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がんばれ吟遊詩人！ 〜ラヴェル君の場合〜
第五話：霧の国・夜の国（前編）
「んー、気っ持ちいい〜」
自宅の玄関から出るとさわやかな風と柔らかな日差しが一面に満ちている。
せっかく旅の傷を癒そうと村へ戻ったのに、妖精獣との追いかけっこで首をひねったラヴェルだが、今度こそ回復したようである。
ケガも治り、久しぶりに外へ出たラヴェルには、今まで当たり前に思っていた自然がとても新鮮に感じられた。
その出で立ちはいつもの赤いコスチューム、羽根帽子、手には竪琴。懲りもせずにまた旅に出ようというのである。
その彼の後ろ、はしゃいでいるルキータ、いつもながら冷めているレヴィンが玄関から姿を見せた。
クレイルは王都へ帰ったが……この二人は当たり前のようについてくるつもりらしい。
「……で、付いて来るんだね？」
「そうよ。まだ帰るには早いわ」
「お前に付いて行くと退屈しないからな」
………………。
「……からかうと楽しいって言いたいんでしょ」
「ほう、よく分かったな」
「〜〜っ……」
まるで怪我が再発したのではないかと思うほどに頭が痛い。
「うう、たまにはのんびり気ままに一人旅がしてみたいよ」
「何言ってるの、ラヴェル一人じゃ危なっかしいから、親切な私が付いて行ってあ・げ・る・って言ってるんじゃない」
折れたのではないかというほどにがっくりと首を落とすラヴェルに構わず、ルキータは嬉しそうに尋ねた。
「ね、ね、それで今度はどこへ行くの？」
「う〜〜ん」
正直、行く先というのはあまり考えていない。
行き当たりばったり、気が向くままに足を伸ばしてみようかとも思っていたが少し考えてみる。
「そうだねー、僕はまだ行ったことがないから、帝国の見物でもしようかなー」
「えー……つまんなーい」
ルキータは頬を可愛く膨らませている。
帝国出身である彼女には、栄華を誇る国の観光も面白みを感じられないようだ。
「そんな退屈な。もっとスリルのある旅がしたいわ！」
「僕は平和な旅がしたいよ……」
さすがに先の洞窟探検で懲りたらしい。だがそれくらいで懲りていては一人前の旅人とは言えまい。
……もっとも、平和を壊しているのは怪物との遭遇よりも、身近にいるレヴィンやルキータなのだが。
そのレヴィンが珍しく助け舟を出した。
「ならばこういうのはどうだ？ ここからディアスポラ経由でミストラントまで南下する。そこからニブルヘイム、ギンヌンガの地溝を経てムスペルヘイム、フレイムラントまで出て更にシヴァ王国を見物してくる。シヴァは変わった文化の土地だ、退屈することはあるまい？」
「……スリルあり過ぎ」
ラヴェルは幾つのも伝説を思い出して顔から血の気が引いた。
話に聞いただけで実際に行ったことはないが、ミストラントとは年中霧のまく地域で、その南西に位置する、海に突き出る半島から地峡の北部にかけてがニブルヘイムと呼ばれる魔境であるそうだ。
高い山の連なるそこはいつも薄暗く、その山の頂きは天空につながっているともいわれ、不思議な生き物が多く住むという。住んでいる人間はきこりと狩人くらいなもので、普通の人々は滅多に近付かない。
その山岳地帯もあるところで今度は大地に深く沈み込む裂け目、ギンヌンガ・ギャップによって途切れる。
その先は一面が岩場とかし、更に進むと灼熱の火口地帯となるといわれ、ムスペルヘイムと呼ばれる地峡の南部に当たる場所だ。
そこはフレイムラントと呼ばれる地域の一部で、フレイムラントはミストラントとは魔境だらけの地峡で繋がっているものの、海を隔てて向かい合っている。
もちろんそのあたりが魔境と呼ばれるのはその厳しい地形だけではなく、凶悪な怪物が多く住み、噂では妖魔の城すらあるといわれるほどの妖気が漂っているからだ。
そんなことを思い出せばおのずと答えは知れたもの。
ラヴェルは首を横に振った。
「イヤだよ、ニブルヘイムって幽霊とか魔族とかいるんでしょー？ ムスペルヘイムだってレッドドラゴンとかサラマンダーとか……」
しかしラヴェルの控え目な反論はあえなく却下された。
「決まり！ 面白そうじゃない？ 私、魔族とかドラゴンとかって見たことないのよね」
どうもラヴェルの言葉が墓穴を掘ったようだ。
これではきっとレヴィンに鼻で笑われてしまうだろう。
何を言われるかと半ばびくびくしながらラヴェルはレヴィンの顔を盗み見たが、彼は笑ってはいなかった。
赤い一つの瞳が不気味に光る。
「……そうか、見たことがないか」
一言、そう言ったのみである。
「えっ、じゃあレヴィンは見たことあるの？」
ラヴェルとルキータは同時に青ずくめの顔を見上げた。
「嫌というほど、な」
「……よく無事に済んだねー……あ、そっか」
最後の方は口の中でつぶやいたラヴェルは、自宅の居間で彼から聞いた言葉を思い出した。
何せレヴィンは天空人、古の魔法で幾らでも何とかなったのだろう。
それでもやはりラヴェルは首を横に振った。
「でもやっぱりイヤだよー。シヴァに行くのはいいけどさ、船で行くとか、別のルートにしようよ」
「ンもう！ ラヴェルってば、あなたね、スリルを求めるから旅してるんでしょう？ 平和にしていたいのならごく普通に街で生活してればいいのっ！」
「なんかそれって旅の目的が違うような……僕は歌のネタを求めて適当に……」
「だったら少々の危険は覚悟の上！」
「えーっ、旅の基本はまず身の安全確保からで……」
言い争う、というよりもごにょごにょと口ごもっては言い負かされているラヴェルとルキータの言い争いを脇で聞いていたレヴィンだが、いい加減に飽きたらしい。
「で、どうする、行くのか、行かないのか」
「行く！」
「じゃあ別のルートで……」
「だめっ！」
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結局それから何週間か後、三人は街道を西へ回り込み、中央高地の山脈を迂回するとディアスポラからミストラントへ足を踏み入れた。
山脈の南斜面の麓と南の大海に挟まれた場所にありながらも、一帯にまく深い霧のために日の光は届かず、いつも薄暗い。
「ねー、やっぱりやめとこうよ」
「何言ってるの、ここまで来て」
宿を取るために一向はある町へ足を運んだ。
町に人の影は少なく、寒々とした空気が霧とともに流れる。日当たりが悪いため、辺りの木立ちもやせ細り、葉のない黒い影だけが立ちすくんでいる。町を行く数少ない人々も皆無口、顔色も余り良くない。静けさが不気味だ。
すっかり気力のうせているラヴェルに代わってレヴィンが町を一巡りしながら宿を取りに行った。
その間ラヴェルとルキータは今にも朽ちそうなベンチに腰掛けてぶつくさ言っていた。
さすがのルキータも、あまりの町の覇気のなさに、このルートを選んだことを後悔し始めているようだ。口がとんがっている。
そこへレヴィンが戻ってきた。
「おやおや、まだ腐っていたのか」
「だってー……」
「まあいい、宿は町の中心から見て北東に建っている二階建ての建物だ。行けばすぐに分かる。行くか？」
石畳の隙間から苔ののぞく道を歩く。
「それにしても陰気臭い町ね。こう、パーッとした感じが、出せないのかしらね」
「この気候では仕方あるまい……」
先頭をレヴィン、その後ろをゲンナリとしたルキータ、最後尾をとぼとぼとラヴェルがついていく。
レヴィンはまだしも、不気味な町の様子にルキータやラヴェルの格好は浮いて見える。
宿は外面は灰色の石造りだったが内装はこの辺りで取れる杉の木で統一されていた。
ただ、やはり泊まる客が少ないのか手入れは行き届いていないらしく、板張りの床は湿っぽい上に、抜けるのではないかというほどもろそうな感じで、鈍く軋む音までが心細く感じられる。
しかし意外にもラヴェルたちにとっては都合のいい状況であった。
陰気臭い町は娯楽に飢え、歌や踊り目当てに町の人々が集まってきたのだった。
もちろん、一番喜んだのは彼らではなく宿の主人であったが。
おかげで宿の一階の酒場は夜中すぎまで賑やかだった。
珍しくレヴィンは何も言わず、ラヴェルは久し振りに気持ちよく歌うことができた。
ルキータも調子に乗って踊り続け、その額には寒さに似合わずうっすらと汗すら浮かべている。
夜も更け、のどが痛くなるまで歌わされたラヴェルは、客が引いた後には疲れ果てていた。
それでもルキータと二人でかなりおいしい額を稼いだために、珍しく懐の心配もなくホクホクしていた。
その間レヴィンは何もせず、静かに隅のテーブルで飲んでいた。
客がすべていなくなると、ラヴェルはレヴィンのテーブルに着き、温かいスープを口に運んだ。
根菜と豆のスープは塩味であっさりしていたが、体がじんと温まる。
のんびりそれを食べ終わると、レヴィンがグラスを傾けているのも忘れ、ラヴェルはそのテーブルに突っ伏して一休みした。
本人は起きているつもりなのだが、他人から見れば半分寝ている。
ルキータはいつの間にか部屋へ戻ったようだったが、しばらく経ってもレヴィンはまだ静かにラヴェルの向かいの椅子でグラスを傾けていた。
「……少し竪琴の稽古でも付けてやろうか？」
「遠慮しとくよ……」
半分寝言のように返事をする。
宿の酒場にはすでにラヴェルとレヴィンの姿しかなかった。
給仕は後片付けを終え、主人も他には客がいないことを確かめると奥へ引っ込んでしまった。
霧の町の夜は恐ろしく静かで、夜鳥の鳴き声も風の音も聞こえない。
部屋の中にある音はグラスがテーブルに置かれる音と時折ロウソクの芯が立てるジジジという音だけだ。
遠くで狼が鳴いた。
カタ、という音にラヴェルがうっすら目を開けるとレヴィンが立ったところだった。
壁際へ行くと、しとみ戸というのだろうか、板張りの窓を開け、外を眺める。
ラヴェルもつられて目をやれば、深い霧のはるか上空、その霧の薄い部分からぼんやりと月影が差している。
音はしないが風はあるらしく、ロウソクの火影が揺れる。
それに気付くとレヴィンは窓を閉めた。
そのまま壁に寄りかかって腕を組むと……なぜかラヴェルをじっと見た。
「……な、なぁに？」
不思議な輝きをする赤い目にじっと見られ、ラヴェルは思わず聞いた。
見ているというか眺めているというか、とにかくレヴィンの赤い視線はラヴェルに注がれている。
その視線のままレヴィンはこう言った。
「……変わった生き物だな」
「はぁ！？」
もはや珍獣扱いのようだが、どうやらラヴェルのことを言っているらしい。
ラヴェルのような一般人など、世界中に掃いて捨てるほどいる。
もし本当にレヴィンが元々このミドガルドの住人ではないとしても、今までの旅で人間など幾らでも目にしているはずだ。
第一、レヴィンだってどこからどう見ても普通の人間と同じ姿をしている。伝説に出てくる天空人ような翼は持っていない。
「何だよいきなり失礼な」
「ふむ？」
こつこつと足音を立ててラヴェルに近寄ると、レヴィンはテーブルに突っ伏している珍獣をしげしげと眺めた。
「人間には違いないが、ちと普通ではないな」
「あのね……」
レヴィンに言われる筋合いはないが、確かに各地を流れる吟遊詩人は色目で見られがちではある。宮廷詩人ですら、歌っている最中は自身の世界に入り込んでしまうためか、時と場合によっては眉をひそめられることもある。
それでもラヴェルはまだまだただの人、第一……ラヴェル自身は、自分はクレイルやレヴィンなどよりは遥かにマトモだと思っているのである。
「人間には身体的な能力と精神的な能力があり、中津国の人間は身体的な能力が高く精神的な能力が低い、と上では言われているんだが……」
上というのは恐らく天空界のことであろう。
「こいつは精神的な力のほうが強いらしい……」
「あの、観察してます？？」
テーブルの上に突っ伏すというよりぺったりと潰れているラヴェルをしげしげと見下ろしながら、レヴィンは飲みかけのグラスを手に取った。
「満月と新月があるように、昼と夜があるように、精神的なものには二面性が合ってそれがバランスをとっている。人間の心には必ず暗いものが少なくとも半分はあるはずだが、どうもこいつにはそれがないみたいだな……？」
「すっごく感じ悪いんですけどー」
観察されるなど心地の良いものではない。
控えめな抗議などまるきり無視し、レヴィンはまだじろじろとラヴェルを眺めていた。
「ううう……」
「ふむ……まぁいい。そろそろ寝るか」
テーブルの上にのの字を書き始めたラヴェルにやっと気付いたのか、レヴィンはグラスを飲み干すと暗い二階へと歩み去っていった。
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「おい、さっさと起きろ」
「う……う〜ん……」
顔面が擦れるように痛い。
それでもまだ眠いラヴェルはそのまま寝ていた。
しかし間髪いれず、凄まじい衝撃と音が耳と顔の骨から直接飛び込んできた。
「ぎゃんっ！？」
思わず飛び上がったラヴェルは椅子から転がり落ちた。
どうやら酒場のテーブルでそのまま寝てしまったらしい。
冷たい目をしたレヴィンがラヴェルを見下ろしている。
どうやら彼がラヴェルが突っ伏して寝ていたテーブルを蹴りつけたらしい。
木目を顔に貼り付けたまま、ラヴェルはむっくりと床から起き上がった。
半分まぶたが閉じているような情けない状態で町を出るが、顔に当たる冷たい霧風がいつの間にかすっきりと目を覚まさせてくれた。
それはルキータも同じだったらしく、先程まで不機嫌だった彼女もすっかりいつもの快活娘に戻っていた。
常に霧の立ち込めるミストの谷は薄ら寒く、薄暗く、昼でも夜でもないような不思議な感じのする地域だった。その谷を抜け、南へと針路をとる。
進むにつれて濃くなる霧は河のように渦を巻いて流れ、世界を白く厚く包み、前を行く二人の背中ですら時折かき消えそうになる。
大陸の南西の端に位置するミストラントだが、更にその最南端は南の大陸へ続く地峡へと繋がっている。
そのあたりが悪名高いニブルヘイムと呼ばれる地域で、ラヴェルたちは今まさにこの地へ足を踏み入れようとしていた。
霧と夜の国、死者の国などと不気味な形容をされるこの地域は、確かに不気味な雰囲気に満ちていた。
徐々に霧は薄れ、やがて見えてきた風景はこの地の名前に相ふさわしいものであった。
遠くに連なる山々の影は黒く寒々しく、あちらこちらに開いた風穴からは絶えず冷気が吹き出している。
絶壁のようにそびえる山脈の陰のために日の光も当たらず、確かに一日中夜のようなところであった。
「うわぁ、いよいよだね」
「油断するな」
乾いた青黒い岩肌の露出する荒れた地面を歩いていく。
暗がりの中、遠くにうっすらと浮かび上がって見える山脈は厚い氷に覆われているのか、暗い空を背景に白っぽく浮いて見える。
先頭を行くレヴィンのランタンの灯を頼りに山道を行くが、どのくらい歩いたのか、どれほどの時間が経ったのかったのかまるきり分からない。
何せ、空は重苦しく垂れ込め、太陽が全く姿を見せないのだ。
「そういえば、何でここは死者の国って呼ばれるのかな？」
「……お前、吟遊詩人のくせにそんなことも知らないのか」
呆れたようにため息をつくと、レヴィンは歩みは止めずに語り始めた。
「人間は命を終えると魂が空へ昇って行く。優れた魂は神々が奪い合って自分の配下にするという」
「エインヘリヤルだね」
「そうだ。それ以外の魂はこの星や大気に溶け、世界を巡りだす。しかし、だ」
レヴィンは暗い空の遠くを視線で指し示した。
そこには何も見えないが、おそらく寒々しい山陰が横たわっているのだろう。
「死した英雄つまりエインヘリヤルになれず、星に還ることも叶わなかった魂は醜い女冥主ヘルの館に迎え入れられ、眠りにつく。そのヘルの館……つまり冥界への入り口が、このニブルヘイムの山の下にあるわけだ」
ラヴェルは思わず立ち止まった。
あたりをうっすらと漂っているものを指差す。
「それって……さっきからこの霧ヘンだと思ってたんだけど……」
ミストラントよりもだいぶ薄くなった霧は、白い雲のようなものではなく、薄暗い色をしていて妙にすえたような気分の悪くなりそうな臭いがする。
「死者の放つ瘴気だな」
「うう、やっぱり来るんじゃなかったよ……」
「安心しろ、死者を起こすようなバカ騒ぎをしなければ大丈夫だ」
太陽を見ない日を幾日かこの山道で数えた。
うっすらと漂う瘴気の霧の中を、燐光がゆっくりと舞う。
辺りがより一層暗くなる。
太陽が見えないとはいえ昼間はある程度の視界が利くが、夜は本物の暗闇に包まれる。
しかし昼間太陽がないかわりに、夜が更けてくると月が煌々と遠くの山並みを照らし始めた。
月が出るならば太陽が見えてもよさそうであるが、なぜかいつまでたっても太陽の輝きは目にすることが出来ない。
本当にここは伝説どおりの夜の国なのかもしれない。
「よし、この辺りで休めそうだ。どうする、ここで野営するか」
この不気味な山道へ分け入って幾日目かの夜を迎えた。
レヴィンに促されて場所を確かめると、どうやらここがこの山では峠になる場所のようであった。
谷間になっているがその両脇は段丘になっていて、そこなら平らで湿気っている様子はない。
地形の変動に取り残されたらしいそびえ立つ崖のような岩が風よけになり、それによじ登ると今まで歩いて来た山道がうっすらと月に照らされて浮かび上がった。
つづく
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