの横にアルトが腰を落としていた。
「アルト!? いたの!?」
「おう、向こうのおっさんたちと一緒に来たんだ」
「私もいるわよ」
「ルキータ!」
 久しぶりに見る顔に、ラヴェルは名前を呼んだきり声が続かなかった。
「あの光ってるやつを拾ってくればいいんだな?」
 アルトは立ち上がるとラヴェルの肩を強く叩いた。
「オレにまかせな。足なら自信あるぜ!」
 音もなくアルトは駆け出した。
 回りこむように大きく湾曲して乱戦現場に近づくと、クヤンの隙を見てホリンの後ろから飛び出す。
「ラヴェル、受け取れーー!!」
 矢のような音を立て、欠片が次々と空間を飛び抜けてきた。
 アルトが投げた破片をキャッチすると、ラヴェルは急いでレヴィンに渡した。
 しかしレヴィンはわずかに顔をしかめたようだった。
「邪気に触れちまってるな……何か汚れていない水晶があれば邪気だけ移すんだが……」
 クリスタルは鈍く輝いている。
 透明で限りなく澄んだ輝きではない。
 長年暗黒神殿の邪気に触れ、汚れきっているのだ。
「他の水晶……」
 ラヴェルは辺りを見回した。
 欠片に宿る闇を、汚れのない水晶を身代わりとして移したい。
「あまねく天を満たす日の光よ……」
 向こうではクレイルが何か呪文を唱え始めた。
 その近くに水晶柱の残骸があるが、あれも邪気に触れているだろう。
「これ使って!」
 何かごそごそしていたルキータが突然小さな水晶の玉を差し出した。
 彼女の服についていた装飾だ。胸元に左右四つずつ、あわせて八個。数も十分だ。
 それを受け取ると、レヴィンはクリスタルの欠片と触れ合わせた。澱むような魔力の輝きが水晶玉に乗り移る。
 それと同時。
 クリスタルの欠片に澄んだ輝きが宿った。
「よし……」
 レヴィンは輝きの戻った欠片を手に取ると、己の胸元で砕いた。
「!!」



 光がレヴィンを包む。
 あまりの眩しさにラヴェルは目を閉じた。
 天空の風のような、涼しい風が沸き起こる。澄んだ水の香りも。
「………………」
 目を開ければレヴィンは立っていた。
 ラヴェルの両脇でアルトもルキータもその動きを止めている。
「え……?」
 光と羽毛が撒き散らされる。
 レヴィンの背に現れていたのは……六枚の翼だった。一対だけは蝕む魔のせいか黒く染まっている。
「セラフ……?」
 純白と漆黒の翼が広がる。
 魔力というよりも精神的な力が彼から風のように吹き出した。その風にマントは流れ飛んで行き、細い髪は乱れ、淡碧の光を放ちながら揺れている。
「レヴィン!」
 何も言えず、ラヴェルはただその名前を叫んだ。
 歌うように何かの言葉が唱えられ始めた。

 炎の揺らめき、風のざわめき、大地の温もり、水の囁き
 四方(よも)より来れ、世界の四方より
 天より地より、六方(くに)からここへ
 世界を統べる意思、精霊達よ……

「くっ……」
 何だあれは。
 クヤンは炎の宿る目で人間ならざるものを見た。
 つられるようにホリンとフィンも振り返り……ゲイボルグはぼとっと音を立てて床に転がった。
 そんな三人には構わず、その背後から焼き尽くすような光が放たれた。クレイルが両手を天にかざす。
「ゾンネンリッヒト!」
「バカな!」
 まばゆく激しい光が白い炎となってクヤンに襲い掛かった。
 飛び交っていた炎の天使の意識や英雄が手にしていた剣の炎すら飲み込み、燃え盛る太陽の炎は容赦なくクヤンに襲い掛かった。
「……本当に光は効かないと思ってた? エインヘリヤルは確かに神の英雄かもしれないけどね……死者でもある。光が効かないわけがないよ」

 明けと宵とを彷徨いし、流れゆく全ての魂魄(たましい)よ
 我が内に秘められしもの、目覚むれば淡く揺らめく炎となりて
 共に永久(とわ)の時を巡らん……

 どこからか何かを呟く静かな声が絶えることなく響いてくる。
「神は光のはず……それに選ばれる者も……なぜ……」
「そう……大神も、君の女神も光だ。同時に……死者の王でもある。光を持つけれども同時に闇も持っているのさ」
 明けと宵、昼と夜、光と闇。相反するこの繰り返しは流れ行く時そのもの、無限に続いていく時の象徴である。
 この世界を永遠にめぐり続ける意思の流れは全ての魂の故郷であり、この流れの欠片、つまり魂、心、そういったものは誰でもその胸に秘めているのだ。

 全ての魂の源よ、世界を統べる精霊達よ……来たれ今ここに
 永遠を巡りて共に空へと帰らん……

 何かの言葉が魂を揺さぶってくる。
 激しくふらつき、何とか踏みとどまったクヤンは、怒りと憎悪に瞳をたぎらせた。
 力を際限なく呼び覚まし、炎の消えた剣を振りかぶった。
「危ねェ!」
 落としていた槍を拾おうにも間に合わない。
 飛び出したフィンが弾き飛ばされたのをがしっと受け止め、ホリンは身を伏せた。
 クヤンの宣告が響いた。
「成敗!」
「いっ!?」
 刃がクレイルの頭上に輝く。
 そこへ……その声が全ての終わりを告げた。
「アストラルフレア!!」

 カッ……!

 全ての景色を星の光が飲み込んだ。



 どれくらいの時間が経っただろうか。
 まばゆい光が消えた先に見えたのは、元の夜空のような空間ではなかった。
 恐らく空間にかかっていた魔力も消え飛んだのだろう。
 本当の姿を現したそこは、激しく崩壊した、何かの神殿のようだった。
「終わった……」
 ラヴェルはぺたんと床に座り込んだ。自分では立っているつもりだが、気が抜けたらしく、力が入らない。
 もう、目の前には何の姿も気配もなかった。クヤンも炎の化身も消滅したのか。
 ラヴェルの横では、まるで何もなかったようにレヴィンが立っていた。
 魔眼は隠し、背にはもう翼らしきものは見えない。
 何もない空間。
 床の魔法陣は消え、燭台も水晶の柱もことごとく破壊され、粉となって床にちらばっているだけだ。
「まぁ……根本的な解決にはなってないけどな」
 死者の英雄は消えたのか、もう何の気配もない。
 それに追われることはなくなったかもしれないが……魔はまだレヴィンの中にいる。
 しかし内に潜む魔物も深い傷を受けたのか、今はそれも静まり返っているようだ。
「これからどうするの?」
「さぁな……俺にはこの魔物はどうしようもない。俺自身の中にいる以上、意識の奥で抗うことしか出来ないからな」
「………………」
 黙りこんで見上げるラヴェルにレヴィンは首を振って見せた。
「そんな顔をするな。大丈夫だ。いつかは食われちまうときも来るかも知れんが、今はまだその時ではない。目を吊り上げて追いかけてくる奴がいなくなっただけでも良しとしようじゃないか」
 望まずながら身に魔を宿す彼を追い詰めた相手はもういなかった。
 いつかはその魔が暴れだすときも来る。
 ましてその器は古代の精霊、身体こそ今は人間のものだがとてつもない魔力を持っている。
 それが暴れだせば何者も手に負えまい。クヤンの行動にも道理はある。
「でも……何だかすごく理不尽だよね……」
 自ら進んで闇に身を落としていった暗黒神官のような者とは、レヴィンは違う。
 しかしその身に宿している存在は、太陽の光の下で生命を営む生き物とは、根本的に相容れることが出来ない存在である。
 それゆえに……たとえレヴィンのその意思が闇に向いていなくとも、ただその存在だけで彼は神の光から追われた。
 これからも、もしその素性が知れれば無事では済むまい。
「ま、気にしたって仕方ないさ」
 相変わらず胸の内の本心はわからない。
 本人が語らないところへ来て、ラヴェルの目ではレヴィンの頑丈な面の皮の向こうを読み取ることは難しい。
「……で、終わったのか? お前ら」
 探るような声に振り返れば、槍を担ぎ上げたホリンが立っていた。
 鞘に剣を収めたフィンもそばに控えている。
 アルトにルキータにクレイルに、見回せば旅を共にした仲間達が姿を揃えていた。
「王子どうして……」
 嬉しいながらも半分戸惑いながらラヴェルは古い友人の顔を見た。
 どうも彼が総動員をかけたらしい。
 自覚はなくとも……腐っても光の継承者、何かが触れたのか。
「うーん、色々引っかかってねぇ。ひょっとしたら二人とも、真実確かめに上へいくんじゃないかと思ってね。まぁレヴィンはともかくラヴェルなんて、もし天空に住むような怪物にでも出遭ったら一発で吹っ飛んじゃうだろうと思ってさ、助太刀すべく、みんなにも声かけてついてきてもらったわけ」
「怪物……」
 思わず漏らしたラヴェルと、ついレヴィンの顔を見上げたアルトの両方をレヴィンは無造作に引き寄せた。
 二人の頭同士を力任せにぶつけ合わせる。
 目と頭の両方から星を散らす二人を床に捨てると、レヴィンはマントを羽織りなおした。
 背に見えた翼は幻だったのだろうか。
 床からむっくり起き上がると、ラヴェルはごしごしとまぶたをこすった。
 そこにいるのはいつものままの青い影だ。
「でも結構苦労したよ〜〜? だって天空なんて誰も昇ったことがないんだからねぇ。とりあえず中央高地の山脈を登ってね、一番高い山を探して、そこでこの先どうしようか考えてたら、船が下りてきてさ、びっくりしたよ、そりゃあ、もう」
 クレイルのいつもながらのまるきり緊張感のないのんびりした声を聞いてラヴェルはだいぶ楽になった。緊張感がほぐれ、安心感が沸いてくる。
「で、ラヴェルさんや、帰んないのかよ?」
 ラヴェルと同じ大きさのこぶを作ったアルトが問いかけてくる。
「こんなところに長居は無用だろ?」
「そうだね」
 振り返れば皆がうなずいている。
「私、おなかすいた!」
「じゃぁ帰ったら久しぶりに何か特製料理でも……」
「作らなくていいです!」
「わが国は誰が次の国王になるんでしょうか?」
「さぁな。説教の長いヤツだけは勘弁だぜ」
 仲間達を見回すと、ラヴェルもうなずいた。
「じゃ、帰ろうか」
「お前達の故郷へ、な」
 レヴィンの声を背に、大きな扉へ手を掛ける。
 その扉を開けた途端、どこか懐かしい、まばゆいまでの暖かな日の光に照らしだされた。



 暖かく、そしてまぶしい。
 思わず閉じた目を開いてみれば……見慣れた風景が広がっていた。
 広々とした牧草地、羊の群れ。柵に囲まれた目の前の小さな村には素朴な服装の人々が忙しく動き回り、その奥にはレンガ造りの立派な屋敷。
「あ、あれ?」
 紛れもない、シュレジエンの郷。ラヴェルの育った田舎の村。
 多くの生命のあふれる地上、中津国ミドガルド。
「え……みんなは?」
 気付けば仲間達が誰もいない。
 ラヴェルは激しく動揺した。
 もしかしてオシアンの物語のように、人間ならざるものの世界へ行っているうちに永い時が経ってしまったのだろうか。
「え、ええと……」
 変わらぬ故郷の村を見ているのに何故か落ち着かない。
 動揺の収まらないラヴェルの頭上から、誰かの声が降って来た。
「帰ると言ったろう? あの扉をくぐった時、それぞれが自分の帰るべき場所へと帰ったのさ。帰ろうと思った時に真っ先に思い浮かべた場所……自分の家や村にな。ここがお前にとっての故郷なんだろう?」
「………………」
 ラヴェルの視線は慣れ親しんだ村に釘付けになっていた。
 素朴な村人達、羊の鳴き声、揺れる緑、田舎の匂い。
 育ち、暮らしてきたこの場所。
 しかしラヴェルには寸前まで本人も知らなかったもう一つの故郷があったはずだ。
 ここではない、生まれた場所。
「お前次第さ。無意識のうちにお前はここを故郷と心に決めている。その結果さ」
 声はラヴェルのすぐ後ろへ降りてくる。
 振り返ってみれば、空から何か光が降って来たところだった。
 その光はやがて姿を変え……見覚えのある青い影になった。
「レヴィン!? どうしてここに……」
「どうだっていいじゃないか」
 彼の故郷は天空界のはずだが……。
 首をかしげていると、家並みの向こうから誰かが声をかけてきた。
「あれ、兄さん、お帰り。長かったね、どこへ行ってたんだ?」
 ラウディだ。今日は非番らしく、城から帰ってきていたようだ。ベルナール家の息子、ラヴェルの養弟になる。
 その姿を認めると、レヴィンは苦笑して肩をすくめた。
「おっと、では邪魔者は退散するかな」
「あ、いや、別にいいんだけど……」
 ラヴェルは慌ててレヴィンを引き止める。向こうから聞こえた妹の声にラウディは家へ駆けて行った。

 ………………。

「………………」
 はっとしてラヴェルは脇の青い男を見た。
 毒を吐くイヤミな同業者。
(……これは一応……兄??)
 視線の先ではレヴィンが知らん顔をしている。
 天空で見知った過去のこと。
 知らん顔をしているが……そのままレヴィンは問い返してきた。
「……嫌そうだな?」
「あぐっ……」
 井戸の縁に腰掛け、一体いつの間に取り替えたのか、レヴィンは竪琴ではなくリュートを手にしていた。
 弦の張り具合を調節している。
 のそのそと、ラヴェルもその横に腰掛ける。
「レヴィンは上にいなくていいの? 天空が故郷なんでしょ?」
「あんな廃墟がか? 冗談だろ」
 調弦を終えると、レヴィンは感触を確かめるように軽く弦をはじいてみた。
「第一な、吟遊詩人というのは放浪するのが身上だろ。いうならば旅が故郷みたいなもんだ。お前もまだまだだな、ランク外詩人」

 ざくううっ!

「ら、ランク外!?」
 へぼ詩人。
 初めてレヴィンに会った時。
 あれ以来……三流、四流、五流、格は下がるばかり。
 いや、下がるどころかすでにランク外、格すら無し。
「うう、いいもん……」
 だばーと涙を流すラヴェルなど昔から見慣れているのか、村人は気にも留めずに前を通り過ぎて行く。
「そりゃ確かにに詩人としてはまだまだだけど、歌や演奏以外にだって取り柄あるし……レイピアだって使えるし、魔法もちょっと使えるし……」
「ほおお、器用貧乏の生きた見本だな」

 ぐさっ。

「な、何だよ、レヴィンだって色々と……」
「レベルが違う」
 古の魔法、禁呪。黒魔法、精霊魔法、暗黒魔法、ついでに格闘、そして歌と演奏と……。
「………………」
 きっぱりなされた断言に、反論の余地すらない。
 今更何を言っているのかとでもいうように、レヴィンは口をパクパクさせているラヴェルに構わず何か爪弾き始めた。
「……だから似てないといっただろう」
「……いいもん別に。レヴィンになんか似たくないもんねーー」
「当たり前だ、こっちこそお断りだ。何でお前みたいな出来損ないと似なきゃならんのだ」
「ぶっ!?」
 飲みかけていた井戸の水をラヴェルは盛大に吹き出した。
 子供みたいにそっぽを向く。
「ぷんっ!」
「ふん……」
 そろそろ春の近い空を小鳥が飛んで行く。
 井戸の前には背中合わせにそっぽを向いている詩人が二人。
(ああ、また御館様のところの坊ちゃんが何かやってるべ……)
(んだ)
 鍬を持った村人達はさして気にも留めずに通り過ぎて行く。

 ………………。

「……僕だって頑張ってるんだからぁぁぁ〜〜っ!」
「分かった分かった、分かったからひっつくな!」



 柔らかくなり始めた大地に鍬が入れられる。
 芽吹きを待つ牧草地の上にはいつもどおり、青い空を綿のような白い雲がゆっくりと風に身を任せて流れて行く。
 春も近い優しい太陽の光を浴びながらぼんやりと風に吹かれる。
 平和以外を知らぬ村に、爪弾かれるリュートの音が穏やかに響いている。
「そういえばレヴィンはこれからどうするんだい?」
「俺か……俺はまたそこらを適当に流れてみるさ」
「ミドガルド……」
 神々の箱庭、母なる大地、数多の生命の輝きの営まれる、緑なす地上界。
 多くの国がひしめき合い、人々が盛んに行きかう、活気にあふれた世界。
 帝国、東方領土、中央高地、ディアスポラ、ミストラントにフレイムラント、シヴァ、ケルティア……そしてシレジア。
 まだ見ぬ土地も多くある。出会ったことのない人々、事物、多くの伝説。
「……うん、わかった。僕もついて行く」
「ん?」
「ついて行けば色々な場所へ行けるでしょ。まだ行ったことのない所がたくさんあるんだ。そこへ、行ってみたい」
 レヴィンは手を止めた。
「……長くなるぞ」
「わかってる」
「そうか……」
 レヴィンは空を見上げた。相変わらず赤く染まったままの瞳だったが、以前とは比べ物にならないほど、澄んだ光をたたえている。
 が、やはりすぐにまた意地の悪そうな光を湛えて振り向いた。
「ほほう、ではまた俺と一緒ということになるわけだが構わないんだな?」
「……うん、いいよ」
 若干の間を置いてラヴェルは答えた。
 恐らく一生この腐れ縁は切れまい。
 覚悟を決め……いや、諦めてうなずいたラヴェルを、レヴィンはどこか面白がるような光を目に湛えつつも……半眼でみやった。
「……本ッ当にいいんだな?」
「……あうぅ」
 いまさら嫌ですともいえないだろう。
 少なくとも道中、イヤミと悪口雑言、冷笑の数々は覚悟しなければならない。
 なにやらぶつぶつ腐り始めたラヴェルを見やると、レヴィンはリュートを担いで立ち上がった。
「お前が良いならいいさ。さ、出かけるなら早い方がいい。お前がいいなら発つぞ」
「どこへ?」
「さぁな。風に聞いてくれ」
「あはは、レヴィンらしいや」


 まず宇宙ありき
 宇宙の乙女は祈り、祈りより星は生まれん
 海を父に大地を母に、やがて星の子供達(セラフ)も生まれん
 時は流れ、世界は九界に分かたれん
 天と地と、宇宙の樹が貫き繋ぎ
 やがて大地には生命の枝葉が広がらん

 宇宙樹(イグドラシル)の下で人は語らい
 宇宙樹の下で人は歌う

 星より伝えられし古の言葉
 流るるリュートの調べに乗り
 歌う詩人は星をさまよう

 時は流れても
 星の子供達は見えない姿になりて翼はためかせ
 新しき生命を空の高みより見守らん

 大いなる祝福を受け
 さすらう詩人はここにもあり
 旅立つは中津国(ミドガルド)、命あふれる地
 行き着くは新たなる別の旅、旅という名の古き家……


 村から街道への出口を赤いシルエットと青いシルエットが遠ざかって行く。
 段々と小さくなっていくその影がほとんど見えなくなっても、歌う声がどこからか風に乗って村を漂う。
 春も程近い、シュレジエンの郷。
 声の主は二人風に身を任せ、あてのない旅へ、旅という名の故郷へ帰る旅へと旅立って行った。
 ――歌と共に。
‐完‐

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