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がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜

第二話:ケルティア動乱(後編)

 遥か古代、海の泡より生まれたという美しい妖精族ニンフが住むという白い海岸が草原の彼方へ遠く離れていく。
 ディアスポラの野は相変わらず一面の緑に包まれ、ところどころに太古の名残か、白い大理石の残骸が姿を覗かせている。
 太い列柱が並ぶ聖堂教会は、まばゆい太陽の光を浴びて一層白く輝いている。
「ここがクヤン様のいらっしゃる聖堂だよ」
「はぁ……また随分と巨大な神殿ですね……」
 呆気にとられたようにフィンは口を開けて巨大な建築物を見上げた。
 ケルティアにも多くの教えや信仰対象があるが、それらのほとんどは丘や森といった中で行われ、もちろん祠の類がないわけではないがこのような巨大な神殿はない。
 一大聖地であるここは絶えることなく信者が訪れ、聖堂の外には町の雑踏ほどではないにしろ、多くの人間でごった返している。
 測量しているらしい人と分銅付きの縄を避けながら、ラヴェルたちは大階段を昇った。
 衛兵に会釈して聖堂に入れば、外の雑踏とは打って変わって静かで、ここが信仰の場であることがひしひしと伝わってくる。
 暗い堂内の奥にぼんやりと浮かび上がる多くの蝋燭の灯り。
 丁度儀式の最中であったようで、多くの信者が頭を垂れ、祈りをささげている。
 紡がれる聖句に多くの声が一つになって唱和し、その余韻が静かな堂内にゆっくりと漂い消える。
 式が終わるのを静かに待ち、信者の多くが聖堂を出るのと同時、待ちきれなかったようにフィンは祭壇のほうへ駆けていった。
「クヤン様!」
 多くの聖職者や信者の波の向こうに、式を終えた最高司祭の姿が揺れている。
 駆け寄ってきた青い騎士の姿を認めると、クヤンは冷静にフィンの顔を見つめて言葉をかけた。
「フィンですか……何かあったのですね?」
「いえ、まだ……でも一触即発にはなっていると思います」
「では人同士の争いですね?」
「はい」
 聖職者であるクヤンは念を押した。
 彼の恐れている魔物ではないらしいことを確認すると、クヤンは信者達が先程まで座っていた長椅子にフィンと共に腰掛けた。
 クヤンとフィンが話し込んでいる間、ラヴェルは二人の話の邪魔にならないよう、離れて神殿内の見物をすることにした。
 光が差し込めば純白に輝くであろう堂内だが、差し込む光はほんのわずかでとても暗い。
 頭の上からのしかかるようなその暗さの中に、誰かの呟く祈りの言葉や、式の名残の香煙が薄く漂っている。
 ステンドグラス越しに差し込むわずかな光が奥の祭壇を照らし、その祭壇の中央には多くの蝋燭と花に囲まれた聖女神の像が美しい姿でたたずんでいる。
 流れるような裾のゆるやかな衣を纏い、手を合わせている女神。その足元には小さなエンジェル達がじゃれ付くように遊んでいる。
「美人だなぁ……」
「そうだね」
 アルトが像に見とれている間に話は済んだらしい。
 クヤンとフィンが立ち上がった。そばにいた神官戦士の動きが慌ただしくなる。どうやらクヤンはすぐにでもケルティアへ発つつもりのようだ。
「ラヴェル」
 アルトと共に像を見上げていたラヴェルは慌てて振り向いた。
 クヤンがすぐ後ろに立っている。
「私はこれからケルティアへ帰りますが……あなた方はどうなさいますか?」
「そうですね……?」
 戦乱になるか、回避されるか。
 どちらにしても……。
「ぜひ、お供させてください」
 危険ではあるが、戦いになれば詩の材料になりそうな光景を目にすることができるかもしれない。ケルティアは世界でも有数の騎士の国だ。もしかしたら新しい英雄の誕生に立ち会えるかもしれない。
 戦乱は回避されたとしても、やはり詩人にとってケルティアは一度は訪れてみたい場所である。
 あまたの妖精伝説。美しい草原、森、あるいは……全く違う表情を見せる荒野。
「そうですか、それは私たちにとってもありがたいことです」
 クヤンは神官から荷物を受け取るとマントを羽織った。
「では参りましょうか」
「はい!」
 クヤン自身、世界に名だたる聖騎士だ。
 その活躍ぶりをすぐそばで見られるのは何という幸運だろう。
 ラヴェルは歩きながら詩の構想を練り始めた。ケルティアに着くまでに、何か一つくらいは詩ができそうだ。



 クローバーの揺れる草原を独特のハープの音色が風に流れていく。
 アルスターの都は音楽とエールの香りが陽気に漂っていたが、王城内はあわただしく騎士が走り回っていた。
 数年ぶりに帰ってきた王が難しそうに地図を眺めている。
 最北部のアルスターはすぐ南のレンスターとは崖で隔てられ、高地地方とも呼ばれている。
 その南のレンスターこそフィアナ騎士団の郷であり、フィンの故郷でもある。
「まだ交戦してないのですね?」
「はい。でも時間の問題だと思います」
 レンスターの東南は豊かなマンスター地方と接し、マンスターとは良好な関係を築いている。
 しかしレンスターの南西はミーズ地方と接し、こちらは更にその南に位置するコノートの戦士集団、赤枝の影響下に入っている。
「フィアナの多くの騎士は現在館に集まって様子を伺っています。一部隊だけボイン河周辺に配置して警戒しています」
「赤枝はどうしていますか?」
「ミーズ地方まで出てきていました。シャノン河の辺りまで姿を確認しています。ですが、最近モンスターがコノートを荒らしておりましたので一度彼らの居城に戻っています」
 もともとコノートの土地は貧しい。
 加えてモンスターも多く、彼らの暮らしはなかなかに劣悪な環境にある。
 それゆえ、どうしても彼らは豊かな土地を手に入れたいのだ。
「ふむ、では彼らは今、コノートの居城に戻っているのですね?」
「はい」
 クヤンはカップに残っていた紅茶を飲み干すと、従者に命じて旅の仕度を用意させた。
「戦の準備を整える時間を与える前に彼らと会わなければなりません。すぐにでも彼らの砦へ向かいましょう。戦いが起こる前に私が説得します」
「はい。お願いします」
 ほっとしたようにフィンが頭を下げた。
 連れてこられた馬に騎士が颯爽とまたがる。
 その後ろでラヴェルとアルトは、ようやくの思いで馬によじ登った。
 慣れない手綱を捌き、美しい湖水の輝く高原を南へと疾走する。
 時折襲い掛かるゴブリンを振り切り、崖を降りればそこは広い平原が横たわるレンスターの土地だ。
 古来より多くの軍馬が駆けぬけた野を四騎が駆ける。
 大地に眠る多くの英雄を思いながら、ラヴェルは数日かけて妖精の土地を南へと下っていった。



 ケルティアの国土は島国ゆえに小さいが、さまざまな地形を複雑に抱え、地方によって顔を変えるのが特色である。
 ラヴェルたちは瑞々しい緑の中を馬に乗って歩いていた。
 陽光を透かす木の葉には露が輝き、足元は柔らかな草葉に覆われている。
 森の中はすがすがしくそれでいて暖かく、寒々しいシレジアの森とは比べ物にならない快適さである。
「この辺りはマンスターと申しまして、我がケルティアではもっとも豊かな土地になります」
 木洩れ日を浴び、クヤンの頭はより一層まばゆいばかりの黄金色に輝いている。
「ケルティアは古来より多くの氏族が林立し争ってきました。最近では大体五つの地方にまとまり、勢力も拮抗してきたために争いは少なくなっておりますが……」
 目に入った光にクヤンは青い目をまぶしそうに細めた。
「このマンスターは豊かな土地柄、多くの氏族がこの土地を手に入れようと侵略し、争いました。今こそ平和に見えますがこの土地は複雑な歴史を秘めているのです」
 いくらか高台になっているこの森の小道から振り返れば、遥か彼方木々の向こうになだらかな緑の丘と花に囲まれていた美しい町が遠ざかっていく。
 ケルティアの丁度中央の東に位置するマンスターは気候も温暖で平野やゆるやかな丘、川といった豊かな大地に恵まれている上、大陸方面への港も抱えるケルティアでもっとも豊かな地方である。
 ポクポクと音を立てて四頭の馬は木洩れ日の中を進んでいく。
 柔らかな木々の芽や草葉、輝く露、どれをとっても妖精の好みそうな景色で、この国が妖精たちの楽園といわれるのもうなずける。
「……おや」
 不意に最後尾についていたフィンが声を上げた。
「クヤン様、どうやら囲まれてしまったようです」
「おやおや……」
 白馬がいななく。
 馬の歩を止めると、クヤンはラヴェルにも止まるように制した。
「クヤン様? 何が起きたんですか?」
「お静かに」
 口元に白い指を当てて見せると、クヤンはゆっくりと辺りを見回した。
 ラヴェルの目には何も見えないが、何かがいるのだろう。
 ごくかすかにだが何かの気配を感じる。
「どうやらお出ましのようですね……昼間からご苦労なことです。さぁ、姿を見せていただきましょうか」
 そう呟くとクヤンは空中に優雅に印をきった。
 何かの呪符のような光の線が現れて消える。
 それが消えると同時、辺りを見たこともない生き物達が覆い尽くしていた。
「クヤン様、これは……?」
「プーカという妖精鬼です。平原やこのような浅い森に住み着いております……ゴブリンの中では比較的強いですからね、お気をつけください」
 現れたのは小柄で華奢な小鬼だった。
 だが小鬼にしては高い魔力を感じる。
「フィン、お二人の護衛を」
「はい」
 騎士であるクヤンやフィンは馬上で剣を抜いた。
 片手で巧みに手綱を操ると、木立の中を難なく駆け巡る。
「……オレ達はどうするんだ? ラヴェル」
 両手でしっかりと手綱を握り締めたままアルトは問うた。
 身軽な盗賊の彼だが、馬に乗っていてはその特技も生かせない。
 しかし、馬から降りればプーカが怖い。
「アルトは馬って慣れてないんだっけ?」
「ラクダなら自信あるけどな」

 ………………。

 ラヴェルとて馬の上でレイピアを振り回せるほどではない。
 仕方ない、ラヴェルはアルトに馬から降りないよう促すと、自分は馬から降りた。
 ラヴェルとアルトを守るため、二人の周りをクヤンをフィンが周回するようにしてモンスターをけん制している。
 人間には発音不可能な奇声を発して小鬼達が飛び掛ってきた。
 クヤンの手にする剣が白く発光する。
 ケルティアの王者の証、聖剣エクスカリバーだ。
 それが一閃するや否や、焼け焦げるような音を立て、小鬼がほふられていく。
 深い緑の森の中に差し込む木洩れ日。
 その中を白馬で疾走するのは、輝く黄金の髪を頭上に戴き、白いマントをはためかす、この国の王だ。
 その剣持つ者の動作は今まさに戦っているそれではなく、まるで優雅な舞いを舞っているかのようだった。
 あまたの詩に歌われる聖騎士に見とれ、肝心の作詞などすっからかんに忘れているラヴェルの周りを、右に左にフィンが動き回っている。
 ラヴェルはクヤンに見とれているが、フィンとて新米ながらもかの有名なフィアナ騎士団員、その腕前は決して悪くない。
 青く輝く剣を振るい、小鬼からラヴェル達を守っている。
 白と青の騎士が馬を駆り、剣を振るう。
 他の詩人達が知れば羨ましがる場にラヴェルはただ突っ立っていた。
 カッ……。
 頬のすぐ脇を飛び抜けて行った矢影に我に帰ると、ラヴェルはレイピアを構え直した。
「たぁっ!」
 茂みから飛び出してきた小鬼に狙いを定めると切っ先を突きこむ。
 身軽に飛び上がってかわす小鬼をしつこく追い、動きの少ない胴体めがけて刃を打ち下ろすと、ようやく小鬼を仕留める。
 ゴブリンなどとは桁違いにすばしこい。
 ラヴェルがやっと一匹しとめた頃には、クヤンもフィンも相当な数の小鬼を始末していた。
 気付けば視界の範囲内には小鬼の姿は見当たらない。
「ふむ……終わったようですね」
 クヤンは剣を鞘に収めた。澄んだ音が森の中に響き渡る。
「長居は無用です。血の臭いに狼などが寄ってこないとも限りません。参りましょうか」
「はい」
 ケルティアの森は相変わらず美しい葉を木洩れ日に輝かせている。
 再び彼らは馬の歩を進め始めた。
 森の中は風もなく、空気も柔らかで暖かい。
 おもわず馬の上でうとうとし始めたラヴェルだが、しばらく進んだあたりで突然上がった悲鳴に飛び起きた。
「うぎゃあああああっ!?」
 振り向けば、アルトの馬が暴れている。
「どうしたの!?」
「たっ、助けてくれえええっ!」
「おや……取りこぼしがいましたか」
 どうやら離れた位置から小鬼が矢を放ったものらしい。
 クヤンの手から放たれた短剣が木陰の小鬼に命中した。その手から木の弓が落ちる。
 ラヴェルは馬から降りるとアルトの馬に近づいた。
 暴れる馬をよく見れば、尻に小さな矢じりが突き刺さっている。
「ああ、これは痛いね。すぐ抜いてあげるからね」
 かわいそうに、馬の尻には血がにじんでいて痛々しい。
 ラヴェルは馬に近づくと刺さった矢に手を添えた。
 瞬間。

 ドガッ!!

「きぃやあああああっ!?」
 馬の背後に回ったのが悪かったのだろう。
 ラヴェルはものの見事に蹴り飛ばされていた。



 ボイン河は古戦場跡としても知られる場所である。
 フィアナ騎士団の一部隊はこの河畔に陣を張って動かない。
 首領の騎士クールが病気療養中のため指導者不在であり、騎士達も若干不安を感じないわけではないだろうが、それでも落ち着いて見張りの役に当たっているようだ。
 一方シャノン河畔には多くの足跡が散らばっている。
 二つに割れた蹄の跡は、猪やバーゲストの足跡だ。
 それらを追い回すように大きな人間の足跡が土を荒らしている。
 岩だらけの大地に小さな保塁を幾つも築きあげているのは赤枝の戦士達だ。
 統制された大部隊ではなく、幾人かの戦士が岩を抱えあげては積んでいく。
「あれは確かに赤枝の戦士ですね」
 高台にある小さな岩山に隠れ、クヤンは眼下の様子を探り見た。
「ここで争うのは避けた方が賢明です。退くに退けなくなりますからね。見つからないように先へ進みましょう」
 頭目であるホリンはここにはいないようだ。
 この河畔など数箇所に戦士が展開しているものの、まだ大規模な戦には至っていない。
 彼らの準備が整う前にホリンと話をつけなければならないだろう。
 ミーズ地方まで来ればコノート地方はもう目の前である。
「さぁ、急ぎましょう。ミーズは最も妖精鬼が多い場所です。一気に駆け抜けますよ」
「はい」
 風の音に鞭の音が紛れ込む。
 岩の割れ目に咲くヒースの小さな花を踏みしだきながら、四頭の馬は再び大地を駆け出した。



「はぁ……これが……」
 言葉が出ない。
 数日かけて辿り着いた目の前には巨大な砦。
 赤茶けた砂岩を積み上げた、赤枝戦士団、通称レッド・ブランチの拠点。
 無言の威圧力、ずんと響くような存在感。
 武骨だが、その偉容は大したものだ。
 その門前に、突如凛とした声が響いた。
「ケルティア王クヤン、赤枝戦士団頭領、ク・ホリンに面会を求めます。門をあけよ!」
 ギギギ……と軋む音さえ、重々しい門扉にはふさわしいものに感じる。
 分厚くがっしりした樫の扉がゆっくり開かれる。
 ケルティアでは辺境といわれるこの地に何の連絡もなく現れた国王に、門番達は慌ててその扉を開いた。
「ではラヴェル、私はフィンと共にホリンに会って話をして参ります。貴方達は砦の内部の見学していらしてください」
「わかりました」
 ラヴェルはクヤンを見送ると、アルトを連れて砦の中を見て回ることにした。
 予想を覆し、内部は光もよく入ってかなり明るい。中庭も広くとってあり、あまたの戦士達が試合などをして鍛え合っている。
 掛け声も勇ましく両手剣を構えて突進する者、戦槍斧を豪快に振り回す者。確かに、騎士というよりは戦士だ。勇猛果敢という言葉がよく似合う。
 だがハードな修行は怪我人もうむ。
「……向こうの人のケガって、刃物傷じゃないよね?」
「うーん、オレにはわからん」
 打撲傷のようだ。数日前のもののようだが……打撲傷は治りが悪い。
 壁に向かっているだけで訓練をしていない男に、ラヴェルは多少びくつきながらも思い切って話しかけてみた。
「凄い傷ですね」
「ああ? これか?」
 あちこちが腫れ、青紫に変色している。片腕も折っているようだ。
 その戦士は情けなさそうな顔をすると鼻の頭を指先でかいた。
「こいつは……まあ、その、なんだ、ちょいと前に北の町へ行ってたんだがな、まったく、ついてないぜ。酒場で乱闘になってな、そこに居合わせた生意気な踊り子とイカレた吟遊詩人にのめされちまったんだよ」
「イカレた吟遊詩人??」
「生意気な踊り子だぁ?」
 ……何かが引っかかった。
 思わすラヴェルはアルトと顔を見合わせた。彼も同意見らしい。
「それって……」
「あいつらだよな……」
 あの二人しかいないだろう。
 とある顔を二つ思い浮かべる。
 一つは、どこか斜に構えた、不思議な瞳を持つ青ずくめの不良詩人。
 もう一つは、大きな瞳に丸い顔、華奢な体型に似合わない、釣り橋のワイヤ並みに図太い神経の持ち主。
「うーん、出会わないことを祈ろう……」
 思わずラヴェルはクヤンがするように十字を切ると中庭を後にした。



 高い青空。抜けるような青というのはこの色のことをいうのであろう。
「地を揺らし、風を揺らし、荒野にとどろく戦士の掛け声。白刃を閃かせ、雄叫び高く切り込むは英雄ク・ホリン。嵐に吹かれるが如く、たてがみを揺らし、手には魔の槍ゲイ・ボルグ。勇ましき猛犬、熊をも倒し……」
 物見の塔から辺りを見ながらくちずさむ。
 ケルティアだけでなく大陸でも知られる豪傑の歌。
 よく分からない高揚感に浸りながら、ラヴェルは砦を上から見渡した。
「顔を見てみたいな」
 猛犬のホリン。
 熊殺しとも呼ばれる英雄である。
 その居城にラヴェルはいるのだ。顔を拝まない手はないだろう。
 恐らくまだクヤンと話し合っているはずだ。扉の隙間から覗いてみよう。
 埃っぽい茶色い建物の内部を進む。
「……あれかな?」
 扉の隙間からいくつかの室内を覗き見しつつ、ラヴェルはやがてそれらしい部屋に辿り着いた。
 覗いて見ると、明褐色の砂岩を泥で積み上げた壁、踏み固められて岩より堅くなったような床。部屋の中にある調度品は、木を組んだだけの粗末なテーブル、椅子。
 その殺風景なまでに簡素な部屋にはクヤン、フィン、そして……。
「あれがホリンみたいだね」
 なるほど。
 ラヴェルは大陸中で知られている歌の詩に納得した。
「たてがみかぁ……」
 ホリンの頭は長めの逆毛だった。しかもぼさぼさで、見るからに静電気でも立っていそうな感じだ。
「猛犬っていうか……ヤマアラシじゃねえか、あれ」
「しーーっ!」
 思わず呟いたアルトの口をラヴェルは塞いだ。
 どうやら盗み聞きはバレずに済んだらしい。
 部屋の中からクヤンの声が流れ続けている。
「いいですか、ホリン。何かといってすぐ武力に訴えようとするのは……」
 武力衝突回避の調停をするのかと思いきや、どうやらお説教らしい。
「ましてやフィンはまだ若いのですよ」
 ホリンの声は聞こえない。一方的にクヤンが話し続けているらしい。
「いくら豊かな土地がほしいとはいえ……」
 長い。
 さすが聖職者。説教が始まるとなかなか終わらない。
 クヤンはその誠実さと実力から人気が高いが、ディアスポラの神殿はともかく、故郷の城ではクヤンもこの話の長さという一点でのみ嫌われている。
 それ以外では良き国王なのだが。
 ホリンも国王を前に最初は背筋を伸ばして聞いていたが、そのうち片頬杖になる。気が付けば、いつの間にか指で机の上をカタカタと叩いている。叩いていたかと思うと今度はテーブルの下の足が貧乏揺すりをしている。
「戦いを起こす力は田畑の開墾に回すべきで……」
 ぎっこぎっことホリンの椅子がきしむ。ホリンは頭をかくと腕組みをし、そのうち片足がテーブルの上に乗った。
「そういうことは神の意思に反しますよ」
 見た目にもかなり気が短そうなホリンだが、あからさまにイライラしているのがラヴェルにも分かる。
 そばで顔を引き攣らせているフィンに、ぎょろ目でガンを飛ばしている。
 窓から差し込む光の角度が落ち、夕日が深く室内に入り込む頃になってようやくホリンは折れた。
 展開している戦士達を引き下がらせることで合意する。
「なあラヴェル、オレが思うに、説得を聞き入れたんじゃなくて、長っ話に飽きてさっさと切り上げたかったんじゃないのか、あいつ」
「うーん、かもしんない」
 休みなく続いた説教、もとい説得が終わるとクヤンはラヴェルたちを呼びに出た。
 盗み聞きしていたのがばれないように慌てて大廊下へ出ると、二人はクヤンに招かれてホリンと顔を合わせた。
 もううんざりしたのか、ホリンはろくにラヴェルたちの顔も見ず、チラッとこちらを見ただけで相手にしてくれなかった。
 ただ、
「遅くなったから泊まって行け!」
 そう一言いうと大またで歩み去っていく。
 どうやらぶっきらぼうなだけで、人は良いようだ。
 そうでなければ現代の英雄とは歌われまい。
 いくら強くても、ただ強いだけでは慕われないだろう。
 好意はありがたく受けることにする。
 あてがわれた部屋で粗末な毛布を被るとラヴェルは砦の小さな窓から見える満天の星を見ながら眠りについた。
 明日の目覚めはよさそうだ。
つづく

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